干渉の力
通路の先に見えたのは神崎が瀬川に拳を振り抜こうとしている瞬間だった。
その前には瀬川が立っていて、さらにその後ろでは相沢さんが震えたまま動けずにいる。
俺と神崎たちの間には作業服姿の男たちがいた。
狭い通路を塞ぐように数人が立っていて、その向こうに神崎がいて、瀬川がいて、相沢さんがいる。
走って割り込める距離じゃない。
無理やり突っ込めば、まず作業服の男たちにぶつかる、というか拘束されかねない。
倒して進むにしても、その間に神崎の拳は瀬川へ届いてしまう。
だったら、今この位置からできることをやるしかなかった。
それが耐久の付与だった。
考えている時間なんてない。
瀬川がどうして相沢さんの前に立っているのか。
神崎が何をしようとしているのか。
そんなものは見れば分かる。
俺は瀬川へ耐久付与を叩き込むように重ねた。
そして次の瞬間、神崎の拳が瀬川に入った。
瀬川の体が吹き飛ぶ。
床に叩きつけられ、肺の空気を吐き出すような音が聞こえた。
相沢さんが悲鳴を上げる。
俺もヒヤッとした。
だが瀬川は生きている。
付与を通して伝わる感覚でそれだけは分かった。
けれど、床に倒れている別の参加者は動いていなかった。
腕がありえない方向へ曲がっていて、肩のあたりも人の体として見ていいのか分からない形になっている。
瀬川ら間に合った一方で、間に合わなかった事実があることが分かって胸が痛くなった。
「はっ、待ってたぜ。付与術師」
神崎が笑う。
こいつは、今この状況を心から愉しんでいる。
瀬川が倒れ、相沢さんは瀬川の傍で名前を呼びながら、その場から動けずにいる。
参加者たちは通路の端へ押し込まれ、作業服の男たちに逃げ道を塞がれている。
そして床にはもう動かない人がいる。
それでも神崎は俺を見て嬉しそうに笑っていた。
「……ほんとに、なんなんだよお前」
怒りなのか、焦りなのか、自分でもすぐには分からなかった。
ただ、熱くて黒い感情が込み上げてくる。
「なんだってお前、そっちこそ嬉しくねぇのか?」
「は? 何に?」
「この再会にだよ。この間は中途半端に終わっちまっただろ?」
神崎は口元を歪ませ、首を鳴らす。
「あん時の続きができるのが嬉しくねぇのかって聞いてんだよ」
マジで何を言ってんだこいつ。
こんな状況を目にして、普通そんなこと思うわけがないだろ。
「……嬉しくない」
俺が短くそう言うと、神崎は一切変わらない口調で口を開く。
「んだよ、つれねぇな。こっちはどれだけこの日を待ってたと思ってんだよ」
楽しそうな声。
「お前が資材置き場にいたのは分かってた。こそこそ隠れて、こっちを覗いてただろ」
やっぱり気づいてたか。
まぁ外で目が合った時点で、たぶんそうだろうとは思っていた。
でも神崎はそれをまた高槻に言わなかった。
「どうせお前なら入ってくると思ってたぜ。仲間だか何だかを守るためか知らねぇが、そうなりゃオレがお前と戦えるだろ? だからあえて放置した」
神崎が口元を歪める。
あの時、第七会議室の時と同じだ。
この間は自分の手柄に、そして今回は戦いたいやつと戦える。
ここまでのことで分かるのは、この神崎という男が如何に利己的で自分中心の生き方をしているのかということだ。
「だからそこを退け、お前ら」
神崎が作業服の男たちへ言った。
作業服の男たちは一瞬だけ顔を見合わせる。
「神崎さん?」
「聞こえなかったか。退けって言ってんだよ」
神崎の声が低くなる。
作業服の男たちは慌てて通路の左右へ寄った。
完全に広いわけではない。
けれど、人一人が通れるだけの隙間はできた。
その隙間の向こうで、神崎は俺を見ている。
「そいつは俺の獲物だ。ほかの覚醒者はしっかり押さえとけ」
神崎が首だけで参加者たちの方を示した。
「俺とこいつの戦いに横槍は入れさせるんじゃねぇぞ」
作業服の男たちが参加者たちの方へ向き直る。
逃げようとしていた者の肩を掴み、壁際へ押しつける。
今の神崎の意識は、もう瀬川にも相沢さんにも向いていない。
それは安心できることではなかったが、少なくとも今すぐ二人へ手を出す気はないように見えた。
俺は神崎から目を離さないまま、倒れている瀬川の方へ声をかける。
「相沢さん、瀬川の様子を見てやってくれ」
「……わ、分かった」
相沢さんはその場に膝をつき、震える手で瀬川の顔の近くへ手を伸ばした。
「瀬川くん、瀬川くん……!」
「大、丈夫だ……」
瀬川はなんとか目を開け、相沢さんにそう返す。
よかった。
口を開けるくらいは大丈夫なようだ。
まぁそれを無事と言って良いのかどうかは疑問だが。
「……氷室」
すると瀬川の目線が俺に向く。
「ごめん。それと、ありがとう」
何に対するごめんと、何に対するありがとうかは分からないが、今その言葉を受け止められるのは自分しかいない。
「おうよ」
それだけは確かだと思った。
「さぁさぁ」
神崎が俺を見ながら、ゆっくりと肩を回した。
その瞬間、干渉眼に神崎の体を巡る流れが見えた。
大トカゲの火とは違う。
炎みたいに外へ放たれるものではない。
神崎の内側を、太い力の筋が乱暴に走っている。
殴る前から、どこに力が向かっているのかが見えた。
これが干渉眼で視える、力の流れか。
「あの時の続きをしようぜ。付与術師ィ!」
神崎はそう言って踏み込む。
床がわずかに沈んだ。
速い。
こっちへ来ると分かっていても、体が一瞬遅れる。
横へ逃げることはできる。
だが逃げてるだけじゃこいつには勝てない。
それはこの間の戦いで学習済みだ。
だったら正面で受けるのか?
神崎の拳が迫る。
干渉眼には、神崎の肩から腕へ流れ込む力の筋が見えている。
俺は自分に耐久を付与し、あえて正面で受けることを決めた。
逃げるのではなくあえて拳を受ける。
避けきれないなら触るしかない。
触らなければ、あの力は使えないんだから。
俺は神崎の拳を掌で受け止めた。
「ぐっ……!」
骨まで響くような衝撃が走る。
腕が折れたかと思った。
それくらい重い。
耐久付与を入れていても、正面から受けていい威力ではない。
だけど触れた。
俺は奥歯を噛みしめながら、その拳の中を通っている流れに意識を引っかけた。
止まれ。
いや、止まらなくていい。
——滞れ。
次の瞬間、神崎の拳から伝わる力が途中で引っかかった。
押し潰されるはずだった衝撃が、腕の表面で突然弱くなる。
完全に消えたわけではない。
拳の重さは残っている。
腕の芯が痺れ、足の裏が石の床を削るようにわずかに後ろへ滑った。
それでも最後の一押しだけが抜け落ちたみたいに、その拳は勢いを失った。
吹き飛ばされても、潰されてもいない。
ただ、神崎の拳が俺の掌の中で止まっている。
「……は?」
神崎が目を細める。
笑っていた口元から、ほんの少しだけ余裕が消えた。
俺も息を吐く余裕がなかった。
心臓が跳ねて胸も痛い。
だが効いた。
止めきったわけじゃない。
滞流で闘士としての気の流れを滞らせても、元の力が強すぎて普通に痛かった。
腕も痺れている。
毎度同じように止めれるかも怪しい。
それでも、神崎の一撃をその場で止めた。
少なくとも神崎にはそう見えたはずだ。
「耐久、それとも筋力でも付与したか?」
神崎は自分の拳と俺の顔を見比べる。
その目が、少しずつ細くなっていく。
「いや、違うな」
神崎の声が低くなる。
「てめぇ、何しやがった?」




