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愛依は、大好きな祝主と再会する

 御所に着くなり、翔士(しょうし)六茫宮ろくぼうぐうの一つ、これからの住まいとなる春華宮にまず通された。


 御所には、宗主や闇食やみはみの宮が住まわれる本殿、執務や事務を執り行う宮内殿、側人や宮女たちが暮らす奥宮、依人の住まう六茫宮などがあるが、この後の住まいとなると教えられて門をくぐった春華宮は、まさに御伽草子に出てくる離宮そのものだった。


 その絢爛さに言葉も出ない翔士を促して、手早く旅の汚れを払わせた後、宜張(ぎちょう)はその足で、依人筆頭格の葵翳きえいの元に連れていく。


 宮内殿へと続く回廊を二人が進めば、行きかう宮人らが次々に依人(よりうど)に対して頭を垂れ、翔士は居心地の悪さを覚えながら、宜張の陰に隠れるようにして回廊を急いだ。


 回廊を何度か折れた後、宜張はやがて一つの扉の前で立ち止まり、やや緊張した面持ちの翔士を穏やかに振り返る。


「格付けの卓議場だ。葵翳に引き合わせるぞ」

 その袖をちょっと引っ張って、翔士は小声で聞いた。

「格付けってなあに?」

「葵翳から説明がある。口を閉じておけ」


 宜張はそう言って翔士の頭をぽんと叩き、樫の扉を軽く叩いた。

「宜張だ。翔士を連れて来た」


 中から低いいらえがあり、宜張は翔士を従える形で入室した。

 室内は落ち着いた色調で統一されており、中央のどっしりした円卓には、六名の依人が座っていた。


「あ………!」

 その中に大好きな司凉(しりょう)の顔を見つけた翔士は、今の状況も忘れて祝主(はふりぬし)の胸に飛び込もうとしたが、間一髪、傍にいた宜張が犬の子のように翔士の後ろ襟を引っ掴んだ。

 首が閉まってぐえっと言っている翔士の横に立ち、何食わぬ顔で宜張は紹介する。


「これが翔士だ」

 …何とも様にならない。


 卓子の正面に座す四十代くらいの男が静かに翔士の方を向き、ひたりと視線を合わせてきた。

「大儀だった」


 翔士が思わずごくりと唾を飲み込むのを見て、宜張は苦笑を噛み殺した。

 誰に教わらずとも、それが依人筆頭格の葵翳だと、翔士にはすぐにわかっただろう。身に纏う威風といい、真霊の清浄さといい、他の依人達とは明らかに一線を画しているからだ。


 葵翳は、闇食みの巫女と共に、陣の封印に尽力した不世出の不人あらずびとと言われており、その真霊の強さから、並の依人ならばとうに失っている命と若さを、未だこの世に繋ぎ止めていた。


 一般に真霊が強い依人ほど、よわいを重ねる速度が遅くなると言われるが、この葵翳は、一千年以上の時を永らえて尚、四十そこそこの矍鑠かくしゃくさをその面差しに見せている。


 何より異質なのは、命と繋ぐ愛依を唯一持っていないことだ。

 一説では、闇食みの巫女と通じる真霊の高さ故に、愛依の核が育ちにくいとも言われていた。


 じっと自分を見つめてくる葵翳から、翔士は目が外せなかった。葵翳の琥珀色の瞳は、英知を秘めて曇りなく澄み渡り、厳しさと共に深い慈愛をたたえていた。


「私が誰かわかるか?」

 発せられた問いに、翔士は小さく頷いた。


葵翳きえい様だと思う」

「様は要らない」

 葵翳は穏やかに言葉を正した。

「我らは闇を封じるべきごうを、共に背負って生まれついた者。同胞はらからに敬称は不要だ」


 絶対ムリ、と翔士は思わず心の中で叫んだが、口には出さなかった。


 年少の愛依がそんな事を考えているとは夢にも思わず、葵翳は背後に控えていた宜張に軽い目配せをした。

 その意を受け止めて、宜張が静かに部屋を下がっていく。


「ここにいる者達は格付けと呼ばれている。この名称を聞いた事は?」


 宜張の退室をどこか心細く見送っていた翔士は、葵翳の問いに慌てて首を振った。依人の詳細については、ほとんど聞いていない。

 不安そうに揺らぐその眼差しを静かにとらえ、葵翳は案ずることはないと優しく口元を綻ばせた。


「格付けとは、祝主の中でも特に真霊に優れ、封殺や浄散といった調伏の要となる者達だ。

 重要な討議はなべて、この格付けの間で行われている。お前も、顔と名前は見知っておくように」


 葵翳の言葉を受けて、翔士は恐る恐る格付けらの顔を眺め渡した。

 

 依人の真霊の強さを知る目安として瞳の色素の薄さがあげられるが、ここに集う六人は、六人が皆、琥珀とも紛う薄茶色の瞳をしていた。

 黒髪と黒瞳が一般的な不見みずにあって、その存在は明らかに異質だが、闇食みの宮がやはり稀有な琥珀を瞳に宿していることを考え合わせると、これも一種の太古返りと言えるのだろう。


 翔士の知る限り、そのような瞳を持つ者は司凉と成唯(せいい)しかいなかったが、その成唯に視線をとどめたところで、葵翳がおもむろに口を開いた。


「私の補佐を務めてい成唯だ。成唯は知っているな」

「はい」


 外見上は二十代後半に見える成唯だが、依人筆頭格補佐を務める実力を考え合わせると、その実年齢は翔士が思うより遥かに上であるのだろう。

 その成唯は翔士と目が合うや、端正な顔を綻ばせ、よく来たな、と穏やかな言葉を掛けてきた。


「その横が羽前うぜん


 こちらは年齢こそ成唯とそう変わらないが、格付けの威厳を思わせる厳しさは微塵もなく、いかにもおっとりとした雰囲気を身に纏っている。

 翔士を見つめてにっこりと微笑んだ顔が、どことなく泉恕の父を彷彿させた。


「次が奏慧そうえ

  

 その隣にいた二十代前半の青年が、紹介を受けてわずかに口の端を上げた。

 ややつり上がり気味の一重の瞳で値踏みされるように見つめられ、翔士はごくりと唾を飲み下す。


「それから微乃みの

 

 その隣は、格付け唯一の女性依人だった。

 すっと鼻梁の通ったたおやかな感じの女性で、翔士を見つめて微笑むその頬に淡いえくぼが浮かんでいた。

 依人の装いを解けば、その美しさでさぞ人目を引く事だろう。


「そして司凉。お前の祝主だ」


 葵翳の紹介に、司凉は唇の端を歪ませるように皮肉っぽく笑った。

 どこか意地の悪そうな笑みなのに、その懐かしい笑顔を見た途端、今まで我慢してきた恋しさが一気に喉元までせり上がってきて、翔士は思わず目を潤ませた。


「司凉……」


 司凉とは、先日血を含ませてもらって以来、会っていなかった。

 腕の中で眠りこけている内に、司凉は挨拶もなしに帰ってしまい、目が覚めた時は匂いさえおぼろであったのだ。


 司凉にひたと目を据えたまま、今にも飛びつきそうに唇を引き結ぶ初愛依はつういを見て、格付けらはここが卓議の場であることも忘れて、一様に笑いを噛み殺す。

 上目遣いに司凉を見上げるその姿は、まるで飼い主をようやく見つけた迷子の子犬さながらだ。

 尻尾があれば、千切れんばかりに振っている事だろう。


 葵翳もまた、これが祝血はふりちを飲んで育った初愛依かと、呆れ半分に瞳を細めた。

 闇の時代に生まれた愛依が、ことのほか司凉に懐いていると人伝に聞き、半信半疑で流していたのだが、あの噂はどうやら本当だったようだ。


 そうして改めて司凉の方に視線を向ければ、泣きべそをかいた愛依の様子に呆れ返ってはいるものの、平素のどこか生きあぐねたような虚無感が見事に消え失せている。

 おそらくこれが、愛依といる時の司凉の素の顔なのだろう。


 依人としての類い稀な資質に恵まれればこそ、どこか生を疎むような司凉の生き様に微かな懸念を覚えていた葵翳は、揺らぎのない愛依の信頼と思慕を一身に負って立つ司凉の姿に、秘かに安堵の胸を撫で下ろす。


 宮の隠れが早まると知った時、初愛依を世に送り出すのは当分見合わせては、と真剣に宮に進言した葵翳だった。

 だが今になってみれば、残る力を振り絞るように初愛依の胎魂たいこん鄙女ひなめに植え付けていった宮の判断が正しかったと、ようやく葵翳にもわかってくる。


 生き倦んだ司凉の果てない孤独を救えるのは、おそらくこの愛依だけなのだろう。

 そしてこの無力な同胞は、この先もその存在だけで司凉を確かな未来に繋ぎ止める。


「翔士」

 葵翳は穏やかな声で幼い愛依を呼んだ。祝主に見入っていた翔士はびくりと体を震わせ、慌てて葵翳に向き直る。

 その面を柔らかく見つめ返し、葵翳はゆるりと言葉を続けた。


「お前が泉恕(せんど)で、言祝ことはふりの一つでも習いたいと言っていたのは知っていた。だが、私は許さなかった。

 その理由は聞いているか?」


「未熟な言祝は何を呼び起こすかわからないから、結界がきちんと効いている所ではないと、教える訳にはいかないと言われました」

「納得したか?」


 その問いに、思わず無言になる翔士を見て、葵翳は低く笑った。


「翔士。いびつな地というのは、この世に確かに存在するのだ。

 何故、そうなるのかは私にもわからない。

 ただ、多くの血が流されても怨嗟えんさをさほど溜めぬ地もあれば、たった一人の老い人が病を嘆きながら逝っただけで、呆気なく妖気を溜めていく場所もある。


 不見みずは気候にこそ恵まれた肥沃の地だが、そうした負の念を溜めやすい、いわば呪われた澱みの地だ。


 草木を枯らすほどの瘴気を滴らせた闇の呪陣は、闇食みの巫女によって封印され、今は本殿の奥深くに祟り場として眠っている。

 だがその呪力は未だ強く、月に一度、封印の鎮め糸を張り直さなければ、綻びから瘴気が溢れ出す始末だ。


 その上、不見の地には、他にも邪を封じた陣所が数か所あるのだ。

 むろん、祟り場ほど大きなものはないが、その一つでも破綻すれば、不見の地は瞬く間に異形どもに覆い尽くされるだろう。


 今はまだ、我らにも余力がある。宮が隠れられたとはいえ、邪を封じた結界にも大きな綻びはなく、念を煽る要素も少ないからだ。

 だがいずれ、不測の時代は必ず不見を訪れる」

 

 葵翳はここで一旦言葉を止め、少し難しい話をするが、と前置きした。


「不見は広大な国だ。北は鳳霊山(ほうれいざん)から南は三海(さんかい)に至る創輝(そうき)まで、大小さまざまな三十一の(くに)が宗家に忠誠を誓っている。

 彼らの望みは、都の陣所で生み落とされた異形が、万が一にも郡境(くにざかい)を越えて、自分達を襲わぬように守って欲しいという事だ。


 今でこそ、せつ伊瀬(いせ)こんの四つの関所に配された同胞が、結界を張って妖気の流出を食い止めているが、それもどこまで持つのかわからない。

 闇の時代はまさに、人ならざる異形と我らとの消耗戦になるだろう」


 そして葵翳は、押し諫めるような目で翔士を見下ろした。


「かつて闇の時代が訪れた時、依人のおよそ半数が異形との戦いで命を落とした。

 それを嘆かれた宮は、闇の時代の到来を前にすると、より真霊に優れた依人をこの世に生み出されるようになった。

 今は亡き劉翔りゅうしょう然り、今、私の右に座す成唯然り。


 いずれ耳にする事もあろうが、室兄(むろえ)と呼ばれた格付けもまた、戦いの核として生み落とされた依人だった。

 成唯に次ぐと称えられた格付けだったが、つい先の年に、惜しくも異形の前に命を落とした。


 いくら真霊に優れようと、我らは所詮、宮の祝を受けた器に過ぎぬ。その力には自ずと限界があり、不死とはなり得ぬのだ。


 お前の祝主である司凉もまた、闇の時代を前に生み落とされた戦いの核だ。真霊の質から、おそらく室兄と張る力を持っているだろう。

 

 闇が覆わぬ間に室兄を亡くし、この上司凉までをも我らは失う訳にはいかない。

 だから愛依であるお前には、司凉の命綱となり、万が一の贄となる覚悟が求められる」


 翔士を見つめる葵翳の鋭い瞳に、一瞬凄みにも似た蒼い気迫が加わった。


「翔士。今一度言っておく。

 お前の身に流れる血は、最後の一滴に至るまで司凉のものと心得よ。


 迂闊に命を散らしてはならぬ。それがお前に与えられた至上の命と思うように」

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