4月27日 クトゥルフの助言
中華料理店。
商店街の一角に店を構えるのだが、いかにも怪しい。
注文すれば中華料理ではなくても―――極端な話、アマゾンの奥地でしか食べられていない料理であっても、店長は鍋を振る。いつも嘘っぽく笑っている青年の裏には、何が隠されているのか。幼い少女をウェイトレスとして雇っているが、彼女と血縁関係はあるのか。そもそも食材はどうやって調達しているのか。
その本性は、誰も知らない。
「まぁ、美味しいから文句ないんだけどね」
私は、注文したトム・ヤムクンを啜る。
トム・ヤムクンは中華料理ではなくベトナム料理だが、味に問題はない。むしろ、そこらの下手な店より味は遥かに良かった。本当に変な店だが、嫌いになれなかった。
そういう店だと知った地元民しか訪れないし、意外と居心地が良いのだ。それに、混雑時以外は長居しても怒られないので、ちょっと打合せに適した店でもある。
「でも、まだかな――阿佐ヶ谷君」
時計を見れば、待ち合わせ時間を5分程過ぎていた。
時間通りにやって来る彼が来ないのは、一体どうしてだろう?コップに入った水を飲み、ため息をつく。本当は――例えば、好物のコーヒーフロートとか、甘い飲み物も頼みたいところだが、月末なので財布が軽い。阿佐ヶ谷に遅れてきたペナルティーとして、飲み物代を払わせようか、と思った矢先のことだった。
「すまないっ!遅れた!!」
阿佐ヶ谷が、店に飛び込んで来た。
マネージャーらしくスーツを着込んでいる所を見ると、学生服よりも大人っぽく見える。剣道で鍛え上げられた体格が、スーツ越しでも分かった。しっかり働いているんだな、って少し感心してしまう。私のために、いや仕事のために、休みの日にまで働いて、昼間は学校に行っているのだ。それなのに顔には疲れの色が全く浮かんでいない。でも、本当は相当体を削って仕事をしているはずだ。
一応、同じ職場で働いているわけだし、同級生だし、「お疲れさま」と一言かけた方がいいのかも――
「作曲家候補と打ち合わせしていたんだがな、どうも上手くいかん。
あっ、ウェイトレス!俺は「麻婆茄子」と「韃靼蕎麦茶」を頼む」
ウェイトレスの幼女が「うむ、分かったぞ」と告げる言葉が遠くに聞こえる。
手から力が抜け、箸がテーブルの上に落ちそうになる。脱力状態に陥る私を見て、似非サラリーマンは不思議そうに首をかしげた。
「ん、どうした、飯田?」
「ど、ど、どうしたじゃないって!!まだ、作曲家 候補の段階なの?」
いや、まだ詩も間に合っていない状態で候補も何もないかもしれないけど。でも、作曲家が確定していないって、かなり問題ではないか?
私は箸を置くと、ずぃっと身体を乗り出した。
「一応言っておくけど、私、リコーダーすらまともに吹けないからね?
というか、作曲まで私がしたら、アイドルじゃなくてシンガーソングライターになっちゃうから」
「それは分かっている。
だいたい、リコーダーの追試に引っかかっている奴に作曲など出来るわけなかろう」
……こいつ、見てたのか。
少し顔に熱が集まる。同じ学校に通っている同級生なので、リコーダーの追試のことくらいは知っていてもおかしくはない。ともあれ、作曲はプロの手にゆだねるみたいなので、少しだけ安心した。私は椅子に座り直すと、再び箸を構えた。
「それで、作詞の調子はどうだ?」
「うん、まぁまぁかな。初心者にしては、傑作だと思うけど?」
鞄の中に空いた手を入れ、器用にメモ帳を取り出す。
買ったばかりの真っ新なメモ帳は、没にしたページを破り捨てたせいで、かなり薄くなってしまっていた。薄くなったメモ帳は、まさに私の努力の成果だ。少し誇らしげな表情を浮かべて、阿佐ヶ谷に手帳を渡した。
「ふむ……」
難しい顔で、1つ1つの詩を読む。
どれも、私の気持ちが込められた――いや、恋愛経験はないから、そのあたりは妄想の産物になってしまっているが、言いたいことや想いが詩に落とされているはずだ。それをけなされはしないか、少し不安で胸が締め付けられる。持ち直した箸を再び置き、両手を膝の上に乗せた。
「どう?」
声も何処か強張っている。
不安で一杯な気持ちを押し込めて、真剣な表情の阿佐ヶ谷を見つめた。
そして、4つの詩を読み終えた時――阿佐ヶ谷の表情が優しく緩んだ。それと共に、張り詰めた空気も和らいだ。
「いいぞ、上出来だ!」
「本当に!?」
「あぁ、成績低空飛行仲間の飯田がここまでやるとは思わかなかった!!
素人っぽさが良く出ていて、実にアイドルらしい!!」
「……それ、誉めてるの?」
顔が引きつるが、それでも直球に誉めてくれたのだ。
嬉しくて、強張っていた気持ちが緩くなる。そして、阿佐ヶ谷は笑顔のまま――
「それで、他の詩は?」
爆弾を投下した。
和らいだ表情が、瞬時に固まってしまう。
「えっと……その4つだけど?」
「4つしか仕上げてないのか!?連休前に作曲家に頼まないと、7月に間に合わないぞ!?」
今度は、阿佐ヶ谷が驚く番だった。
先程までの笑顔は何処へ行ったのやら。剣道仕込みの迫力のある表情で、私を睨みつけてくる。
「特に、この『さくらの恋』!発売日は7月なのに、収録できるわけないだろ!?」
「べ、別に構わないじゃん!特にそれは傑作でしょ!?
それに、万年国語赤点スレスレの素人が、1週間で4つも普通の詩を仕上げたという事が凄いと思うけど!?」
「それとこれとは、話が違う!俺は、お前の作詞制作能力を見込んで頼んだんだ!」
「ただ金がないだけだったんじゃないの?」
「アイドル自身が作詞したことで、話題性も高まるはずだ!!」
堰が切れた様に、つい口調が熱くなってしまう。
中華料理店の一角が、急に戦場へと早変わりしたようだ。阿佐ヶ谷の剣道仕込みの腹に響く声は怖いけど、拳を握りしめて言い返す。
「だいたい、この詩――ここの「おろおろする僕を 先輩は楽しんでいる」は、変だろ!?」
「へ、変じゃないよ!この前に、右往左往って言ってるじゃん!」
「いや、変だな。その前に『右往左往』って書いてある。重なっているではないか!!」
「じゃあ、『僕を見て 笑って楽しむ』にした方が良いの?少しくらい重なっていたって問題ないよ!」
「いや、それでもまだ微妙だぞ!それから――」
「はいはい、喧嘩は中断アルよー」
永遠に続きそうな口論に、終止符を打つ声が降ってきた。
ウェイトレスではなく、清志店長が立っていた。いつもの怪しげな笑みを顔に張り付け、頼んだ料理を置いていく。しかし――
「あれ、店長?これ、頼んでないですよ?」
阿佐ヶ谷が頼んだのは、麻婆茄子と韃靼蕎麦茶。
私が頼んだトム・ヤムクンは既に食べ終わったし、お小遣い節約のため他には何も頼んでいない。それなのに、店長は私の前に冷たいグラスを置いた。それは、私の好物の「コーヒーフロート」だった。良く冷えたアイスコーヒーの上には、ちょこんど行儀よくアイスが載っている。アイスはまさに、真夏の雲のようだ。
「夏音の嬢ちゃんは、コーヒーフロートが好みでアルよな?
これは、サービスアルよ。アイドルデビューを果たす夏音嬢ちゃんへのお祝いアル!」
ささ、飲むアル!と店長がコーヒーフロートを進めてきた。
私は、ひんやりと冷えたグラスをそっと攫む。程よく黒いアイスコーヒーの香りが鼻孔をくすぐり、ホッと肩を降ろした。なんというか、昂っていた気持ちを落ち着いていくような――。
「忙しく働く修也坊ちゃんにも、その韃靼蕎麦茶はサービスでアル」
「むっ、ありがとう」
「……ありがとうございます」
コーヒーのほろ苦い味と、バニラアイスの甘さが程よくかみ合い、心を癒していく。
身体に張り詰めていた何かが溶け出していくような、不思議な感覚を覚えた。視ると、前に座る阿佐ヶ谷の顔からも、怒りの色が消えて普段の表情が戻ってきていた。
「人生、無理な焦りは禁物アルよ」
横に腰をおろした店長は、どことなく感慨深そうな声で話し始めた。
私はコーヒーフロートを握りしめて、じっと店長の話に耳を傾ける。
「料理人は、長い下積み生活を経て店を出すアル。
アイドルも、同じなんじゃないかと思うアルが?」
「し、しかし!」
阿佐ヶ谷が立ち上がろうとするが、店長は手で制した。
ほとんど空いているようには見えない眼には、有無言わさぬ光が奔る。さすがの阿佐ヶ谷も、小さく唸り座り込んでしまった。その姿を見て、店長は満足そうに笑う。
「君の考えはいいと思うアルよ。でも、焦りすぎアル。
上下のCDじゃ駄目アルか?3つは流石に多いアルよ」
「ま、まぁ……駄目ではないが」
斜め下を向いて、何かやら考え込んでいる。
真剣に飯田夏音の将来を考える阿佐ヶ谷修也の姿を見て、私も何か考えないといけない気になってきた。
「上下になった分、私も作詞にかける時間が減るんだよね。
その分、踊りや歌の練習に回せば――もっと日本一に近づくんじゃない?」
実際に考えを口にしてみて、なるほどと思う。
いつまでも、作詞に頭を悩ませていてはいけない。歌だって練習しないとソロで戦っていけないし、ダンスのキレも上げないと生き残れない。まだまだデビューに向けて、いや、日本一に向けてやることは沢山あるんだ。
「任せてよ、マネージャー。
私は日本一になる女なんだから、無理に売り上げを伸ばそうとしなくてもやってやるって」
言いきってから、我に返る。
急激に顔が熱くなった。
私――なんて恥ずかしいことを言ってしまったのだろうか。恥ずかしくて、さっさとこの場から消え失せたい。コーヒーフロートを慌てて飲み干そうとする。冷たくて――ほろ苦いコーヒーフロートでも、私の熱を冷ます役に立ってくれない。むしろ、ひんやりと身体を生き返らせるような冷たさは、私の熱さを際立たせる。あぁ、アイスの様に、この空間に溶けてしまいたい……。
「……そうだな、無理して売ろうとしなくても、お前なら売れるよな」
すると、急に阿佐ヶ谷はパンっと右手で頬を叩いた。
驚く私達をよそに、阿佐ヶ谷は叩いた頬を紅く染めながら普段通りに笑う。どうやら、自分で喝を入れ直したみたいだ。
「CDは上下に分けて売るぞ。脚本の修正は、尺を伸ばせば問題ない。
飯田は残り2つ作詞してくれ。計3つずつ歌を収録し、片方にタイアップ予定の曲を入れる。連休までに出来るか? 」
答えは決まってる。
私は最後の一滴を飲み干すと、ニンマリ笑って返した。
「出来る!」
期限は、刻一刻と迫ってきている。
なんとかするしかない。いや、なんとかなる。私が全力を尽くせば――道は開けるはずだ。
これは、「無理な」焦りではない。必然的な焦りであり、必ず乗り越えなければならない課題。
これくらい簡単に超えないと―――アイドルじゃない。