68.男の子なんだね
「やだやだやだやだやだなのですぅ!! 捨てないでなのですううぅぅぅうう!!」
「兄さん、考えを改めるなのだよ」
あっちゃんから事情を聞いた後、僕は家に帰って彼女の家で過ごすべく身支度をしていた。
だけど、八茅留ちゃんと七菜ちゃんが僕のズボンに縋り付いて離れてくれない。
「二人とも大袈裟だなあ。ただ友達の家に泊まりに行くだけだよ」
「これまでお泊まりなんてなかったなのです!」
「そうかもしれないけどさ……」
八茅留ちゃんの僕の裾を掴む手の力が大きくなって、ズボンに深く皺が刻まれる。
八茅留ちゃんの言うとおり、お泊まりだなんて初めての経験だ。
旅行は夏にしたけど、家を出てから二人がいないタイミングだったし。
あっちゃんに同棲って言われたから字面に驚いていたけど、友達の家に泊まると考えるとわくわくしてきたぞ。
「嬉しそう……まさか、相手は女なのだよ?」
じっとりと七菜ちゃんが僕を睨みつける。
「うん。女の子だけど」
それがどうかしたんだろう。
「兄さんが女。おんな。オンナ。女、とお泊まり……? あり得ないなのだよ。理由を教えるなのだよ」
七菜ちゃんがじっとりと僕に詰め寄る横で八茅留ちゃんが「うわああああん、お兄ちゃんが非行少年になったなのですぅぅう」なんて取り乱していた。
非行少年って僕そんな悪いことしてないよね?!
「理由はちょっと言えないんだけどさ……」
「言えない? なぜなのだよ、やましいことでもあるなのだよ!」
「違う違う! やましいことなんてないってば! それはその……守秘義務というかなと言いますか」
あっちゃんが作家『夕凪灯里』先生で、その執筆の手助けのために数日過ごすなんて言えない。
「守秘義務……お仕事関係だったのなら早く言うなのだよ。もう、彼女でもできたかと思ったなのだよ」
急に勢いを無くしていく七菜ちゃんだった。
八茅留ちゃんも「お仕事だったら仕方ないなのです」と二人ともお仕事をしているだけあって守秘義務には理解があるようだ。
それにあっちゃんは僕とただの幼馴染で、今回は彼女の執筆のために一緒に過ごすだけ。
なにも起こるわけないし、ましてやあっちゃんが彼女だなんてとんでもない。
僕のことを昔のように女の子みたいに思ってるだろうから。
「二人とも好きなものばかりじゃなくて野菜も食べるんだよ。タンパク質も忘れずに。作り置きのご飯があるから何食かは大丈夫だろうけど……それから洗濯機はこのボタンを押せばいいから……それから」
「もう、心配症なのです! お兄ちゃんがいない間、この家は八茅留が守るのです!」
「自分がいるから任せるなのだよ。いってらっしゃいなのだよ」
そうして二人に見送られて僕は家を出た。
うーん、二人がちゃんと過ごせるか僕は心配だよ。
◆
「あっくんいらっしゃい。荷物重いでしょ、あたし預かっちゃうね」
「そんな、いいのに」
「いーから、いーから遠慮しないで」
荷物を背負ってあっちゃんの家に着いて早々、あっちゃんが出迎えてくれた。
あっちゃんは僕から荷物を奪うようにして、うんしょ、と運んでくれていた。
「あっくん移動して疲れたでしょ。先にお風呂入っておいでよ。入浴剤入れてるから疲れが取れるんじゃないかなあ」
ニコッとあっちゃんは人の良い笑顔を見せる。
バイト終わりに話を聞いて、その足で身支度をしたので慌ただしかったのは事実だ。
お言葉に甘えてお風呂をお借りしよう。
「ふいー、目まぐるしかったけどこれでゆっくりできるよ」
僕は浴室へと足を踏み入れた。
良い香りとともに星空のようにきらきらとラメが浮かぶ浴槽があった。
きっと、あっちゃんが入れてくれた入浴剤のおかげだろう。
両手でお湯をすくいあげる、手の隙間から輝きがこぼれ落ちる。
それはなんだか天の川みたいで、ふと遠い記憶が呼び覚まされた。
『あっくん離れてもいつかまた遊ぼうな。これは約束だぞ!』
小さい頃、男勝りだったあっちゃんと指切りして交わした記憶。
「あっくん? ぼーっとしてどうしたの?」
「ちょっと昔のことを思い出して……。って、ええ! あっちゃん?! なんでお風呂場に?!」
振り返るとそこにはあっちゃんが立っていた。
ほ、良かった。服を着ている。
「え? お邪魔しまーすって言ったよ?」
そうなの? 聞こえなかった。
「いや、言ったら入ってきていいわけじゃないから!」
はあ、腰にタオルを巻いていなかったらどうなっていたことか。
「今日からあっくんのお世話をするんだから当然じゃん」
「当然、なのかな……?」
僕は首を傾げる他なかった。
「さあさあ、座って座って。お背中お流ししますから」
「ととと」
僕はあっちゃんに肩を掴まれて強引にバスチェアに座らされる。
これもあっちゃんの執筆のためだ。大人しくしておこう。
「まずはシャワーで全体的に洗い流していくから、目を瞑っていてね」
言われた通りに瞳を閉じる。
温かいお湯が僕の頭から体にかけて流れ落ちるのを感じる。
「頭から洗っていくからね」
プシュプシュと小気味の良い音がして、あっちゃんの手が僕の頭に触れる。
シャンプーを泡立てるように指を立てて頭皮をマッサージされる。
僕よりも小さくて柔らかい手の感触。少し物足りないような力加減。
「あっくんどう? 気持ち良い?」
「うん、とっても良い感じだよ」
わしゃわしゃ、わしゃわしゃと擬音を交えて洗うあっちゃんが子どものようで可愛い。
あっちゃんの無邪気な声も相待って耳まで心地良い。
自分でするよりも人にしてもらうのとは全然違うなあ。
「ふふ、あっくん嬉しそうな顔してる」
「だって、あっちゃんが上手だから癒されちゃって」
「そう言ってもらえて嬉しいなっ」
上機嫌になったあっちゃんは僕の髪を使って、上につんと立たせたりして遊んでいた。
悪戯っぽいところは昔のやんちゃなあっちゃんのままだなあ。
そして、あっちゃんはお風呂に備え付けられたスポンジを手にとって、ボディーソープを染み込ませる。
恥ずかしさから「体は自分で洗えるよ」と言っても、「最後までしなくちゃお世話にならないの」とあっちゃんは頑なだった。
「じゃあ触るね……」
「う、うん……お、お願いします」
恐る恐るといった様子であっちゃんが僕の体に触れる。
うひゃあ、こそばゆい。
「あっちゃん、もっと強くしてくれない?」
「え、大丈夫なの?」
「じゃないとこそばゆくて、むずむずしちゃうから」
わかった、とあっちゃんは頷いて、遠慮がちだった手に力がこもる。
「痛くない?」
「全然平気だよ。むしろこれくらいが洗ってるって感じがしてちょうど良いや」
「あっくんすごいね。男の子なんだね」
「えー、そうかな?」
男の子と言われても僕は身長が大きくないし、自分ではあんまり分からないな。
そして、あっちゃんは僕の体をスポンジを使って泡だらけにしたりして「ミシュランマンだね」なんて言って笑っていた。
シャワーで体を流して終わりかと思ったら、背中にぴとっと重さがのしかかる。
「あっちゃん、どうしたの?」
「あっくんの背中大きくなったね。筋肉もついててあの頃と全然違う」
途端、つつつーと背中を指が這う。
「うわあ!」
ぞくぞくっとくすぐったくなって僕は身をよじる。
流した泡で摩擦力のなくなった床に、体勢を崩してしまう。
そして、気づけばあっちゃんが下に、僕が覆い被さるような形になった。
あっちゃんは腕で自身の顔を隠すように遮っていた。
流れ続けるシャワーで着ていたTシャツがピッタリと身体に密着していて、ところどころに泡が付いてる。
「あっくん……」
あっちゃんのか細い声に僕は我に帰る。
弾けるように立ち上がって入り口に背を向けるように湯船へと入っていく。
「ごめん!」
「ううん、こちらこそごめんね。あたし出るから」
ごゆっくり、とあっちゃんは言葉を残した。
続くように戸の閉まる音がして、ようやく肩の力が抜ける。
落ち着けるために湯船に体を沈めても、心臓はいつまでもうるさいままだった。
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