03
サンライズが店に飛び込んだ時、ちょうど奥の従業員通用口にもつれながら出て行く人影がちらりと映った。博士とシヴァが、それぞれ現地人らしい男たちに連れ去られようとしている。
「離せ!」シヴァの鋭い叫びが響く。「触るな、バカ!」
追いかけるサンライズ。裏口を飛び出した所でようやくシヴァ達に手がかかるか、という時一人がゴミのポリバケツを投げつけるようにひっくり返した。
ひるんだ隙に、彼らは待たせていた車に二人を押しこみ、表通りに急発進で出て行った。飛び交うタイ語の罵声、激しいクラクションの応酬、バイクが一台、あおりをうけて中央分離帯に突っ込んだ。
大混乱の中、サンライズは唇をかみしめ、車の行き先を目で追う。
待てよ、あの先は渋滞か?
必死であたりを見回すと、スーパーカブにまたがって停止したまま、道路の混乱をヘラヘラしながら見守っている若い男がいた。
「キミ」走っていって肩に手をかける。現地の男だが、『シェイク』できるだろうか? ずっと訓練していた成果をみせるのは今しかない。
できるかできないか、ではない。やるしか。
少し意識を前にもっていって、一点に集中させる。
みえた、声まで復元されて聴こえる。
―― ヤーミーギッグナー
今朝彼女に言われたらしい。
あたりの騒がしさに負けないように彼の目線を捕まえ、大声で叫ぶ。
「ヤー、ミー、ギッグナー!(浮気はダメ!)」
キーを発した瞬間、サンライズの意識はその男にぐい、と引き寄せられた。かかった、見事に釣りあげた。相手の目が大きく見開かれ、瞳孔が開く。
急に、ぴょんと跳びあがるように、彼はまたがっていたバイクから降りて、従順な態度で浅いヘルメットを外した。ちょうど近くを通りかかった老婆が、言葉にびっくりしたのか目をむいてこちらをみつめていたのでサンライズはしかたなく
「サムァライ(なんてね)」
と返して彼女にかすかに微笑んでみせた。これはボビーから聞いていたフレーズだ、ちょっとした時に使うといいわよ、と言われて。
そう、確かに『ちょっとした時』かも知れないぞ、思いながら彼はすぐに渡されたヘルメットをかぶり、バイクにまたがる。左側通行の国でよかった。
二輪はひさびさだった、高校時代に兄貴のにコッソリ乗って以来かも。まあこちらはスーパーカブだったが。
がん、とペダルを踏んでスロットルをひねる。
初めて実地で力を使ったとはいえ、あまりの緊張のせいか頭痛はそれほど感じない。
信じられないことに、むしろ、気分がよかった。
あちこち工事だらけで、車はすぐに前が詰まってしまう。作りかけの高架やら、地下鉄の入り口らしき穴やら、こんな夜遅くにもまだ働いている男たちがみえる。
日中のんびりと駅に寝転ぶ人もいるかと思えば、ここの国民はのんびり屋なのか勤勉なのかがよく分からない。
ようやく、前の車列に追いついた。
渋滞だ、ざまあみろ。サンライズは大げさにハンドルを切って車の間をすり抜ける。
先ほど走り去った車を探す。五〇メートルほど前方、無理やり車線変更を試みようとするトヨタの黒いワンボックスを発見。
あれだ。
いったん追い越し車線に入ったのに、そちらが詰まってきたら今度はまた左に戻ろうとしている。
サンライズはすぐ脇に追いついた。彼らは気づいていない。
すぐ前に同じようなバイクがいたので、彼は大声でどなる。
「どけ、邪魔だ」
日本語だったが気迫で通じた模様。そのバイクは左わきに寄った。
追いついた車は窓全部にスモークが貼られていて、中が見えない。
と、急にこちらの真ん中の窓が降りた。白い開襟シャツの男が、銃を構えている。
彼は一瞬でキーをつかむ。
―― マル ガヤー
バイクの自分が撃たれてふっ飛ばされているシーン、死んだな、みたいな事か? そのままそれを返してやった。
「マル ガヤー!」
相手は銃を取り落とした。がらん、と車の横っ腹に当ってそのまま後輪に巻き込んだらしい。破裂音が立て続けに二回、そして車ははげしくスピン。巻き込まれないようによけるのが精いっぱいだった。
コントロールを失った車は、回転しながらそのまま左わきの工事現場に突っ込んでいく。
セメントか何かの袋が積まれた山に、みごとに体当たり。白い砂ぼこりがもうもうと巻き起こった。
彼はバイクを捨て、急いで車に駆け寄った。
ヘルメットを取る時、やっと激しい頭痛に気がついた。
しかし今は救助が先だ。




