主と執事
今日もいい天気だな。
お客さんの入りも期待できそうだ。
開店と同時に、さっそく来た!
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声かけと営業スマイル。
「失礼いたします」
冷徹な声の返事がきた。
客は二人。
執事の二人連れに見えるが。
主人と執事だな。
一人が扉を開けたりしてエスコートしていたことからもわかる。
しかし、はっきりはしないのでとりあえず。
二人の顔を伺いながら聞いてみよう。
「どのような服をお求めでしょうか?」
「貴族の服を求めに参りました」
対応したのはエスコートしていた男性。
やはり執事さんのようだ。
こちらもかしこまった対応をしよう。
「もちろん、貴族様の服もございます」
最高に自信に満ちた営業スマイル。
しかし、疑問が湧いてきて真顔になってしまった。
貴族が町の服屋に?
我が店は貴族の服もあるし力も入れている。
最近は貴族の客もちらほら来るから噂を聞いたのだろうか?
一応聞いておこう。
「貴族街にも店はありますが、こちらでお求めになりますか」
別の服屋はライバル店でもあるが。
貴族街の服屋は服飾ギルドマスターの店。
おすすめしてあげたい仲間の店であり名店だ。
「貴族街の店は存じております」
執事さんは冷徹に答えた。
「しかしながら、こちらの店も貴族の服を取り扱っており大変品揃えがいいとの評判を聞き及びまして参りました」
フククッ、やはり。
我が店も貴族様に知られるようになったか。
「ありがとうございます。お聞き及びの通りでございます。それに加えて当店の服作りを担当している仕立て屋は貴族街の店のオーナーにして仕立て屋の弟子でございまして。師匠に認められた腕で仕立てた最高の服をご用意しております」
執事さんは感心した様子だ。
「価格はいくらでも構いません。伯爵家の新たな当主となられた主に相応しい服をお願いいたします」
執事さんが片手で示した先の、
「よろしく頼みます」
主は困ったような笑顔を浮かべている。
居心地が悪そうだ。
我が店のせいという訳では無いようだ。
執事さんも主の落ち着きの無さに気づいた。
「こちらの店に来た理由は、他の貴族に姿を見られないようにしたいとの主の申しつけでもありまして」
その気持ちわかるとうなずいておこう。
主は執事の説明に反応して自分の服装を気にしている。
早く着替えたいのだろうか。
「お前の服を新しくしよう」
予想に反して主は執事に笑いかけた。
「いいえ、主の服を新調なさってください」
執事はきっぱりと答えた。
もめているようだ。
「新しく服をお求めの理由というのは」
思わず聞いていた。
「見ての通りです」
主が苦笑いをみせた。
私は自然と服装チェックをしていた。
主と執事
なんだか同じような服装をしているように見える。
二人ともテール (尾)といわれる特徴的な裾のコートを着ているのが原因だ。
左が主でモーニングコート。
右が執事でテールコート (燕尾服)。
デザインには違いがある。
モーニングコートは前裾が斜め。
テールコートは前裾が直角。
ネクタイと蝶ネクタイ (ボウタイ)、ベストの違いもあるが。
コートの前立てにあるラペル (襟)は剣襟という同じ形。
胸ポケットから出ている装飾用の布、ポケットチーフがあるのも同じ。
執事がはめている手袋は礼装手袋、フォーマルグローブ。主がはめてなくてよかった。
今でも充分見分けにくいから。
執事さん達かと思う。
執事の着る服の名前は執事服、バトラーユニフォーム。
仕える家の紋章入りだったりオリジナルデザインの制服の場合、リバリー (リヴァリー)ともいう。
主と執事? 同じような服着て仲がよろしいんですねといった印象だ。
仲は悪くなさそうだが、主は困惑している様子だ。
「主様と執事さんのコートのデザインが被ってしまっていますね」
私の指摘に主は、
「そうなんです。どちらが執事かわからないでしょう?」
ハハハと苦笑いして執事を見たが。
執事は冷徹な顔で微動だにもしない。
私の解説を続けよう。
「ある国では、主様の服装は昼の正装で執事さんの服装は夜の正装となっていまして、どちらも一番格式が高い服装です」
「執事が私と同じ格の服装を?」
主は驚愕して執事を見たが。
執事は冷静な顔で微動だにしない。
しかし、口を開いた。
「ある国では一番格式高い服装ということですが。すなわち私は主の前で一番の正装をしているということです。主への敬意のあらわれなのです」
言い終えると一礼した。
「こう言って聞かないんです」
主は助けを求めるように私に訴えてきた。
「これが執事の礼装ですとか、制服ですとか、規定の服装ですとか。理由はいいから、とにかく服のデザインが被ってるから着替えろと言うのに」
二人の後ろ姿
裾の長さがちょっと違う。
どちらが執事? と聞かれたら髪型で右と判断する。
どちらも執事と言われたら左の人、髪型それでいいの?となる。
どちらも貴族と言われたら、そうですかとなる。
「被ってるでしょう!?」
主は必死に訴えてくる。
胸に手を当てて、前のめりになった姿は。
一礼している執事にも見えてくる。
「他のことは私の言う通りにしてくれるのですが服となると抵抗するんです!」
「執事さんのお気持ち大変よくわかります」
「えっ!?」
私の思わぬ返答に主はショックを受けたようだ。
自分の味方をしてくれると思ったのだろう。
「私の味方をしてくれると思いましたが、まさか執事の気持ちがわかるとは……」
やはり。
残念ですが私は服へのこだわりは譲れない派。
悲しきモンスターなのですよ。
執事さんと同じようにね。いや、執事さんの服へのこだわりにはもっと深い理由がある。
「主様、お聞きください」
服の説明をして主の説得に入ろう。
「執事さんが着ていらっしゃる服は "執事服" として広く定着しております。この服装で執事と判断する人もいるくらいで、判断材料である特徴的な裾、ツバメという鳥の尾羽のようなデザインの "燕尾服 "は執事のアイデンティティにさえなっているのですよ」
主は執事を確認するように横目に見た。
執事は主を見据えて首肯した。
「へぇ」
納得しかけているようだ。
「主様が着ていらっしゃる服にそのような必要性はございますか? 御自身が他の服に着替えられない理由、お家の格式に関わるなどや、御自身を見分けるためや、こだわりのようなものは?」
「いや、特に」
主はちょっと考えたが、
「ないね」
きっぱり言い切った。
「それでは、主様が別デザインの新しい服をお求めになるということになさってはいかがですか?」
主は執事に顔を向けた。
執事も主に顔を向けた。
二人は見つめあい、無言のやりとりをしているようだ。
やがて、主は顔をこちらに向けた。
「わかった、そうしよう」
笑顔をみせてくれた。
「主への敬意のあらわれ、執事と見分けるための服装、執事のアイデンティティ、執事の着てる燕尾服にそんな風に色々理由があるなら仕方ないね」
主は肩をすくめた。
「私が着替えるよ」
宣言を受けた執事は一礼した。
「ありがとうございます」
よかったですね、執事さん。
服へのこだわりを貫き通した時の達成感と爽快感は格別だ。
「では、主のための新しい服をお願いいたします」
執事さんの真摯な瞳に答えよう。
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
貴族服コーナーへご案内。
「これなどいかがでしょうか? 金糸の刺繍の縁飾りが美しく格式の高さをあらわしています。貴族様方に人気のコートです」
私の勧めたコートを主は気に入ったようだ。
試着してみるとサイズもぴったり。
「これにしよう。執事の隣に並んでも違いは明確だ」
新しいコートを着た主
コートの裾は直角。縁を金布で縁取り (パイピング)してあり黒一色の執事服との明確な違いをみせている。
ラペルとカフ (カフス、袖口)と裾には金糸刺繍の縁飾り。ガルーンともいう。金の縁取りと金糸刺繍の縁飾りのある黒いコート、ゴールドパイピングとガルーンのブラックコート。
説明を省いた簡単な名前はデコラティブコート (装飾されたコート)だ。もっと短い名前はアビ (フランス語で装飾された貴族のコート)だ。
コートとセットのシャツとベストとトラウザーズ。
ビジュー (宝石)ブローチをつけたジャボ、ひらひらが豪華さを演出している。
エナメルの革靴。留め具のないスリップオンなのでローファーともいう。
説明を省いた簡単な名前はスーツ、スリーピース。
貴族に相応しい装いだ。
執事さんも微笑んでいるようだ。
ジャボをしまった状態
落ち着いたエレガントさになる。
ジャボの代わりにラペルの豪華な刺繍が見えるが。
せっかくのジャボの豪華なひらひらが見えずもったいないともいえる。
落ち着いた席や食事の席ではこのようにしまっておき普段はひらひらを出しておくといいだろう。
これと同じ見た目の胸飾りにアスコットタイがある。ネクタイのようなもので出すようなひらひらはない。常に落ち着いているエレガントな貴族向けだ。
「お似合いです、お客様」
「お似合いでございます。主」
主は満足そうに笑った。
「ありがとう。これで堂々と執事の主として伯爵家の当主として振る舞えるよ」
さっきまでは執事っぽいの気にして落ち着きをなくしていたからな。
最初の服装は貴族なのか執事なのかもはっきりせず、ぼやっとした印象だったが着替えてからは人目で貴族とわかるようになった。
やはり服装は大事だなと再確認する瞬間だ。
主はこれで堂々と貴族街の服屋にも行けるはず。
我が店への勧誘を忘れずにしておかねば。
「ようございました。主様の新しいコーディネートのお手伝いができて光栄でございます。また新調の際はご要望ください」
「うん、これからも頼むよ」
フクフクフクッ、上客をゲットできた。
「またお越しください、ありがとうございました」
見送りの声が弾むのを抑えるのが大変だった。
売り上げと名声のために上客を得ただけでなく。
お客さんの服の悩みを解決できたことに。
大きな喜びと満足感を抱く。
これだから服屋は楽しい、やりがいというものか。
補足と感想です。
本編の燕尾服の紹介文で「執事の服は燕尾服をイメージされることが多いので主人の服は燕尾服と書かないほうがいいかもしれない」という注意書きをしていまして自分が気になり検証してみました。
主と執事が燕尾服を着ていたらどうなるかでした。
似たような服装だと仲良しに見えるので絆の深さを見せるのにはいいかもしれませんね。
モーニングコートを着る時は現代ではストライプのあるコールパンツというのを穿くのですがコートの検証をわかりやすくするためとファンタジーでは普通の黒が多いので黒にしました。
本来のテールコートのラペルは拝絹という光沢のあるシルク生地です。夜用のコートなのでランプなどの明かりに照らされたラペルがスポットライトのようになり顔を美しく見せるだそうです。
裾の形もテールコートのほうがもっと燕っぽいです。
画像検索してみるとあまり違いがないのもあります。
モーニングコートは燕尾服の仲間で正確には燕尾服とは呼ばないそうですが一般的には燕尾服と呼ばれています。
理由はテールコートと似ていて混同しているからです。燕尾服という名前で覚えてごっちゃになっている人も多いかもしれません。私のように。
モーニングコートもテールコートも執事服になっているので、さらにどちらも燕尾服と混同しやすいですね。
特に小説のように執事服や燕尾服と名前で服装を描写するとモーニングコートを思い浮かべるかテールコートを思い浮かべるかは読む人次第になります。混同を避けるには主と執事の服装の違いを店主が解説したように説明を加えるしかないですね。
色々書きましたがファンタジーでは現代の正確な違いなど正直どうでもいいというか関係ないことでしょうし (デザインは個性を出すためにもっと細かく違いますし)主と執事のように似てるのを逆手に取って遊ぶくらいにして気にせず楽しみたいですね。
執事が燕尾服を着る理由は色々ありますが特に日本では執事=燕尾服が昔から根付いているそうです。
主と執事のコートの違いはわかりづらかったですがジャボのひらひらを出している状態としまっている状態はかなり違いますね。出している状態を文章で描写するならやはり、ひらひらという表現が肝心ですね。
エスコートは女性以外にも使えるかわからず調べたところ、エスコートは付き添い、案内、護衛のことで女性にだけでなく誰に対しても行うことで使える言葉とのことです。
中世では清潔で白い布が貴重なので白いハンカチーフを高貴な身分の証の装飾品として貴族達が持っていたそうです。それを胸ポケット (ブレストポケットともいう、男性のジャケットの胸ポケットの名前。女性の胸ポケットはチェストポケット))の装飾ポケットチーフにしたのが19世紀頃だそうです。
ポケットチーフは装飾なのでハンカチとして使うのはNGでハンカチを別に持っておきます。ポケットチーフをハンカチとして使うのは女性の涙を拭くとか紳士らしい行動の時にだけOKだそうです。
貴族もマナーが色々あり大変ですね。




