5月3日 キャッチフレーズと親睦会
(き、気まずい……)
居た堪れなくなって、烏龍茶をちびり、ちびりと啜っていく。
ここは、いつも打ち合わせで利用している中華料理店。
机を囲む3人の間に、不思議な沈黙が支配していた。
今日はいわゆる「親睦会」。一緒にホラー動画の実況することになったスパロウこと、大地巡と私が調子よく実況をするために、共通の知り合いである阿佐ヶ谷が間に入り親睦を深めあう時間――のはずなのに、話すことが特にない。
私は家庭の事情でゲーム何て、滅多なことが無い限り許されなかった。だから、完全なるゲーム初心者でアニメもライトノベルも深くのめり込んだことが無い。対して、巡は実況動画で名を馳せる程のゲーマーであり、アニメもライトノベルも熟知している。代わりにというべきか、アイドルに関する知識はあまりない。サブカルチャー好きとはいえ、対照的な2人が親睦を深めあう共通の話題も無ければ、共通の趣味もない。
何故、阿佐ヶ谷は宣伝とはいえ、実況動画をやらせようとしたのか。
その魂胆が、全く見えなかった。いや、知名度は上がるかもしれないけど、少し無茶があるような気がする。
せめて、共通の知り合いである阿佐ヶ谷が、何か話を取り持ってくれればいいのだが―――彼は何も話さない。隣に座る阿佐ヶ谷に視線を送ると、なにやら真剣な顔でスマホを弄っていた。話に参加する気がまるでないことが、眼に視えてわかる。文句の一つや二つ、言いたくなってきた。店長とウェイトレスが、何やら楽しそうに話す声のみが聞こえる午後の中華料理店。対して、不自然な程に静まり返った客席。
その緊張がピークに達したとき――
「よし、お題は『キャッチフレーズ』だ!!」
唐突に、阿佐ヶ谷が沈黙を破った。
あまりに突然だったものだから、私も巡も飲み物を吹き出しそうになってしまう。
「っ、いきなり何!?」
口元を拭きながら、巡が阿佐ヶ谷を軽く睨みつけた。
だが、阿佐ヶ谷は動じない。スマホから顔を上げると、いつもの自信しかない表情で私達を見渡した。
「うむ、考えてみたんだがな――飯田には、キャッチフレーズが無いことに気がついたんだ」
「「キャッチフレーズ?」」
私と巡は、同時に首をかしげた。
一般的なアイドルには、いわゆるキャッチフレーズが存在する。
広告に記載されている商品みたいに、そのアイドルに関心を寄せてもらうために1人1人ついていることが多いのだ。一部のアイドルの中には、ファンがつけたキャッチフレーズとか、自らキャッチフレーズを名乗らない人もいる。だが、大抵のアイドルには、事務所が決めたキャッチフレーズがついているものだ。
「そういえば、私には無かったかも」
「だから、今ここで決めようと考えた。キャッチフレーズがあれば、飯田がどんなアイドルだか誰でも一発で分かるだろ?」
「確かに――実況ではインパクトが大事だからな」
「それで、ワイはアイドルのキャッチフレーズよく知らんけど、そんなに重要なのか?」
巡は烏龍茶を飲みながら、阿佐ヶ谷に問いかける。
すると、阿佐ヶ谷は、ふむ――と考え込んだ。そして、慣れた手つきでスマホを動かし始める。
「重要だ。アイドルの人気はキャッチフレーズで決まるとも言われている。
そうだな……例えば新生アイドルグループ『フルーツ・キャッツ』のキャッチフレーズは――あった、これだ」
覗き込んでみると、そこにはハッと目を惹く可愛らしい女の子3人組が映っていた。
純真そうな感じのワンピースを身に纏い、こちらに微笑みかけている。だけど、気のせいだろうか――。前の1人が後ろの2人を従えているような、そんな感じが拭えない。
デビュー予定として記載されている日付が、同じ7月ということもあり、どうやら彼女たちが競争相手になってくるのかもしれない。いや、向こうには相手すらにされていないと思うけど―――。そもそも、存在を認知されているかどうか微妙だ。
「センターの子――東野瞳子のキャッチコピーは……これだな」
再生ボタンを押すと、夏を思わすBGMと共に、動画が動き出す。
軽快なダンス。どこかの南の島で撮影したと思われるロケーションを背景に、3人の少女たちが華麗に舞う。鮮やかな衣装を身に纏い、跳びはね笑う彼女たちは――果物の妖精のようだ。その中の1人が、今気がついたように、此方に笑いかける。砂浜を滑る様に走り寄ってくると、
「心は常夏ココナッツ!いつも元気なリーダー!!15歳の東野瞳子です!
よろしくお願いしますっ!」
全ての男のハートを射抜きかねない笑顔で、動画は静かに止まった。
確かにキャッチフレーズ通り、常夏のような明るく溌剌とした少女だった。一発で覚えられるインパクトと笑顔。これがアイドルには確かに必要なのかもしれない。ごくり、と唾を飲みこむ。
それが――私にはあるだろうか?
「このキャッチフレーズを、今から考えるってこと?」
動画から顔を上げた巡が、考え深そうな声を出す。
だが、何かぴんと来ないのか―――スマホの画面を不満げに叩いていた。
「でも、あんまり派手なのは似合わないと思うけど?」
あまりにも可愛すぎる瞳子の画像を叩きながら、呟いている。
確かに、その通り。私には、そこまで派手なのは似合わない。そもそも――
「今更だけど、私の「売り」って何?」
内気の自分を変えて、キラキラと輝く日本一のアイドルになること。
それが、私の目標であり目指すべき場所。だけど、それをそのままキャッチフレーズにしてしまったら、「お前、調子乗り過ぎ」と見向きもされないのがオチだ。
「それは、日本一のアイドルに慣れる素質だろう」
「いや、いつも思うんだけど、その素質って何を根拠に言ってるの!?」
つい、突っ込んでしまった。
いつも思うその「素質」「飯田夏音らしさ」、それがどこにあるのか私にはわからない。だから、自分でキャッチフレーズを決めることが出来ずに今も悩んでいるのだ。
「あー、それはワイも気になるわー。で、どのあたりなんだ?」
「決まっているだろう」
阿佐ヶ谷は、私の鼻先に指を突きつけた。
その真剣過ぎる透き通った目に、心が何故か高鳴ってしまう。ごくり、と唾を飲みこんだ。息を詰めて、阿佐ヶ谷の次の言葉を待つ。前に座る巡も――息をひそめている気配が伝わってきた。
「誰よりもアイドルになりたいという情熱だ!!」
……。
………。
…………。
「えっ、それだけ?」
しん、と静まり返った机に、私の声が寂しく響き渡る。
他にもっといろいろあるのかと思ったが、本当にそれだけなのだろうか。期待を込めて阿佐ヶ谷を見返したが、本当に他に何もないらしい。腕を組み直し、うむっと満足げに頷いている。
「えっ、情熱って誰にでもあるんじゃないんかい?」
巡も、同意見だったらしい。
私達の趣味は微妙に違うが、意見は会うことが多いと実感する。いや、阿佐ヶ谷が常人の斜め上をいっているだけかもしれないが。
「いや、飯田の情熱は特別だ。飯田は、アイドルになるためだったら、どんな苦行でも乗り越える。そんな素質がある」
阿佐ヶ谷はハッキリと言い切った。
私は、アイドルになりたい。結局、作詞もなんやかんや言いつつ6つ仕上げた―――いや、添削された結果、私の詩というより、辛うじて原型をとどめた何かに成り果てていたが。
「ダンスも歌も独学だろ?アイドルになるための受験料も、バイト代から出したものだと聞く」
「まぁ――そうだけど」
「そこまでして、アイドルになりたいという気持ちが強いならば、何だって出来る。これから、どんなアイドルとでも戦っていける!俺は――そうだと信じている」
私は、黙って聞いていた。
積み重ねてきた努力。ほぼ独力で挑み続け、6度目にしてアイドルのオーディションを勝ち取った。それを認められたようで、心の中に暖かい何かが広がっていく。
「あっ、そうだ!」
巡が、パンっと手を叩いた。
何か良案が思い浮かんだのだろうか。目を輝かせて、こちら側に身を乗り出す。
「ワイ、キャッチフレーズ思いついた!
『何があっても諦めない!』ってエエんじゃない?」
「何があっても諦めない」
私は、口の中で言葉を繰り返す。
今まで色々と辛いことがあった。何度も諦めたいと感じた。アクセルのメンバーが私だけになった時、さっさと別のオーディションを受けようかと考えた。だけど、だけど、アイドルになる姿だけは諦めきれなかった。
何があっても―――今まで、諦めなかった。たぶん、きっとこれからも――諦めないでアイドルを目指している自分がいる気がする。いや、アイドルを目指し続ける私がいる。
「いいな、巡!それで行こう!!」
阿佐ヶ谷は、さっそく手帳を取り出すと何かを書き込み始めた。
「これはどうだ!」
決してきれいではない文字で綴られたキャッチコピー。
私は静かに、それを読みあげる。自分の胸に刻み込むように、言い聞かせるように。
「何があっても諦めない!アクセル全開の飯田夏音をよろしくお願いします」
5月3日。
キャッチフレーズと共に、自分の方向性がハッキリと見えた瞬間だった。
烏龍茶を飲み干して、もう一度言葉を唱える。これから何度も何度も言うことになるキャッチフレーズを昔からの親友の名前を唱えるように。
「私は――何があっても諦めない」
「じゃあ、この新作メニューも諦めないで試してみるアルか?」
上から声が降ってくる。
眼が痛くなる刺激臭が、鼻孔を貫いた。見上げてみると、店長が寸胴を大事そうに携えていた。覗き込んでみれば、カレーが寸胴一杯に入っていた。しかし、ただのカレーではない。
地獄の窯に張られた溶岩のように、沸々と煮え立っている。カレーと言ったら連想される『茶色』でもなく、唐辛子をふんだんに入れ込んだ『朱色』でもない。様々な香辛料と滋養強調の食物が混ざり合った結果、おどろおどろしい『漆黒色』に成り果ててしまったカレーだ。
いったい、こんな地獄のカレーを誰が食べるのだろうか。
「おっ、辛そうなカレーだ!!なぁ、ワイ、一杯挑戦してみていい?」
巡が真っ先に手を挙げる。
すると、その答えを予期していたようにウェイトレスが白い皿にカレー……と呼ぶのもおこがましい黒い液体をかけた。よく、あの食べ物と言い難い液体を食べる気になれるものだ。
「夏音のお嬢も、食べてみたらいいアル!」
「は、はい?」
呆気にとられているうちに、白い皿は2つに増えていた。
地獄の寸胴から掬い上げたカレーが、ゆっくり私の前に差し出される。
一体、何が起こったのか。どうして、私も食べる羽目になってしまっているのか。額に一筋の汗が流れ落ちる。
「何があっても諦めないんアルよな?
『クトゥルフ裏メニュー超激辛カレー』に、運気を上げる食材も入れてみた試作品アル!無料にしておくから、試食をお願いしたいアルよ!」
「おっ、ワイの運気も上がるかい?こりゃ――樹も連れて来れば良かったかもな。
ほな、一緒に食べよう!」
「食べろ、飯田。きっと、アイドルとして先行き良いスタートが切れるぞ!!」
皆ノリノリで、私にカレーを進めてくる。
食べなくても、分かってしまう。これを食べたが最後――運気が上がる前に、三途の川に辿り着いてしまうということが。何故、巡は激辛を通り越した何かを食べる気になるのだろう?
「えっ、ちょっと本気?」
「何があっても諦めないと宣言したばかりじゃないか? 諦めずに運気を上げろ!」
「それとこれとは、話が違う気がする!! 」
匙を持つ手が震える。
右手がうずくとは、このことを言うのだろうか。躊躇いがちな私をよそに、巡は既に黒い何かを掬っていた。あれは――ジャガイモのなれの果てだろうか、それともニンジンのなれの果てか? とにかく、黒い何かだった。
「じゃあ先にワイが――いただきますっ!!」
「ちょ、大丈夫ですか、巡さんっ!?」
私の静止など聞こえていないらしい。
ぱくり、と食べる。
その瞬間、何故か聞こえる爆発音。急激に白くなる巡の顔色。何も語らなくなったその口からは、煙が出ているように幻視してしまう。そう――これが、このカレーらしき食べ物を食べた先に待ち受ける結末。口の中で爆発テロが怒ったようなインパクト。胃が痛くなるという次元を通り越した世界が、この匙の先には待ち構えている。
「えっと……これ、本当に、食べるの?」
先程のキャッチフレーズを撤回したい。
何があっても諦めない。しかし、それはアイドルになるためであって、こんな命を削るカレーを食べることくらいは諦めたっていいだろう。
しかし――
「諦めずに、運気を上げるんだ、飯田!
運も実力の内だぞ!?」
非情な阿佐ヶ谷が、それを許してくれない。
問答無用に、口に近づく黒い何か。笑顔で見守る店長と煙を上げる巡に囲まれ、既に私に退路は残されていなかった。
「わ、分かったよ!何があっても諦めないんだから―――!」
その後、何が起こったのか。
思い出したくても、靄がかかってしまう。恐らく、身体が思い出すことを拒否しているのだろう。ただ――ぼんやりと覚えている。
壮絶なる辛さのオンパレード。いや、辛いを通り越した刺激が――まるでマシンガンを舌がけて集中連射されているような衝撃。遠くに聞こえた川のせせらぎ――
詳細に思い出してしまったが最後、どうなるのか分かったものではない。
連休1日目。
私は巡と一緒に、究極な辛さの世界へと沈んでいったのだった。
パッセロさんから、巡さんをお借りしました。
えっと……こんな感じでよろしいでしょうか?