7-3.Ω
「ドゥハァッ!!??」
急に目が覚め、起き上がる。辺りを見渡すと、一面真っ白な、真っ青な空が広がる空間だった。地面には大小さまざまな透明な球体が転がるこの空間には、俺以外誰も、いなかった。
「あれ、俺はどうしてこんなところに……?」
立ち上がり、再度辺りを見渡す。何も無い。自分の記憶が曖昧で直前に何があったか思い出せない。ようし、ひとつずつ思い出していこう。俺は、原秋葉。俺は、北高生。俺は、黑の器。俺は、戦っていた……何と?誰と?
「……ん?」
考えても考えても思い出せない中、俺は遠くに誰か居るのを見つけた。身体は自由に動く。俺はその誰かに向かって歩き出した。
「ほらっ!……いいわ、その調子です!……ああん、もっと右ぃ!そう、そこです!凄いわ、そのまま続けなさい!」
正座をして何かをしている「誰か」は、近づく俺に気付かず、何かを続けている。
「あのー……」
「わっ!」
俺の声で驚き、正座をした状態で少し跳ねた「誰か」は、こちらを振り向いた。地に着くほど長い髪を持ち、髪にはあちこち髪飾りがついている。髪のせいで全身が見えないが、とても美しい女性だった。女性は俺に向き直ると立ち上がり、にこりと微笑む。最低限大事なところだけに白い布を巻きつけたような服が俺の目に悪い。
「ようこそ……いえ、お帰りなさいと言った方がよろしいですね?名称未設定A」
「名称未設定A?それは俺のことか?」
「ええ。あっ、この「ええ」は駄洒落じゃないですよ、けして」
「いや、わかってるが……ところで、お前は誰なんだ?」
「ああっ!その質問以降は私が勝手にお答えします!貴方とこうして話すのはもう285回目ですから」
285回?俺はその女性の言っている事が理解できなかった。俺はこの女性と会うのは初めてで、全く覚えていないからだ。女性は背後にあったテレビのようなものを見ている俺を見て、指し示すように俺に言う。
「これはンジャベロッツァです」
「ンジャ……なんだって?」
「ンジャベロッツァ。貴方の世界で言う「ゲーム」というものですね。なかなか面白いですよ」
「……それで、お前は誰なんだ」
「んもう、話が逸れちゃったじゃないですか。貴方のせいですよ」
いたずらっ子のように頬を膨らませるが、俺は質問に答えてもらえなくて苛立ちを感じ始めていた。呆れた顔をしていたのがわかったのか、女性は急に真面目な顔つきになり、話を始めた。
「私はΩ。貴方の知っている、暗黒物質Ωです。つまり、私が貴方の生みの親……といっても、私が生み出した貴方は284順前に死んでいてとうの昔に存在しないんですけどね」
Ωと名乗る女性はコメントに戸惑い、驚く俺の顔を見て、にこりと笑い、続けた。
「こんな感じで、貴方が聞きたかったこと、全部教えてあげます。といっても、貴方がここに来たということは、貴方の居た世界での貴方の存在が消えつつあるということですから……」
手を顎に当てなにやらぶつぶつと呟くΩ。話を聞いていると、だんだんと記憶がはっきりとしてきた。Ω。俺や有希が持っている、暗黒物質。それを作り出し、俺と有希を器として生み出した張本人。
「時間が無いので、いっぺんに教えちゃいます!」
Ωは俺の両頬を押さえ、俺の目をじっと見つめた。
「な、なんだよ」
「必要な情報とかわからないので、適当に取捨選択してくださいね」
俺の目を見るΩ。仕方なく俺も見つめ返すが、少し暗い瞳の向こうに蠢く何かが俺の脳裏に刺激を与え、咄嗟に視線を外してしまう。
「……っ!」
「私の目をしっかりと見て。これが世界の真実です。目を背けちゃダメです」
そういうとΩは前髪を少し上げ、俺の額に自らの額を当てた。必然的に目と目が合う。Ωの瞳から、情報が、記憶が、雪崩れ込んでくる――――――――――――
「……はっ!?」
気がつくと黒い空間に俺は立っていた。足元すら見えない、何もない、音も聞こえない空間だ。俺はこの空間を覚えている。
かつて双子の忍者に襲われた時に俺がたどり着いた空間。真っ暗で、何も見えなくて、足取りが重く動けなかったあの空間だ。だが、以前とは違う。Ωが目の前に立っていたのだ。その着ているといっていいものかわからない服をひらひらさせながら、俺にニコリと微笑む。
「ここは貴方が持つ黑の空間。貴方と皓の器……名称未設定YUは『精神世界』。こう称していましたね。名称なんてものは個体が他の個体と区別するための概念なので私には理解し得ないものですが……その概念に乗っ取らなくては言語で説明しようにも出来ないですし、まぁいいでしょう」
「……思い出した。SSK。そして暗黒物質:黑。俺は奴らと戦っていた。有希。坂元。長谷。あいつらの元へ戻らないと……!でも、どうしてここに?」
「はい。精神世界ならば、時間という概念は存在しない。存在できないのです。ここならば貴方の存在が消えるまでの時間を気にすることなく、説明が出来る、ってことです。凄いでしょ」
Ωは小さくエッヘン!と胸を張った。
「Ω、お前は俺や有希、長谷が持つ暗黒物質の生みの親なんだよな?ならばどうして人間の姿をしている?」
「私はΩですがΩに非ず。でもΩそのものです。貴方たちの世界のみならず、下位構成物質が本来の私を認識することは出来ても、視認することは不可能です。その為、コミュニケーションを取るための有機生命体が、この姿ってことです。偶然にも、数多の世界の中でも抵抗無く接触が可能だった素体がこれだったので」
「……そうだったのか。じゃあ、暗黒物質は黑みたいな姿をしている奴も居る、って事でいいんだな」
「その通りです」
「じゃあ次だ。さっき俺と話すのは285回目だとか言ってたな、それはどういう意味だ?俺はΩ、アンタと話すのは初めてだ」
そう言っていると、Ωは答えずに眼を閉じ、身体を光らせた。すると、俺の頭に大量の記憶がなだれ込んできた。繰り返しのような、しかしまったく同じではない、284回分の俺とΩの記憶。
「っ!」
「驚いたでしょう?貴方、私を殺そうとした時もあったんですよ?」
「……結局アンタには敵わず、ボッコボコにされた挙句俺の世界諸共壊されたがな。……つまり、アンタが言いたいのはこういうことか?『俺達は同じ時間を延々とループしていて、必ず俺はここにたどり着いている』」
「んーと、一部は合っていますが少し違いますね。貴方は貴方です。ですが、もし286回目の貴方が私の所に来たとしても、それは今回の貴方とは別の存在です」
どういうことだ?理解の追いつかない俺を見て、Ωはさらに続けた。
「未来の貴方に数回会っていると思います。彼は284回目の貴方です。そして、今現在戦っていた、黑を内包していた未来の貴方も、284回目の貴方です」
「未来の俺なのは間違い無いとしても、姿が違うぞ」
「貴方の世界での常識では、時間は一方向に動きます。では、ある瞬間をX地点として、X地点から伸びるAとBの分岐があったとしましょう。分岐の先は2つ。X地点から見て、分岐先のAとBは同じ存在ですよね?」
「……続けてくれ」
「この時、X地点を今の貴方としましょう。A地点がアドバイスをくれていた方の未来の貴方。B地点が先ほど戦っていたさらに未来の貴方」
Ωが右から左へ指を振り、真っ黒な空間に1本の線が引かれた。その線は2つに分岐し、一方は分岐よりも手前に円を描くように戻り、もう一方は闇へとフェードアウトしていった。そして、さらにΩが指を小さく振ると、分岐前に点Xが、円を描いた分岐線が元の線と交わるところに点Aが、そして点Aよりさらに過去の地点に点Bが現れた。
「A地点にいる未来の貴方は、過去の自分を救うために過去に戻っています。この時に救われたという経験……これを事象と表現しましょう。その事象があったからこそ、過去の自分に当たる、今の貴方が先へ進めるのです。そしてB地点にいる未来の貴方は、A地点で過去の自分を救えなかった。でも生き延びることが出来た為、これまで自分を妨げてきた弊害の無い世界を求めて、それよりも過去に戻ったのです。私はその願いを聞き届け、貴方たちを『次の世界』へ送ったのです」
俺はその言葉を聞いてハッとした。過去の自分を救うため……
「そのX地点というのは、有希の持つ皓が暴走して、中学1年生の時の俺を殺そうとしたあの時……?」
「そうです。殆どの事象では、貴方は単身で戸川有希、名称未設定YUを助けに行く、そう観測しています」
「そして成功した事象が、今の俺が歩んできたこの事象。そして失敗した事象が、黑の歩んできた事象」
『お前達もいつか『こうしなくてよかった』なんて思う時が来る。その時に『こう』していた未来、ってことさ』
未来の俺が言っていた言葉が反芻される。時間軸はともかく、俺が経験する可能性がある未来は『2つ』あった。ひとつは、過去に飛び、過去の自分と有希の救出に成功した未来の俺。そしてもうひとつは、失敗した未来の俺。それがあの黑の器。失敗はしたが生き延びることが出来た、たぶん息絶え絶えだったのだろう。弊害の無い世界を望んで過去に飛んだ。その望みがΩに聞き届けられ、『次の世界』、つまり『今の俺が居る285回目のこの世界』に送られてきた。そしてまた、暗黒物質の因果に巻き込まれて……
「どうですか?その都度、私の元へ戻ってきた貴方は、時に怒り、時に絶望し、時に泣き。とても表情豊かで興味深いです」
「やめろ。俺は動物園のパンダじゃねぇ」
「そうだ。お前はパンダじゃねぇ」
突如、第三者の声がする。俺は上を見上げると、つい先ほども見た、牙を覗かせる獣の口がそこにはあった。
「っ黑!?」
咄嗟に後ろに飛び退き、空間からナイフを取り出そうとするが、取り出せない。
「今のお前が黑を使える訳ねぇだろ。その能力を貸してやってんのは俺だぞ」
俺とΩを包むように寝そべっていた黑は、ゆっくりと起き上がり、あぐらをかいて座った。
「Ω、お前さんが来るったぁ珍しいな」
「ええ。ちょっと興味を持っちゃったんですもの」
「ハッ、らしくねぇな」
「……えー、と?」
あっけにとられた俺は、ナイフを取り出すポーズのまま固まってしまっていた。
「あぁ、説明が遅れましたね。彼は黑。私の作り出した暗黒物質の一つですよ」
「それは知っている。どうしてこいつがここに……?」
「お前、アッチにいる俺が言ってた事忘れたのか?この世界にある黑はアッチの俺と今ここにいる俺と合わせて1つだ」
「今私たちが居るこの空間。つまり精神世界は世界の構成物質なら誰もが持ちうるものです。そして、器となったり、なんらかの理由で憑依したりされたりする者の精神世界は、このように貴方と黑のように同居をするのです」
「お前が忍者だかなんだか知らんが、双子の片割れに殺されかけた時も、お前は一人でやってきた。あの時お前は俺を認識ていなかったから気付かなかったんだろうが、俺はあの場にいた。死んでもらっては困るからな」
黑はあぐらを解き、立ち上がった。見た目は先ほどまで相対していた黑と同じなのだが、同じものと思えない。
「永いこと俺は二つに分かれていた。アッチの俺は自分を観測た東雲を写り世として、未来のお前を回収したそうだが、俺はずっとお前の中にいた。違うように思えるのも仕方ないさ」
黑は俺に向かって手を差し伸べる。
「力はフルに使わなきゃ、力と呼べないんだ。お前ら下位構成物質はそれを理解していない奴が多い。どうだ、調子に乗っているあの奴らを倒す為に俺の手を取って、器らしく新たな世界を作り出す気はあるか?」
黑はニタリと笑い、もう一度俺に手を差し伸べる。その言葉の意味を俺は考え、その手を払いのけた。
「結構だ。今ある力だけで十分。俺は器じゃなく、人間としてこの世界を変えたい。俺は人間だ。学生だ。俺だけじゃない。有希も、長谷も、坂元も。あいつらだって人間なんだ。学生なんだ。みんなで戦うからこそ意味があるんだ。世界をかけた戦いじゃなくたって、みんなで協力し合うから力を出せるんだ。……そう。僕達は北高生。ただの高校1年生。細かいことはよくわからんが、みんながいれば何だってできる。それが、世界の危機だったとしても」
黑とΩは俺の言葉を黙って聞いていた。
「へっ、知ったような口聞きやがって。だが、悪くねぇ。この回答は何回ぶりだったかな」
「22回前にこれに近い事を言っていますよ。もしここで黑の力を借りるようならば、私はすぐにこの世界を破壊していました。だって、それじゃあつまらないんですもの」
Ωがさらっと恐ろしいことを言う。つまりなんだ、俺は試されていたのか……?
「ええ。試していました。貴方の決意が知りたくて、ね。それなら、貴方達『北高生』にこの世界の危機は任せちゃっても、いいですね」
そういうとΩは指を鳴らす。急激に体が後ろに引っ張られ、俺の意識が吹っ飛んだ。
――――――――――――
目映い明かりに目を凝らすと、Ωの空間に俺は寝転んでいた。
「あっ、目が覚めましたか?」
声のした方を見ると、Ωがこちらを向いていた。裸体に近いその服装が、俺の目を背けさせた。
「俺は……」
「どうです?なにかわかりましたか?」
右手に何か違和感がある。手を開くと、そこには黑の小さなタブレットがあった。ハロスから受け取ったタブレットだ。俺はそのタブレットを強く握りしめた。
「……ああ。やるべき事は分かった」
握りしめたタブレットを口に放り込み、かみ砕く。するとハロスの記憶が俺の中を駆け巡った。そうか、黑が俺にくれるタブレットは3つ。最後の1つはこれだったんだ……
「さて。いろいろネタバラシも済みましたし、貴方を元の世界に戻す必要がありますね。何か言い残す事はありませんか?」
Ωは両手を合わせ、広げる。その手の内からは別の空間が広がっていた。……ところでそれは処刑される人へ向ける言葉だろう、というツッコミすら忘れ、俺は起き上がり、にっこりと笑うΩを見て言った。
「確か、暗黒物質を持つ者は願いをΩに叶えてもらえる……そう言っていたな」
「ええ。何か願い事でも?」
「……」
願いなんて、無いわけがない。例えば限定版フィギュアとか、目がくらむような大金だとか、地位とか名誉だとか。そういったモノを望んだとしても、得られたところで俺自身が変わっていなければ、世界にとっては何も変わらないことは分かっている。だから今この時点で何を望んでも何も意味は無い。だけどただ一つだけ、俺はΩにわがままを言いたかった。そう思った俺は、Ωに願いを伝えた。
願いを聞いたΩは、表情を変えることもなく、女神のようなほほえみのまま、小さく頷いた。
「いいでしょう。貴方の願い、叶えてあげましょう。それくらいのわがままなら、皆、許してくれるでしょうね」
Ωは手の内の異空間を俺に向け、俺はその異空間へ吸い込まれていった。




