暗躍
治承2年(1178年)10月 京
「もう! なんでやの! なんで上手いこといかへんのっ!」
暗闇の中、声の主は苛立ちを隠せないでいた。
今は亡き母から権力の基盤を受け継ぎ、保元の乱では藤原頼長と崇徳上皇を破滅に追いやることで意中の人物を天皇とし、その地位を不動のものとした。意に沿わなくなった天皇も何人か始末した。
いくつか失敗はあったものの、そこまでは良かった。
が、その後がよくない。
思いもしなかった武家の勢力拡大。なぜか怨霊化しない崇徳上皇。政に興味がなく意のままにならぬ後白河法皇。手足としていた寺社に、繋ぎをつけていた奥州藤原氏の壊滅。予備として用意していた以仁王もあっさりと討伐され、香を使って操作した源頼政らも役に立たなかった。手元に残ったのは有象無象の輩だけ。
「それもこれも、あの平重盛のせいやわ! 邪魔ばっかり。ホンマ腹立つわ!」
苛立つたびにガシガシと噛まれる親指の爪は今やボロボロだ。
さらに源頼朝を討伐した後に重盛が発した政策が彼女に追い打ちをかけた。
重盛は今回の各地での蜂起を重く受け止め、以仁王の令旨が出回った彼女の荘園の治安維持を名目に地頭という職が配置した。
地頭は軍事権を背景として荘園での治安維持と徴税代行を行う。そして徴税されたものがそのまま彼女のもとに届くわけではない。また荘園領主が在地豪族の場合は、その者に地頭を兼務させることで余計な反発を招くことなく、平氏に取り込まれていく。
また国司とは別に、各国の軍事を掌握する惣追捕使なるものが東国から順番に設置されはじめた。惣追捕使は現地の武士の中から選任され、平基盛、知盛、資盛らが各地方の旗頭になっている。
重盛の思い描く武家政権の前身が形を成そうとしていた。
これと対比するかのように、徐々に彼女の支配力と財力に陰りが見えはじめていた。
「こうなったらもう兄ちゃんに一働きしてもらうしかないわ。香の仕込みはできとるんや。やったるわ!」
噛みちぎる爪のなくなった親指は皮膚をも食いちぎられ、血を滴らせていた。
-尾張国・鳴海
京の宗盛から届いた報せに僕は困惑している。
内容は衝撃的なものなのだけれど、なぜこうなったのか、突拍子もなさすぎて驚きよりも困惑が先立ってしまうのだ。
報せの内容は、後白河法皇が突如として平氏一門の一斉解官と知行国の没収をはじめたというもの。
これには反平氏の貴族たちも困惑を隠せないでいるそうだ。
宗盛も困惑しているらしく、僕と清盛パパに京に急ぎ戻るよう求めている。
「なにやってるんだよ。雅君は。」
でもこの理由がよく分からない挙動は前にも何度か体験したことがある。保元の乱のときの頼長や、先の源頼政のときだ。
急に不安がこみ上げてきた僕は、300ほどだけを率いて先行して京に向かうことにした。
-京
京に着くと既に清盛パパが兵を率いて福原から到着していた。兵が京に充満しつつある。
「父上! 状況はいかがですか!」
六波羅では清盛パパと宗盛が今後の対応を協議しているところだった。
「おう、重盛か。院は幽閉したぞ。」
聞けば、清盛パパは京に入るとすぐに後白河法皇を法住寺の一棟に幽閉し、以後は高倉天皇の親政に切り替えたらしい。
「後白河法皇に会ってまいります。」
明らかに今回の行動には不審がある。清盛パパもそのあたりは感じていたらしく、後白河法皇のことを一任してくれた。
さあ、どういうことか説明してもらうぞ!