10 俺のような人種は『ドッジボールの回避が上手い』と思われがちである
校庭は白線で区切られ、ドッジボールとフットサルのコートが設けられていた。
意を決してドッジボールのコートに向かうと、未だに第一試合の最中だった。
試合は既に終盤で、内野にはそれぞれ二人ずつしか選手が残っていない。
選手がボールを投げる度、キャッチする度、選手も観衆も威勢のいい声を荒らげる。お前らボールがぶつかったら死ぬのか?と聞きたくなるほどの熱狂ぶりだ。
一回戦の第二試合に出場する俺以外の出場選手六人は既に集合しており、コートの外から試合の様子を眺めていた。お前ら全員素人のくせに、そんなに熱心に眺めて何が分かるというのだ。
連中の一人が俺の存在に気付き、へらへらと声をかけてきた。
「あー、青木くん内野でいい?w」
どうやら俺のいない合間に相談を始め、内野五人と外野二人のポジションを決めていたらしい。
名前の間違いはどうでもいい。俺だってこいつらの名前は一人も知らない。
しかし、よくやったと褒めてやる。内野からゲームが始まることは、時間稼ぎに好都合だった。
ほどなくして試合が終わり、俺たちの出番がやってきた。
チームの連中は中央辺りに陣取り、周りにアピールするように準備運動をしている。
部長の言う「前戯」は試合前から始まっているようだ。クジャクが羽を広げて異性に求愛するように、ジャンプや屈伸で周囲の女に筋肉や運動量を見せつけている。
ところで『女子小学生が足の早い男子を好む』はよく聞く話だが、女子高校生への『ドッジボールが上手い』は加点の対象になりえるのか?
相手チームは一年生だった。
出場選手のみならず、応援に駆け付けたクラスメイトまでもが右手首にオレンジのリストバンドを着用している。手首の飾り一つで一体感を味わえるならずいぶん安上がりな青春である。
空の雲はより低く、より色濃く変化しているように俺には見えた。結果は実らなかったが、工程②は少なからず効果があったようだ。
雲の状態を観察しても、あとどれくらいで雨が降るかは分からない。一分後かもしれないし、一時間後かもしれない。
例えどれだけの時間を費やすことになっても、俺は部長との約束を果たすつもりだった。
そしてとうとう、試合開始のホイッスルが響いた。
この場所に立つ俺以外の全員が、勝利を目的に試合に臨んでいる。一投一投に力を込め、相手にボールをぶつけることを考えている。
しかし、あまりに早く決着がついてしまっては俺たちは困るのだ。
連中の間を縫い、コートの端から徐々に中央に移動していく。
さて、俺のような人種は『ドッジボールの回避が上手い』と思われがちである。普段の体育の授業では目立たないことも相まって、その時の行動が強く印象に残るのだろう。
しかし実を言うと、回避が上手いというわけではない。厳密には、この人種は『ボールをキャッチする』という選択肢を最初から持っていないのだ。
生存のみに舵を切れば、永くコートに立ち続けることは容易い。
ボールは自分に向かって直線の軌道で飛んでくる。そのため、横に体を動かして自分の座標をずらすだけで簡単に避けることができる。
この回避行動を繰り返していると、遅くない段階で相手チームから注目が集まる。
「あいつにボールをぶつけたい」「あんな奴に舐められたくない」
そんな雄々しい気持ちが込められた全力投球を手玉に取るように避け続ければやがて『ドッジボールの回避が上手い人』と評価されるわけだ。
今回の試合は俺にとっては小学生ぶりのドッジボールだった。しかし、肉体はあの頃の動きを忘れていなかった。
思い出すあの頃の昼休み。クラスの人気者からの攻撃を避け続け、周りは大きく盛り上がった。
注目を浴びた俺は、更に強い承認を求め回避を続けた。
すると徐々に場が白け始め、「もういいからさっさと当たれよこいつ……」という雰囲気が場を支配した。
あの時の幼い俺は同調圧力に負けて敢えて被弾してしまった。
しかし今の俺は違う。どれだけ冷たい視線を向けられても、全力で回避を継続してやる。
俯瞰して見ると、結局俺が一番本気で競技に取り組んでいるような気がする。
誰よりも参加を拒んでいたはずなのに、コートのど真ん中で気力を振り絞っていた。
ボールの動きだけに集中する。
顔面を伝う汗を拭うだけの暇もなかった。
周りの声も聞こえない。教室で口を開かない俺が必死にボールを避け続ける姿は、チームメイトの目にはどのように映っているのだろう。嘲笑でも揶揄でも、好きに言えばいい。
しかしその一言だけは、俺の耳が確実に捉えたのだった。
観衆の一人が呟いた。
「え? 雨?」
空を見上げて確認する必要すら無かった。俺の頭頂部に一滴。
校庭に一滴。また一滴。直径約五ミリの水玉模様が地面に色濃く跡を残す。
やがて、堰を切ったような土砂降り。俺の体は瞬く間に、汗と雨の境も分からないほどのずぶ濡れになってしまった。
作戦開始から二時間強。ついに俺たちにとっての恵みの雨、連中にとっての洪水が校庭を呑み込んだ。
やった、やったぞ。『ノアの箱舟計画』は成功したんだ。
俺は雨を逃れるため、校庭に設営されたテントに逃げ込んだ。
両膝に手をついて呼吸を整える。テントの屋根に激しく打ち付けられる、雨粒の音が響く。
果たして部長の考案した二つの工程が功を奏したのか、それとも天気予報の降水確率60%が俺たちの方に転んだのか、天候が変化した本当の理由は分からない。
いや、俺たちの努力が実を結んだのだと思いたい。
部長の頭脳が、プロジェクトメンバーの協力が、俺の時間稼ぎが、雨乞いという奇跡を実現させたのだ。
部長が抱いていた青春への恨みも、この雨が洗い流してくれるはずだ。
俺も天気とは真逆の晴れやかな気分に満たされた。癪に障る連中に対して、一矢を報いることができたのだ。
連中の落ち込む様子を網膜に焼き付けるべく、俺は校庭に視線を向けた。
「ヘイ! パスパス!」
「こっちこっち!」
視線の先には怖ろしい光景が広がっていた。
天候などお構いなしに、競技が継続されている。屋根の下に逃げる人の姿は、俺以外には皆無であった。
連中はむしろこの状況を楽しんでいるようにも見えた。フットサルのコートでは、泥土と化したグラウンド上でこれみよがしにスライディングする者の姿があった。
惨劇を目の当たりにし、絶望で体が震え始める。
こいつらは悪天候で気が滅入ることがないのか?
雨の中で運動をして、体調不良や怪我の不安はないのか?
こいつらの様子を見れば分かる。恐らく後のことなど何も考えてなどいない。雨の中のスポーツは、いつもと違ってなんとなく楽しい!程度のことしか頭にないはずだ。
「お前らー! 一旦中断だー!」
テントにいる教員たちがグラウンドに向かって大声で呼びかける。
いいぞ、その調子だ。あの馬鹿どもを説得してくれ。
しかし青春に狂乱する連中が大人の忠告に耳を貸すはずがなかった。
「あと一点だけ!」など適当な理由をつけてグラウンドを走り続ける。
もはや手の打ちようがない。
えもいわれぬ敗北感にうちひしがれていたその時、何かが俺の視界を横切った。
「このカスダニ野郎共がーーーッッッ!!!!!」
部長だった。もはや絶叫に等しい大声を腹の底から絞り出しながら校庭に乱入する。
雨と泥で制服が汚れることを気にせず、どこへ向かうのか全速力で走り続ける。
しかし、彼女に目を向けるものは俺以外にいなかった。みな己の青春に浸り、ボールの行方に一喜一憂している。
「私たちを嘲笑いやがってーーーッッッ!!!!! テメーら全員ぶっこ……ッ」
ぬかるんだ地面に足を滑らせ、大きくバランスを崩す。勢いそのまま転倒し、顔面を激しく打ち付けてしまった。
うつ伏せの姿勢のままピクリとも動かない。
更にどこからか転がってきたボールが、部長の頭にぶつかった。
「ごめーん! ボール取ってー!」
見ていられない。俺は部長の元に急いで駆け寄る。
「部長! 大丈夫ですか!? 部長!」
部長は自力でよろよろと立ち上がる。
その覆面は大量の水を吸い上げてぐっしょりと濡れていた。




