66.同棲してほしいの!!
「きて……起きて……」
「うぅ、もうちょっと」
布団に包まれた僕は顔を隠すように寝返りを打ち、語りかけてくる声に微睡の中で辛うじて返す。
「あっくんてば……もう。あ、そうだ」
声の主は何かを閃いたようだけど今の僕には関係ない。
朝、誰にも起こされることのない自由な時間を謳歌しているのだから。
「起きないと、ちゅーしちゃうぞ」
「うわぁっは!!?!」
耳元で甘く囁かれたセリフに僕は弾かれたように体を起こす。
完全に覚醒した僕の眼前に居たのはエプロン姿で唇を尖らせたあっちゃんだった。
「ちゅー」
「起きた、起きたから!!」
むちゅーと徐々に迫ってくるあっちゃんの肩を掴んで、押し留める。
「わ、このままちゅーしちゃっても良かったのに」
あっちゃんは人差し指で自身のぷっくりとした唇を抑えて、僕を挑発するようにいう。
起きて欲しかったのか、寝たままが良かったのかどっちなんだか。
「あっくん起きたのなら顔洗っておいでよ。まだ覚えていないかも知れないけど、洗面所はあっちだからね」
あっちゃんは洗面所の方向を指差して、キッチンへと戻っていった。
背中を見送った僕はベッドから這い出て洗面所へと向かう。
先ほど囁かられた耳が熱い。あっちゃんの言葉がまだ鼓膜に響いているみたいでソワソワする。
洗面台のコップに二つ並んだ赤とオレンジ色の歯ブラシ。
僕はそのうちの赤い歯ブラシを手に取って口に突っ込んだ。
使い慣れない洗面所で歯を磨いていると、キッチンからふん、ふーんとあっちゃんの陽気な鼻歌が聞こえる。
どうしてこんなことになっているのかというと、時間は少し遡る。
◆
「あっくん今日もお疲れさま」
「あっちゃんこそお疲れさま」
僕は喫茶店の締め作業を終え、エプロンを脱ぎ、帰りの支度をしていた。
「今日はごめんね。片付けお願いしちゃったし」
しゅんと落ち込んだ様子のあっちゃんがいう。
「ううん、気にしないでよ!」
僕はあっちゃんが気落ちしないように明るくいう。
今日営業中にあっちゃんがコーヒーを提供するときにカップを落としてしまったのだ。
そこからあっちゃんが唖然として動けなくなっていたから僕が清掃をしたんだ。
しっかり者のあっちゃんのことだから気にしちゃってるんだろうな。
「珍しいねあっちゃんがカップを落とすなんて、珍しいというか初めてみたよ」
「……」
「あっちゃん?」
「……えっ、ごめん。あっくんなに?」
最近のあっちゃんは心ここにあらずで、今みたいにぼーっとしていることが多々ある。
それが今回のミスという形で表れたのかもしれない。
「悩みがあったらなんでも言ってね」
「悩み? ないよーないない」
気丈に振る舞うあっちゃんの目元にはうっすらとクマができている。
メイクでうまく誤魔化しているけど僕の目は誤魔化せない。
けどそんなこと言ったらキモいだろうし何も言わないけれど。
帰る前に僕はカバンからあるものを取り出す。
「そうだ。美味しいハーブティーがあったんだけど、あっちゃんに飲んで欲しいって思ったから持ってきたんだ」
取り出したのはカモミールティーのティーパックが入った小袋。
「え、あたしに?」
「うん。ハーブティー苦手じゃない?」
「あんまり飲んだことないけど……、苦手じゃないよ」
ありがと、とあっちゃんはその小袋を大事そうに抱えた。
カモミールティーはりんごのような甘い香りが特徴な、ノンカフェインのハーブティー。
高いリラックス効果があってリフレッシュにも最適で安眠をサポートすることができるのだ。
ほんのささやかでも力になれたらいいな。
『こんかぐやー』
「アルバイト終わりの配信視聴はいいなあ」
僕は家に帰ってから一段落して、ベッドの上で寝転がりながら星月かぐやちゃんの配信を見ていた。
今日は雑談配信。かぐやちゃんは好きなアニメや漫画、ライトノベルの話をしていた。
「おすすめのラノベはね! 『10年振りに会った男友達が実は女の子で、その子から女の子だと思われてた件』が好き! かぐやweb時代から読んでるよ!」
コメントでお勧めを聞かれて、かぐやちゃんは楽しそうに熱を込めて紹介していた。
『10年振りに会った男友達が実は女の子で、その子から女の子だと思われてた件』
これはweb小説から書籍化されたライトノベルだ。
かっこいいボーイッシュな女の子と、可愛いお人形みたいな男の子がお互いをお互いに同性だと思っていたことが高校生になって判明するラブコメ作品だ。
webでの人気に火がついて、書籍は1巻から即重版、シリーズは現在五巻まで出ていてコミカライズもされている。
かぐやちゃんの配信で前にもお勧めしていたから、家を出て時間ができた僕も読んでいる。
またおすすめするってことは本当に好きなんだなあ。
『二人の甘々な雰囲気がたまらないんだよねえ』
・ボーイッシュな子の乙女な顔が可愛すぎ
・主人公が見た目かわいいのに男らしいとこあって憧れる
・あれ糖分過多で砂糖吐く
・最近更新が滞ってるよな
・作者エタったか?
『新刊発売がなかなか発表されないのもそうだけど、webも更新されてないし心配なんだよねえ。とっても人気だし、アニメ化もそろそろするんじゃないかなって楽しみにしてるんだけどなあ』
そう、一気に読んでから続きが読めなくて楽しみに待ってるんだけど、更新されてないみたいなんだよね。
ううぅ、続きが読みたいなあ。
また一話から読もうかな!
そんなことを考えていると、ピンポーンとインターホンが鳴る。
「あ、誰かきた。自分が出るのだよ」
椅子に体育座りに座ってスマホで音ゲーをしている七菜ちゃんがいう。
「ううん! 八茅留がでるなのです!」
パソコンでアニメを見ている八茅留ちゃんが追随する。
「大丈夫。僕が出るよ」
どちらも手が離せないだろうし、僕も配信を見てるけどアーカイブで見ることだってできるから。
スマホを置いて腰をあげる。
ドアホンの液晶を覗くと、そこにら神妙な顔をしたあっちゃんが立っていた。
「あっちゃんどうしたの? 僕忘れ物とかしてた?」
ただならぬ様子に僕は玄関を開けて、あっちゃんに尋ねる。
こんな夜に僕の家に来る理由を考えても何も浮かばない。
それにあっちゃんはなにも言わない。
少し間が空いて、突然、あっちゃんは僕の体に縋りつくように抱きついてきた。
「えっ、ちょっ、ちょっと、あっちゃん!?」
すごいボリュームが僕を押し潰そうとしている!
ぎゅむっと柔らかいけどそんなこと考えている場合じゃない!
あっちゃんは僕の顔を見上げて、あっくん、と重い口をゆっくりと開いた。
「あたしと同棲して欲しいの!!」
…………え?
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