こんな世界やってられないよ!
この世に生を受け2歳で字を書き、論語をそらんじた。
4歳になると、史記と漢書を一字残らず暗記して孫子や六韜りくとうに軍略を学んだ。
6歳にして神童と謳うたわれてすくすくと育った。
ゆくゆくは都に遊学して|三公《さんこう:政治の最高位》に昇り、リタイア後はその豊富な知識を生かして豊かな老後を送ることになるだろう。
僕がなぜこんなに有能なのかって?
そりゃまあ、僕が転生者だから、ってのが大きいよな。
前世では、子や妻もいた。幸せな時ばかりではなかったけど、それなりに納得して生きてきた。
確か、四十歳の誕生日に僕は死んだんだったな。
僕を囲む誕生会の席で、急にひどい頭痛に襲われて、倒れたんだ。前のめりに倒れた先は今まさに吹き消そうとした点火したろうそく付きのケーキのど真ん中。
ドロリとした生クリームの感触と口に広がる甘み、焦げた髪の毛の臭いを感じながら僕の意識はホワイトアウトした。
絵的には情けないようだが、ある意味幸せな最期だったと思う。
異論は受け付ける。
いい年してソシャゲやアニメ、ゲームなんかと共に生きた人生だったので、妻には最期まで迷惑をかけたと思うけど、そこに関しては全く後悔はしていない。
なぜなら、普通の人間だったら、『転生したら異世界だった件』などというとんでも設定にとてもついて行けずにただただ二度目の人生を棒に振っていたかもしれないからな。
さて、生まれたての頃はそれでもさすがにその異常事態についていけなかった事は覚えている。
赤子とはただ本能でのみ行動を行う生き物なので、いくら脳が理性をぶつけようともいっこうに身体はしたがってくれないのだ。
ただただ、泣き叫び、乳を吸い、糞尿を漏らし続ける日々はある種の地獄に他ならなかった。
それでも途中からちょっとお世話されるのが心地よかったのは内緒だ。
先に言ったとおり、僕は前世の記憶を持ったまま生まれたので、知恵も知識もそれなりの状態でスタートした。つまりこの世界では超天才だった。
ありがたいことに生まれた家柄にも恵まれたようで、文明レベルの低い世界でも、書物がたくさん手に入れる事ができたのは幸いだった。
おかげでこの世界がどういった世界なのかはすぐに理解できた。
中国、それも現代からさかのぼること2000年近く昔。漢、という国が栄えていた時代にあたるようだ。
ただ、それは似ているというだけで全く別の世界なのか、それとも同じ世界の過去の時代に転生したのかは分からない。残念だけど、それが判断できるほど、僕にはこの時代についての知識がない。
てっきり、転生するにしても剣と魔法のファンタジー世界かと思っていたんだけど、少し拍子抜けした。いつしかそんな時が来るんじゃないかと心待ちにしていただけに肩透かし感がすごい。
てゆうか、チート能力も付与られてないようなんですけど。
前世知識引継ぎだけで我慢しろってことか? う~ん。納得いかないな。
殷、周、秦、漢、三国、晋……、なんて歴史の授業では習った記憶があるけれど、詳しい事は知らない。せいぜい、おおまかにいつごろ王朝が成立したかぐらいしか覚えていない。この点に関しては、前世で学んどけばよかったと後悔している。
まあ、そんなこと今更考えてもしょうがないね。
どちらにしても、今目の前に突きつけられた短剣を取り除く役には立たないだろうし。
「要求はなんだ。……い、いえ、なんですか? すみません」
ギョロついた目で睨まれてついビビッてしまった。
なんで僕が誤らなきゃならないんだ。君達とは違ってこっちは超エリートなんですけど。
唐突だけど、僕はついさっき誘拐された。
道を歩いていたら、急に後ろから布で覆われたかと思うと袋叩きの刑に遭って意識を失ったんだ。
気づいた時には泥交じりの地べたに寝転がっていて、目の前には薄汚いチンピラが三人と刃の輝きがあった。
誘拐犯の身なりは粗末で、粗雑な麻でできたおよそ布と呼んだほうがしっくりくるような代物だ。トータルコーディネートで百銭といったところだ。
僕の服が上着だけで三万銭なので、恐ろしいまでの格差社会と、そんな場合でないのに考えてしまう。
椅子に座って必要以上にふんぞり返っているリーダー各の男は身長7尺3寸。つまり175cm程度。体重は4両。つまり55.68kg。
え~、尺貫法でいちいち表すのははめんどいので、以降はメートル法とグラムで表記する。
もう一人小太りの男は173cm。79kg。
僕に短剣を突きつける愚か者の小男は155cm。42kg。
彼らの身長体重。これはただの目測はない。僕の目には、彼らの服の単価、身長、体重がはっきりと数字で分かった。
能力的には《値踏みLV1》という名前のようだ。
前世で観た。RPGの画面のように小さなウインドウが視界に現れてそれを教えてくれる。
さっきはチート能力が付与されていないと言ったが、実は異能力自体はあった。それがチートと呼ぶにはいささか残念な能力だったというだけの事だ。
僕の適正職業は【商人】。
生まれたての僕は自分のステータスウインドウを二度見、いや、五度、六度見してそれを確かめた。
できれば間違いであってくれと願いながら。
残念ながら僕は、間違いなく【商人】の職業適正とスキルを持って生まれてきてしまったようだった。
せっかく転生したんだから、できれば戦闘向きでド派手な職業適性が欲しかった。数字にはめっぽう強いけど、剣にはめっぽう弱い。だから、かかる火の粉も払えやしない。
あいつみたいに【将軍】の適正があれば、こんなチンケな悪党にビビらなくてよかったものを。
とにかく残念でならない。
「ここで夕方まで待つんで?」
「ああ、あの方が現れるまで待機だそうだ」
「ここはまだ街の近くだ。少々危険ではないですかい?」
「しかたがないだろうが、あの方にこのチビを引き渡すまでとんずらできねえ」
チンピラ達が相談しているのは当然、僕の処遇の話だろう。どうやら誰かが僕を迎えに来るらしい。
誰かに引渡しをする予定があるようだ。なら、今ここで殺される可能性は低いと考えてよさそうだな。
それにしてもあいつめ、何やってんだ。さっさと来い。未来の三公様が大ピンチだぞ。
「おうおう、なんだてめぇら。俺っちの兄様さらって何企んでやがるんだ?」
心の叫びが通じたのか、すばらしいタイミングだ。やっときたか。遅いぞ。
小さな小屋が吹き飛んでしまうのではないかと思うような、野太い大きな声をあげながら男が入ってきた。いや、男とはいったが実際は子供だ。僕と同じ10歳児。弟の董戎だ。しかし、子供とは思えない体格で乱入し、ぶつかっただけで小屋の扉を破壊してしまった。
奴は身体が普通より大きいだけじゃない。力も異様に強い。いや、強いなんてもんじゃない。まさしくチート級の膂力だ。とても羨ましい。
「なんだコイツ、扉を突き破ってきやがった」
三人のチンピラは大いに狼狽した。
突っ込んで来た勢いをそのままに、董戎はチンピラ手下Aを体当たりで吹き飛ばした。
吹き飛ばされた相手は逆の壁を突き破って去っていった。
残された二人の混乱は相当なもので、リーダーは座っていた椅子から転げ落ちたし、短剣野郎は、僕の顔にその冷たい短剣をくっつけるのを止めてしまっていた。
チャンスだった。
僕はボロボロに蹴飛ばされて痛む身体をどうにか引き起こして、短剣野郎から逃げる為に背を向けた。抜けそうな床を踏んで走り出す。
遅い。
【商人】スキルしか持たない僕は、常人並、いや、勉強ばっかりしていた僕は、常人以下の、しかも子供の身体能力しか持ち合わせていなかった。
乱入してきた【将軍】スキルの持ち主、董戎に全て任せてじっとしているべきだった。僕はこの場所ではなんの役にも立たない足手まといだった。逃げる事さえおぼつかないヘタレだった。
だから、僕の逃走はあえなく失敗に終わる。
端的に言うと、足がもつれて顔から床に激突した。目の前に星が飛んだように感じた。
視界の端に董戎に殴られて飛び、部屋の隅にあった水がめを割ったチンピラリーダーが見えたのと、背中に熱い衝撃が走ったのはほぼ同時だった。
「あにさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
弟のバカでかい声がどんどん遠くになり。そして消えた。
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だいたいなんで、三国時代なんだ。
てか、なんで剣と魔法のファンタジーライフじゃないんだ。チート能力はどうした。最強魔法の習得は? 無敵剣術の使い手だったり、Sランク超能力の使い手だったりはしないのか。
なんで僕には何もないんだよ。
僕だって異世界で、美少女とキャッキャウフフのハーレムライフを送りたいよ。
ふざけんな。
商人、ってなんだよ。このスキルどこで輝くんだよ。
仮に輝けたとしても、経済界ででか?
現代社会ならそれでいいよ。石油王にでもなって、なんでもやりたい放題だ。ああそうか、考えてみれば現代じゃあ、大富豪はチートと一緒だな。あはははは。
で、も、違う。
この世界じゃあ違う。金なんてあっても駄目。社会が不安定すぎて駄目。通貨制度が脆すぎて駄目。暴力が支配しすぎてて駄目。
駄目駄目、駄目駄目なんだよ。
こんな能力じゃあ。
生き抜けないんだよ。
戦闘向きじゃあなくっても、せめてヒーラーとかでよかったんだ。死ななきゃいいんだ。死にさえしなきゃ何でもいいんだ。
血と共に地に流れていく体温を感じながら僕は自らの生まれを呪った。
戦乱に巻き込まれ、ゴミのように消えていった命はたくさんあるだろう。生まれたての子供が飢えや病で亡くなる話もよくあることだろう。
でも、それは自分とは関係ない誰かの死でしかなかった。自分がそのような運命を辿るなんて想像もしなかったし、信じられなかった。
霞んでいく目に映る風景だけがリアルにその考えを否定する。
受け入れるしかない。
僕はまた、死ぬのだ……、と。
何も聞こえず、何も感じない。
やがて来る死の帳を受け入れる覚悟のみを持って重い目蓋をゆっくりと下ろす。




