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祝主は、仕方なく愛依をなだめに行く

 夕闇へと消えていく翔士(しょうし)の後ろ姿を呆然と見送って、司凉(しりょう)は疲れ切ったようにため息を一つついた。


「何だ、あいつ。言っている事が滅茶苦茶だ」

 

 こめかみにこびりついた血を取りあえず濡れた布で拭っていると、後ろから誰かが近付いてくる気配がした。

 嫌な予感がして振り向いてみると佑楽(うらく)だった。

 さっきの愚にもつかぬ口げんかを聞かれていたらしく、佑楽は笑いを堪えるように口元をひくつかせている。


「お前、せっかく翔士が分けてやるって言ってるんだから、素直にもらっておけば良かったのに」

 こめかみの傷を確かめてやりながら、佑楽は楽しそうに説教する。


 司凉は思わずむっと佑楽を見た。

「あいつ、よりにもよって、得物(えもの)で腕を裂こうとしたんだぞ。血を分けるんなら、破邪の刃が基本だろうが」

 破邪の刃なら肌を裂いても痛みはほとんどないし、傷もすぐ塞がる。それを得物で傷を作ろうなどと、血の匂いをわざわざ鬼に与えてやるようなものだ。


「じゃあ、ちゃんとそう言ってやれよ」

 佑楽は窘めるようにそう言うが、


「俺は結界封じを終えたばかりで、心底疲れ切っているんだ」

 司凉はため息をついてそう答えた。

 

 命がけの仕事を終えてようやく帰ってみれば、安全圏にいる筈の翔士が何故か麓まで来ているし、挙句に、祝主(はふりぬし)の自分より死んだ同胞(はらから)の方に気をとられている。

 何やら腹の立つ事ばかりだ。


「お前の気持ちもわからんではないがな。

 あいつ、一日中お前のことを心配して、ご飯もろくに食べなかったらしいぞ。泣きべそをかかしたままじゃ、可哀そうだろう?」


「俺は別に間違ったことは言っていない。あいつが勝手にいじけて拗ねただけだ」

 勝手にというところをわざと強調して言ってやると、佑楽は少しおかしそうに肩口を震わせた。


「お前、分かってないんだな。

 翔士があんな態度をとったのは、羽前(うぜん)やお前が飾依(しょくえ)の死をあっさり片付けようとしたからじゃないか。

 自分もそんな風にお前に切り捨てられると思って、悲しくなったんだろう」


「飾依はほっといても転生する。大げさに騒ぎ立てるほどの事じゃない」


「翔士はそれを知っているのか?」

 穏やかにそう返されて、司凉は一瞬虚を突かれたように黙り込んだ。


「俺は言ったことはないが。

 でも普通そのくらいのこと、誰かから聞いて知っているんじゃ」


架耶(かや)たちは話していないと言っていたぞ。俺も教えていない。

 宮の覚醒まであと二十年近くあるし、あの子の場合、急いで教える必要もなかったからな」


「……………」


「俺が説明してやってもいいんだが、翔士が待っているのはお前だけだろうしな」


 脱力してその場に立ち尽くす司凉の肩をぽんと叩き、佑楽は声だけは優しく、けれど有無を言わせぬ口調でその耳元に囁いた。


「という事だ。後はお前に任せたぞ」




 その頃、子供じみた癇癪を爆発させて司凉の元から飛び出していった翔士は、行く当てもないまま松の木の根元に座り込んで、ぶつぶつと祝主への文句を垂れていた。


「何だよ、司凉の馬鹿。

 いくら俺が役立たずだからって、あんな言い方をする事ないじゃないか」


 思い出すと、またじわりと涙が滲んでくる。ついでに、お腹もぐうっと鳴った。


「そういや俺、司凉の事が心配で、朝も昼もろくに飯が食えなかったっけ」


 夕飯も当然食べていない。思い出すと、何だか余計に腹が減ってきた。司凉が無事だと分かった途端、食欲も戻って来るのだから、ちょろいお腹である。


「ああ、腹が減った。

 司凉の血、欲しいなあ」


 別に祝主の血を糧にしている訳ではないが、小さい頃から司凉の血を含んで育った翔士は、人一倍祝主の血の甘さを知っている。


「腹が減って力が出ない時は、やっぱあれが一番だし」


 思わず口の中に溜まった唾を飲み込んだ時、翔士はすぐ傍の梢でじっと自分を見つめる一羽の雀に気が付いて、げっと体を仰け反らせた。


 只人らにはわからないだろうが、依人(よりうど)である翔士にはわかる。あれは式だ。

 しかも、自分の事を確かめてどこかに飛んで行こうとしている事は…。


「ああっ、待て!司凉にチクる気だな」

 

 司凉の血が飲みたいと呟いて涎を垂らしていた事を報告されれば、後で司凉にどんな嫌味を言われるかわかったものではない。

 でもって、つい攻撃してしまった。(当然、司凉には式を殺された返しがいく。疲れ切った祝主に対してひどい仕打ちである)


 後先考えず司凉の式を消滅させた後、更に状況を悪化させたことに気付いて、翔士はいよいよ焦りまくった。

「しまった。後で司凉にどう言い訳すりゃいいんだ」


 同じ過ちを以前にもしたことがある。

 司凉に見つかってマズい事を式に見られ、思わず証拠隠滅を図ったら、後でこっぴどく司凉に叱られた。


「ああああああ!俺って馬鹿…!」


 両手で頭を抱え込んで喚いた時、みしりと背後で土を踏み分ける音がした。

「お前が馬鹿なのはよく知っている」

  

 地を這うような低い声に、怖くて後ろも振り返れない。いっそ、異形の方がましなくらいだ。


「えっと、し、司凉…?」

「俺の式を殺したな」


 声音の物騒さに、翔士はすくみ上った。

「ごめんなさいっ!」

「ふん、この阿呆が」


 と、頭を抱えて蹲る翔士の背中に、ばさりと司凉の上着が掛けられた。

「え」

「いつまでこんな所にしゃがみこんでいるつもりだ。はぐれ鬼に襲われるぞ」


 翔士は、司凉の温もりが残る上着を、襟元でぎゅっと握り込んだ。

 いつの間にか、体はすっかり冷え切っていた。そんな事にさえ、今の今まで気が付かなかったのだけれど。


「俺みたいに手の掛かる愛依(うい)って、本当は要らないんじゃないの?」

 その温もりに思わず涙が滲みそうになって、翔士は瞬きでごまかしながら司凉を見上げる。

「一度も役に立っていないし、怪我ばっかして司凉の手を煩わせるし」


「その上食い意地が張って、すぐにいじけるしな」

 しみじみと嘆息するように肯定され、翔士の瞳から涙がどばっと滝のように溢れ出た。


「ひ、ひど…」

「飾依はな、生まれ変わるんだよ」

  

 そんな翔士の、抗議を封じるように、司凉が言葉を被せてきた。

「愛依は魂返たまがえりするんだ。俺たち祝主と違ってな」

「……………………へ?」


 思わず間抜けな声を漏らす翔士の傍らに、司凉は腰を下ろした。


「羽前が取り乱さなかったのもそのためだ。

 飾依の魂は、今混沌の眠りの中にある。いずれ宿るべき魂を探して、羽前の元に帰ってくるだろう」


「…よくわかんないけど」

 暫く黙りこくった末、翔士はあやふやな声で問いかけた。


「じゃあ、愛依は生まれ落ちた時から、その定めが決まっているってこと?

 宗家の依人は生まれ落ちた瞬間からその運命を担うって聞いた事はあるけど、愛依もそうだったの?」


「ああ」


「でも、おかしいよ。

 宗家以外の依人は十歳前後までわからないって聞いているよ。

 俺の場合は、たまたま闇食(やみは)みの宮が予見されたから依人だってわかったみたいだけど、普通はそうじゃないって」


「自分の愛依がどの魂に宿るかなんて、俺たちはそいつが生を受ける前から知っている。宿り先を定めるのは、宮だからな。

 

 初産は危ないから、三度目か四度目の孕みの女を母体に選ぶのも宮だし、生まれ落ちる愛依の性別を定めるのも宮だ。

 つまり愛依は、生まれるべくして生まれているということだ」


「じゃあ何で、最初からこの子は依人だって言わないの?十歳前後まで普通の子として育ててるじゃない」


「一番世話が大変な時期は、仮腹に任せるんだよ。で、手間がかからなくなった頃に引き取りに行く」


 因みに仮腹とは、愛依の実母を指す。

 その命をお腹の中で育んでやり、生まれ落ちてからも乳を含ませ、おしめを替えたり躾けたりと散々世話をさせた挙句、頃合いになれば祝主が愛依を引き取りに行くということだ。


「そんな、そんなのって、なんかずるいと思うっ!」

 翔士の言い分は間違っていないが、それを自分に言われても、と司凉はそっぽを向く。


「文句なら、直接宮に言え。後二十年もすれば、起きてこられる」


 闇食みの巫女は今、岩奥の禊場で幼化のための繭籠り中だ。そのうち蝶が蛹から抜け出るように、老衰した古い肉体を脱ぎ捨てて岩奥から出てこられる事だろう。


 只人よりゆっくりと老いていくとはいえ、さすがに二百年余も生きていれば、総白髪の皺だらけの老婆だ。

 若返りしたくなるのは無理もないと、不敬極まりない事を司凉は心の中で考えた。


「二十年後って、そこまで覚えてらんないよ」

 翔士はため息をついた。


「でも司凉、愛依を仮腹に預けっぱなしにしてて危なくはないの?

 依人っていい匂いがするんだろ。鬼に狙われるんじゃない?」


「魂は宿っていても、祝主が気を分けてやらぬ限り、愛依が依人として覚醒することはない。だから鬼にも狙われない。

 まあ、何かの拍子に襲われてもいけないから、一応同胞の誰かがこっそり見張ってはいるけどな」


「こっそりって……。

 でも俺ん時は生まれた時から宜張(ぎちょう)たちがいてくれたぞ」


「それはお前の体が弱かったからだ」


 冷ややかに睨んでくるその眼差しに無言の非難を感じ取り、翔士の背をたらりと冷や汗が流れ落ちる。どうやら墓穴を掘ったようだ。


「あ、えっと…」

「今にも死にそうだったから、赤子のお前に俺が血を分けてやらなければならなかった。血を分けたら愛依の匂いをさせ始めたから、鬼に狙われないよう依人だと公表して守役をつけた。

 ……他に何か聞きたい事は?」


「ゴザイマセン」


 頬をなぶる風が梢を揺らし、微かな葉音を響かせた。

 傍に座す司凉の肩に頭を乗せ、翔士は見る間に闇を濃くしていく山の稜線にじっと目を凝らした。


「じゃあ司凉。もし俺が死んでも、また司凉の愛依として生き返れるんだね」

「今は無理だ」


「何で!?」

 翔士はがばりと頭を上げた。


 司凉は小さな吐息を闇に零した。

「お前は初愛依(はつうい)だからな。宮の助けがなければ魂返りはできん」


「宮の助け?」

「宮の護身結界が効いた禊場で愛依を殺すんだ。宮の呪力に守られている限り、愛依の魂が消滅することはないからな。

 そうやって魂返りの呪法を魂に覚えさせておけば、二度目からは一人でも転生できる」


 その言葉を神妙に聞いていた翔士は、ふとある疑問を覚えて司凉の顔を見上げた。

「あのう…、愛依を殺すって、因みにどなたが…」


「祝主に決まっているだろうが」

「決まってる?決まってるって。

 えええええええ………っ!」


 翔士にとってそれは寝耳に水、鳩が豆鉄砲を食らったというより、脳味噌が口から出てくるほどの衝撃だった。


「じゃ、じゃ、司凉が俺を殺すの?」

「そうだが」

 

 あっさりと肯定され、翔士はパクパクと口を金魚のように開け閉めする。

 嘘、冗談、何かの夢…。


 思わず背後の松の木にへばりつく翔士を見て、司凉はいとも楽しそうに、優美な微笑みをその端正な顔に浮かべてみせた。

 そして翔士の耳元に唇を寄せ、まるで睦言を語るように囁いてやる。


「心配するな。俺がちゃんと苦しくないように殺してやるよ」

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