「私、ぬいぐるみしか愛せませんので」そう突き放した王子様が等身大の極上着ぐるみで求婚してきました!
「ああ、最高」
徹夜明けの朝日が差し込む作業部屋で、私は完成したばかりの等身大ウサギに顔をうずめ、思い切り深く息を吸い込んだ。
お日様の匂いとほんのり甘い魔法薬の香りが鼻腔を満たしていく。
錬金魔法で徹底的にトリートメントした魔羊の毛は、とろけるような滑らかさで頬に吸い付いてくる。
たまらず両腕でぎゅっと抱きしめると、中に詰めた最高品質のスライムゼリーが、絶妙な反発力で私を押し返してきた。
「素晴らしい。この弾力、この手触り。私の技術はついに神の領域に達してしまった」
私はウサギの腹部に顔を埋めたまま机に突っ伏し、恍惚の吐息を漏らした。
◇ ◇ ◇
前世の記憶を取り戻した私が最初に絶望したのは、この剣と魔法のファンタジー世界にモフモフの概念が存在しないことだった。
魔物討伐や領地開拓が最優先されるルセリア王国では、実用性のない可愛いものは無駄と切り捨てられてしまう。
現代日本でブラック企業に勤め、帰宅後にベッドいっぱいのぬいぐるみにダイブすることだけを生きがいにしていた私にとって、それは文字通り死活問題だった。
無いなら作るしかない。
布切れ一枚から始まった私のぬいぐるみ作りは、異世界の魔法素材と合わさることで思わぬ進化を遂げた。
◇ ◇ ◇
「いらっしゃいませ。そちらのルーンベアは抱きしめると微弱な睡眠魔法が発動するので、不眠症の方にもおすすめですよ」
王都のメインストリートに開いた私のお店は、今や連日大盛況だ。
最初は子供向けの玩具として売り出したものの、過酷な激務に疲弊した騎士や、癒やしを求める貴族たちが次々とその魔力に囚われていった。
店内に所狭しと並べられた大小様々なぬいぐるみたちは、すべて私の愛の結晶だ。
ああ、なんて素晴らしい世界なのだろう。
前世のような人間関係のストレスもなく、ただひたすらに可愛い我が子たちを生み出し、それに囲まれて暮らす毎日。
誰かに心を乱されるような、人間の恋愛なんて面倒なものはもう一生必要ない。
私にはこのモフモフたちさえいれば、それだけで人生は完璧なのだから。
そう固く信じて疑わなかった私の平和な日常は、ある日突然、王都で一番面倒で、一番高貴な人物の来店によって大きく狂い始めることになる。
◇ ◇ ◇
カランコロンと、来客を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
顔を上げた私は、店に入ってきた青年に一瞬だけ目を奪われた。
誤解しないでほしい。決して彼の容姿に惹かれたわけではない。彼が纏う隠蔽魔法の質があまりにも高かったからだ。
目深に被ったマントのフード。しかし、その隙間からこぼれ落ちる金糸のような髪と、隠しきれない圧倒的なオーラは只者ではない。
お忍びの高位貴族だろうか。私はあくまで普通の客として声をかけた。
「何かお探しですか」
青年は店内に所狭しと並ぶ我が子たちを珍しそうに見回し、やがて一体の大きな猫のぬいぐるみの前で足を止めた。
「これは、どうしてこんなに柔らかいのだ。中に何が詰まっている」
フードの奥から響いたのは、耳に心地よい低い声だった。しかし、その響きにはどこか深い疲労が滲んでいるように聞こえた。
「お客様、お目が高い」
私はカウンターから身を乗り出した。
「それは幻影猫の毛皮を特殊な魔法でなめし、中には最高品質のブルースライムの特製ゼリーを詰めているんです。抱きしめれば指先がとろけて吸い込まれるような、極上のフィット感が味わえますよ。ほら、この肉球のぷにぷに感なんて、一度触れたら二度と元の世界には戻れません」
つい熱が入ってしまい、我が子の魅力を全力でプレゼンしてしまう。
青年はぬいぐるみを撫でる私の手元と顔を交互に見つめた。打算も嘘もない私の熱量に当てられたのか、彼は微かに目を見開き、やがて眩しいものでも見るように目を細めた。
「なるほど。君は本当に、これらを愛しているのだな」
「はい。私の命そのものですから」
胸を張って答えると、彼は憑き物が落ちたように短く笑い、その日は猫のぬいぐるみを買って帰っていった。
◇ ◇ ◇
数日後。
「ユーリア。君に折り入って話がある」
店に現れたその人物を見て、常連客たちが次々と悲鳴を上げて道を開けた。
先日の彼だ。しかし今日は隠蔽魔法もマントもなく、輝くような白銀の軍服を纏っている。
ルセリア王国第一王子、レオンハルト殿下その人だった。
「殿下がなぜ、このような庶民の店に」
「あの日から、君の純粋な笑顔と情熱が頭から離れないのだ」
周囲の客たちが息を呑む中、レオンハルト殿下は私の前に跪き、恭しく私の手を取った。
「私の妃となってほしい。君が望むなら、この国の富も、最高の素材も、すべて君のものにしよう。君を一生愛し抜くと誓う」
まるで劇画のような、完璧な王子様からの情熱的なプロポーズ。
普通の令嬢なら嬉しさのあまり卒倒するだろう。しかし、私の心には一ミリのさざ波すら立たなかった。
「申し訳ありません、レオンハルト殿下」
私は殿下の手から自分の手をすっと引き抜き、営業スマイルを浮かべて答えた。
「私、ぬいぐるみしか愛せませんので」
「……は?」
完璧な王子様が、初めて間の抜けた声を漏らした。
「富も名誉も結構です。私に必要なのは、極上のモフモフと最高の布地、そしてそれらを心ゆくまで愛でる時間だけです。人間の男性には一切の興味がございません」
「嘘だろう。私のこの顔を見て、何も感じないのか」
「はい、まったく。それより殿下、足元の新作ウサギさんを踏まないでいただけますか」
私は淡々と言い放ち、足元に陳列していたぬいぐるみをそっと抱き上げた。
そして、軍靴の風圧で乱れたであろうウサギの毛並みを、我が子を慈しむように丁寧に整える。
殿下は信じられないものを見るように私と、そして私が抱きしめるウサギを交互に見比べた。その瞳の奥で、類まれなる頭脳が敗因を必死に分析しているのがわかる。
「その……布の塊と私とで、私が劣っているというのか」
「布の塊とは失礼な。この子には至高の触り心地という確かな価値があります」
「……触り心地、だと」
殿下は微かに呟き、ぎゅっと拳を握りしめた。
「だが、私は諦めないぞ。必ず君を振り向かせてみせる」
燃え上がるような瞳で見つめてくる殿下を背に、私はウサギさんの毛並みを整える作業に戻った。
負けず嫌いな王子様の心に、間違った方向に火をつけてしまったことに気づかないまま。
◇ ◇ ◇
店先に巨大な影が落ちた。
見上げると、そこには見上げるほど巨大な茶色いクマのぬいぐるみが立っていた。
いや、ただのクマではない。その背には王家の紋章が金糸で刺繍された、純白のマントが羽織られている。
「いらっしゃいませ」
私は職人としての驚きを隠しつつ声をかけた。しかし、クマは無言のまま、マントを翻してのっしのっしと店内へ足を踏み入れてくる。
その見事な毛並みと、絶妙な丸みを帯びたフォルム。職人としての私の血が、かつてないほど激しく騒いだ。
「素晴らしい毛並みですね。この世のものとは思えない。どなたの作品ですか」
私が尋ねると、クマの口元あたりからくぐもった、しかし聞き覚えのある低い声が響いた。
「私の専属の王宮魔道士と錬金術師に命じて作らせた」
「レオンハルト殿下ですか!?」
「いかにも」
クマの着ぐるみが胸を張るような仕草をした。
「一体何をされているのですか」
「君がぬいぐるみしか愛せないと言うのなら、私がぬいぐるみになればいいという結論に至ったのだ」
「……極端すぎませんか」
私は呆れ返った。しかし、私の視線はどうしてもそのクマの魅惑的なボディから離れられない。
「君が愛するスライムゼリーと魔羊の毛を最高純度で精製し、この着ぐるみに惜しみなく注ぎ込んだ。王国の威信をかけた、究極のモフモフだ。さあ、私を抱きしめてみるがいい」
「いや、さすがにそれは」
いくらモフモフでも、中身が暑苦しい王子様だと分かっているものを抱きしめるわけにはいかない。私の矜持が許さない。
しかし、クマがゆっくりと両腕を広げて私に歩み寄ってくる。そのたびに、最高級の毛並みがふわりと揺れた。
「ほら、遠慮はいらないぞ。君の好きなモフモフだ」
「くっ」
私は後ずさりしようとしたが、足が動かない。目の前に迫る、至高の触り心地を予感させる巨大な腹部。
(ああ、もう、どうにでもなれ!)
たまらず、私はそのフカフカの胸に顔をうずめてしまった。
「ああ、なんてこと……」
想像を絶する極上の感触だった。指がとろけて吸い込まれるような、魔羊の毛の信じられないほどの柔らかさ。スライムゼリーの絶妙な反発力が、私を優しく包み込む。私の店の最高級品すら凌駕する、国家予算をつぎ込んだ究極のモフモフがそこにあった。
「どうだ、ユーリア」
頭上から殿下が自慢げに尋ねてくる。
「悔しいですが、最高です」
私は着ぐるみの背中に腕を回し、顔をぐりぐりと押し付けた。
「よし。ならば私ごと愛してくれ」
「調子に乗らないでください。私が愛しているのはこの外側だけです」
私は言い返したが、どうしてもその腕から抜け出すことができなかった。
「構わない。外側からでも、徐々に君の心を溶かしてみせる」
着ぐるみ越しに伝わってくる体温が、悔しいけれど妙に心地よかった。
◇ ◇ ◇
「ユーリア、見てくれ。ついに宰相までペンギンの着ぐるみを着て登城してきたぞ」
執務室の窓から下を見下ろしながら、レオンハルト殿下が愉快そうに笑った。
今日も今日とて、彼はあの特注の巨大クマの着ぐるみ姿だ。
「笑い事じゃありませんよ。窓の下を見てください。近衛騎士団なんて全員もふもふのウサギの姿で真剣に剣の訓練をしていて、威厳も欠片もないじゃないですか」
私はクマのふかふかしたお腹に寄りかかりながらため息をついた。
殿下が毎日着ぐるみで私の店に通い詰め、あまつさえ私がそれを大層可愛がっているという噂は、瞬く間に王都中に広まった。
結果、あれこそが殿下の心を射止めた最先端のファッションであり、愛される秘訣なのだという致命的な勘違いが貴族たちの間で爆発的に蔓延してしまったのだ。
「良いではないか。おかげでこの国は、君の望む究極のモフモフ国家になったのだからな」
「まあ、それは否定しませんけれど」
今やルセリア王国の街を歩けば、ネコ、イヌ、ヒツジ、幻獣など、ありとあらゆる着ぐるみを着た人々で溢れかえっている。
殺伐としていたかつての面影は消え失せ、国全体が平和で巨大なモフモフのテーマパークと化していた。
「どうだユーリア。これなら私と結婚しても退屈しないだろう?」
クマの着ぐるみが私の背中に腕を回し、優しく抱きしめてくる。
「そうですね。毎日新しい着ぐるみのデザインを考えるのは楽しいですし、最高の素材が手に入るのは王族の特権ですからね」
「私自身のことも、少しは愛してくれているのだろう?」
着ぐるみの頭部がぽこっと外され、中から滝のような汗を流す殿下の顔が現れた。
端正な顔立ちは熱気で赤く染まり、金糸のような前髪が額に張り付いている。最高級の保温性を持つ魔羊の毛布の中で、どれほどの暑さと戦いながら私を抱きしめていたのだろうか。
私は彼の手から着ぐるみの頭部を受け取り、代わりにハンカチを渡した。
「ええ、まあ。この素晴らしい着ぐるみを着こなす体力と、モフモフ国家を作り上げたその異常な行動力だけは、愛してあげてもいいかなって思っていますよ」
殿下は嬉しそうに目を細め、私の額にそっと口付けた。
言葉とは裏腹に、彼に触れられることを拒まなくなっている自分に気づいている。
ぬいぐるみしか愛せなかった私が、まさかこんな形で人間の男性と、しかも王子様と結ばれるなんて前世では思いもしなかった。
でも、周りを見渡せば最高のモフモフたちに囲まれ、目の前には私のためだけに作られた世界一の着ぐるみがいる。
こんなにも幸せな結末なら、たまには中身の彼も愛してあげるのも悪くない。
私はクマの着ぐるみのふかふかした胸に再び顔をうずめながら、誰にも見えないようにこっそりと微笑んだ。
(完)











