表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/37

愛依は、祝主に隠し事をする

 その後、司凉しりょうを追ってきた他の依人よりうどらに後の始末を任せ、ぐったりと目を閉じた翔士しょうしを抱きかかえるように馬に乗せて、司凉は一旦御所に戻った。

 すぐに血を分けてやったため、翔士の傷は塞がり始めていたが、大量の瘴気を浴びたせいか、翔士は今も浅い呼吸を繰り返しながら、寝台に身を沈めている。


 手足の先は氷のように冷たいのに、額にはうっすらと汗が滲んでいた。時折苦しそうに寝返りを打っているが、こればかりは司凉にもどうしようもない。

 体から瘴気が抜けていくのを、気長に待つしかないのだ。


 邑には事情を聴取するための依人が改めて派遣され、翔士の元にも成唯せいいが聞き取りにやって来た。

 邑を襲ったはぐれ鬼は、墳墓を襲ったモノと同じ屍鬼ではないかと成唯は疑っており、それをはっきりさせるためだ。


「あれは女だった」

 気怠そうに天井を見つめたまま、覇気のない声で翔士は答えた。


「もつれた髪が背まで流れてて、白い…服を纏ってた。俺が駆け付けた時、その鬼は女性を殺して、引き出しの中を漁っていたんだ」

「引き出しを漁っていただと?」

 墳墓の装身具が散々に荒らされていた事を思い出し、思わぬ符合に成唯の声が低くなる。


「それは確かか」

「うん。首飾りのようなものを握りしめてた」

 逃げた里人に聞けばそのくらいのことはすぐにわかるから、翔士は正直にそれを打ち分けた。


「何か…想いを深く残すものがあるんだと思う。腕を切り落としてもすぐに肉が盛り上がって、とても歯が立たなかった」

「他に気付いたことは?」

 翔士は少し考え、それからゆっくりと首を振った。

「他には何も」


 司凉の名を聞いた瞬間、鬼が人としての表情を取り戻し始めたのを、翔士はどうしても言えなかった。

 もしかしたら、自分の見間違いかもしれない。

 確信のないことを口にして事を大仰にし、司凉の母の名を貶めたくなかった。


 成唯は、翔士が鬼に行き当たった経緯や、その後の様子について何度か問いを重ねたが、新しい事実はそれ以上得られず、幼さのまだ残る顔に疲労がだんだんと増していく様子に、潮時だと腰を上げた。



「墳墓を襲った鬼だと同じだと思うか?」

 外まで送りに出た司凉にそう尋ねると、司凉は迷うように瞳を彷徨わせ、「おそらく」と答えた。


 自分が駆け付けた事を知り、屍鬼が踵を返して逃げた事が、司凉の心に引っ掛かっていた。

 人型を留めただけのはぐれ鬼ならば、新たな依人の匂いに惹かれて場に留まっていた筈だ。だが、あの鬼は逃げ出した。

 人としての判断力を多分に残しているという事だろう。


 跳ねながら逃げて行く鬼の後ろ姿を、司凉は確かに捉えていた。

 あのまま追えばおそらく仕留めていただろうが、自分を呼び止める翔士の声のか細さに、思わず足を止めていた。


 手痛い失策だったと司凉は思う。

 翔士が絡むと、正常な判断力を鈍らせてしまう自分に、司凉はとうに気付いていた。


「翔士の言う通り、あの鬼が何か妄執に囚われて人を襲っているのは確かなようだ。

 殺された女の身元は分かるだろうか?」


 言われて成唯は変な顔をした。百姓女の名を調べたとて、何の意味があるのかと思ったのだろう。

「何故、女の身元を?」

「鄙には不似合いな整った住まいのように見えた。御所に関わりのある女だったのでは?」


 成唯は考えを巡らすように腕を組んだ。

「調べてみる価値はあるかもしれないな」


 鄙住まいであるだけに、鬼が掴んでいた宝玉を二束三文のものと聞き流していたが、殺された女が宿下がりした官女か仕え女であるならば、相応の宝玉を持っていた可能性もある。


「あれを取り逃がしたのは、俺の失策だ。何か分かれば、知らせてもらえないか」

「新しいことが分かれば、むろんお前に教えるが」

  

 成唯は言葉を切り、ふと眼差しを和らげて司凉を見た。

「こっちのことはいいから、暫く翔士を気にかけてやれ。かなり具合が悪そうだ。思ったより瘴気を浴びているようだな」

「ああ」


 瘴気を浴びただけではなく、精神的にもかなり参っている様子なのが、司凉の心に掛かっていた。

 あれほどよく喋る翔士が、宮に帰りついてからほとんど口を聞こうとしない。いつもなら少々具合が悪くても、煩いぐらい自分に纏いついて来るだけに、今の様子は不自然だった。


 何か嫌な胸騒ぎがした。

 そのまま宮内殿にとって返す成唯に別れを告げ、司凉は足早に翔士の枕辺へ帰って行った。




 その晩翔士はずっと寝付けぬまま、傍らの寝椅子に休む司凉の気配だけを一心に追っていた。

 

 司凉と同じ部屋での寝るのは久しぶりだった。小さい頃は病や怪我を囲う度、いつも司凉にお泊りをねだっていた。

 少々熱が高くても、傷がじくじくと痛んでも、祝主さえ傍にいれば、愛依の翔士はそれで満足だった。

 今も安らかな司凉の寝息を聞いているだけで、泣きたくなるような安堵に満たされる。


 司凉…!と叫んだ瞬間、鬼がみるみる人型を取り戻し始めたのは、間違いないと思う。顔は確かに貴沙妃きさひの面影があったが、はっきりそうかと言われると、今の翔士に自信はなかった。

 肉は爛れて皮膚などはなく、ただ赤く充血した目元の辺りが、貴沙妃を思い起こさせたというくらいだ。

 あと、悲しみに歪むあの表情は、微かな怯えを孕んでいた気がする。


 でも…、と一方で翔士は思う。本当にそんなことがあるだろうか。

 貴沙妃は自ら毒を仰いで果てたのだ。覚悟の末に死を選んだ人間が鬼となって現世を彷徨うなど、普通では考えられない。


 誰に相談していいか、わからなかった。父に続き、母まで失った司凉に、その母親が鬼になったようだとは口が裂けても言いたくない。

 もし、これが単なる自分の思い違いであったなら、迂闊な発言はいたずらに司凉を傷つけ、苦しめるだけだろう。


「司凉…」

 溢れ出た涙が頬を伝って敷き布を濡らした。

 どうしたらいいのだろう。どう行動するのが正しいのだろう。このまま放っておけば、あの鬼は更に殺戮を重ねていく。

 それともいっそ人としての心を失うまで、見て見ぬふりをしておけばいいのだろうか。まだ僅かに人の心を残しているあの鬼に、更に罪を重ねさせて、人の心を失わせ…。


「翔士」

 ため息交じりに名を呼ばれ、翔士はびくりと寝椅子の方を向いた。見ると司凉が片肘をつき、呆れたような顔でこちらを見ていた。

「言いたいことがあるなら言え。傍で泣かれたら眠れないだろうが」

「寝てなかったの?」


 司凉は疲れたようなため息を漏らした。

「眠りかけてたら、お前が俺を呼んだんだ」

「ごめん…」


 翔士は拳で涙を拭った。

「俺、どうして司凉の役に立てないのかな」

「…鬼を倒せなかった事か?」

 訝しげに司凉が問い返す。翔士はちょっと躊躇い、結局頷いた。説明できるような事ではなかったからだ。


 淡い月明かりの中、長い髪を解いた司凉の端正な顔が、柔らかな薄闇に霞んでいた。

 司凉ほどきれいな人間は見た事がないとぼんやりと翔士は思う。

 冷ややかに見える切れ長の眼差しも、すっと通った高い鼻も、形の良い唇も、繊細な線を描く顔の輪郭も、そのすべてが翔士は大好きだった。


「ねえ、司凉。そっち行っていい?」

「……そっちって、この寝椅子にか?」

「うん。駄目?」

 

 この辺りは、飼い主に懐く犬っころの感覚に似ている。そうした愛依の習性を理解する司凉は、天井を仰いで嘆息した。

「………俺がそっちへ行く」


 こんな狭い寝椅子に二人で寝るなど、考えただけで肩が凝りそうだった。

 布団の中に入ってきた司凉の体に翔士はへちゃりと抱きつき、暫くごそごそと動いて、居心地の良い場所を探していた。

 ようやく胸の辺りに顔の場所を決め、体の力を抜いていく。

 やや体温の低い司凉の体が、熱に倦んだ体に気持ち良かった。


 司凉も同じことを感じたのだろう。

「お前、体温が高いな。やっぱりまだ子どもだ」

「熱のせいだよ!」

 むっとして言い返すと、低い声で笑われた。

「からかっただけだ」


 くっくと揺れる喉のくぼみに頭を埋め、翔士は静かに目を閉じる。

「ね…、司凉」

「何だ」

「俺、まだお悔やみ言ってなかったよね。宗主さまと宗妃さまが続けて亡くなった事…」

「…子どものくせに、変な気を遣うんじゃない」

 翔士の頭を抱いたまま、眠そうに司凉が答えた。


「俺…、早く大人になりたいな」

 司凉を守れるだけの力が欲しかった。守られるだけでなく、大切な人を傷つけないだけの強さが、今すぐこの手に欲しかった。


 あの鬼は貴沙妃なのか、それとも全く別の人間なのか、調べてみようと翔士は思った。

 これ以上あの鬼に、罪を重ねさせる訳にはいかない。もし不幸にもあの鬼が貴沙妃であったとしても、貴沙妃の名前は何としても自分が守るのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ