一
「飯だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぴぎゃ!?」
泉から離れて三日が経過した。今は林道っぽいところを歩いている。
まずこの身体は予想以上に身体能力が高かった。今なら百メートル走十秒切れると思うし、高飛びだって軽く二メートル行く。背面跳びではなく正面飛びで、だ。
これはこの世界の住人の身体能力が高いのか、この身体が特別なのかは分からないけど、良いことなので気にしない。
次に割とあっさり泉から逃げられた事だ。ぶっちゃけ見張りもいない、本気で捕まえようとしていたのか、と思えるほど緩かった。
ま、泉から離れたらどこかの町の中だったことには驚いたけどさ。でも夜の町は本気で人通りが無く、たまに兵士の巡回っぽいのがいたくらいで町を出るのは非常に簡単だった。
その代わり五メートルくらいの壁で囲われていたけど、近くの家と壁を利用して交互に蹴って楽に飛び越えられた。今なら忍者にだってなれるでござるよ、にんにん。
まあそんな感じで無事町を出たのだが……やはりというか腹が減ったのだ。俺がこの世界へとやってきてから二日近く、水しか胃に入れていないのだ。そりゃ腹も減る。
その辺に生えていたなんとなく食べられそうな山菜っぽいのを口にしてたけど、正直これは危険だったと後から反省。もし毒草だったらそのままおだぶつだ。でも飢え死によりは毒死だね。
ともかくそれで一日は過ごしたけど、さすがにそろそろ他のものを口に入れなきゃ体力が持たなくなる。特に人間に必要なのは水と塩だ。とは言ってもこの世界の人もそうなのか、と問われれば、分からないと答えるけどね。
でも腹が減ってるのは間違いないのでこうして獲物を探しながら歩いていたら、偶然小動物が前にいたので捕まえようとしているところだ。
「くっ、さすがにすばしっこい」
「ぷぎゅ、ぴぎゅ!?」
小動物、リスみたいな生き物だ。
普段であれば、かわいー、なんて思うかも知れないけど、この非常事態においては弱肉強食である。食うか餓死かの二択だ。
……腹が減ったら意外と残酷になれるものだな。
必至で追いかけっこをし、そしてとうとう奴の尻尾を捕まえる事に成功した。
「ふっ、ふひひっ、肉だ」
「ぴぎゅーーーーー!!」
ジタバタ暴れるけど、そんなことでは決して逃れはせんよ。
さあ、どうやって調理すべきか?
もちろん、オレオマエマルカジリ、なんて出来ないから解体して焼く必要はある。しかしナイフも無ければ火種もない。
しかしやる気になれば出来ない事など無い。見た目グロテスクだろうけど重めの石でタタキ肉にすればいいのだ。火だって、枝と木でくるくるすりゃなんとかなるだろう。
よしよし、では早速……。
≪ちょっ、ちょっとまってよ!≫
何かが脳に直接話しかけてきた。
が、俺の回答など決まっている。
「待たない」
肉なのだ。獲物なのだ。どこに待つ必要があるというのだ。
食うか食われるか、盛者必衰の理である。このリスっぽいのが盛者なのかは知らんけど。それにそろそろ空腹も限界に近づいているのだ。火を熾してタタキ肉にするだけでも結構時間はかかるだろう。手早くそれらをこなさなければならない。
故に待つ時間などない。
≪うきゃーーー、ひとごろしーーーー!!≫
「リスのくせに人を名乗るな」
≪リスって何よ!? 私は人よ! きゃーーーー!≫
「どこからどう見ても、ふさふさの尻尾を持ってる耳が少し大きいくらいのリスじゃないか。心配するな、肉に貴賤無し」
≪あるわよっ!! 同族を食べるのは女神様が許さないわよっ!!≫
そこでようやく気がつく。
何でこいつ会話できるんだ?
そういやここは異世界だったっけ。会話の出来るような生き物がいても不思議じゃないよな。
しかしリスの体長はせいぜい三十センチであり、どうみても脳の大きさなんて指先くらいしかない。こんな大きさで人と会話出来るのか?
ああ、もしかすると魔物とか言う奴なのかな。いかにもファンタジーだね。
「魔物か?」
≪違うわよっ! 私は人……あれ? なんで私ってスクリウムになってるの?≫
「知るかよ、っつかスクリウムって名前か?」
≪ええ、草食で大人しく見た目も可愛いから愛玩動物として人気よ。というより、貴女口が悪いわね≫
「空腹で今にも死にそうなんだよ。口調に拘るような場面じゃないし、元々こんなもんだ。でさ……ちょっとだけでいいから囓らせてくれ、さきっちょだけでいいから」
≪いやよ! でも……木の実くらいなら採ってこれそうだから持ってきてあげてもよろしくてよ≫
俺に尻尾を掴まれ逆さづりになっているにも関わらず、小さな鼻をくんくん動かした。
匂いで食べ物の場所がわかるのか、すごいな。
でも木の実ね。
「食いでが無い。肉のほうがよっぽど腹に溜まる」
≪え、えっと……そ、そうよ、私を食べちゃったらそれで終わりだけど、私がいれば継続的に木の実を持ってこられるわよ?≫
「……ふむ」
それもそうだ。木の実でもたくさん食べられれば腹にたまるだろう。
タンパク質とかビタミンとかも補給したいけど、継続的に食べ物が得られればそれはそれで大きい。
それに一人旅ってのは寂しいし、会話の出来るものが居ればそれだけでもありがたい。それにこの世界の住人なら一般常識を知っているだろう。
「……逃げないか?」
≪逃げないわよ。何故か知らないけど貴女に親近感があるのよ。食べられそうになっているのに……何故かしら。それに貴女の顔ってどこかで見た事があるのよね≫
それって手配書じゃないのか?
じゃあやっぱり俺は……もとい、この身体の子は犯罪者か何かか。逃げて正解だったな。
ま、それは追々考えるとして、まずは腹減った。
「じゃあ早速だけど木の実とか果物を頼む。一番良いやつで」
≪それは一番良いのを一つ、という事かしら?≫
「……もとい、たくさん頼む」
♪ ♪ ♪
「食った……満足」
さすがリスっぽい動物だ。木の実とか果物とかあっさり見つけて運んできてくれた。
でも何往復もして貰って悪かったかな?
しかし腹が一杯になると心に余裕が出来るね。食はやはり大切だということを身にしみた。
「さて、で、スクリウムだっけ。本当に人だったのか?」
俺は座りながら木にもたれかかると、未だ木の実を頬張っているリスに問いかけた。
頬袋が一杯に膨れあがってるそいつは俺を見上げると、手を腰に添えてうんうんと大きく頷く。
≪そうよ。とは言ってもどこの誰だったのかさっぱり思い出せないのよ。変よね……≫
悩みながらも、限界まで頬袋に木の実を入れようとするリス。欲が張ってるなぁ。
しかし、もしかするとこいつも俺と同じパターンでこの世界にやってきたのかもしれない。
だとすると、この世界の事を知らない可能性もある。
「じゃあここがどこなのか、というのも分からないのか?」
≪ここは聖都アルファーゼから王国へ辿る街道近くよね。薄ら昔来たことがある気がするの≫
「分かるのか?」
≪ええ、主要街道の近くだし多分間違いないわ≫
知らない地名が出てきた。良かった、こいつはこの世界の住人のようだ。ならば色々と聞けるな。
しかし聖都ねぇ、多分俺が逃げてきたあの町がその聖都なんだろうな。
でもさ、聖都ってほどだったかな?
聖都というくらいなんだからおそらく首都なのだろうけど、それにしちゃ防衛なんかガバガバだった。素人の俺が軽々と町の外へ逃げられるんだしな。
じゃあ、あの神官っぽい服を着ていたのはその聖国とやらの軍関係者なのか?
だとすると、俺って国家的犯罪者? まずくね? そうそうに聖国とやらから出た方が良いな。
≪それより貴女、ここがどこなのか分からないまま歩いてきたの?≫
別のことを考えていると、リスが突っ込んできた。
うーん、なんと答えた方がいいのだろうか。本当の事を話すべきか、それとも……。
「実はさ、俺もちょっと記憶が無くてね。どこの誰なのか、地名やら常識やらさっぱり分からないんだよ」
≪ふーん、それより貴女、俺って口が悪すぎるわよ? 外見と合ってないわ≫
「不自然か?」
≪ええ、服も薄手だしなぜそれ一枚しか着ていないのも分からないけど、それ自体はそれなりに高級品よ。だからきっと良いところのお嬢さんでしょう? その口調だと変に目立つわよ≫
不自然に目立つのは良くない。
良いところのお嬢さんが町にやってきた、なら一時的な話題になる程度だが、そのお嬢さんの口調が男のようだった、だと強く印象に残る。理解できる。
逃げるのならなるべく印象を薄めてやった方が良い。じゃあちょっと口調を変えるか。一人称を私にして敬語口調で話せば良いだろ。
あと服もごく一般の人が着るようなものに変えたいけど、生憎と手持ちもないし売るようなものもないから、これは仕方ない。
あ、まてよ、このリス……スクリウムって愛玩動物だっけ。だったら売れるんじゃね?
「参考までに聞きたいんですけど、スクリウムっておいくらで売ってます?」
≪……いきなり口調を変えてきたわね。そうね、銀貨五十枚くらいか……しら……ってまさか≫
スクリウムの問いに答えず、ただにっこりと笑った。
≪い、いやよ! 売らないでよ!?≫
「貴女に良きご主人様との出会いがありますように」
よし、次の町でこいつ売って服を買おう。売値が銀貨五十枚なら半値くらいで買い取ってくれるだろ。
どのくらいの価値があるのかは分からないけど、ペットって嗜好品みたいなものだし意外と高価かも知れない。期待しよう。
≪何を祈っているのよ!? この極悪人!! ひとでなしっ!! きゃーーーーー!!≫
叫ぶスクリウムの尻尾を捕まえて逆さづりにし、俺は林道を歩き始めた。