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愛依は、ちょっぴり感傷に浸る

 人気のない畦に一人腰を下ろし、翔士はぼんやりと膝の上で組んだ自分の手に見入っていた。


 ちなみにここも、守役達が張ってくれた結界の中で、だからこそ翔士は一人でものんびりと寛ぐ事ができる。


 邪を引き付けやすい翔士は、守役達の目がほんの少し離れた時にうっかり結界から出てしまい、鬼に襲われた事があった。


 守役三人から渡されていた符をすぐに破ったため、肉をちょっと齧られただけで済んだが(ものすごく痛かった)、あの後散々三人に雷を落とされた。

 司凉も都から早駆けしてきてくれたが、あの時の怒りはすさまじかった。


 口もきいてもらえなくなり、大好きな司凉に本気で嫌われたと思って、翔士は三日三晩泣きに泣いた。

 鬼に襲われたよりもよほど大きなトラウマだった。


 結局あの時は、守役の一人、妓撫きぶ祝主(はふりぬし)である成唯(せいい)がとりなしてくれた。

 成唯は、依人の中でも格上なので(なんでも、依人筆頭補佐、とか言っていた)、成唯に宥められた司凉は、本当に本当に仕方なく翔士を許してくれた。


 成唯がその場にいる間にと、翔士はちゃっかり、胡坐をかいた司凉の膝の上に乗っかった。

 成唯の手前、振り払う事ができなかった司凉は苦虫を潰したような顔をしていたが、乗っかっちゃえばこっちのものである。


 基本的に、守役である妓撫(きぶ)宜張ぎちょう架耶(かや)の三人は翔士に甘い。チョロいと時々、翔士が思う程度には、甘々な守役であった。


 ただし、妓撫には注意が必要だ。

 司凉に邪険にされた翔士が成唯に泣きついた後、妓撫からはしっかりと釘を刺された。曰く、成唯には甘えるなと。

 少々口が悪くて、よくからかわれたりはするものの、妓撫は頼もしくて頼りになるお姉さんだったから、真顔で警告されて翔士は本気でビビった。


 でも気持ちはものすごく理解できたので、逆らわなかった。

 だってもし、司凉が自分以外の人間に優しく微笑み掛けたら(その姿を想像して、翔士はありえねーと心に呟いた。司凉が優しく微笑むなんて、天変地異の前触れにしか思えない)、もし自分以外のものに優しくしたら、それが男だろうと女だろうと、たとえ相手が犬っころだって、翔士は我慢ならないだろう。


 愛依というものは、本能で祝主に惹かれていく生き物だ。架耶なんかを見ていると、それがよくわかる。佑楽(うらく)が来ると、架耶の纏う気の色から変わってくる。


 あの気の強い妓撫だって、成唯がわざわざ泉恕を訪れた時は、とても嬉しそうだ。


 もう一人の守役、宜張ぎちょうは、祝主とずっと会えてないけど、きっと我慢しているのだと思う。どうして来ないの?って聞いたら、都から離れられない立場なんだとため息をついていたから。


 そんな事を思うと、翔士は時々、三人に申し訳ないなと思ったりもする。

 だって自分がもし、司凉とずっと会えないって言われたら、とても我慢できない。(実際、司凉が長い間来なかった時、寂しくて悲しくて、大好きなご飯が喉を通らなかった)


 早く司凉の傍に行きたくて、司凉の役に立てるような愛依になりたくて、だからずっと都に行く日だけを楽しみにしていたのに、最近の自分はちょっと変だった。


 最初に胸がつきりと痛んだのは、私物を処分するようにと言われた時だ。どうして?と聞くと、依人にとられる子は、元々この集落にいなかったことにされるからだと妓撫に言われた。


 じゃあ都に持っていく、と言ったら、何も持っていけないのと妓撫は言った。妓撫の方が泣きそうだったから、翔士はもう何も言えなくて、分かったって言うしかなかった。

 

 その時になって、あの日、司凉が自分に言った言葉の意味が初めて分かった気がした。

 今の内にきちんと心の整理をつけておけって、司凉が言ったのはきっとそういう事だったのだ。


「翔士」

 不意に名を呼ばれ、翔士はゆっくりと後ろを振り返る。


「妓撫、架耶……」


 そういえば、明日の儀式では宜張が宗家代理を務めると聞いていた。だから二人は特にする事もなくて、翔士の元を訪れてくれたのだろう。


「二人はもう、明日の準備できたの?」

 自分で問いかけたくせに、言葉にしたことで押し迫った別離の時を突き付けられた気がして、翔士はそのまま言葉を詰まらせる。


 小さな喉が喘ぐように震えるのを見て、架耶はふわりと笑って膝をつき、翔士と目線を合わせた。

「何、心細そうな顔をしてるの?明日には、大好きな司凉にも会えるんでしょう?」

 翔士の気持ちが手に取るように分かるから、架耶はそんな風に言葉をかけてやった。


「今はつらいかもしれないけど、与名あたえなが済んだら、いつでもここに来られるのよ。一生会えない訳じゃないんだから」

「うん……」


「まあ、明日は思いっきり泣くといいわ。目が兎になっても笑やしないから」

 妓撫にわざと明るくからかわれて、翔士は気恥ずかしさから、ついむきになって言い返した。

「俺、泣かないよ!」


 もう十になるのだから、人前で泣くような恥ずかしい真似はしない!と翔士は決意する。自分だってちょこっとは成長したところを、この二人にも見せたいのだ。


 それにしても、この二人は本当に性格が真逆だとつくづく翔士は思う。妓撫はさっぱりとした気性で、繊細さに欠けるというか、何と言うかおおざっぱな感じ。


 例えば翔士が司凉から死ぬほど怒られていたとしても、妓撫は止めるどころか、それを見て傍で爆笑していたりする。

 架耶ならすぐに翔士をかばってくれるのに。


 そして架耶の方は、どちらかというと心配症だった。結構耳に痛い話もこまごまと言ってくる。


「それはそうと、翔士。今日が最後の晩だからって気を抜かないのよ。迂闊に怪我なんかしちゃあだめ」

「しないって」

 何だか説教が長引きそうな気配に、翔士は用心深く後ろに身を引こうとする。その顎を素早く掴んで、架耶はにっこりと翔士の目を覗き込んだ。


「でもって、もし怪我をしたら、すぐに私達に言う事」

「……わかってるよ」


 架耶がここまで念押しするのは、傷を作る事自体が依人にとって致命的な因となるからだと翔士にもわかっていた。依人の放つ甘い気に増して、その濃厚な血の匂いは強く鬼を引き寄せるのだ。


 だから今まで、翔士がやんちゃで傷を拵える度、架耶達は慌ててその傷口に匂い消しの膏薬を塗り込んだ。

 それだけでなく、血の匂いを中和させるため、せっせと樵木しょうぼくの葉を火で燻しもした。

 膏薬自体は都から取り寄せれば幾らでも手に入るが、燻す手間の文句だけは散々三人に言われた覚えがある。


「本当にあんたって、普通の邑の子以上に怪我が多いんだから。ほら、何て言ったっけ?隣の家の女の子。あの子に膏薬渡しといて、あんたが傷を拵えたら取り敢えず薬塗っといてって、何度も頼んだよね」


「ああ、緋沙(ひさ)でしょ」

 妓撫の言葉に、楽しそうに架耶が相槌を打つ。


「あの子、翔士と同い年なのに随分しっかりしていたもの。翔士が川で溺れた時も、柿の木から落っこちた時も、あの子が走って知らせに来てくれたのよね」


「…………反省シテマス。だから昔の話はやめて」

 思わぬ話の流れに、翔士は全面降伏した。


 何せ隣の緋沙には、この守役達でさえ知らないような恥や弱みを山ほど握られているのだ。

 いじめっ子に泣かされる度、仕返しをしてくれたのがいつも緋沙なら、転んで泣いていると、痛くないと言っておまじないの接吻をしてくれたのも緋沙である。

 鬼が怖くて夜、厠に行けず、五つの年にお漏らしをしてしまったことを、緋沙がうまい具合に忘れてくれればいいのだが。


 こっ恥ずかしい過去のあれこれを思い出して一人悶絶する翔士を面白そうに見やり、ふと妓撫が聞いてきた。


「そういや最近、あんた達喧嘩でもしたの?何だか随分よそよそしいけど」

 急に緋沙との話を振られて、翔士は一瞬言葉に詰まった。

「してないって」

 思わず不貞腐れたように、目を逸らせる。


「緋沙の奴が勝手に変なんだよ。技の一つも使えないのに本当に依人(よりうど)なのってしつこく絡んでくるし。それにちょっとでも都の話をしたら、依人様はいいわねって嫌味言うし」

「ふぅん」


「都に行く日が近くなって、他の奴らが妙に気を遣うようになってきたのも嫌だけどさ。あんなふうに突っかかってくることないじゃん。

 この前なんか司凉が帰ってすぐ緋沙が来たから、司凉帰って残念だったなって声かけたら、いきなり怒り出してさ。

 ったく訳わかんないよ」


 翔士のぼやきに、妙齢の女二人は何とも言えぬ顔で互いを見やった。

「微妙な女心なんて、翔士にはまだわかんないか…」

 呆れたように呟くのは妓撫である。

「もしかして鈍感とか、言われなかった?」


「……馬鹿とか、もう知らないとか、勝手に都行っちゃえとか、散々言われた」

 仲のいい幼馴染に言いたい放題言われて、少なからずへこんだ翔士であった。


「女の子はませているからね」

 慰めるように架耶は答え、可愛くてたまらないという風に翔士の顔を覗き込んだ。


「緋沙は翔士と別れたくないから、つい突っかかっちゃうのよ。わかるでしょ?」

「……わかるけどさ」

「なら、もう落ち込まない。緋沙が翔士のことを好きなのは、間違いないんだから」


 もう家に帰りましょう、と架耶に手を差し出され、翔士は手を引っ張ってもらって立ち上がった。


 返ろうと足を踏み出しかけ、翔士はふと畦の向こうを眺めやった。段々畑が続き、川向うから更に傾斜がきつくなって山へと続いていく、見慣れた里の風景だった。


「あのね」

 ずっと言えなかったことを、今の内にこの二人に言っておこうと、翔士は口を開く。

「今までありがと」


「どうしたの、急に」

 妓撫が驚いたように見下ろしてくる。

「だって、明日には都に行くから、守役はもう終わりだろ?」

「そうね」


 二人の瞳に一瞬寂しげな光が浮かんだが、翔士は気付かなかった。


「俺のせいでずっと祝主と引き離されちゃうし、都と違ってここの生活ってすごく不便だったんだろ?

 それに俺、いっぱい迷惑かけたし」

 一応自覚だけはある翔士である。


「あら、私は楽しかったわよ」

 そう言葉を挟んだのは妓撫だった。

「依人になってもう久しいから、あんたみたいな子どもと関わるのって本当に久しぶりだった。何だか、ずっと昔の子供だった時分を思い出したわ」


「私もそう。手が掛かった分、刺激的だったと言うか」

 軽く翔士の頭を撫ぜ、架耶も懐かしそうに言った。

 

 自分達は依人だから子供を持てない。若さと長寿を約束される代わりに、人並みの幸せは全て諦めた。

 だからずっと、その事については考えないようにしてきた。

 祝主との絆はそれを凌駕するものであったし、失ったものを嘆いても何もならないと自分達には分かっていたからだ。


 けれど、赤ん坊の翔士が依人として覚醒した時、それまでの平穏な調和が初めて崩れた。架耶は、その変化をとても面白いと思った。


 現宗主の息子である司凉が鄙で暮らすなど論外であったし、代わりに幼子を守る依人が必要だと知った時、架耶はすぐさまその守役に名乗りを上げた。

 宜張や妓撫も、おそらくそうだったんじゃないかと思う。


 架耶は、司凉の伯父である佑楽の愛依という理由ですんなり希望が通り、後の二人は多分、それぞれの祝主が動いたのでは、と架耶はふんでいる。


 だって、妓撫の祝主は依人筆頭補佐だし、宜張の祝主は闇食みの宮の側近中の側近だ。いずれも高位の祝主だから、自分の愛依が泣きつけば、ごり押ししちゃうのもありだと架耶は思っている。

 何せ祝主はいずれも、自分の愛依にはとことん甘いから。


 お陰でこの十年間は、本当に濃かったと架耶は思う。

 やんちゃな初愛依に振り回されて、散々心配をさせられたり、腹を立てたり、叱りつけたり、時には宥め、腕に抱き、思う存分甘やかしたりと、どこにでもいるその辺の人間になれた気がした。

 つまるところ、ものすごく面白かった。


「向こうに行っても、私達があんたの守役であることは変わらないわ。

 またいろいろ教えてあげるから、これでさよならみたいな言い方はしないの」


 妓撫は明るく笑い、向こうに着いたら、鍛錬は結構厳しいわよ、といたずらっぽく見下ろした。

「ちょうど今は、闇の時代だからね。()の都は呪陣も多いから、邪が生まれやすいの。ここで暮らす以上に、気をつけないといけなくなるわ」


 そして唐突に、妓撫は思い出した。

 翔士の母も、ずっとそのことを危ぶんでいた。


 末子とのあらゆる絆を剥がされようとしている母親は、せめて闇の時代でなかったら、とやくたいもない繰り言を日々に重ねていた。

 都を覆う闇の気配はのどかな鄙の比ではなく、特権を纏う依人らには命を賭した戦いが待っている事を、老いた母親は本能で嗅ぎとっているのだろう。


 その母の心情を妓撫は哀れに思う。

 魂返りのできない初愛依を、同胞は命がけで守ってやるだろうが、闇の時代が長引けば、どんな不測の事態が起こるかわからないからだ。


 だから妓撫は、表情を改めて翔士を見下ろした。


「翔士。家族とは今日が一緒に過ごす最後の夜になるわ。

 だから今日のうちに、しっかりと別れを惜しんでおきなさい」

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