死なせない
……あ……れ?
隊長を狙ってナイフを使った。
咄嗟だったが思わずしまったって思ったんだ。
あれが当れば隊長に致命的なダメージが入りかねないって。
結果を言えば、それは隊長が無意識に私に返していた。
突き出したナイフは手首を返され私の腹に刺さっている。
そして突き破られた腹から飛び散る無数の【黴】。
その段になって隊長もマズいと気付いたが、遅かった。
隊長の身体に【黴】が付着する。
ナイフによる致命傷が入らなくて良かった。そう思う暇すらなかった。
「隊長ッ!?」
「これは……」
自身纏わり付き動き出す【黴】を見ながらよろよろと後退する隊長。
足がもつれて尻もちを付く。
その間も、自身に付着する【黴】から目を放せなかった。
「これが……【黴】か」
困ったように天を仰ぐ。
何かを悟ったようなその顔に私は思わず駆け寄っていた。
ついさっきまで闘っていたのに、まだ攻撃が来るかもしれないのに、私は隊長に近づき座り込む。
「隊長っ、こ、これ、そのあの……」
「お前の勝ちだ有伽……強くなったな」
困った様な、弱々しい笑みを向けて来る。
そんな賞賛が欲しい訳じゃない。
今のは私の負けだったし、【黴】を使ってしまう気などなかった。
隊長を殺すなんて本末転倒もいいところだ。
「も、戻ってください。巻き戻せば【黴】が付着することは……」
「いや。もう……いいんだ有伽。もう疲れた」
「た、たい……ちょう?」
疲れたって……なんですか? なんで、そんなこと言うんですか。
あなたがそんなことを言わないでください。そんな顔、しないでくださいっ。
あなたまで居なくなってしまったら……私はもう……
「なぜだろうな? 死ぬというのに、こうなれて良かったと思う私もいる。きっと、休みたかったのだろうな。限界だったのだ、私は」
「限界って、何がっ。隊長は……」
隊長は何も答えなかった。けれど、懐から一枚の写真を取り出す。
服装や装飾品だけじゃない。今や体色すらも黒くなった隊長は手袋を脱ぎ去り写真を手にすると、私に見せた。
「私が、叛逆を決めた理由だ」
たった一枚の写真。それを見せられて、私は絶句した。
隊長がグレネーダーを、日本という国を敵に回した理由。それが一目で分かる写真だったから……
写真に映る少女の眼は絶望に染まり、彼女の目の前には、迫りくる丸鋸のようなモノが映っていた。
保護など……されていなかったのだ。
家族を失い、世界を壊され、さらに研究対象として、地獄の底へ叩き落とした。
私たちが彼女のためと思って保護した結果が、これだ。
「先に裏切ったのはグレネーダーだ。私はもう、自分を偽ることはできん。秋里のためだからと、仕事のためだからと、入鹿を失い、三嘉凪と敵対し、上層部の命には随分と従ったつもりだ。でも、もう限界なのだ。少女を地獄に落としてまで何をしたかったのか、私にはもう、自分のやるべきことがわからん」
隊長の目は、何も映していなかった。
ソレはまさに希望を失った瞳。ガラスで出来た空虚な目。
多分、真奈香を失ったときの私と同じ眼をしていた。
「だったら、だったらそう言ってくれればッ、三嘉凪さんの元にさっさと行っちゃえばよかったじゃないですか! なんで……なんで私を待ったんですか!? なんで、私と戦ったんですかッ」
私の言葉に、何故か隊長が笑った。
「そうだな。まるであの時の入鹿のようだ。間抜けにも程がある……」
自嘲気味に笑う隊長は、すでに私など見ていない。
どこか懐かしい者を見るように、私の顔に視線を合わせる。
「自分の覚悟が見たかった。今の大切なものを敵にしても、生き抜けるかどうか。そうでなければ……三嘉凪たちにも迷惑をかける。お前の覚悟を挫き、お前まで私の様にしたくは無かった。結局、私にはお前を裏切ることも止める事もできなかったみたいだがな……」
薄く微笑む隊長に、私は、言ってやりたかった沢山の言葉をだせなくなった。
「真奈香……死んだんですよ……私を守って。隊長まで……居なくなるんですか? 私……私一人に……」
隊長は、そっと私の頬を撫でた。
知らぬ間に溢れていたらしい涙が隊長の手を濡らす。
「守ってやれなくてすまない。願わくば、私の分まで生き抜いて欲しい。笑え有伽。お前には笑顔が良く似合う」
「……嫌……もう一人は嫌だよ? 私の居場所を失くさないで……連れてってよ、隊長と一緒ならどこでも行くから、例え死んだって構わないから……私を……っ」
隊長は、私を見ていなかった。ただ虚空を見上げ、呟く。
「だめっ。止めてっ。【黴】、止めなさいっ。隊長を食べないでっ。私に返してっ。隊長を助け……ぁ……」
「今……行くぞ。入鹿……」
今日ほど、【黴】を恨んだことは無い。
今日ほど世界を妬んだことは無い。
私の居場所が、いきなり壊れた。
無慈悲に奪われた。
……こんな結末……絶対に嫌だ。
なんで……こうなった?
…………
……………………
……………………そうだ。
死なせない。
死なせてなんてなるものかっ。
隊長も、真奈香もっ!
皆救う。やり直す。
私が、私の手で、全てを救って見せる!
もう、意識も残り少ない隊長の手を取る。
【黴】に塗れた手を取って、祈る。
戻れ、戻して。戻れ戻れ戻れッ。
私を――――後悔へ突き進む前の、分岐点にっ!
私が……全てを変えてやるッ!!




