保元の乱(4)
保元元年(1156年)7月10日 夜半
-東三条殿
こんばんは、平重盛です。
「夜襲ですな。」
後白河天皇方は、軍の拠点を接収した東三条殿に移した。
次の目標は白河北殿、いよいよ王手だ。
そして、清盛パパや源義朝殿らの軍議は短時間で決した。
源義朝が夜襲を提案し、皆が同意したうえで信西、藤原忠通らに提案。
忠通はやや渋ったものの、信西と清盛パパが説得し、裁可された。
準備時間と移動時間を考えて明日未明に決行することとなった。
僕はここまで裏方に徹してきたが、頼長様と接触する最後の機会と考え、攻撃に加わることを清盛パパに志願し、了承を得た。
「あまり前にですぎるなよ。」
清盛パパは、僕と頼長様のことを知っているから、ちょっと心配そうにしている。
「為朝には気をつけろよ。どこにいても矢が飛んでくると思え。」
義朝殿からも助言をもらった。
僕もまだ退場はしたくないので、気をつけようと思う。
白河北殿へは、ここからだと西から攻めるかたちになる。
白河北殿のすぐ側を鴨川が流れているため、おそらく鴨川を挟んで対峙することになるだろう。
こちらは清盛パパ率いる300騎のほか、総勢800騎が3手に分かれて攻める。渡河地点が限られるからだが、その地点こそが激戦地になるのだろう。
問題は夜襲でどこまで攻略が進むかだ。
7月11日未明
-堀川北殿の西、鴨川両岸
奇襲の予定だったが、季節は夏だ。すでに空は明るい。普段なら出仕の準備をするために起きている時間だ。
崇徳上皇方だって、もう起き出している。
どこが奇襲なんだ?
「いや、開戦の日取りも決めずに攻め込もうってんだ。奇襲だろ?」
清盛パパが「なに言ってんだ、コイツ。」というような目で見てきた。
崇徳上皇方がこちらに気づき、ざわざわし始めたあたりで、清盛パパが馬上の人となり、さっと前線に乗り出した。
「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは平氏の棟梁、清盛なり! その方ども、鳥羽法皇がお隠れになって間もないというのに京に騒乱を起こし、さらには朝廷を私せんと兵を起こすとは不届き千万・・・!」
ちょっと、ちょっと何が始まったの!?
なんで相手の非難を今始めるの!
奇襲はどこ言ったの!?
だけど他の将兵は、当り前のように聞き入っている。崇徳上皇方もだ。
ああ、そういや、この時代の合戦て、まず名乗りをあげるんだっけ。
清盛パパの場合は、一騎打ちとかではないので、まず今日の戦の大義を説明し、崇徳上皇方がいかに不義を行っているかを演説しているのだろう。
あ、崇徳上皇方からも誰か出てきて何か言い始めた。
対岸なのによく声が届くなあ。大音量だ。
しばらくするとお互いに言いたいことを言い合ったのか、双方引っ込んでいった。
続いて双方から鏑矢が飛ばされる。これは分かる。矢合わせだ。
矢が音を立てながら飛んでいく。
敵味方から鬨の声があがる。
双方の陣目がけて矢が飛び交う。
最初は矢の勢いも弱く、当たっても鎧を貫通しないが、徐々に距離を詰めはじめると、矢傷を負う者が出始める。
だが、兵数ではこちらが崇徳上皇方を圧倒しているのだ。時間を追うごとに戦況はこちらに有利になるだろう。
突然、空気を切り裂く轟音がしたかと思うと、隣にいた兵が仰向けに倒れた。
胸には鎧を貫通し、矢が突き刺さっている。
なんだ!?
矢? 対岸から飛んできた? ここ前線じゃないぞ。どっちかといえば後方だ。
やや反応は遅れてしまったが、すぐに姿勢を低くし、飛んできた矢をあらためると、「源為朝」と記してある。
義朝殿が言っていたあの為朝か! ここまで矢を届かせるとか化け物か。
しばらく様子を見ていると、全体としてはこちらが押しているものの、間断なく飛んでくる為朝の矢によって必ず負傷者がでているため、兵が動揺しつつある。
これはちょっと活躍したほうが良いか。
そっと陣を離れ、幽世に移動。人知れず鴨川を渡る。
敵陣に近づき、為朝を探すとすぐに見つかった。背丈が飛び抜けているから見つけやすい。
そのまま近づき、太刀を構える。為朝の弓を狙って振り下ろし、瞬間的に太刀だけ幽世から顕世に出す。
為朝の強弓は、見事真っ二つだが、いつ抜いたのか、気付けば為朝の太刀が僕の胴をぶった切っていた。
もちろん幽世にいるので、実際は怪我ひとつしていないが、汗がどっと吹き出した。
「む、何だ今の気配は・・・。」
為朝は周囲を睨み、警戒している。
大丈夫、見つかったわけじゃない。
とにかく為朝は化け物だ。怖いから早く離れよう。
為朝はすぐに別の弓を使い始めたが、真っ二つにしたほどの強弓ではないからか、飛距離が格段に短くなり、こちらの兵にかかる圧力がずいぶん軽くなった。
また、北に義朝殿の手勢が到着し、南にも別働隊が到着して押しはじめたため、崇徳上皇方はじりじりと戦線を下げ、鴨川対岸を維持しきれなくなると、白河北殿へと引いていった。




