第二十五章 【完璧だった痕跡】
夜が明けて王都の気配が動き始めた頃、アシェルは再びスノウレイ邸を訪れた。
家令に通され、昨夜も訪れた書斎の扉の前で一度足を止め、張り詰めているだろう彼女を驚かせないよう、小さくノックをした。返事はない。一拍置いて、扉を開けた。
デスクの上、灯ったままの蝋燭が静かに揺れた。
整った書類の束を横に、当主となったばかりの恋人が“仕事の途中”の体勢のまま伏せている。
起きているのか、気を失っているのかは判別がつかないが……小さく上下する細い背から、生きていることは、わかる。──それ以上のことは、何も。
そっと歩み寄れば視界に入った書類の署名に、異変を感じた。
同じ書類に二度署名されているもの。
インクが途中で切れて、筆圧だけが残っているもの。
ペンを握る形のまま、白い指が強張っているように思えて、アシェルは眉根を寄せた。
──これは、リヴィアが“完璧にやろうとした痕跡”だ。
泣いた形跡がない。
目元も腫れていない。
なのに……ここまで、壊れている。
泣けなかったのだ。
泣く前に、彼女は役割を背負ってしまった。
「守った結果が……これか」
伸ばした手は彼女の髪に触れることはなく、虚無感を握ることすらも許されず、元の位置へ落ちた。
──誰も、壊れた瞬間には、立ち会えなかった。
そして、その事実だけが、静かに残った。
第二十五章 了




