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65 彼と彼女と屋敷私僕と、


 ローレンスは、一番地で得られた新たな情報をローナとともに精査した。


 おろそかになっていた政治面の遣り取りを例の課題に補強して、翌日、主人たちに報告するが、その際、知りえない情報をどうして知っているのかも隠さずに話した。


 両主人は黙って聞いていたが、本来の目的は旧家にあり、男主人への騙し討ちは二の次だったくだりは、さすがにショックを受けたようだった。


 不快なことを聞かせてしまい心苦しく思うが、互いの不干渉という二人が出した結論を変えるまでには及ばず、話を詰めるための話し合いは予定通り進められることになった。


 本題は、主にセドリック・ヘインズの評価の回復になるが、なるべく大げさにしないで欲しいと言う本人の要望により、奥方のクローディアが悪し様に言われない程度の軌道修正を行う運びになる。


 新聞といった大衆に知られるような媒体には彼の名は出さず、日常の行動範囲内、とりわけ、王立学院に在籍する魔導士一門への周知にとどまった。


 もともと魔導士たちには、あらためて権力と金力への傾倒を警鐘するため、今回発覚した違法行為や裏取引に関わり捕らえられ不良魔導士たちの名は、学内の掲示板に上げられる予定だったが、捕らえられた者の中には旧家の出身者も複数いたため、わざわざ喧伝せずとも矢のように広まった。


 罪状次第では、旧家の召し上げも止むを得ないのではと流言も飛び、規範を軽視した報いだと囃子立てる声と、今後の自分たちの対偶を心配する声が飛び交い、一時騒然としていたが、かねてより貴族と商人との関与を疑われていたセドリック・ヘインズに対するお咎めには、いっさい言及されて無いことが徐々に話題に上りはじめる。


 日を追って、公文書館の新聞に続報が載った。政治家シリル・マルシャンによって血縁と地縁の二縁貴族と不良魔導士の黒い繋がりが密告されたことにより、軍警察と正導学会の協力で潜入調査が行われ、先日、ついに摘発にいたったことが記されていた。


 要するに、学会側にも協力者がいたという記事が出ると、皆はいっせいに押し黙った。


 口にするとしても潜めるように声を落として、中には真相を知ろうと永久公僕に突撃した者もいたようだが、重要機密扱いのため言えないと、思わせぶりな返答を全員で繰り返すよう事前に手配されていた。


 その後、セドリック・ヘインズは、老君から依頼されていた精製素子の研究を終了し、十人委員会を辞任した旨が通達される。


 しかし、本職である研究員には何事もなく復職し、老君から与えられた旧リッテンバーグ邸すら彼が所有したままだと知れ渡ると、いよいよ誰も迂闊なことは言わなくなり、ほとんどの者が推測した真相は、以後、公然の秘密となる。


 この辺は、権力と金力に関わらないよう徹底して教育されてきたたまものかもしれない。


 これを教訓に、甘い誘い話や、上辺だけの噂話に踊らされる危うさを、さらに学んでくれたことだろうが、やはりそれも、いつまでも続く戒めではないのだろう。


 ただ、ローレンスとしては、どうせならと連れ添って二年目の奥方とは、実は大変仲睦まじいと噂を流してはどうかと提案していたが、二つ返事で断られたため、諦めた。


 とはいえ、自宅と一番地ルイナとの往復を重ねるたび、火中の男の隣には見知らぬ女性が常に付き添っていため、ある程度なら達成されていたのかもしれない。


 細かな調整を片付け、全てのすり合わせ作業を終えたのは約半月後だった。


 ひと段落すると、騒ぎが落ち着くまでの数日間、休みを得るが、すると、クローディアから、とある場所へと出かけたいと申し出でがあった。


 ここ二、三ヶ月のいちじるしい立て込みようもあって、すっかり足が遠のいていた孤児院『緑の園』へと、報告もかねて訪問したいそうだ。


 そして、ノエル・ハイマンという人に、できるだけ事実を話したいのだと言う。

 きっと心配させているからと。とてもお世話になっている人だからと。


 だから、どこまでなら話していいのかと屈託なくセドリックに問う彼女に、問われた彼は大いに迷っていた。


 迷いに迷ったせいで、逆にクローディアが戸惑い出すが、意を決したように無言で彼女の手を取ると、二階西棟の客室にあるキャビネットへと連れて行く。


 どうやら、ようやく聞き出しているようだった。報告したい相手として、いの一番に名前が出てくる人物とは、いったいどういう関係なのかを。


 やや時間を要したが、やがて扉は開かれて、心なしか神妙そうな顔をするセドリックと、心なしか思案げな顔をするクローディアが出てきた。


 衣類に乱れはない。話をしただけのようだが、どう解決したのかは二人の顔からは読み取れず、かといって気まずい空気などはないまま、夕食に入った。


 結局、どこまで話していいかはローナに一任され、これまでずっとお留守番だった侍女(レディースメイド)のローナは、はじめて正式な付き添いとして孤児院へと同行した。


 出発の時間と帰宅の時間は、だいたいいつも通りだったが、折悪しくノエル・ハイマンとは会えなかったため、手短な近況報告と、また会いに来ることを手紙に書いて修道女(モナカ)に預けてきたそうだ。


 後日、孤児院『緑の園』名義で、旧リッテンバーグ邸に二通の手紙が届く。


 差出人はノエル・ハイマンで、宛名はクローディア・ヘインズ。そして、もう一人は、セドリック・ヘインズだった。







 手紙を受け取った時、二人はそれぞれ別の部屋にいた。


 あえて別々の時に渡したのは念のためで、届いた手紙が二通あったことは渡す前に知らせておいた。


 セドリックは、ものの数分ほど考えてから手紙の封を切る。

 文面を覗き込んだわけではないが、小書斎で読まれた手紙は、ローレンスにも見えていた。


 突然手紙を送りつけた無礼を詫びる一文からはじまり、自らの素性と身分、クローディアとはどういう経緯で知り合ったのかを簡潔に述べたあと、友人として彼女の相談に乗るまま、セドリック・ヘインズの悪評を無責任に吹聴してしまったことが書かれてあった。だから、どんな方法でもいいから事実が知りたいと、真摯な言葉で綴られていた。


 読み終えたセドリックは、しばらく書斎机の天板を指で鳴らす。


 それからペンを執り、一時間ほどかけて文字をしたためていくが、途中でローナから連絡が入った。


 どうやらクローディアの手紙も似たような内容で、すぐに会えないかと申し入れがあったが、事情を説明して少し待つようにと返しておく。


 そうして二人は、待ち合わせた前邸の中庭で会うのだが、クローディアのいる木造の東屋(ガゼポ)へと足を運ぶなり、セドリックは彼女に手紙を差し出した。


 意図がつかめず、聞き返すように見上げるクローディアにセドリックは言った。


 「――…別に、そいつは悪くないだろ。そう仕向けていたのはこっちだし。だから――」


 渡してほしいと、差し出された手紙の意味に気付いたらしいクローディアは、嬉しそうに受け取った。


 「…うん」


 気恥ずかしいのか、手紙の受け渡しを終えると、二人はそわそわしはじめる。

 しかし、そんなことはお見通しである。


 すでにガゼポのテーブルには、クローディア用のティーセットと茶菓子が広げてあり、ごく自然に彼の分のお茶を用意して、そのまま茶話会にもつれ込む。


 紅茶の次は、ナッツのケーキやクラッカー、軽食などを次々と給仕していき、場の空気に流されてか、セドリックはクローディアと向かいの席に座った。


 現在時刻は、午後三時過ぎ。気候は穏やかで、日差しも柔らかい。

 クローディアが手渡された手紙は、ローナがいったん預かって、お茶会ははじまった。


 はじまって早々、大きな困難に突き当たる。


 二人には茶席を温めるだけの話題が無かった。つい先日までは多くの課題を処理するため、話題には事欠かなかったが、日常会話となると二人の性分ではまだまだ難しいらしい。


 だが、それとて想定済みである。

 無いならば提供すればいいとローレンスは口を開くが、先に口を出しのはローナだった。


 「ところで、旦那様」


 呼ばれたセドリックにつられて、クローディアも彼女を振り向く。

 ローナもきっと同じ考えだろうと、ローレンスは安心して彼女に任せることにした。


 「以前に仰っていた、猫のペナルティはどうなさるのですか?」


 よりによってそれか、とローレンスは危うく声を上げかけた。


 「…猫?」


 クローディアが首をかしげる。


 「はい。実は、旦那様からとある言い付けをされていたのですが、私どもはそれを守ることが出来なかったのです。約束を破った罰は、猫を飼うことだったのですが…奥様は、猫はお好きですか?」


 「……触ったことない」


 それはそうだろう。あの裏切りモノを、あの忌むべき侵略生物を、好き好んで主人一家に近づけようとする屋敷私僕はいまい。


 ふと、セドリックの視線に気づいて、ローレンスも見返す。普通に笑んだつもりだったが、だいぶ引きつってしまった。


 「……まあ、今回は、見送る…かな」


 情け深い主人の御言葉に心から感謝する間もなく、ローナが食い下がった。


 「いけません。ただの言い付けだったとはいえ、主人との約束を違えたことは事実です。猫が難しいようなら、他のペナルティを考えてみては?」


 「他のペナルティ?」


 いったいどういう了見なのか、ローナの話運びにローレンスはただ困惑する。


 「ええ。たとえば、何かしらの労働を課すとか」


 「いや、でも。お前たち掃除とか世話とか大好きだろ。――あ。じゃあ、掃除を禁止にするか。もしくは、一人で着替えるところを見物とか」


 なんて恐ろしい罰を思いつくのかと、ローレンスはおののいた。


 「あとは、実体化を解かずに、きちんと二本の足で歩けとか。そうだな。いっそ最初に戻って、私僕の家猫を一日中連れて回らせるのもいいか」


 まるで、いたずらを企むかのように言うので、冗談なのか本気なのか疑わしい。


 「奥様はどうでしょう。これといったアイディアはございますか?」


 ローナに水を向けられたクローディアは、先ほどとは逆の方向に首を傾けると、ゆっくり考えなら言った。


 「……あの、……ご褒美…は?」


 「ああ、なるほど。言い付けを破った罰じゃなく、守った対価を与えるのか――て、いま考えるのは、ペナルティじゃなかったか?」


 「いいえいいえ。今後の参考のためにも、是非お聞かせください」


 ローナに促された二人は、それぞれ頭をひねる。


 「……私僕のお仕着せを、新しいのにする?」

 「素晴らしいですわ。旦那様も、どうぞございましたら」


 「んー…。ご褒美ね、お前たちが喜ぶ物と言ったら、料理や薬品の新しいレシピ本とか、流行物もしくは危険物の指南書とか、新種の苗木とか。あとは――」


 褒美。

 と言われて、ローレンスが真っ先に望んだものは、いまこの時(・・・)である。 


 男主人と女主人が、仲良くテーブルを囲んで談笑している。


 ただそれだけで、まず間違いなく望んだ褒美なのだけれど、言うべきか言わざるべきか迷っていると、男主人とまた視線が合った。


 だが、すぐさま逸らされてしまう。垣間見た表情を読み解くに、どうやら彼は屋敷私僕への褒美(・・・・・・・・)を色々と察したらしく、そのまま押し黙ってしまった。


 会話が途切れる気配を気取ったのか、ローナがすかさず話を繋げてきた。


 「そうですわ。これを機に、沢山のことをこれからお二人に決めてもらいましょう」


 先ほどとは別の意味で頭をひねる二人に、ローナは微笑む。


 「旧リッテンバーグ邸は、私どもは、名実ともにお二人のものになったのです。我が家だけのルールなどを、お二人で決めてみてはいかがでしょう」


 ローレンスは、やっとローナの考えが読めてきた。


 「ルールだけではございません。屋敷私僕の編成も、やはり一度は見直すべきですし、家内の祝い事や催事、各部屋の家具や内装の厳選もございます。廊下に飾られている額縁が、いつまでも空っぽなのは寂しいですわ」


 ローナの提案に、二人の主人は顔を見合わせた。


 話題がないなら作ればいいとローレンスも考えたが、どうやらローナは、作った話題をその場限りにするつもりはないらしい。


 これならば当面の話題作りには困らないし、ふとした時に、どちらからでも話しかけやすいだろう。二人でいることに慣れてもらうためにも、丁度いい距離感の演出だった。


 「でもまずは、ペナルティですね。さて、いかがいたしましょう」


 二人は仲良く議論した結果、労働が罰にならない私僕たちの罰として、逆に、主人たちに労働させることになった。


 スタンダードな掃除や、庭の手入れ、本棚の整理などが出されていき、やがて、両主人がやってみたいという理由で、木製のテーブルや椅子などのワックス磨きに決まる。

 ただし、後生として、磨く品はローレンスたちが選んで良いことになった。


 したことがない手仕事のためか、二人ともだいぶ面白そうにするので、嬉しいような困ったような複雑な気持ちにさせられる。


 和やかな光景を前にして、けっして邪魔するつもりではなかったが、ローレンスは思わず言っていた。


 「…約束と言えば、旦那様。あちらの約束は、どうなったのでしょう」

 「……今度はどの約束だよ」


 「この家が、正式に貴方のものになったら、私の名前をきちんと呼んでくださる、あの約束です」


 「…………」


 虚を突かれたように、セドリックの目が見開かれた。


 「ロナルドやらローランドやらと、いつもわざと間違われて。なぜ名前を呼んでくださらないのかと尋ねた時、まだご自分のものではないからと仰っていましたね?」


 すると、彼は気まずそうに目を泳がせて、顔すらも背けていく。


 今さら呼ぶのが照れくさくなったのか、そのまま素知らぬふりをするかと思いきや、そっけなく呟いた。


 「――――……気が向いたらな」

 「お待ちしております」


 男主人の後ろ頭を見ながら、苦笑してしまった。


 一人と一体の遣り取りを見ていたクローディアが、じっとセドリックを見つめていた。

 何か言おうとして、思い直したように口を閉じる。


 もうだいぶ見慣れた振る舞いに、セドリックもきちんと気付いたようだった。


 「…何?」


 聞かれた彼女は、セドリックからローナ、ローナからローレンスへと視線を回し、セドリックを見つめ直す。明らかに迷っているように見えた。


 「……何か言いたいことがあるなら、聞くけど」


 はっきりと促されると、クローディアはためらいがちに小さく頷き、小さく言った。


 「――…リア、は?」


 リアとは? とローレンスが疑問に思う目の前で、ガチンと音がしそうな勢いでセドリックが硬直した。


 両者の様子を見るからに、どうやら二人だけに分かる言葉のようだった。


 新たなる試練に直面したらしい男主人は、なぜか口元を隠して赤くなる。

 見れば、女主人の頬もやや赤いようだった。


 「……あの、それも…また、後日で」

 「…はい」


 今までにない雰囲気に、ローナの目がいつになくきらめくのをローレンスは見た。


 この場には居ないが、邸内にて家内業務にいそしんでいる屋敷私僕たちも、さざ波のようにざわついていく。


 果たして二人に何があったのか。

 もちろん、知りたくはあったが、知らないままでもいいと思う。


 良い雰囲気に水を差さないよう見守りながら、話を切り替えるべきかどうか、タイミングを見計らっているローナに、ほどほどにと忠告を入れると、彼女は少しだけすねたような顔をする。そんな彼女は珍しくて、これにもついつい苦笑してしまう。


 ほんの半年前は、こんな日が来るなんて思いもしなかった。


 あの頃のローレンスは、ただひたすらに男主人の心配ばかりをしていた。

 彼を苦しませていた元凶は、もう消えたと思っていいのだろうか。


 いくら考えても、確信をもってそうだと言える証しは、きっと見つけられるものではないだろう。


 ただ、今の彼には大切な人がいる。


 その人を大切にするために、これまで見向きもしなかった大切なものをきちんと考えてくれるような、そんな予感めいた兆しは確かに感じていた。


 人は考えを変える。


 老君の言葉ならずとも、そうした人の性質はローレンスも重々承知の上だった。

 だからこそ、悪い方向ばかりに変わるものではないことも知っている。


 この先、主人たちの考えを変えるような事が起きたとしても、旧家の家令として、屋敷私僕として、彼らに尽くす気持ちだけは絶対に変わり得ない。


 ならば、二人にとって、二人以外に大事なものができた時、どれだけの万事を尽くせるか、それこそが自分たちの考えるべきことである。


 ローナが言っていたように、我が家だけのルールを決めていくことから始めるのもいいかもしれない。いっそ家の形そのものを変えてしまうのもありだろう。


 いかな形であれ、二人の幸せを手伝わせてほしいと思う。


 どうかいつまでも、二人にとっての『家』であり続けられるようにと、ローレンスは心から願った。






これにて完結です。たくさんのブクマと評価ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
素敵なお話をありがとうございます!
お、お、終わってしまった!という寂しさと、読了の満足感とのジレンマで悩ましいですが、最後まで読ませて頂けて本当に嬉しいです、ありがとうございます! 最後の屋敷私僕たちへのご褒美が私へのご褒美にもなりま…
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