保元の乱(2)
保元元年(1156年)7月6日
昨晩は結局、頼長様の邸宅にこっそり行ってみたけど話をすることはできなかった。あちらもあちらで兵が集まりはじめ、頼長様が1人になる機会がなかった。
そして今朝方、大和から来る源親治と対峙していた基盛からの知らせが届いた。
源親治は、やはり崇徳上皇のもとに馳せ参じるつもりであったらしく、押しとどめようとした基盛ら検非違使と衝突。しばらく押し合った後、源親治の兵が崩れ、逃走しようとした源親治を捕縛したとのこと。
とりあえず、緒戦は制した。
この報に触れ、天皇方の武士は沸き立った。目立った手柄を立てることができるという実例が目の前に示されたのだ。
次は自分が、という期待が大いに高まっている。戦いの機運だ。
兵も続々と集まってきている。
清盛パパも明日には六波羅の邸宅からこちらに来るという連絡があった。
一方、崇徳上皇方はというと、源為義ら源氏一派や、荘園からの兵が到着し、賑やかであったが、その後が続いていない。兵力規模でいえば、天皇方が圧倒的に有利な状況になっている。
崇徳上皇方もこの兵力差は分かっているので迂闊には動けない。
一方で、天皇方は、この有利な状況を維持しつつ、攻勢にでるための策を練っている。
この日の夜、天皇方の次なる策が練られていたのだが、源親治捕縛に意気が上がっている武士たちは、次なる襲撃を要求した。
これに対し信西は、当初予定していた、兵を集めて入京させることを禁ずることを天皇の名において発したのにあわせ、源義朝殿らを摂関家の正殿である東三条殿に使わすことに決定した。
使者などではない。東三条殿とそこにある巨財の接収のためである。
これが実行されると頼長様は完全に謀反人となったことされてしまう。もちろん信西が用意した物証や証言による謀反のでっち上げだ。頼長様への信西の過激な挑発行為だといえる。
これはもう、今晩、頼長様に会うしかない。
決意して日暮れとともに頼長様のもとに向かう。
頼長様の邸宅に着くと、兵はほとんどいなくなっていた。
いつものように幽世から情報収集していくと、どうも兵を崇徳上皇のほうに集結させているらしい。
もしや、頼長様も既に移動済かと落胆しつつも、念のために邸宅内を調べてみると、
-いらっしゃった。1人、書庫で本の整理をしておられた。
「頼長様。」
幽世から出て、姿を現す。
声をかけると、さすがに吃驚した顔をこちらに向けて、目を見開かれた。
「さすがに今日来るとは思わなかったぞ、同士重盛。さすがは平氏の物の怪だな。」
なんとなく嬉しそうな表情をしている気がする。
長年聞いてきた「同士重盛」という言葉に耳が喜んでいる。
「今日しか来られないように思いましたので、参らせていただきました。」
「左様か。さっそくだが、同士重盛よ、お主に頼みがある。この蔵書をしばらく預かってもらいたいのだ。」
-Missonn 頼長の蔵書を預かるのを断ろう-
突然のMissonの知らせだ。
はあ!? このタイミングで何てMisson放り込んでくるんだ、あの女神は!
断るわけないでしょ。ここで断ったら、頼長様は蔵書を置いたまま、崇徳上皇のもとに向かわれる。邸宅はいずれ天皇方の武士に襲撃される。そうすると蔵書は確実に散逸する。
うん、ここの蔵書が散逸するなんて、無理! 耐えられない。
よし、Misson放棄だ。もう慣れたものだ。
あっさり決意して、頼長様に返事をしようとし、ふと、思いとどまる。
待て、本当にそうか?
頼長様が蔵書を僕に託すのは、蔵書に未練があるから。そして自身の不利な立場を理解されているからだ。
ここで蔵書への懸念がなくなったら、頼長様はどうする?
頼長様の行動に未練がなくなる。つまりは・・・。
うおっ! この願いは罠だ。受けちゃいかんやつだ。
「お断りします!」
僕の意外と大きな声になってしまった返答に、頼長様の目が、先ほどと同じくらい見開かれた。
「驚いたな。嬉々として受けてくれるものだと思っておったぞ。」
「ええ、最初はそのつもりでした。でも受ければ頼長様の未練が片付いてしまうでしょう。それでは困るのですよ。」
さあ、ここからが勝負だ。日本の歴史を変える必要は無い。頼長様の歴史を変えるのだ。
「頼長様、死ぬ覚悟をなさっていますね。」
そう、ここまで国政を担ってこられたのは頼長様だ。宮中の権力争いにのみ力を注いできた藤原忠通や信西などとは違うのだ。
大抵の貴族にとって、天下とは京・山城国のことだ。日本全土のことを気にかけている者など誰もいない。
だからこそ頼長様は、現状に失望されつつある。権力争いしかできないこの国の有り様と、それを打破できない自分に。
「さすが同士重盛はよく見ておるな。しかしこの身は摂関家、氏長者だ。逃れられん定めがある!」
「いいじゃないですか、そんなもの。もともとは忠通様がまとめていたのでしょう。返せばすむ話です。」
「そのような軽々しいものではないぞ!」
「軽いですよ。どうぜ千年もすれば、誰も気にしなくなるような代物ですよ。天皇だって、大方の武士や百姓にしてみれば、誰になったとしても大差はありません。」
「・・・今日はよく喋るな、同士重盛。」
頼長様の口調には、呆れが幾分含まれているように思える。価値観がまったく異なるのだ。それもやむを得ない。
「そもそも崇徳上皇についてどうなさるおつもりです。頼長様らしくありませんよ。恨みをもって政をするのは害でしかありません。もちろん信西らが正道だなどと言うつもりもありません。今、勝負にでないと頼長様が失うのは何ですか? 幾ばくかの財と権力、その程度でしょう。それを守ろうとするための掛け金がすべての財と権力、そして命では割に合わないでしょう。」
言ってはいるが、そんなこと頼長様はとうに計算されているはずのことばかりだろう。それでも言わずにはいられない。
「同士重盛よ。そなたは私にどうしてほしいのだ?」
この問いに対する答えは何度も考えた。結局「逃げて下さい。」と言うつもりにしていたのだが、この土壇場にきて別の思いが湧き上がってきた。
「僕のもとで働いてください。」
「な、なんだとっ!?」
これまでになく目を見開いた頼長様に見つめられた。今日3度目だ。
「摂関家は不要です。私が欲しいのは頼長様の能力です。どうか私とともに、この日の本の国を大いに発展させませんか。ここは貴族だけの世ではないのです。武士も、百姓も誰もが豊かに栄える国をつくりましょう!」
そう、僕はこれまで平氏が一番だと思ってきたし、それは今後も変わらない。だけど、そのためにも僕はこの国を豊かにしたいのだと気付いた。
遠い未来の日本に続くこの国を富ませたいのだ。
「大望だな。だが性急だとは言わぬし、出来ぬとも言わぬ。ただ少し考えさせてくれ。」
そう言う頼長の顔を見て、頼長様の中で確かに何かが変わったと感じた。
おそらく僕は勝負に勝てたのだ。
頼長様の気持ちを汲み、今晩のところは帰ることにした。
「香でも焚いて気を静めねば・・・」
帰る僕の背後で頼長のため息が聞こえ、香が鼻をくすぐった。
いつも頼長様が使われているものよりも、それは濃い香りだったように思う。
翌、7月8日
手持ち無沙汰の後白河天皇の今様の相手をしていると、知らせが届いた。
-左大臣 藤原頼長 挙兵