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8-8 王女の到着(2)

 契約に関する事務手続を終えてからはハンナに紙作り体験をやってもらう。旅装のままなので多少は汚れてもいいはずだが、一応は汚れが付かないように、洗濯済みのエプロンだけ着けてもらった。オレ達も皆同じようにエプロンを着け、材料置き場へ案内するために外に出る。ブリムが言う。


「領主館でショー殿が言った『虫が多いから長くは隠れていられない』ということの確認も含めて、このあたりでも草原の中を見ておきたいんです。紙作り体験というのは、どのくらいの時間を考えておられますか?。」

「長くも短くもできるけど、半鐘ぐらいにしよう。その間、ずっと草の中で音を立てずに隠れていられるようなら、南原でも護衛は必要ということだね。」

「ええ。半鐘か半日か、そのあたりは人によって違うでしょうけど、一応、それを確認しておきたいので。」

「季節にもよるからね。今日がどうあれ、来月も同じようなものではないから。」

「ええ。この数日、仕事を楽にできるかどうかの確認ですよ。」


 ブリムは農地の外れを目指して去っていった。オレ達は材料置き場になってしまっている長屋に入る。種類別に分けて山積みされている材料の前に立ってノルンが説明を始めた。



 工房の第二棟に戻って材料潰しの一つ前の工程、木などの材料は茹でるとか蒸すとかの説明をしているところにブリムが戻ってきた。


「今の季節は、あんなところに長くはいられません。よくわかりました。」


 ネリが答える。


「動き回ってたら我慢できそうですけど、じっとしてたら大変でしょう?。虫刺されとかは、大丈夫ですか?。」

「足がちょっと。あっちの椅子を借りて鎧を外させてもらいます。こういう時用の薬は持ってますから。」


 ブリムは部屋の隅にあった椅子に座って足の軽鎧を外し始める。エリスがブリム足洗い用に水を汲みに行き、オレ達は紙の説明に戻った。三の鐘が聞こえる。少し休もうか。



 小休止を挟み、裁断までの過程を一通り済ませると一三〇〇Mを少し回っていた。説明が最後まで終わる前にブリムは領主館へ帰っている。次は、船の見学か。ブリムが領主館に戻った後、ネリから耳打ちを受けている。「これで今日のうちにサイケツまではできる」と。今の漁師小屋は……。


『今は誰もいないわ。途中の休憩以外だと、夕方の道具の片付けまでは無人だと思う。』


 αが教えてくれた。ならば今日の大体の方針は決まった。



 工房から新池の間は少し起伏のある緩い下り坂となっている。直線ではない上に今の季節は草も伸びていて、工房のあるクボーあたりからはマーリン7は垂直尾翼の先端しか見えないが、バギーで新池に近づくにつれて徐々に船体は見え始める。ハンナの表情を見たかったが、運転中のオレはあまり後部座席を振り返るわけにもいかない。


「遠くからも見えてましたけど、あれがマコト殿の船ですか。大きいし、私が知ってる船とも違うんですね。」

「水に浮かべてあるから船で間違いはないと思ってるけど、まあ、普通の船とは違うだろうな。ええと、今日は中を案内はできないんだ。話したことがあるかもしれないけど、中には触ると危ないものも色々あってね。今日は準備だけ、中を案内するのは明日以降。もしかしたら、十一月。そんな感じになると思う。」

「準備?。どういう準備です?。」

「ショー殿とエンリは中に入ったことがある。今、エンリは船で暮らしてるし。二人ともその『準備』を済ませてからね。後で話すよ。」


 新池の少し手前、マーリン7は見えているがバギーをホバークラフトモードに切り替えて右の湿原に入り、ヤダ川の岸まで。そこでバギーはエリスに預けてオレ達は水辺を歩き始める。歩けるところから見える範囲であちこちに生け簀や罠が作られており、それらを作るのに関わっているエンリが解説してくれた。このあたりの内容は、オレも以前テンギから聞いたことがある。ネリも、最近は休日の度にこのあたりまで来ているので、全部はともかく概要は知っている。まだ池に達する前、川沿いで少し流れのあるところでエンリが網を指さす。


「泥抜きさせるための生け簀がここですよ。テンギ殿がもう何匹か入れてくれてますね。」


 覗いてみると、三×三で一匹ずつの区画に分けられた網籠二つに十八匹の大エビが入っていた。オレ、ネリ、エンリ、ハンナ、バース、ヨーサ、タタン、ドーラとゴール夫妻で十人。「いつもの応接室」の大テーブルならそれが限界だと思う。十八匹だと余るが、最近は収穫をネゲイの町中にも出し始めていると聞いたし、夕食会の心配はミナルに任せよう。


 あと、気になったのは、エンリがテンギに付ける敬称が「様」から「殿」に変わっている。あとで聞こう。このあたりは翻訳でも使い分けているはずだ。


「小エビはまとめて入れておけるんですけど、大きいのは分けておかないと、喧嘩して傷が付いたりするんです。」

「私もセバヤンで見たことはありますけど、泥抜きとか、見た憶えがないです。」

「テンギ殿に教えてもらいましたけど、海と川ではやり方もちょっと違うらしいですね。川と池でも、違ってますよ。」

「なるほど。食べるものとかもちょっと違ってるでしょうしね。場所や種類で色々変わるんですね。」


 池のそばでは所々に泥炭を掘った跡が残っており、歩く場所は気を付けなければならない。マーリン7の姿を遮る物はもうない。ハンナも改めて呟く。


「私が知ってる船と全然違う……。」


 漁師小屋に着く前にテンギ達とも会った。ハンナを紹介して互いに挨拶。テンギの弟子達は、今日はルーナがここに来ていないのもあって、一人ずつの挨拶は省略。


「マコト殿。大エビを十八匹、準備中ですよ。明後日の夕食には使えると思います。小さいヤツなら一日泥抜きでいいんですけど、大きいのはもうちょっと時間がかかります。さっき覗いてましたよね。足りますかね?。」

「見せてもらったよ。明後日だね。数は、多分大丈夫だと思う。余ったらどうするんだい?。」

「町中の適当な店に卸すか、普通の生け簀に戻しますよ。最近はヨーク以外の店からも引き合いがありましてね。いい感じですよ。王女様もこれからこちらに来られるとなると、私ももっと美味しいエビが獲れるように頑張ります。」

「頼むよ。それから大エビを準備中だって領主館のミナル殿にも伝えてある。様子はさっき見せてもらったけど、数とかの話を、今日の夕方にでもミナル殿に言っておいて欲しい。」

「わかりました。ミナル殿ですね。あの方に言っておけば、まあ領主館の中はうまく回りますからね。」



 バギーを降りてから何もしなければ十五分もかからない距離だったが、途中で見えたものの解説などを挟んだので、漁師小屋に着くまでには三十分ほどかかった。小屋の前にはもうエリスが待っている。バギーの荷台には採血用の器具を積んだコンテナも載せられていた。


「さっきの船に入るための『準備』のことだけど、そこの小屋で話そう。」



 血液を採取するという話を聞いて、ハンナはそれほど驚かなかった。


「小さい頃にオーキョー様から聞いたことがあります。血でも唾でも、人の体から出てきたものを詳しく調べたら、その人が元気か病気かわかるって。マコト殿はその方法を知っているということですか?。」

「オーキョー様って、モルのジェーン・ドゥ・オーキョー様?。」

「そうですよ。」

「あの方なら、細かいところは別として、大筋は知ってるだろうね。私も『大筋のところは』ってぐらいだな。本当に細かなところになると、エリス達が知ってる。私も、一目見て全部わかるというわけでもないよ。」

「どうやるんです?。」

「心配するのはわかる。見本を見せるよ。エンリもショー殿も、問題なかった。」


 オレは右腕をテーブルに乗せる。今回は「左腕外し」は省略した。話の流れというか、血液検査の意味をハンナが知っていたから説明する必要性が薄れたというのもある。エリスがオレの右肘の内側を探って血管の位置を確認し、アルコールで拭いて注射針を刺す。十秒ほどで試験管は満たされ、エリスは注射針を抜いた。


「こんな感じだよ。抜いた血は、船の中にある道具で調べる。」

「痛くはないですか?。」

「ショー殿はどうだった?。」

「どうなるかと緊張してましたけど、『え?、こんなもの?』って思いましたよ。エンリは?。」

「そうですね。魚の罠とかと扱ってて、トゲが刺さったときの方がよっぽど痛いです。ああ、トゲといえば、今日はエリスさんがいますけど、エリスさん達の誰でも、そういう小傷を治すのがとても上手いですよ。私を含めてテンギ殿と魚組は、何度もトゲ抜きをやってもらってます。あれがきれいに取れた時って、安心しますよねえ。」


 エリス達がそんな小技で漁業組と付き合ってるとは、オレも知らなかった。コストもかかっていないし、感謝されているなら、それでいい。


 ネリ達の言葉を聞いたハンナも安心したようだ。右腕をテーブルの上に出す。エリスが聞いた。


「普段、字を書いたりするのは右ですよね?。」

「ええ。」

「じゃあ、慣れない人は左の方がいいですよ。滅多にないですけど、後で腫れたりする人がいますから。」

「大丈夫ですか?。」

「滅多にないですけどね。」


 ハンナは改めて左腕を出す。エンリは目視で血管の位置を確認して指を当てる。小ニムエ達の場合、ここで超音波を使って血管の深さなどの情報も得ている。さっきエンリが話したトゲの時も同じだ。体内の構造がリアルタイムでわかっているからこそ、表皮近くで針を扱うことで間違いが起きる確率は小さい。


 ハンナの採血を終えて、エリスはマーリン7に戻った。漁師小屋には軽食とお茶のセットが残されている。今朝ネリが話してくれた「好きな食べ物は」とかの話題に全然辿り着いていない。しばらく、そういう話のための時間だな。女子トークに、オレは邪魔かもしれない。最初の十五分ぐらいは同席して、適当な理由を付けて席を外そう。




 ヨール王二三年八月十一日(土)。


 昨日の女子トークで、今日の午前中は「ネゲイにおける漁業視察を行う」ということになったらしい。「好きな食べ物は?」から始まって女子三人で盛り上がり、そのうちにエンリのよく知るエビ関連の話になったが、それなら罠の説明を、とかの話になった頃には領主館に戻るべき時刻になってしまっていた。今日は二の鐘でアン、エンリと一緒に領主館に着く。南東からの風。前にαから聞いていた台風も近づいていて空は曇っている。もっと広域で地上観測点を増やして衛星から見た雲の量との相関を分析することができれば、コース予想もしやすいのだが、それを可能にしようとすれば十年仕事だ。海上用の気象観測ブイだけでも先行するか?。だがそんな時間は中々作りにくい。


 昨日のうちに、テンギ達は今日は休みにすると聞いている。オレが頼んだ大エビの出荷が日曜になるので、休日を振り替えるとのこと。日曜には付け合わせで小エビも出したいということだが、小エビを泥抜き用の生け簀に移す作業はエンリに任された。大エビと同時でないのは、体の大きさによって泥抜きにかかる時間が違うからだ。小エビを大エビと同じ期間で泥抜きをすると、身が痩せてしまう。日程を聞かされたハンナも「やってみたいです」などと言っていたので、この作業はエンリとハンナがやることになるのだろう。


 昨日のうちにブリムの報告で「南原近辺では今の時期に襲撃者が潜めるような場所はない」とされていたので、ハンナを連れて工房から新池のあたりを動き回るのに護衛は付かないことになった。午前中のハンナは新池に来ることになったので、その間のブリム達護衛二人と侍女のドリーは、市内の店を回ってネゲイで買える物、カースンから運ばないといけない物などを確認するという。誰もが空模様を気にしており、徒歩組は領主館から離れた場所には行きたくないようだ。


 バギーが新池に戻る頃には小雨が降り始めていた。エンリが言う。


「先に小エビを泥抜き用の生け簀に移してしまいましょう。その後、天気次第ですけどできる範囲で改めて説明しますよ。」


 エンリは漁師小屋から必要な道具を出す。手網と普通の桶、それからオレが作った桶型の水中メガネだ。底板に透過アルミニウムを使った水中メガネを見たハンナは大喜びで近くの水中を覗き込んだ。


「これ、初めて見ました。面白いですね。」

「マコトが作ってくれたんですよ。『水中メガネ』です。」


 エンリが答える。「様」が外れているのは昨日エンリに頼んだからだ。「テンギ様」が「テンギ殿」に変わったのはテンギから「結婚したならそろそろ『様』はやめてくれないか」と頼まれたからなのだと。それなら、オレも少々こそばゆかった「様」は外してくれと言ったのだ。


「マコト殿、これはセバヤン、いえ、海辺のあちこち、川でも、魚の関係の仕事をする人みんな欲しがりますよ。」

「そうだろうとは思うけど、ガラスは高いからね。材料さえあれば何処の木工職人でも作れるだろうけど、安くするのは難しいよね。」

「これはガラスじゃないみたいですけど?。」


 ハンナは底板の透過アルミニウムを触りながら聞く。


「それは私の手持ちで作ったんだ。ガラスじゃないけど、作るのはガラスよりもっと難しい。ガラスも、私も作り方は知ってるけど、忙しくてまだ自分で作ることはできてないんだ。」

「私がマコト殿のコビンになる前に、一度セバヤンにも行っておきたいって、前におっしゃってましたよね。もう、行かれました?。」

「時間がなくて、まだだよ。紹介状は大事に置いてある。セバヤンに行く時のお土産の話かな?。」

「そうですよ。これを幾つか用意しておけば、絶対に喜ばれます。」

「わかったよ。セバヤンに行く時には幾つか追加を用意しよう。時期はまだ決めてないけどね。」

「それなら、フショップにも話をします。紙工房をセバヤンにも作って、九月一日のカースンみたいな使い方を教える話があれば、セバヤンに来るのも、私の母の家以外にの用件があれば動きやすいでしょう?。できれば十月の終わりまでに。」

「なるほどね。材料に都合があるから水中メガネの量産はなかなかやりにくいけど、セバヤンに行く時期はそれで決められそうだね。お土産に、六組ほどでも用意しておこうかな。」

「ええ。これからセバヤンだけでなく、海の近くに行く用事があれば、これは喜ばれます。ああ、私もガラスが高いのは知ってましたけど、安く作ることとか、商務の人間として色々考え始めてしまいました。」

「そういう話は工務も関係してくるんだろう?。『木』担当のフショップじゃあないと思うけど。」

「そうですね。ええと、工務と話をするために、見本を一つ欲しいですね。」

「また仕事が増えそうな話だな。でも単価は、今のところガラスの値段次第で下げるのは難しいよ。」

「さっき『ガラス作り方は知ってる』ってことでしたよね。ガラスは、今はモルでほぼ独占です。モル以外でも作り始めたら安くなると思いませんか?。」


 これは、少しだけ気を付けるべき質問。


「モルは、バース様の正妻のヨーサ様の故郷で、今の宰相殿もモルの生まれで、そんなことを考えたら、モルと競争になるようなことはちょっと考えてしまうね。私の手も回らないところでもっと仕事を増やすしね。」

「そうですか。でもガラスが手に入りにくいなら、また『知恵の価格』として、ガラスじゃなくて、この『水中メガネ』の作り方だけを紙と同じように契約すれば、マコト殿の収入になりますよ。カースンに帰ってからになりますけど、工務省と話をしましょうか?。」

「そのくらいならいいかな。その件、任せてもいいけど、契約には私の署名とかも必要かな?。」

「委任状を頂ければ代行します。コビンの予定者ですしね。」

「わかったよ。遅くとも、私も九月一日にはカースンに行くつもりだったから、バース様に一応方針は伝えてからになるけど、ハンナ殿がネゲイに滞在している間に委任状も用意するし、カースンに行った時に途中経過も聞かせてもらおうか。」

「わかりました。そういう流れで進めますね。セバヤンにお土産として持って行くのは、少なくともその契約ができあがった後で、ということにして下さい。」


 ハンナは今の話を自分の蠟板に書き始めた。


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