中3の晩夏
「優香、金魚の水換えしちゃいなさいよ。日曜日に水換えするんでしょ? 午後からまゆちゃん達と遊びに行くんだったら、今やっちゃいなさい」
中3の夏休み後半。
私はママの一言でヒヤリとする。
「日曜日水換えdayなの、なんでママが知ってんの?」
もしや?
「優斗くんのママから教えてもらったのよ」
やっぱりか! 優斗のやつ、クソ。
優斗ママとうちのママはラインでやり取りしてるらしい。
優斗が優斗ママに言って、で、私のママに水換え曜日教えたんだ。憤怒!
「え〜、明日する。これから推しのVチューバーがライブするの」
「優香、高校に上がったら犬飼って欲しいって言ってたわよね? 面倒は絶対に自分が見るからって言ったわよね?」
「うん」
あ、なんかこの雰囲気……。
「毎日の散歩は自分が行くって言ったわよね?」
だんだん、ママの目がマジになる。
「はい。言いました」
「水換え一回でもサボったら犬は絶対に一生飼いません」
出たよ。ママのお得意のママ宣言。
「は? なんで? は? ちょ待って。意味分かんない」
「週に一回もペットのお世話ができない人に、毎日の犬の散歩なんてできるわけないでしょ! 犬を飼ったら散歩に餌やり、ブラッシング、遊び相手、しつけ、お風呂に入れたり、病院に行ったり! その他諸々!」
ママの気迫に私は後退りする。
「金魚の水換えぐらいで面倒くさがる人に犬の世話は無理です!」
「あ、え〜とぉ、今から水換えしてきま〜す。えへへ」
犬を飼うのが私の幼稚園のときからの夢だ。
絶対に叶えたい。可愛い犬が家にいるって、それって絶対に幸せに決まってるから。
私はリビングの時計をちらっと見る。Vチューバーのライブまであと10分ある。急いでやったら間に合うはず!
「そうそう、スマホ買うとき約束したけど、スパチャって言うの? ママはよく知らないけど、1円でも課金したら即解約するからね」
ママはそう言ってニッコリ笑った。このママの顔、怖いんだぁ。
「おい! そこの金髪金魚馬鹿! お前のせいで私の夢が砕け散るところだったぞ! 許さねぇからな!」
水換えしようと外に出たとき、ぬるっと玄関の横に現れた金髪頭に私は吼えた。
「うるさい、うざい。お前どうせ水換えサボる気だったろ?」
「いや、やる気満々だっだか? ついでにお前も殺る気満々だコラ、かかってこい」
「お前の夢って何? 世界中をブリッジしながら歩くとか? どうせバカみたいなやつだろ?」
「犬! ワンちゃん! 飼うのが夢なの! 私がワンちゃんの世話するの! ママと約束したの!」
「週に一回の金魚の世話もサボろうとするのに、犬なんて飼えねぇって。やめとけ。犬がかわいそう」
「キェー! 正論言ってくるんじゃねぇ。一番嫌われるぞ、それ!」
「既に俺はお前のこと嫌いだから、お前に嫌われてもノーダメ。はい残念でした」
「私の方がお前を嫌いだわ! いや、もぅ憎しみ! この感情は恨み憎しみ!」
「ほれ、やる」
「何これ?」
急にテンション変えてくんなよ。
優斗はしれっと灯油ポンプらしき何かを渡してきた。
「水換えホース、やる」
「こういうの高いんじゃない? いくら? ママに言って払うよ」
結構シッカリしてるホースだ。千円くらいかなぁ? ママに頼んでお小遣い前借りしないと。
「100円。それセリナで買ったやつ」
「マジで? じゃあ貰う」
「だからやるっつってんじゃん。最初から」
「ありがと」
「金魚のバケツの水、半量ぐらいそれで吸って捨てろ」
「命令すんな金ピカうんこ野郎」
「お前、うんこうんこって昨日から。下痢か便秘なんじゃねぇの? どうりでくっせぇと思った」
「お前の口のが普通に臭いわ。昨日からキツかった。気をつけろ。仲いい友達ほど教えてくれねぇから、そういうの」
「え? お、俺は臭くねぇよ。え?」
優斗は口に両手を当ててハァと吐いてから吸うを繰り返した。
「水半分吸ったけど?」
私は灯油ポンプの容量でバケツの水を半分吸ってそのまま庭の花壇にドバっと流した。
「これ、うちの庭で汲み置きしてた水あるからこれ入れろ」
優斗が自分んちの庭からバケツを持ってきた。
「カルキは抜きは? しないの?」
「お前の雑い性格だとカルキ抜きドバドバ直接バケツに入れるだろ。もぅカルキ抜きは使うな。バケツに水入れておいて、金魚の横に置いておけ。カルキは1日外に置いてたら勝手に抜けるから。水温も一緒になるし」
「めんど。水汲まないといけないの? ダルい」
「おま……犬とかもっと大変だぞ?」
「正論を言うなっつったろ。次、正論吐いたらマジで許さないからな。顎の骨を砕いて一生しゃべれなくしてやる」
「いいから水入れろよ早く。蚊に刺されるぞ」
「私は蚊よけスプレーしてるから大丈夫」
「俺が刺されるの」
「お前は刺されとけよ。知らねぇよ」
「今日は餌やるなよ。金魚は水換えた日は腹壊しやすいから。お前みたいに」
「私は腹壊してねぇ! ていうかさぁ、ずっと金魚をバケツに入れとくのもなんじゃない? なんか他の容れ物に入れた方がいいのかなぁ? 金魚的にもさぁ」
「爺ちゃんが使ってない睡蓮鉢持ってるから、お前んとこの母ちゃんが良いって言ったら庭に置いたら?」
「へぇ。睡蓮鉢か。爺ちゃん元気?」
睡蓮鉢が何かよく知らんが、優斗の爺ちゃんは知ってる。小さい頃、優斗とよく遊んでいたときに何回か優斗の田舎に一緒に遊びに行ったことがある。無口だけど、お菓子をたくさんくれた爺ちゃん。
「元気」
「あっそ。あ、ちょっと待ってて」
私は家に入って茶色の紙袋を持ってきた。
「はい、ママが渡せって。クッキー。金魚の餌とか色々貰ったから」
私はママが気に入ってるケーキ屋のクッキーを片手で優斗に渡す。マカデミアナッツがゴロゴロ入ってて、すっごい美味しいやつ。私が食べたい。
「え、これ、毒入ってるだろ?」
「入ってねぇ! 脛蹴るぞ!」
ふと優斗の足元を見るとすね毛がうぞうぞ生えててビックリした。
顔は女の子みたいなのに、なんかキメラみたいになってる。
「……もらう」
「お、おぅ」
すね毛王、優斗は紙袋を片手で受け取るとプイっと家に帰っていった。
「あ、ライブ見ないと!」
私は慌てて家に入った。