新人研修一日目3
「らァッ!」
【悪路王】の力で筋力を強化された魁人の拳が唸りをあげる。
ブオンと風を切り突き進む強拳に、しかし騨雄は身体を少し傾けただけで躱してしまう。
ついでに足を引っ掛け魁人の体勢を崩していた。
前のめりに倒れ込む魁人。
あまりのあっけなさに騨雄が頭を掻いてこちらを振り向く。
眼がこんなのでいいのか? と確認するように言っていた。
私は答えるでもなく稲穂に視線を向ける。
「じゃあ、『か』の代わりに私がやる」
魁人が恥ずかしそうに四つん這いで場を退くと、騨雄の前に歩み出る稲穂。
しかし、その足取りがちょっと怪しい。
顔も上気しているように見えるし、熱でもあるのだろうか?
「稲穂、もしかして、風邪?」
無理しているようなら休ませた方が良さそうだ。
そう思ったのだけど、稲穂は被りを振る。
「ち、違う。これは『あ』が……な、なんでもない」
さらに顔を赤くして言葉を濁す稲穂。
私がなんだろうか? まぁ、問題が無いのならいいんだけど。
しかし、騨雄が「お前、大丈夫か?」と稲穂を労わる様な様子を見せている。
いや、お前を殺そうとしてる相手だからさ……
右手を振って、カッターナイフを取り出す稲穂。
チキチキとナイフの刃先が伸びていく。
さすがに無手では危険だと知った騨雄は背中に手を入れると、そこから鉄パイプを引き抜く。
「来いやッラァッ!」
「とりあえず、一当て」
ふっと消え去る稲穂。
やっぱり本調子ではないらしい。
本調子なら私には移動したかどうかすら見えないはずなのだ。
それでも騨雄が反応できる程の速さではなかった。
高速で動く稲穂を捉えきれず、稲穂が通り過ぎてようやく攻撃を喰らったのだと目を見開く騨雄。
チキリと稲穂がカッターナイフをしまった瞬間、切り刻まれていた全身の傷が一斉に開く。
「がはぁッ!?」
真奈香が前に喰らった技だ。
でも、騨雄は倒れる寸前足を踏み出し耐えきる。
さらに妖能力を発動したらしい。
周囲に出現する四つの手杵。
「ッらいやがれっ!!」
右手で支えた左手を稲穂に向けて、騨雄が吼える。
すると半透明の光る手杵が稲穂へ向けて動き出した。
チキリとカッターナイフの刃を伸ばし、これを迎撃しようとする稲穂。
次の瞬間、いつの間にか稲穂の身体がひっくり返されていた。
間抜けな稲穂の驚き顔が私の視線と交わる。
ゴチッと痛そうな音が聞こえた。
……稲穂、死んだ?
「大丈夫だ。後頭部打ったみてぇだが死んだ二人とひっくり返した感じが違う。生きてるぜ」
「手加減してくれたの? 犯罪者にしては常識的ね」
「どうせどう頑張ったとこで俺は死ぬんだろ? だったら自分の強さだけを見せつけて俺がどれ程強かったかだけでもこの世界に残してやろうかって思うだけだ。それには、相手を殺しちまったら伝え手が居なくなンだろ?」
「そうね。それなら、誇っていいと思うわ。Dランクの妖使いであるあなたが、A級を越えるガシャドクロを降したのだから」
「が、ガシャドクロ!? そ、それってもしかして……あの?」
「ええ。彼女は斑目稲穂。大阪城の惨劇を引き起こした少女よ」
真実を知った騨雄は額に手を当て笑いを洩らす。
「マジかよ。俺があんな化け物倒しちまったってか?」
絶望的な笑いだった。
まるでそこまで強くなってしまったら誰も自分を止められないじゃないかというような自虐的な笑み。
そんな彼に、私は少し移動して道を開ける。
「……何の真似だ?」
「さっき言ったでしょ。二人を倒せたら逃げていいって」
「正気かよ?」
「もしも、本当に死にたくなったら、またここに来なさい。二日後。今度は私が相手をする。さっき言った三つの死に様。好きなものを選んでおいて」
「なんだそりゃ……まぁ、逃げろっつーなら遠慮はしねぇぞ?」
戸惑いながら、騨雄は悠々と去っていく。
途中、本当に殺しに来ないのかと確認するようにこちらを振り返るが、私が全く動いていないことを知って、頭を掻きながら歩き去って行った。
「お、おい。いいのかよ? 抹消対象なのに殺さず逃がすとか!」
粟食って駆け寄って来る魁人。全く戦いに参加すらしなかった私に疑惑の目を向けてくる。
「魁人君。グレネーダーを、いえ。今居る処理班でうまくやっていくつもりなら、あなたに伝えておく大切なことがある。良く、頭に叩き込みなさい」
「え、あ、ああ……」
「一つ、敵であるならば例え何者であれ臆することなく立ち向かえ。二つ、自分の信念を貫き通せ。例えどんなに理不尽な指令であってもね。自分の出来うる最高の努力で皆が助かる方へと改善すること。三つ、判断を下す前に自分で見て、知って、考えろ。抹消対象は本当に抹消されるべき人格なのか? 状況は? そいつの持つ思考、過去。琴村騨雄はその点において抹消されるには不適格と私は見たわ」
「なっ。不適格って、そんなのあんたが考えることじゃないだろう!?」
「そうね。でも、私達は駒じゃない。人間でしょ? 嫌な相手は例え聖人であれ殺したくて憎くなるし、どうしようもない悪人でもいつかは改心してくれると救いの手を差し伸べる。だから、理不尽に殺される人を、出来る限り救ってあげて。上に反発することなく収められるようになれば、あなたは立派な処理係になれる。……ただし、私のようには、ならないように」
きっと、彼にはまだ理解できまい。
いや、もしかしたらずっと理解できないかもしれない。
それでも、隊長が信条にしていたことだけは、伝えられたと思う。
気絶したままの稲穂をお姫様抱っこで抱え上げ、私達は引きあげることにした。




