二.白い意思
「だれだ」
「私はムクアートの使い魔。カシュマル」
「しゃべれるのか。っていうか、どこにいた?」
「しゃべることはできない。君たちの心に直接語りかけている。私はずっとそこの窓辺にいた。寝ていたのだ。気がつかなかったか?」
バルコニーの手前の窓だろうか。気がつかなかった、というよりバスタオルなどの洗濯物の山があるのだと勘違いしていた。
「カシュー、──────」
ムックが何か言う。それを聞いたカシュマルは「君にとってムクアートがムックであるように、私のことはカシューと呼んでもよい。カシュマル、カシュー、どちらでも呼びやすいほうを選べ」と語った。
使い魔のカシュマルはムックの隣に座る。座るとムックの座高よりも背丈がある立派な白狼だった。心に語りかけられることは胸の内から声が聞こえるような違和があり、慣れるまで時間がかかりそうだ。
「カシューと呼ばせてもらうよ。俺は北だ。よろしく」
「うむ。それにしても臭いな。たまらん」
「ああ……。ちょっとボヤがあって」
焦げてしまった机を折りたたみ、壁に立てかけた後、元の場所には机代わりのダンボール箱を置いた。机の面積が減った分、部屋が広くなったように感じる。俺とムックは段ボール箱をはさんで向かい合わせに、カシューはムックの隣にそれぞれ腰をおろした。携帯端末はカバンに仕舞った。どろどらに焼け焦げたからどうしようと考える心の余裕はない。
「神の導きによりこの魂は姿形をもって顕現した」
「カシューたちの世界では死ぬと動物になって蘇るということ?」
「必ずしもそうではない。正確な基準は神のみぞ知る。北の世界では蘇ることはないのか」少しの間を置いて、カシューは続ける。「しばしば、働き者ほど長生きが許されると噂されている」カシューはそう語り終えると何がおかしいのか鼻で笑った。
「ムックの使い魔になったのはいつ頃のことだ?」
「いつ……。過ぎゆく日々を数えたことはない。ムクアートが今よりも幼い頃にしかるべき場所でしかるべき契約を交わし、それ以来使い魔としてムクアートのそばにいる」
期間についてあいまいなのは文化の違いだろうか。
「ところで、カシュー。ムックに伝言をお願いしたい」
「うむ」
「俺はムックの付き添いになりたい。そのことを伝えて欲しい」
「付き添いだと? ムクアートには両親がいる。使い魔の私もいる。付き添いなど不要と思うが」と、ばっさり切ってから、カシューは続ける。「北にも家族や友人がいるだろう。それらを置き去りにしてムクアートのもとに行くのか。それとも我々がここにいる間だけの話をしているのか。どちらだ?」
俺は言葉に詰まった。
ムックはいつか帰ってしまう。そんなこと全く考えていなかった。
「北はムクアートの付き添いになりたいそうだ」
カシューがムックに語り掛けるのが俺にも聞こえる。それを聞いたムックはあごに手を当てて何か思いふけっている。
「カシュー。ムックは……いつまでここにいる?」
「さて、長居するつもりはない。しかし正確な日取りをムクアートは決めていない。目的を果たすまで──」
「そうだ、それが訊きたかった。ここに来た目的は何だ? 俺は力になりたい」
「それはまず君に死んでもらうことだ」
カシューは俺の目を真っすぐに見据え、言い放った。
「しかし、君に関してはもうその必要はない。君は一度死に、ムクアートのフォルテュナによって復活を果たした。つい先刻のことだ」
ムックがぴくりと反応したのを見逃さなかった。
「ありがとう、北。ムクアートに代わって礼を言わせてもらう」
「俺が死んだ? 復活した?」
「そうだ。今朝、君は死に、復活した」
「カシューのように俺の魂は顕現したのか?」
「違う。君が死んだとき、君の魂はまだ君の体の中にいた。難しく考える必要はない。単純に致命傷を負った体を治したと述べているのだ。その最中に君は一旦絶命した」
「怪我して死んだ俺を治してくれたのか」
「ムクアートのフォルテュナによって」
ムックはばつの悪そうな顔をして、目を合わせようとしなかった。
「なぜ──」
「私が殺した」
カシューはそう語りかけた。まるで俺とムックを説き伏せるように。
口が渇き切っていることに気付き、お茶をくみに立った。ムックの分も注ぎ、カシューの分は皿にお茶をはった。牛乳のほうがよいだろうかとも思ったが、中身は人間だ。
自分を殺した相手にお茶をくむ気分は妙だ。治すことが前提でもそれでチャラになるかと言うと悩ましい。記憶にない話だからか掴みどころがなくて気持ちの収まりが悪かった。
「ありがとう。ムクアートに代わって礼を言わせてもらう」
「目的を達成したってことは、もう帰ってしまうんだな」
カシューは「目的は果たせたか?」と隣に問いかける。訊ねられたムックは、何度か言葉に詰まりながらも意思を紡いでゆく。
「フォルテュナの錬度が足りない。死人がもう何体か必要だ」
ムックがそう言ったのか、にわかにも信じがたかった。それに俺がいま生きていることがまぐれであるかのような言い方だ。
「単刀直入に訊こう。ここにそれはあるか?」
「そんなものあるはずない」
「では、入手手段はあるか? 闘技場、処刑場、病院、そこらの悪党衆」
現実的ではない話だ。取り返しのつかない騒ぎになる。
「どうだ? 殺すことにしても十割の死ではない」
誰かに対して死んでしまえばいいのにと思うことは時々あるが、それは殺していい理由には結びつかない。単純に罪を判断基準にしてしまうとその瞬間だれもが万死に値してしまうような気がする。
カシューはムックの目を見る。
「北では駄目か?」という問いに、ムックは首を横にふって答える。
「君の死に姿はもう見たくない。それがムクアートの意思だ」
「ああ。俺も死にたくない」
「ずいぶんとやりづらい場所に来てしまったな、ムクアート」
カシューは鼻で笑い、そう語った。
すると、ムックが何かを口ずさむ。それをカシューが語る。
「北、気にすることはない。我々同様、ありふれた世界だ」
馬鹿みたいだ。俺は何も知らずに付き添いになりたいなんて決意した。死体を準備することも人を殺すこともできない。その意思がないというのに。
ムックを手助けすることができそうにない。
「目的を果たせないと、ムックはどうなる?」
「厳しい世界だ、とだけ述べておこう」
「どうなるか教えて欲しい」
選ばれた、なんて浮かれていたけれど蓋を開ければ役立たずな俺だ。
「出来る範囲でだけど……、少しでも力になりたいんだ」
「その前になぜそこまで献身的でいようとするのか、述べることだ」
「そういう性格だからだ。困っている人を助けることに理由はない」
「意思の捩れを感じる。私が君の心と会話していることを忘れるな」
カシューは心を読むのではなく、心の旋律かイメージのようなものを見聞きしているのだろう。
「ふん。何か裏があるのか。何を企んでいる?」
「ない。ただムックを笑顔にしてあげたい」
「なぜだ?」
「ムックがいれば、それだけで人生が百点満点な気がするからだ」
言葉がちぐはぐで、聞かれたことに対する答えにすらならなかったことは自分でも分かる。でも、心に素直に言い切った。そうしたらこうなった。出来の悪い炊飯器が吹きこぼれを起こしたみたいに、ずっと喉元に詰まっていた感情が無秩序にあふれてきた。
「君の言いたいことは分かった。だが、その言葉を私は伝えない」
「話し相手がカシューで良かったよ。でも、なぜ?」
「伝わらないからだ。大切なことは自分で伝えることだ」
「……。それで、教えてくれるのか?」
「うむ、後でな。それから付き添いの件も、ムクアートと折りあいをつけてみよう。しかし、その前に私も自身の心と折りあいをつける必要がありそうだ。少しばかり外を散歩したい」
ムックが頷くと、カシューは腰をあげた。
「本来ならば、すぐにでもこの世界を後にし、別の場所へ向かうべきだが、君がそう言うのでな。そしてムクアートも……」とだけ言い残し、部屋を出て行った。




