第二十四章【明日でいい】
デスクに積み重なった書類の山の合間に、星明かりに照らされた真珠色が伏せている。
「……起きている、よな」
返事はない。
呼吸は浅く、規則的とも言い切れない。
眠っているのか、それとも──……。
判断しかねて、シルヴァンはそれ以上近づかなかった。
涙の流れる音は聞こえない。
それは安堵でもあり、心配の無音でもあった。
涙を流すことばかりが、泣くことではない。
シルヴァンは、それだけを呟いた。
誰に向けた言葉かは、自分でも決めなかった。
机に伏した真珠色は動かない。
それでいい、と彼は思った。
踵を返す。
その背を振り返ることは、しなかった。
*
雪解け前の街路を、アシェルは急いでいた。
無理をしている、という報告は届いていた。
だがそれは、治癒士としてではなく、伯爵としての彼女の“働きすぎ”だという話だった。
だから――“大丈夫だ”と、どこかで思っていた。
スノウレイ邸は静まり返っていた。
夜更けだというのに、灯りは一部屋分しか落ちていない。
「……まだ、起きているのか」
家令は首を横に振った。
「いえ……ここ数日、ほとんどお休みになっておりませんので……」
その言葉に、胸が軋む。
だが、だからこそ。
起こすべきではない、と判断した。
彼女は伯爵であり、今は“治癒士のリヴィア”ではないのだから。
書斎の扉の前で、アシェルは足を止めた。
中から、物音はしない。泣き声も、呼吸の乱れも聞こえない。
──眠っている。
そう思えた。
そう思いたかった。
彼は扉に手をかけ、そして、離した。
「……明日でいい」
それは、彼女に向けた言葉ではなく、
自分に言い聞かせるための言葉だった。
守ることと、信じることは違う。
その意味を、このときの彼は、まだ正確には掴めていなかった。
アシェルが去ったあとも、書斎の灯りは、朝まで消えることがなかった。
第二十四章 了




