11 輩のロケットは常に子宮人との未知なる遭遇を期待している
その後の事は思い出したくもない。
俺は雨と泥にまみれた部長を保健室へ連れていった。
「クソが……カス共が……」
移動中にも部長は絶え間なく恨み節を続けていた。普段の遊撃とは異なる直球の罵倒で。
部長を養護教諭に引き渡し、廊下の窓から外の様子を確認する。
既に雨脚は弱まっていた。傘が要らない程度の雨量が、しとしと窓を濡らしている。
俺たちは連中を甘く見ていた。
奴らにとっては、突然の天候不良ごとき青春を彩るスパイスでしかなかったのだ。
散歩が大好きなお祖父ちゃんの家のマロンでさえ、雨の日は頑なに外出を拒んでいた。今も校庭を駆け回るあいつらは犬以下だ。雨に喜ぶアマガエルだ。
「おい青嵜! 何やってるんだ!」
担任の声が廊下に響く。頭髪から滴る雨粒で廊下を濡らしながら、俺の方に近付いてきた。
こいつの口から俺の益になる言葉が出てきた試しがない。
「まだ試合中なんだぞ! 早くグラウンドに戻れ!」
ほら。
そしてこいつの口から、更に衝撃の事実が明らかになった。
この天候の変化を見た学校側はなんと『大会継続』を判断したという。
雨が小降りになったとはいえ、グラウンドはぐずぐずにぬかるんでいるというのに。
この学校は教師でさえも『青春』に取り憑かれているのか?
あんな劣悪な環境で俺のような人種がスポーツをしたら……先ほどの部長の姿が頭によぎる。同じ轍を踏むことは間違いない。
俺は一か八か、言い訳の言葉を口にしてみた。
「いや、久しぶりに運動したら頭が痛くなっちゃって。保健室で休みたいんです」
「この状況が辛いのはみんな同じだ! チームメイトと力を合わせて乗りきるぞ!」
本当にみんなが辛いなら、こんな大会ごとき今すぐ中止にすればいいだろうが……。
もし覆面を被っていたら、そう言い放つこともできたかもしれない。
無力な俺は腕を掴まれ、そぼ降るグラウンドに引き戻されてしまった。
『計画』が失敗に終わった今、競技に対するモチベーションは欠片も残っていなかった。
濡れたボールに故意にぶつかる。のこのこと外野に移動し、一秒でも早い試合終了を願った。
しかし、なんとチームは見事に一回戦を突破してしまったのだ。
さらに俺のやる気とは裏腹に、二回戦も準々決勝も、順調に白星を重ねていく。
保健室に逃げ込む隙は無かった。大会の間、常に担任が俺に付きまとっていたのだ。部長の具合を見に行くことすらできなかった。
どうやら担任は一回戦の様子を見て、俺が心を入れ替えたものだと勘違いしたらしい。
友情の尊さやドッジボールのテクニックを真横で暑苦しく聞かされ続けた。ありがたいことに昼食まで同席していただき、こちらとしてはほとほといい加減にしてくれといった所存でございました。
そしてチームはまさかの決勝戦にまで進出してしまう。
対戦相手の三年生は、前年度優勝メンバーを中心に編成されたチームだという。
公式大会のように横一列に並ぶフォーメーションを見た瞬間に、せめて痛くないボールが飛んでくることを祈った。
戦力差は一目瞭然、俺の属するチームはなすすべなく敗北を期したのだった。
二年連続優勝という結果に狂喜する相手チーム。
悲しみに暮れるこちらのチームは、なんと涙を浮かべて悔しむメンバーさえいた。
両チームの狭間で、俺はただ一人冷めていた。リベンジするなら俺抜きで勝手にやっててくれ。
こうして『ノアの方舟計画』は失敗に終わった。
そればかりか、競技には一日中参加することになってしまった。
手元に残ったものは二度と着ることのないクラスTシャツ。
今日以上に不幸な日が俺の人生に訪れることはないと思いたい。
球技大会の翌日、部長は学校を休んだ。
「大雨に打たれて風邪を引いた」という旨のメッセージがスマホに届いていた。
鬼の居ぬ間に洗濯とはよく言ったもので、放課後の校舎には久方ぶりに連中がこびりついていた。至る所で異性たちが身を寄せ、同性同士は語らった。
俺以外の『帰宅 (させる)部』メンバーの姿は見当たらなかった。
『計画』に手を貸してくれた他の部活を覗きに行くと、みな昨日のことなど無かったかのように活動を行っていた。
プロジェクトメンバーは空中分解してしまったようだ。
俺は一人で遊撃を実施する気力が湧かなかった。
どこか憂鬱な気持ちさえ抱えていた。
その理由は部長だ。
『帰宅 (させる)部』に身を置き一か月弱、放課後は常に部長と共に行動していた。
突然の部長の欠席に、俺の体には孤独感がのしかかった。
蛙高校に入学して一年以上、俺は独りで学校生活を過ごしていた。そこに不安や不自由は無かった。
独りには慣れていたはずだった。しかしいつの間にか、部長といることが俺にとっての普通になっていたようだ。
連中の弾んだ声を背に、すごすごと逃げ帰る日々が続いた。
部長の復活は、土日を挟んだ五日後のことだった。
スマホにメッセージが届き、いつもの待ち合わせの場所に向かう。
放課後の校舎裏の非常階段裏。いつもと変わらぬ、覆面を被った部長の姿があった。
「輩共は再び幅を利かせている。今すぐ遊撃に向かうぞ!」
「もう体調は大丈夫なんですか?」
「うむ。肩で風切る輩共を見逃していい理由はない。早急に遊撃に向かうぞ」
『ノアの方舟計画』の失敗直後は言葉が荒れていたが、すっかり気持ちを切り替えることができたようだ。
俺も覆面を被り、部長の横に並ぶ。
部長が不在だったこの数日だけでも、聞いてほしいことが雨後の筍のごとく湧き出ていた。
「クラスの連中が、球技大会の打ち上げをやるって言うんです。ついこの前テストの打ち上げをしてたってのに。
そんなに打ち上げが好きならNASAに就職してロケット開発でもすればいいんですよ。まああいつらの知能じゃ、ペットボトルロケットすら満足に作れないでしょうけどね」
「バカと煙は高いところを好むゆえ。
そして輩のロケットは常に子宮人との未知なる遭遇を期待している。行事後の打ち上げはその開拓精神の表れだ」
独特の舌鋒も復活している。
蛙高校の放課後に訪れていた束の間の平穏に終止符が打たれることが確定した。今この時から再び、この時間帯のこの場所は俺たちが掌握する。
虫のように増殖した青春は容易に発見できた。
空き教室で睦み合う男女。男は窓枠、女は机に腰掛けて向かい合い言葉を交わしている。
共に眼鏡を着用しており、制服など外見の乱れも見られない。俺たちと同類のように思える雰囲気があった。
そんな二人が臆面もなく戯れている。
連中のような人種だけでなく普通の生徒たちまで色ボケしてしまっている。部長がいない間に、高校の風紀は大きく乱れてしまったようだ。
その二人が視界に入ったと同時に、部長は教室に乗り込んだ。
「やいやいやい貴様ら! 此処は学びの園であり快楽の園ではない!
邪淫に溺れずとっとと帰宅しろーーーッッッ!!!!!」
そうだ。俺はこれが見たかったのだ。
部長の後に続いて空き教室に踏み入る。
その次の瞬間だった。
突如、教室のドアが閉め切られる。続いて、ガチャリと鍵の締まる音。
「な、なんだ……?」
扉に手をかけ力を加えてもびくとも動かない。
一体何が起こっているんだ?
予想外の事態に部長の舌も止まり、辺りをきょろきょろと見渡している。
「覆面女。ようやく捕らえることができました」
口を開いたのは、カップルの女の方だった。
夕陽を受ける眼鏡が冷たく輝いている。
男の方も同じく、俺達に冷ややかな視線を向けている。
先ほどまでの色恋に浮かれたムードから一転して、二人は冷たい空気を纏っていた。
その雰囲気に圧倒された部長は動揺を隠せない。
「な、何者だ貴様ら!?」
その問いを受けた女はゆっくりと口を開いた。
「私たちは蛙高校風紀委員会です」
蛙高校風紀委員会。
その言葉を聞いて、俺はいつか見た新聞部の記事を思い出していた。
俺の記憶が確かならば、その記事で委員会はこのように語っていた。
「暴走を繰り返す覆面女を、我々は必ず取り締まる」




