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ガラスのラボラトリー(実験室)  作者: けせらせら
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 展示会初日、来場者はまずまずの状況だった。

 いつも展示会は初日がもっとも来客が多い。事前にDMを送ったとんぼ玉のファンの多くがそこに集中するからだ。

 今日も朝からすぐにそういうコアな客が入り、注目される作家の作品は早くも完売に近いものがある。

(すごいなぁ)

 ショーケースのなかの作品を早苗はうっとりして眺める。

 やはり全国的にも有名な作家の作品は、圧倒的な力を感じさせられる。

「ご苦労様」

 と、聞き覚えのある声に中里は思わずハッとして振り返った。そこに『やませの会』の会長である飯村修二郎の姿があった。

 72歳になっても、まだまだその技術はトップレベルで、作品数も若い作家にひけをとらない。早苗にとってもその存在は偉大で、未だにその前に立つと緊張させられる。それは他のスタッフたちも同じようで、皆、飯村が近づくとピンと背を伸ばして頭を下げる。

 飯村はゆっくりと早苗のほうに近づいてきた。それにあわせて早苗も飯村に一礼する。

「今日は中里さんが当番なの?」

「いえ、当番ではないんですが、今日は初日なので」

「今年もいろんな作品が集まったみたいだね」

「はい、勉強になります」

 緊張しながら早苗が答える。すると、次に出てきた飯村の言葉は意外なものだった。

「ところで御鏡君と中里さんは知り合いなの?」

「御鏡さん……ですか? まさか飯村先生に何か失礼なことを?」

 想像しただけで背筋がゾッとする。

「いや、実は昨日、家にやってきて昔のことを聞かれただけだよ。彼はなかなか面白い人だね」

「昔のことって……高野先生のことですか?」

「そうだよ。あいつは私の盟友でね、あいつが大阪からこっちに引っ越してきたのも私が誘ったからなんだ」

「そうだったんですか」

「久しぶりにあいつの話をすることが出来て楽しかった」

「そうですか……」

 飯村の反応に早苗は少し安心していた。さすがの御鏡も飯村に対しては失礼な態度は取れなかったのかもしれない。

「それにしても……彼は結局、何を調べているんだい?」

「さあ……何を聞かれました?」

「高野が亡くなる前に何かのイベントに参加する予定があったかどうかを聞かれたが……」

「それで先生はなんて答えられたんですか?」

「うん、日記をつけてたんでありのままに答えたよ。あの当時、あいつがイベントに参加する予定はなかったってね。他にもいろいろ聞かれはしたんだが、さすがに8年も前の話になると忘れちまうなぁ。もうこっちも年だしなぁ」

 そう言って飯村は右手で薄くなった頭をさすりながら笑った。

「ええ……そんな昔のこと覚えていられませんよね」

 早苗も相槌を打つ。

「ただなぁ、あの年はいろいろあってな」

「いろいろ?」

「ウチの娘が結婚したんだよ。高野のとこも娘がいるだろ?」

「加奈子さんですね?」

「そうそう。あの頃はお互いに娘の話で盛り上がってな。男親なんてのは娘の結婚話になると、何をどうしてやればいいのかわからないもんだよな。まあ、俺のところは母親がいたから任せっきりだったけど、あいつはいろいろ悩んでたよ。娘なんて父親に恋人のことだって相談しないもんだろ? 何をするにしても自然に見えるようにするのが一番だって話をよくしたもんだ」

「その話って……御鏡さんにもしたんですか?」

「ああ、したよ」

 飯村の返事を聞き、早苗はまた御鏡が余計なことをするのではないかと、少し不安がよぎっていた。


   *   *   *


 夜8時半に展示会場を後にした。

 無事に初日を終えることが出来た。

 本来ならばマンションに帰るため仙石線に乗るのだが、ふと気が変わって地下鉄南北線へと乗って長町に向う。

『吉田屋』にまた行ってみようという気持ちになったのだ。

 結局、あの後、御鏡は何も話そうとはしなかった。

――文学的と言っていた

 あれはどういう意味だろう?

 陽子が亡くなったことと何かつながりがあるのだろうか。

『吉田屋』に着いた時には既に9時を過ぎていた。店にはテーブル席に一組のカップルの姿が見えるだけだ。

 今日もまた萌子が明るく迎え入れる。

 早苗はワンタンメンを注文した。先日、御鏡が勝手にチャーシューメンを頼んだ時、頭に浮かんだのもワンタンメンだった。その時のリベンジのような思いがあった。

 客が少ないこともあって、ほとんど待つことなくワンタンメンが運ばれてきた。

 夕方、コンビニのおにぎりを二つ食べてはいたが、それでも軽く食べきることが出来る。

 ラーメンを食べながらも時々店内を見回し、『文学的』の意味を探したが、やはりその意味は見つからない。

 いつの間にかテーブル席にいたカップルは店を出て、早苗一人になっていた。

 帰ろうとした時――

 ドアが開いて新たな客が入ってきた。

 御鏡だった。

「御鏡さん? どうしてここに?」

 その問いかけに御鏡は軽く笑った。

「どうしてって食事に来ただけですよ。他に何があるっていうんです?」

「まあ、そうですけど……もう閉店ですよ」

 早苗は壁にかけられた時計を見た。既に9時45分。店の営業は10時までのはずだ。

「まだ15分ある。ねえ」

 と、御鏡は厨房の直樹に声をかけると、「いいですよ」と爽やかに答えた。

 御鏡はその答えを待つより先にカウンター席の早苗の隣に腰をおろした。

「じゃ私はこれで――」

 と早苗が帰ろうとするのを、御鏡が止めた。

「少し付き合いませんか。せっかく会ったんですから。あとでお送りしますよ」

 その言葉に早苗は再び椅子に座りなおした。

 送ってほしいわけではなかった。ただ、御鏡が何のためにここに現れたのかが気になっていたのだ。御鏡の言うように、ただの食事などではないように思えた。

 閉店時間まで5分というところでラーメンが御鏡の前に出された。

 御鏡は決して急ごうとせずにラーメンを食べはじめた。

 今日は特に何かを訊きにきたようでもなく、ゆっくりと本当にラーメンを味わっているように見える。

 既に10時を過ぎようとしていた。

「萌ちゃん、もういいよ。あとは俺がやるから」

 と直樹が萌子に声をかけるのが聞こえた。

 二、三言のやり取りがあってから、萌子が小さく会釈をしながら裏口から店を出て行くのが見えた。

「あれ? 奥さんはもう帰られるんですね」

 まるで初めて気がついたかのように御鏡が訊いた。

「ええ、実は彼女、妊娠してるんであまり無理はさせたくないんです。あとは僕一人で大丈夫ですしね」

 直樹はそう言いながらテーブルを布巾で拭いている。

「いつもこの時間に閉めるんですか?」

「そうですよ」

「じゃあ、片づけをしてここを出るのは?」

「10時半くらいですかね」

 背中を向けたまま直樹は答えた。

「藤永さんはよくこの店に来られてましたか?」

 直樹の背中に向って御鏡が声をかけた。

「……ええ」

「彼女がここのラーメンが好きだと言ってたのがわかる気がしますね」

 そう言われて直樹は御鏡のほうに向き直った。

「ありがとうございます。藤永さんとお知り合いなんですか?」

「同業者です」

「へぇ、男性でも、そういう仕事をされるんですね」

「男性のほうが多いくらいですよ」

 と早苗が答える。

「藤永さんと話すことはよくあったんですか?」

「いえ、滅多にありませんでした。藤永さんもあなたと同じようにこの時間に来られたこともありましたよ」

「旦那さんは藤永さんの工房に行ったことありますか?」

「え……行きませんよ。どうしてそんなこと……」

 ギョッとした顔で御鏡を見る。

「出前とかは頼まれなかったんですか?」

「あぁ……」

 緊張した顔から力が抜ける。「ウチは出前はやってないんですよ」

「そうですか、それは残念」

「はぁ……」

 戸惑うように直樹は御鏡を見つめた。

 御鏡は今日もスープをすべて飲み干した。そして満足そうに――

「やはりここのラーメンは美味いですね」

「ありがとうございます」

 その直樹の言葉がやけにたどたどしく聞こえた。


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