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空中糞分解

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 N市市街地の交差点上で奇妙なモノが確認された。空気の乾燥した、11月中旬の頃であった。交差点上と言っても、それは地上から3メートルほど離れた空中にあって、訝し気な人々の視線を集めながら、時が止まったようにぴったりとその場に留まっていた。それは人糞であった。N市市街地の交差点上で、人糞がぴったりとその場に留まっていたのである。訝し気な人々の視線を集めながら。


 それが人のそれであることは、すぐに分からずとも、糞が空中に漂っているということに関しては、居合わせた人間全員が漏れなく理解した。不可解な現象であることはさておいても、目上の場所に糞があり、どことなく甘みの混じった悪臭を漂わせているのだ。通行人の多くは、面白がりこそすれ、悲鳴を上げてそれを避けた。

 糞は交通島の真上にあったので、車がぶつかる心配はなかったが、一度哀れな少女が風船を引っかけてしまい、糞が型崩れしたことがあった。少女の悲痛な声に同情も集まったが、大抵の地元民は糞の意外な脆さに驚いた。ピタッと固定されこそすれ、糞はただその場に浮いているだけで、その場で時が止まっているわけではないのである。臭いもあるし、触れれば削ぎ落とすこともできた。

 そのため日々カピカピに乾いていくかと思われたがそんなこともなく、形を変えつつも、糞はその場で鮮度を保ち続けていた。


 N市が地方ということを踏まえても、糞が話題になるスピードは遅かったが、それでも一度メディアの波に乗ってからの盛り上がりは早かった。テレビはモザイクを入れていたが、二十四時間糞を配信し続けるという物好きなユーチューバーの動画内では、無修正で晒され続けた。糞が人糞であることはメディアが、その糞が日々増え続けていることは配信動画が、それぞれ明らかにしたのである。


 糞が人糞であることは、メディア(というよりは奇天烈な事態に調査へ乗り出した学者連中)が、糞を採取し明らかになった。ニュースでは糞が糞になる前はサンドイッチであったことを大々的に報道し、大体三十前後のやや肥満気味の女の糞であることまで公表した。

 糞が絶えず増え続けていることは、二十四時間配信のアーカイブを早回しで再生した大勢の者によって判明し、これも学者らの調査で、人糞の上に異なる人糞が地層を築くように塗り上げられているという結論が出された。しかも、いずれも同一人物による糞なのである。


 学者が出した結論は、糞は何らかの超常的な空間のゆがみ(残念ながらその点はこんな漠然とした結論で片づけられた)によって、どこぞの三十幾つの肥満女の大腸から、このN市の交通島の真上に転移したというものだった。つまりは何も分からなかったというに同義の、白旗めいたオチなわけだが、幸い糞は絶えず増築されていく。学者は日夜糞の研究に勤しみ、メディアは逐一これを報道した。報道番組は朝から晩まで糞まみれであった。


 N市は糞を観光資源にしようとしたが、近隣住民の猛バッシングもあってお流れになった。糞はすぐに封鎖され、研究機関以外は立ち入りできなくなった。が、これに今度は世界中の人々が抗議した。

「糞という皮の印象に安易に操作されて、みっともない。今、N市で起こっていることは、超常現象であり、それを知る権利は狭い地域の公害問題よりよっぽど尊重されるべきだ」というような声が相次ぎ、N市は折衷案として敷居をガラス張りにした。

 「せっかく糞見に来て、臭いを味わえないのは風情に欠ける」と言う観光客の声は無視した。表立った観光資源にはできなかったN市だが、本人らの意志に関係なく、絶えず人は集まっていたのだ。


 糞が空中に溜まり始めて一か月近くが経過したころ。もうその時にはスズメバチの巣のように膨らんでいた糞が、突然位置はそのままに高速回転を始めた。糞は見えないろくろで回しているかのようにその場でクルクルと回って、もはや観光客以外の全員が大してしていなかった注目を再び集めた。

 緊急速報にもなった。「N市の空中大便 高速回転 回転後213秒経過も勢い未だ衰えず」というテロップが全チャンネルで表示された直後、番組が臨時ニュースに差し変わった。


 「番組の途中ですが、臨時ニュースです。ええ、世間を騒がせているN市の空中浮遊物体、通称マグリットが高速回転を始めました。カメラと中継が繋がっております。衛生的に問題のある映像になるかと思われますが、緊急のため、規制をかけずお送りすることを予めお伝えいたします。現場の向井さん?向井さーん?」


 「はい!こちら向井。ただ今、N市のマグリット付近に来ております。えー、マグリットは今も高速で回転を続けており、その勢いは未だに衰えておりません。ええ、この場に居合わせたという、はい。報道陣が現場に到着するその前からマグリットを見ていたという通行人の方のお話によると、マグリットは初めは今よりゆっくりと回り始めていたらしく、二分ほど前から今のスピードを維持し続けているという…はい?はい?…なんでしょうか、はい!え、ガラスが汚い?えー、あ、そう…ですね!はい!汚れているように見えます。私は毎日、マグリットを見ていますが、明らかにガラスが茶色く濁って見えます。回転することで糞…マグリットが飛び散っているのかもしれません。はい!そうですね。スプリンクラーのように!飛び散っているのかもしれません。心なし、マグリットも縮んでいっているように思えます。」


 報道は熱心にかつ画面に伝わりやすいようスプリンクラーなどという言葉まで用いて状況を説明しようとした。糞を囲む透明のケースは既に、降りかかった糞で茶色に染まりまるで中身を通さない。画面越しでは糞を視認することは困難だったゆえに、言葉巧みに糞の近況を茶の間に伝えようとしたのである。

 しかし、そのうち肉眼ですら、糞の視認が困難になってきた。到着しだした関係者たちは、この異常事態を調査するため、囲いに入り驚愕した。心なしでない。糞は本当に縮み、学者が間近で回転を見やるころには既に柿の実程度のサイズになっていた。


 そしてそのまま。依然として回転の勢いを損なうことなく、糞は消滅した。スプリンクラーとは言いえて妙で、糞は回転しながら飛び散り、微粒子状態になって霧散したのである。その粒の細かさといえば、茶色く濁ったガラスの囲いをどれだけ洗浄しても、ついぞ身の毛もよだつ黄ばみが落ちなかった程である。糞はガラスの粒子と一体化するほど、こびりついたのだ。


 糞が消滅したことを喜ぶものも多かったが、世間的にはやはり悲しみの声も大きかった。学者たちも糞との別れが相当惜しいようで、洗浄した際に取れた糞粉を再度集めて、固めて、マグリットと呼ばれたその姿を10/1スケール程度にはなるが、再現しようとしたほどである。

 実際に固めても糞が再度浮くことは無かった。こうなってはただの人糞である。それでも学者の多くはこれをどこかの科学館で展示しようと重宝したが、翌日にはすぐに水洗トイレに放り込まれた。


 人糞は、消滅からわずか一日で再び同じ空中に姿を現し始めたのである。綺麗な一本糞が浮かび、またも臨時ニュースだ生中継だで盛り上がり、翌日から改めて増築を繰り返す人糞に人々は以前に増して夢中になった。どこぞの三十女が飯を食って便を捻るたび(あるいは腸の中で糞が形成されるたび)空中に現れ続けるのである。

 そして、糞発生から一ヶ月ピッタリで再び糞は回転し、同じように消滅した。学者たちは自信たっぷりに、「ご心配なく!明日また人糞は皆さまの前に顔を出すでしょう!」と言ってのけ、それは真実になった。糞は一か月周期で高速回転によるリセットがなされるのである。



                     


 近隣住民もすっかり糞に慣れた。市は糞を迂回するための歩道橋を設け、近づかなくていいよう対策した。それはもちろん衛生的な面も大きいが、それ以上に人糞現場が世界的名所のような扱いを受けてしまい、簡単に通行できる環境でなくなってしまったのが大きかった。糞が高速回転する節目など凄まじい数の人間が集まっていた。糞は世界でも有数の超常現象に数えられ、数多の国からとっかえひっかえ観光客が押し寄せた。

 どうせなら完璧に英訳すればよいのに、何故か糞は“Japanese Flying Unko”だの“God Ben”だの呼ばれ、ネットミームにまでされた。丁度その年、人気漫画のアニメ化が酷い出来栄えだったため、海外のネット掲示板では人糞の画像が大量にコピーアンドペーストされた。


 人糞というキャッチーさも手伝って、子どもからも大いに注目の的であった。「僕の名前はマグリット!」というマグリット本人が見たら卒倒しそうな題で絵本化もしたし、課外学習として見学に赴く学校まであったし、グッズ化もした。小学生児童は皆、思い思いの場所にプラスチックの人糞を誇らしそうにぶら下げた。

 マグくんとリットちゃんという名前のゆるキャラまで生まれたが、残念ながらこちらはイマイチ注目されなかった。よりキャッチーなとぐろ巻の糞を採用したのが仇になったようである。子どもたちはみんな、ゴツゴツトと歪で、ところどころに粒を持ち、潤沢で妖しい光を放つありのままの糞に魅せられたのである。近々、英語の教科書の例文にとして載る計画まで立っていた。


 事象に驚く外国人とフォルムに魅せられる子どもたちの一方で、日本の大人たちはこの人糞の主に注目していた。今まで30代の肥満女であることは報じられていたし、その後も毎朝の報道番組の「今日のマグリット!」というミニコーナーにて、何からできた糞なのか、メニューが細かに報じられていた。

 ネットでは人糞が一体どの女から排出されたものであるのか、その解明が秘かに行われていた。報道陣はこれが明らかになることを恐れ、すぐに「今日のマグリット」を大谷翔平のモーニングルーティーン特集に切り替えたが、その障害が余計に、特定班を燃えさせた。


 そんな大勢が躍起になっている人糞主の特定であるが、偉いもので、初期段階から人糞を調査し続けていた専門家たちは既におおよその目星をつけていた。糞に定期的に含まれるパンの種類などからどこで勤めている人間かもおおよそ分かった。医療従事者であること、生活環境から察するに独身であること、日常的に便秘薬やダイエットサプリなどを摂取していること。

 しかし、彼らはそれ以上、人糞主の女について調べることは無かった。この時点で、「女が超能力者か何か」などのSFチックな仮定くらいでしか、この超常現象を説明できなかったうえ、それ以上の解明もおそらく叶わないだろうと匙を投げていたのである。


 もちろん、仮に超能力者ならそれはそれで、むしろ女に突撃し素性を調査すれば新技術の発見に繋がるというものかもしれない。しかし、専門家集団はそれを止めた。人糞の調査権利を独占しているため、彼らが止まれば、いよいよ迷宮入りなのに、それでも止めた。

 邪な思いを抱える者も多いが、全世界に愛されている人糞。しかし、愛の重さに関して専門家たちの右に出るものは無かったと言えるだろう。彼らは長く調査しているうちに、人糞に並々ならぬ愛着を持ち始めていたのである。日々変化を遂げ、一日も同じ姿を見せず、しかし規則正しい人糞は彼らにとってはもはや生物といっても差し支えないものであった。

 観察から飼育に、飼育から育児に。彼らは誰よりも人糞に触れて来たからこそ、日に日に、糞の健康状態が悪化していくのも分かっていたのだ。悪化の原因は言うまでも無く、精神的ダメージによるものだった。


 これは人糞主である女性にとっても不可解な超常現象で、彼女は自分の糞が白日の下にさらされ、全世界で笑いものにされている事態に苦しんでいる。専門家たちはそう結論付けた。どんな理由でも、彼女の傷口にむやみに触れる行為など、到底できなかったのである。


 

 しかし、糞発生から一年ほどが経過したある日。そんな専門家たちの愛をあざ笑うように、ネット上で人糞主が特定されてしまった。彼女の食生活を知る誰かが感づき、ネットの海に密告したのか、特定班のネチネチとした努力が遂に実ったのか、その出所は不明だが、人糞主はいよいよ特定され、そこに間違いも無かった。

 詳細は伏すが、彼女は人糞が浮くN市在住の、やはり30代の女性で、製薬会社に勤めていた。ネットでは顔写真と共にあることないこと出回り、彼女の自宅に突撃するものまで現れた。大盛り上がりを見せるネット上では、もちろん自浄作用も働き、女性を庇う声や彼女に関するネット投稿を削除する動きも見られたが、それらも結局は騒動を盛り上げるのみで、直接的な解決にはならなかった。

 外国人はネットミームとして貼る画像を糞そのものから女性の顔写真に代え、子どもたちは学校でうんこした級友に、女性の名前を付けてからかった。糞は女性の悲壮を伝えるように、目に見えて細くなったり色を悪くしたりしたが、それでも日夜増築だけはかかさなかった。


 悪化の一途を辿る騒動に、彼女(と人糞)を子どものように思っていた専門家たちは黙って見過ごすことができなかった。連日不審者が家の周りに溢れているというのに、警察などへ何の通報もしていないという女性に代わり、専門家たちが、警察へ保護の依頼を出した。

 女性は既に何日も家に籠っている状態だったようで、警察の訪問にも無反応だった。警察は大家から鍵を借り、何度も安心を呼びかけつつ慎重に女性宅へ入った。部屋の中は雨戸まで締め切られ、真っ暗だった。声をかけても何の返事もない。警察が電気をつけると、すぐ足元に女性が横たわっていた。遅かった。女性の死体はクシャクシャに丸められたメモを握っており、そこには「糞くらえ!」とだけ書いてあった。


 通報した手前、報道よりも先に、専門家のトップが女性の死を知らされた。専門家は目尻に溜まる涙を抑えつつ、研究所の窓から外を見た。すぐ先には、糞が空中に浮いている。今日は丁度、糞が空中で分解する日である。人垣ができていた。


 耐え難い衝動にかられ、専門家は人糞めがけて走り出した。見物人の中には、誰が作ったか女性の顔があしらわれた団扇やTシャツを身に着けている者もいた。専門家は雑踏の中を乱暴に突き進み、人糞の前まで来た。そして、見物人からぶんどった自撮り棒で力の限り、ガラスの敷居をぶっ叩いた。

 見物人たちはどよめいたが、何人か事情を勘違いした者が面白がり、敷居の破壊に加担した。場はお祭り騒ぎになり、間もなくガラスは粉々に砕かれ、糞は剥き出しの状態になった。凄まじい臭いに、密集していた人々は蜘蛛の子のように散り、各々がまた元の観測位置に着いた。

 そんな中、暴動にもまれ、ボロボロになった専門家だけが力なく糞の真下で横たわっていた。糞はまるで日食のように太陽を隠し、キラキラと輝いて見えた。ゆっくりと回転を始める。どよめきと歓声と拍手がドッと沸く。「○○ガンバレー!!」とふざけて女性の名を叫ぶ声もする。ミラーボールのように光を放ちながら、糞は徐々に加速しつつ、回転を続ける。


 呆然としていた専門家だったが、ふと自分を呼ぶ声に我に返った。怒りにかられ忘れていたが、まだ警察と電話が繋がっていたのである。目線は回転する糞のまま、電話を耳に当てた。警察は今までずっと会話を交わしていたかのように、自然に女性の状況を説明していた。


「勤め先から盗んだものと見られますが、服毒自殺です。錠剤をざっと10瓶以上、力任せに呑み込んでいます。しかし、よっぽどイヤなことがあったんでしょうねえ。とんでもない猛毒ですよコレ。10瓶どころか、ほんのミクロ程度でも体に取り込めば死んじまうんですって。鑑識もビビりながら調べてますよ」

 

 糞は回転を続ける。彼女は死んでも、彼女が摂取した、生きた証はこうして残って、今でも高速で回転を続けている。しかし、今はそれすらも高速で分解され、スプリンクラーのように空中に振りまかれ続けている。

 

読んでいただきありがとうございました。

次回更新は9/13予定です。

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