治天の君
久寿2年(1155年)8月
「こんにちは、た「いやだああぁぁぁ」」
僕の挨拶の邪魔をするのは雅仁親王だ。
普段の格好良さへのこだわりはどこにいったのか、涙目で僕にすがりついてくる。
崩御された近衛天皇の後を継いで即位されることになったのは、当初の予想を裏切って、雅仁親王に決まった。
そう、今まさに僕に鼻水をべとべとに擦り付けているこの人です。
事情を聞くと、最初は崇徳上皇の子の重仁親王が最有力だったらしい。でも当然のごとく鳥羽法皇はそれを許さない。
でも雅仁親王の子は年が若い。近衛天皇が3歳で即位したという前例があるのに何を言っているんだと言いたいけど、重要なのは年齢だけじゃなくて、父親である雅仁親王も生きているのに、雅仁親王をとばして即位させるだけの理由がないということらしい。
そこで、「じゃあ、雅仁親王を即位させよう。」と言い出して賛同者を集めていったのが雅仁親王の乳母の夫君である信西。
でたよ、信西。
保元の乱で権力を握り、平治の乱でぶっ殺される僧だ。
日本史で習ったときは、突然登場したので誰この僧?という感じだったけど、立派な藤原一門だ。
雅仁親王に近しい人だけど、雅仁親王はそれほど信を置いているわけではない。
「だって、あいつ今様を理解しないしさ。」
・・・明確な判断基準だ。
雅仁親王から聞く限り、信西は雅仁親王を即位させるため、これでもかというほど、裏に表に、各所に働きかけたようだ。
まずは頼長様の兄、忠通様を取り込むために頼長様を追い落とそうともちかけ、味方につける。
次に、近衛天皇の死が頼長様の呪詛によるものだという噂を流す。嘘の証言や嘘の物証までそろえるという徹底ぶりだ。
そして、鳥羽法皇には、頼長様が崇徳上皇の子の重仁を即位させようと画策していると讒訴し、鳥羽法皇に疑心をもたせ、頼長様との間に溝を作った。
こうして、足場固めをした上で、信西は頼長様を天皇選定メンバーから外した。
そして即位が決まったのは雅仁親王。
藤原忠通様は当然、関白のまま。しかし頼長様は文書の検閲権である内覧権が停止され、事実上の失脚らしい。
左大臣まで取り上げられたわけではないので、大丈夫なんじゃない? って思うんだけど、先々を考えれば甘いのかもしれない。
あとで頼長様の様子も見に行こう。
「ボクのことを慰めてよう、重盛クン。」
おっと、頼長様のことを考えていたから、雅仁親王のことを忘れていた。
それにしても、この人、こんなに情けない奴だったか?
いつもと印象が違うな。
「まあ、決まってしまったものはしょうがないですよ。でも即位理由が次代天皇までの中継ぎなんでしょ? お子さんお幾つでしたっけ?」
「守仁? 確か12歳だよ。」
「では4、5年の辛抱ってところじゃないですか。4、5年経ったら、さっさと上皇様になって、また今様を楽しみましょうよ。」
雅仁親王の顔がぱあっ、と晴れやかになった。
「そ、そうだね数年の辛抱だよね。それならボク頑張ってみるよ。」
晴れ晴れとした雅仁親王とは違い、僕は何かがひっかかった。
あれ? この次期に上皇になる? 上皇様が出家したのが法皇様・・・
後白河法皇・・・??
え? 雅仁親王が後白河法皇なの!?




