第28章 拳の高専ルート
島袋拳が持ってきた募集要項は、漫画より読みにくかった。
大事そうなところには蛍光ペンが引かれていたが、色が多すぎて、どこも大事ではないように見えた。
「ここ」
拳が折り目のついたページを開く。
「試験で上の二割に入れば、内申見られないって」
「じゃあ数学で稼げば、マジであるんじゃないか」
蓮が身を乗り出すと、神崎の赤ペンが紙面を叩いた。
「二割ではない。学力検査の合格圏じゃ」
「似たようなもんだろ」
「受験で数字を“似たようなもの”にする奴から落ちる」
南星工業高等専門学校。五年間で専門技術を学ぶ国立の学校だった。学力選抜は五教科各百点、合計五百点。学力検査の得点と調査書を踏まえて判定される。
拳は最後の一文だけを見ていた。
その前には、もっと大きな字で書くべき現実が並んでいた。
学力検査の合格圏に入ること。
「噂は、お前に都合のええところだけ残る」
神崎が言った。
「募集要項は、お前に都合が悪いところも残っとる」
蓮は拳の四月模試を五枚並べた。
国語十八。数学三十八。英語十二。理科二十五。社会十五。合計百八点。
数学には妙な跡があった。途中式は少ないのに、図形の補助線が正しい。方程式も教科書とは違う順番で答えに着いている。
「これ、どうやった?」
「見たら分かるだろ」
「分かんないから聞いてる」
拳は面倒そうに図を指でなぞった。
「こことここ、同じ長さだから。こっち回したら重なる」
神崎がサングラスを下げた。
「空間を見る目はある」
拳の口元がわずかに動く。
「じゃあ、いける?」
「まだ話の半分じゃ」
英語の答案には、長文以前の空白があった。基本単語の意味が取れず、主語と動詞も分けられていない。国語は設問を最後まで読まず、社会は用語を勘で選ぶ。理科も計算と実験考察は取るが、知識問題を落としていた。
「数学が武器になる試験はある。じゃが、武器だけ持って戦場まで歩けると思うな」
「英語なんか、機械いじるのに要らんだろ」
「それは、使えん人間がよう言う台詞じゃ」
担任は、拳が高専の名前を口にしたとき、すぐには返事をしなかった。
進路室の机には、これまでの通知表と出欠記録が置かれていた。
「推薦は難しい」
穏やかな声だった。
「評定だけじゃない。欠席、提出物、学校長推薦として説明できるかも含まれる」
「ほらな」
拳は椅子を引いた。
「昔の俺で決まるんだろ」
「座りなさい」
担任は書類を閉じなかった。
「過去を無かったことにはできない。ただ、学力選抜まで閉じたとは言っていない」
拳の手が椅子の背で止まった。
「推薦と学力は、別の扉だ。開け方も違う。どちらも開いているように言うのは嘘だが、全部閉じているように言うのも嘘になる」
拳はゆっくり座り直した。
教師に期待されていないことには慣れていた。正確に説明されることには、慣れていなかった。
南星高専の公開授業で、拳は案内の列から三度はみ出した。
一度目は旋盤。二度目は回路基板。三度目は、廊下で止まった小型ロボットだった。
学生が床にしゃがみ込み、カバーを外している。
「電源は入るけど、右だけ回らない」
拳もしゃがんだ。
「ここ、緩んでる」
端子へ伸ばした指を、直前で止める。
「触っていい?」
学生がうなずいた。差し直すと、右の車輪が短く回った。
「速いね」
拳は立ち上がらなかった。
「こういうの、毎日やるんすか」
「毎日ではないよ。数学も物理もやるし、英語の仕様書も読む」
学生は机にあった薄い冊子を渡した。部品名の横には英語が並んでいる。
「機械だけ触ってればいいと思って来ると、たぶんきつい」
拳は冊子を閉じなかった。
「それでも、ここにいたいか?」
蓮が尋ねる。
「今、考えてる」
拳は初めて、考えることを逃げる言葉に使わなかった。
拳の家では、壊れた扇風機が壁際に置かれていた。
拳が直したものだった。首振りはしないが、風は出る。
食卓へ募集要項を置くと、保護者はテレビから目を離さなかった。
「高校くらい、近いとこでいいだろ」
「高専は五年」
「余計長いじゃないか」
通学、寮、入学時の費用。書かなければならない欄。食卓には、学校から届いたままの封筒が二つ積まれていた。
拳は声を荒らげかけ、公開授業でもらった冊子を握った。
「俺、ここで機械やりたい」
返事はなかった。
「金のことも、通い方も調べる。無理なら、何が無理か言って」
テレビの音だけが残った。
一度言えば家族が変わる。そんな都合のいい場面は起きなかった。
それでも拳は、募集要項を食卓から持ち帰らなかった。
翌日、拳は塾で宣言した。
「南星高専、第一志望にする」
「決めた理由は?」
蓮が聞く。
「数学で百点を狙えるから」
神崎が眉を上げる。
拳は舌打ちして言い直した。
「それだけじゃない。機械を直す側に行きたい。五年かかるのも分かった。それで行く」
蓮は英単語テストを差し出した。
「なら、これ」
中学一年で習う基本語百語。
結果は十二。
拳は答案を裏返した。
「英語なんか――」
机の上に、公開授業でもらった英語の部品仕様書があった。
続きを言えなくなる。
「要らん教科ではない」
神崎が言った。
「お前が今、使えん教科じゃ」
「同じだろ」
「違う。要らんなら捨てればええ。使えんなら、使えるようにできる」
拳は単語カードを一枚取った。
表に英単語、裏に意味を書く。右上に、その日の日付を入れた。
十二点しか取れなかった答案の隣で、最初の一語が、ようやく拳自身のものになった。
神崎の赤ペン補講 高専という進路を、偏差値だけで選ばない
一 高校と高専の違い
高等専門学校は、中学校卒業後から原則五年間の一貫教育で、一般科目と専門科目を学ぶ教育機関である。普通高校の三年間を経て大学へ進む道とは、学ぶ順序も学校生活も異なる。就職、大学編入、専攻科など卒業後の道も複数ある。どちらが上かではなく、本人が早い段階から専門分野を学びたいか、五年間の学習へ適応できるかで考える。
二 募集要項で確認する項目
学校名や偏差値だけでなく、出願資格、推薦条件、検査科目、配点、調査書の扱い、志望学科、日程、入学確約の期限を確認する。年度によって変わるため、口コミや前年資料だけで決めない。
三 五教科各百点の得点設計
高専の学力検査は、国語・数学・英語・理科・社会を各百点で評価する。合計五百点だからこそ、数学だけに頼らず、五教科の総得点を設計する必要がある。
四 内申が低ければ終わりなのか
推薦選抜では、評定、出席、活動、学校長推薦などが重要になる場合がある。学力選抜でも調査書を用いる学校は多い。ただし、学校によっては学力検査上位者を当日点だけで判定する特則などがある。必ず志望年度の公式要項を読む。
五 得意を武器にする
得意教科を伸ばす戦略と、不得意教科から逃げることは違う。まず五教科各百点と合格に必要な総得点を確認し、得意教科で何点を取り、不足を他教科でどう補うかを数字にする。
六 最新情報
本章の制度設計は、令和八年度の国立高専公式資料を参考にした架空設定である。実際に受験する場合は、志望校が公開する最新の募集要項、学校説明会、公式相談窓口で確認すること。




