間章<神楽坂教授の悔恨と助手との出会い>
東条大学の第1講義室。夕闇が迫る中、名誉教授・神楽坂 典明は一人、誰もいない教壇に立ち、古びた原稿用紙を眺めていた。
三十年前、若き日の神楽坂は『伝統産業における市場効率化モデル』という論文を発表し、学術界で脚光を浴びた。数理経済学の最先端を走り、数式とグラフで全てが解明できると信じて疑わなかった。
しかしーーその理論に基づき『構造改革』と『効率化』が推し進められた結果、全国の多くの伝統工芸の窯元や工房は次々と廃業へと追い込まれていった。
効率を追い求めるあまり、人間が何世代にもわたって継承してきた『手の温もり』や『祈り』といった定性的価値を、彼の数式は『非合理な余剰コスト』として切り捨ててしまったのだ。
「……ワシが殺したのだ。我が理論が、職人たちの誇りを踏みにじった」
学術界の鬼と恐れられ、学術賞を総なめにした老教授の胸を蝕んでいたのは、過去の栄光ではなく、消えることのない深い『悔恨』であった。
神楽坂が企画した特別講座『現代サブカルチャーと伝統文化の融合論』は、かなり挑戦的なものであった。学術界では『アニメやキャラ文化などの現代サブカルチャー』と『千年の歴史を持つ伝統文化』を同列に論ずること自体がタブー視されていたからであった。だが、己の過去の経済理論に限界を感じていた神楽坂は、密かに新しい学問の芽を探していたのだ。
その特別講座の準備にあたり、神楽坂が直感で助手に指名したのが、まだ学部生だった東条詩織であった。彼女の持つ、伝統文化を『保存対象』としてではなく、若者や現代社会のコミュニケーションにおける『身体的装飾』として再解釈する視点……神楽坂には考えることが出来なかった視点であった。
「神楽坂先生、助手を仰せつかり光栄です。……あの、私のこの猫耳は、講義の邪魔になりませんでしょうか?」
深々とお辞儀する彼女に、神楽坂は厳格な顔のまま一言だけ返した。
「そのままでいなさい。サブカルチャーと伝統の融合を論じる場で、自らそれを体現している者が身を縮めてどうする」
彼女の目がぱっと輝いた。
それが神楽坂教授の最高傑作と謳われた東条詩織との出会いであった。




