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なんで今、挙兵するかな

 

 治承2年(1178年)3月


「伊豆で頼朝が挙兵したとの報せが!」


 なんなのでしょうね、この時期の選択の仕方・・・。

 今月、信濃から木曾義仲と甲斐源氏の残党の主立った者の首が届けられた。これをもって恭順の証としたいとのことだ。


 義仲らを討ったのは信濃の豪族たちで、間もなく僕らの総攻撃が始まることを予見して大分焦っていたらしい。義仲に降伏を持ちかけ、拒否されるや、その数日後の夜半に義仲の館を襲撃したとのこと。

 危険分子はもういないと判断して僕はこの恭順を受け入れた。


 頼朝の挙兵の報せが届いたのは、この直後といっていい時期だ。もう頼朝に呼応できる反乱勢力は残っていない。

 なぜこの時期を選んで挙兵した? 意味があるのか、そもそも情報不足なのか。単にすべての反乱が終息しそうなので、慌てて挙兵したという線もある。


「申し訳ありません。私が兄に決起を促しましたっ。」


 うんうん悩んでいると、近習に取り立てている、頼朝の弟の範頼が急に許しをこうてきた。


「浜松城へ援軍を出した帰りに次は頼朝兄の番だとおっしゃっていたのをお聞きして、いてもたってもいられず、兄のもとへ報せを出してしまいました。申し訳ござりませぬ!」


 範頼は泣きながら頭を下げた。


「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。私は! 私はっ!」


 ・・・どこかで聞いたような台詞だけど、まあいい。うん、これは僕が迂闊うかつだったね。範頼のせいじゃない。

 だが、機密漏洩は機密漏洩だ。罰しないわけにはいかない。範頼は軍から外し、京に戻した。

 その上で、頼朝討伐のため、美濃から駿河へと軍を進めることにした。



 -駿河国


 駿河まで移動する間に、頼朝挙兵に関する続報が次々と知盛から寄せられた。まず頼朝は伊豆で挙兵するも、伊豆・相模の平氏恩顧の豪族らに攻められ大敗。海路、安房に逃走した。

 そこから上総、下総と北上しようとしたらしいが、この地域の有力豪族である上総氏、千葉氏は平治の乱の折、一族の有力者であった上総広常・千葉常胤らが討ち死にし、以後、親平氏の者が一族を率いている。知盛の坂東下向と先の奥州騒乱で恩賞として所領を与えてからは完全に平氏に心服しており、頼朝を一歩も北上させないという気構えで国境くにざかいに兵を出している。


 このため、頼朝は安房に閉じ込められて身動きがとれない状態だ。

 既に知盛が安房侵攻のための討伐軍の編成を終えており、僕が坂東入りする理由は薄れている。


 それでも論功行賞のこともあるのでと思い直し、武蔵国府まで軍をすすめた。そこで届いた続報が、安房攻めが苦戦しているとのこと。

 聞けば、頼朝の陣から次々と弓が放たれ、それがやたらと強く、なかなか近づけないとのことだった。


「なんか嫌な予感がするなー。」


 弓に良い思い出はない。戦場を見てきた者にさらに問うと弓の主は背丈が2m以上もある大男だったとか・・・。


 確実にあの人だな。

 源為朝・・・。保元の乱で伊豆大島に流罪となったあの人だ。

 史実だと伊豆大島に流された後、現地でも暴れに暴れて迷惑だったので討伐されたように記憶している。

 まだ生きているとするなら、ここにも歴史改編の影響がでているということだ。


 どうやら前線に行く理由ができたようだ。


 僕は軍を率いて知盛に合流すべく、安房を目指して進軍を開始した。




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― 新着の感想 ―
[一言] 史実重盛の清盛と院の板挟み名セリフは説得を経ずに言っていいセリフやない ただの情報漏えいやw
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