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愛依は、祝主を心配し、後に拗ねる

 緯峰(いほう)の陣の結界の緩みはその日のうちに葵翳(きえい)に報告され、それから数日後、宗主の命を帯びた依人(よりうど)二十四名が、結界を張り直すべく亀裂の生じた陣へと出発した。


 翔士(しょうし)はもちろん居残り組である。

 ついていきたいと散々駄々をこねてみたのだが、そんなわがままが元より通用する筈もなく、下らん怪我だけはするな、という無情な一言を掛けられて、司凉(しりょう)はさっさと出かけてしまった。


「俺、司凉の愛依(うい)なのに。祝主(はふりぬし)が危険なところへ行く時は、普通、愛依って同行するものだろ?」

 ぶんむくれて不満をぶつける翔士に、架耶(かや)はおかしそうに喉の奥で笑うばかりだ。


 そりゃあ、翔士だって本当はわかっている。つい先日、ようやく実戦を経験させてもらったばかりの自分は、はっきり言って役立たずだ。

 ついていっても、きっと庇われるばかりで司凉の足手纏いになるだけだろう。

 

 だけど、一つだけ役に立てることがあると翔士は知っている。祝主がひどい怪我を負った時、愛依ならば祝主に命を繋ぐ事ができるのだ。


 だから連れて行ってと頼んだのに、司凉はまるっきり相手にもしてくれない。いつも迷惑ばかりを掛けているから(自覚だけはきちんとある)、少しでも役に立ちたかったのに。


 今日は朝から司凉の事がただ心配で、朝からご飯が喉を通らなかった。いつも食い意地だけは張っている翔士だから、佑楽(うらく)や架耶から妙に心配されてしまった。


 因みに、佑楽は今、緯峰の麓まで行っている。何かあった時の補助要員だ。

 翔士はそこにも同行が許されなくて、朝からずっと緯峰の方を眺めるているしかない、能なしである。 


 とにかく何かに腹を立てていないと、心配のあまり喚き出してしまいそうなので、翔士は不満を一生懸命見つけては、架耶にそれを愚痴っていた。

 幼い頃から面倒を見てくれた架耶なら、翔士の気持ちもちゃんと理解してくれて、何を言っても聞き流してくれるからだ。


「架耶はさ、佑楽に自分の符を渡してるだろ?」

 唐突にそんな事を聞かれて、架耶は面食らう。

「持ってるけど」


 祝主と愛依は、それぞれ互いの符を交換している。どちらかが危機に陥った時、すぐに相手を呼べるようにするためだ。


「あんたもちゃんと、司凉の符を持ってるよね」

 心配になってそう確認すると、「俺は持ってる」と不貞腐れた様子で翔士は言った。

「俺は司凉の符を持っているけど、司凉は俺の符を持ってくれないんだ」


 ああ、その事、と架耶は遠い目をした。


「危険な目に遭っても、俺を呼んでくれる気なんて司凉にはさらさらないんだ。成唯とか奏慧の符は、きちんと持っているくせに!」


 涙目で訴える翔士を見ながら、そりゃぁそうだろうと架耶は心に呟いた。


 戦いの核とまで言われた司凉が危機に陥る時は、それだけ危険が大きいという事だ。格付け連中くらいの符くらい持っているだろう。

 

 一方の翔士は、まだとても戦力にはなれない。

 そのうえ初愛依の翔士は、他の愛依たちと違って一人で魂返りできないのだ。死ねばそのまま魂が消滅してしまうような危なっかしい愛依を、危険な場所に引っ張り出したいと願う祝主がいよう筈もない。 


「あんたの符ねえ」


 その事をどうごまかそうかと、架耶はううんと考え込む。

 本当の事を言ってやってもいいのだが、闇食みの宮が目覚められるのは、十五から二十年くらい先の話だ。

 そんなにも長い間、本当の意味で司凉に必要とされないなんて知ったら、この甘えたの愛依は、地の底まで落ち込む気がした。


「まあ、そのうち持ってくれるようになるんじゃない?」

 なので、架耶としてはそんな風に宥めるしかない。


 翔士はちょっとだけ唇を尖らせていたが、諦めたように司凉たちが向かった緯峰の陣へと目を向けた。

 

 朝からずっとこんな調子だ。


 よほど司凉が心配なのだろうと架耶は思うが、確かに架耶の目から見ても、司凉の立ち位置はひどく危なっかしく、何と言葉を掛けて良いものかわからない。


 今はまだ宮の祝が僅かでも残っているから、を守る依人の方にも余裕がある。だが、全ての呪陣から宮の残り香が消えた時、次々と陣の崩壊が威を襲うようになるだろう。


 その時、危険な前線に真っ先に駆り出されるのは、戦いの核として生み出された司凉だ。だが、日を置かずに真霊を使い続けたら、いくら力に溢れた司凉でも、疲弊するのは目に見えていた。

 愛依からの気食いが許されていない司凉は、その状況にどこまで耐える事ができるのか。


 力尽きて異形に殺される司凉の姿だけは見たくないと架耶は心に呟き、もしそんな事になったら、この子は生きていけないだろうと、一心に祝主を案じる翔士の顔に目をやった。

 

 どうしようもない事だ、と架耶はため息を呑んだ。

 闇の時代がどんな結末を迎えるかなんて、誰にも分からない。多くの依人が命を落とすようになるだろうし、それが自分であっても何の不思議もなかった。


 翔士と並んで緯峰の辺りを眺めると、山の稜線と東の空との境が、心なしか澱んでいるのが分かった。

 つい半刻ほど前、のしかかるような大気の鳴動を感じた。おそらく結界を張り直すために、一時的に封印を解いたのだろう。


 どの程度の異形が飛び出してきたのか、陣に向かった同胞たちは無事なのか。


 ただ無事を祈って待つしかない身に歯噛みしていると、翔士がふっと袖の辺りを掴んできた。

 翔士自身は、自身の行動に気付いてもいない様子で、無意識に架耶の袖口を引っ張てしまってから、慌てたように手を離した。


「ごめん」

 翔士は落ち着かない様子で手をこすり合わせ、何か喋っていないと不安に押し潰されそうなのか、また架耶に話しかけてきた。


「ねえ、架耶。この前佑楽が、俺は一度も呪陣封じに関わった事がないって言ってたけど、本当なの?」


「……本当よ」

 仕方なしに架耶は答えてやる。


 宮が隠れに入ってすでに十五年が経過したというのに、佑楽はまだ一度も危険な呪陣封じに駆り出されていない。そんな依人は、せいぜい闇食(やみは)みの宮付き人か、依人(よりうど)筆頭の葵翳(きえい)くらいのものだ。

 佑楽はそれを負い目に感じていて、本当は封じに行きたがっていた。


「……宗妃さまがお許しにならないのよ」

 一瞬の間を置き、架耶はそう続けた。


「宗妃さまが…?何故?」

「佑楽はほら、今の宗主さまの実兄に当たるでしょう?

 もし依人にさえ生まれつかなかったら、今頃は宗主として国を治めていた筈だと儀容(ぎよう)さまは言われて、何かにつけて佑楽を頼ろうとされるの」

「ふうん」


「でも、依人には政治には一切関わらないっていう不文律があって、そういう事をされるとかえって迷惑なのよ。

 だから佑楽は、なるべく本殿に近付くまいとしているんだけど、向こうから口を出してきたらどうしようもないと言うか…」


 架耶の言葉はどこかしら歯切れが悪かった。

 翔士は首を傾げ、ちょっと考えてから問い返した。


「つまり、呪陣封じは危険だから行くなってこと?

 でもどうして、それを宗妃さまが言うの?」


「宗主さまの意を汲んで、かな。それ以上は私も良く知らないわ」

「そうなんだ」


 余り踏み込んで欲しくなさそうな架耶の口ぶりに、翔士はそれ以上聞くのを控えた。

 きっと人には喋りたくないことなんだな、と翔士はそう納得して、その話題から離れる事にした。



「呪陣封じ、まだ終わらないのかな。早く司凉が戻ればいいのに」


 気まずい沈黙をごまかそうと翔士がそう呟いた時、不意に翔士の視界がぶれた。

 遠く仰いだ空の向こう、おぼろに見えるなだらかな稜線が、更に輪郭を薄くした気がした。

 

 翔士は思わず息を呑んだ。

 見間違いではない。視界がぶれるほどの大量の瘴気が噴出していた。


「大丈夫かな…」

 口の中で転がすように呟いた時、すぐそばの梢にいた雀がふっとかき消えるように姿を消した。


「な、に…?」


 驚いて架耶の顔を見ると、架耶は悲鳴を呑み込むように手で口を押えていた。

「架耶、一体…?」


「今の雀、式よ。わかる?」

 押し被せるように質されて、翔士は不安げに頷いた。

「分かるよ。

 でも別に、攻撃もされたようには見えなかった。どうして消えたんだろ」


 地に徘徊を始めた鬼が先ず狙うのは、依人の気を濃厚に放っている式だった。

 その式が襲われると、式を作った依人に返しが来るため、どこに鬼が現れたかを依人は瞬時に知る事ができる。


 けれど、今ここに鬼の気配は感じられなかった。それが突然消えたということは、一体…。


「あの式を作った依人が死んだの。誰かが、殺されたんだわ」

 翔士はぞっと顔を上げた。


「し、りょうは…?」

「司凉は大丈夫」

 架耶が素早く言葉を割り込ませた。


「司凉の符に異変はないでしょ。あんたが符を持ってるってことは、司凉が無事だってことよ。

 でも、誰が…」


 万全の体制で出かけて言った筈だった。

 万が一にも同胞を欠けさせることがないよう、十分過ぎる人数を緯峰に割いた筈なのに。


 もどかしく緯峰の辺りをただ眺めるうち、やがて東の空の澱みが唐突に消え、陽の翳りかけた空に美しい稜線がくっきりと浮かんできた。結界が張り直されたのだ。

 二人は強張った表情のまま、どちらからともなく息を吐いて肩から力を抜く。


「俺、麓まで迎えに行ってくる」


 そう言い捨てるや、翔士は走り出した。

 張り直しが済むまでは一切緯峰に近付くなと言われていたが、今ならばもう行ってもいいだろう。

 麓には、佑楽をはじめとした数人の依人たちが、危急の場合に備えて待機している筈だった。


 架耶は慌てて翔士の手を掴んだ。

「私も付き合うわ。こんな日にあんた一人を出歩かせたら、後で司凉に叱られるもの」




 馬を駆って半刻ほどの緯峰の麓に二人が着く頃には、日は完全に沈み落ちて、夕闇がしんしんと民家を包み始めていた。


「司凉!」

 

 山を下ってくる一行の中に司凉の姿を認めた翔士は、馬から飛び降りて手綱を無理やり架耶の手に押し付けるや、一心に司凉に向かって駆け出していく。


「だいじょう…」

 

 問い掛けた言葉は途中で切れる。

 司凉のこめかみのあたりの皮膚が切れ、赤黒い血がこびりついているのが目に入ったからだ。


「司凉、怪我を…!」

「こんなのが怪我の内に入るか」


 素っ気なく返され、ふと司凉が肩を貸している依人に目をやって、翔士は危うく悲鳴を上げるところだった。

 脇腹をざっくりと切られ、抑えた指の間からは、今なお乾ききらぬ血がじわじわと衣服を染めている。


 駆け寄ってきた里人らの手によってその依人は戸板に移し替えられ、数人がかりで奥の間に運ばれていった。

 それを見送るともなしに見送って、翔士はふと、別の依人の肩に担ぎあげられて帰還した、明らかに息の絶えた女性依人の姿を認めて、ぎょっとその場に立ち竦んだ。

 

飾依しょくえ…!」

 地面に横たえられた女性依人に駆け寄った架耶が、叫ぶように名を呼ぶ。


「この傷…。そう、羽前(うぜん)に命を上げたのね」


 翔士の脳裏に、先ほどまるで空気に溶けるように唐突にかき消えた、式の姿が思い浮かんだ。

 主の命の途絶えと共に、姿を失った式。あれはこの依人のものだったのだ。


「ああ、俺に命を移してくれた」


 その声に後ろを振り返ると、袍を赤く血に染めた羽前がおぼつかない足取りで歩いてきた。迎えに出向いた依人らの手を借りて、ようやく立っていられる状態だ。


「俺が守ってやるつもりでいたんだがな。気付いたらこのざまだ」



 結界を張り替えるために楔を引き抜いた瞬間、凄まじい数の異形が知を解き放たれて一斉に依人たちに襲い掛かってきた。

 奏慧(そうえ)や司凉と共に最前列にいた羽前は、封滅呪法を続けざまに放って、四方を囲む異形どもを薙ぎ倒したが、延々と続く戦いにいつしか隙ができてしまったのだろう。


 印を結ぶ腕に噛み付かれ、神気だけで跳ね飛ばした瞬間、鋭い鉤爪で背を掻き切られた。

 視界が血の色に染まり、遠くで飾依の泣き声を聞いた気もしたが、それすらも記憶に定かではない。


 ようやく意識が戻った時、倒れた自分を庇うように剣を振るう司凉の背中がまず見えた。

 肘を支えに起き上がろうとして、羽前は初めて、自分に覆い被さるように倒れている飾依に気付いたのだ。



「最後の言葉も聞いてやれなかった」


 悔恨に唇を歪ませ、羽前はじっと飾依の顔を見る。

 安らかに瞳を閉じた飾依の、蝋のように白い額にそっと口づけ、別れを惜しむように青ざめた頬を指の背でゆっくりと撫でた。


 羽前は今までに二度、愛依の転生を経験している。

 飾依の死は痛手だったが、また新しい生を受けて自分の元に帰ってくると知っていたから、それ以上嘆く必要はなかった。


「手厚く葬ってやれ」


 そう里人に言い捨てて、羽前は静かに飾依に背を向ける。


 その後ろ姿を架耶は静かないたわりを込めて見送ったが、傍らの翔士は激しい衝撃を受けて、呆然とその場に立ち竦んだ。


 翔士は、魂を分かつ愛依を目の前で失いながら、取り乱しもせず、平然と埋葬の言葉を口にする祝主の気持ちがとても理解できなかった。


 自分にとっての祝主は命よりも大切な、自分にとっての全てであるのに、祝主にとっての愛依はそうではないのだろうか。

 そんな考えに、手足の先から凍り付いていくような哀しみと絶望を覚え、翔士はぼんやりと飾依の亡骸を見つめることしかできなかった。


「おい、何を呆けている」


 と、そこに割り込んできた不機嫌そうな司凉の声に、翔士は滲みかけていた涙を慌てて拳で拭い、司凉の方へ走り寄る。


「司凉!」

「お前、飾依の死がそんなに悲しいのか?」


 赤くなった瞳をしみじみと見返され、翔士は一瞬、答える言葉に詰まった。

「だって、あの人…」


「あいつだって、自分の命と引き換えに羽前が助かったんだから本望だろう」

 切り捨てるように断言されて、その途端、翔士の胸に言いようもない寂しさが広がっていく。


「司凉も……」

 司凉もそんな風に、俺を切り捨てるの?


 喉元まで出かかった言葉を、翔士は危うく呑み込んだ。

 祝主のために命を懸けた愛依でさえその命を惜しまれないのに、一度も司凉の役に立ったことのない自分では、はなから答えはわかっている気がした。


「俺も…何だ?」

 不愉快そうに聞いてくる司凉に、翔士は噛みつくように叫んだ。


「俺の血、上げる!」

「は?」

「そしたら傷も早く治るだろ?」


 焦燥に突き上げられるまま、やにわに肌を裂こうとする翔士を見て、司凉が飛び掛かるように翔士の手から得物を叩き落とした。


「この、阿呆が!」

 そのまま腕を捩じり上げられて、翔士はたまらずに悲鳴を上げる。


「イタタタタッ!放せよ!」

「下らんことをしようとするからだ!この程度の傷で、血なんぞ要るか、馬鹿が!」

 

 頭ごなしに怒鳴りつけられて、翔士は大きな目いっぱいに涙を溜めた。

「俺があげるって言ってるんだからいいじゃないか!」


 司凉の事が好きでたまらないのに、司凉はちっともわかってくれない。

 それが悔しくて悲しくて、翔士は地団太踏んで子供じみた癇癪を爆発させた。


「何だよ、司凉の馬鹿!大っ嫌いだ!」


「おい、待てよ」


 泣き喚いて駈け出そうとする翔士の腕を司凉は慌てて掴もうとしたが、封じを終えたばかりの体には力が入らない。

 その手を払って、翔士はそのままどこかへ駆けていった。

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