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逃避行とその先で


 廊下に顔を出すと、まだ追っ手は来ていないようだった。左に行くとすぐに非常階段がある。そこからなら別の階に行けるはず。

「よし、まずは非常階段のとこまで行こう。まず俺が行くから、そのあとついてきて」

「なぁ稲井、ホントにあいつらと戦うのか?警察に任せて、俺たちは脱出した方がいいんじゃ…」

 桑木は不安げな表情だった。  

「なに言ってんだ。みんなを置いて俺だけ逃げるわけにはいかないだろ」

 そう言うと桑木は黙った。

「とにかく、非常階段までは行こう」

 左右を見て、敵がいないのを確認した後、稲井は勢いよく飛び出した。非常階段まで一直線に向かい、ドアを開ける。 

 いつもとなにも変わらない、よく見た街の風景が出てきた。

 血の匂いも、硝煙の香りもしない、透明で清潔で美味しい空気。どこまでも続いていそうな、広くて青すぎる空。

 まるで地獄から蘇ったような気分だ。解放、それが一番似合う言葉かもしれない。

 このまま階段を降りて、そのまま学校を出て家に帰りたい衝動に駆られる。それができたらどんなに楽だろうか。

 けれども、稲井は首を振ってそんな考えを取っ払った。

 今、学校のみんなを助けられるのは俺しかいないんだ。俺が日和ってどうする。俺がやらねば誰がやる。稲井は自分にそう言い聞かせた。

 踊り場に立って見たが、階段の上にも下にも敵の姿はなかった。

 後ろを向くと、桑木がドアから顔を出していた。大丈夫だから来い、という意味を込めて、親指を上げてサムズアップを向けた。

 桑木はキョロキョロしながらも決心したように、半ばヤケクソ気味に飛び出して非常階段に来た。

「よし、まずは状況を把握したいね。とりあえず下に行こう」

 この学校は四階建てで、一階に職員室やら事務室やら給食室など業務的な部屋があり、二階から上に上がるごとに一年、二年、三年となっている。一階まで行けば外と連絡が取れるかもしれないし、もしものときも逃げやすい。

 足を踏み出して、階段を一段下る。コンっと足音が鳴る。その瞬間だった。

 ――ッボオウゥゥゥン。

「ファッ!?」

 突然下から爆音がした。銃声の百倍は大きい。同時に、非常階段が崩れるんじゃないかと言うくらいのものすごい揺れが来た。

「なになになになに今の!?」

 うるさい桑木。今状況を把握しようとしてんだよ。

 階段から乗り出して下を覗く。灰色の煙が上がってきた。オレンジ色の炎も見える。

 ――まさか…。

「…桑木くん、急ぐよ」

 稲井は急いで階段を下り始めた。

 二階の踊り場に立つ。一階へ続く階段を覗く。

 息を呑んだ。

 一階へ続く階段が消えて、その先が煙と炎に包まれていた。

「…おい、なんだよこれ」

 桑木が呟いた。顔が青ざめている。

「…あいつら、階段を吹っ飛ばしやがった」

 さっきの爆音は階段を爆破した音だったのだろう。稲井たちに気づいて爆破したのか、それとも最初からそう言う計画だったのかは分からない。

 奴ら、銃だけじゃなくて爆弾も持ってやがるのか。テロ組織というよりまるで軍隊だな。もしかしたらRPG7とかも持ってるかもしれない。

 いや、今はそんな呑気なことを考えている暇はない。ここからの逃げ道は二つ。上に戻るか、二階に入るか。

「おいあのガキどこ行った!」

 上から声がした。追っ手だ。

「クソッ。逃げるぞ」

 一難去ってまた一難。こいつら一体何人いるんだよ。

 目の前にあったドアを銃床でぶち破って二階に侵入。そのまま廊下を突っ走る。足音が二つ重なる。桑木はちゃんと着いてきているみたいだ。

 正面約十メートル、一年一組のドアが開く。敵が出てきた。銃は持っていない。完全に油断している。おまけに手ぶらだ。

「あ!」

 奴がこっちに気づいた。だが銃もないんじゃどうしようもないだろう。

 ――このまま突っ切る。

 ポケットからカッターを出して前に突き出し、スピードを緩めずにそのまま突進。すれ違いざまに、唖然とする敵の首筋を勢いのままスパッと切った。少し血が飛んできたが、元から返り血まみれなので問題ない。

「走れ!構うな!すぐに追ってくるぞ!」

 後ろの桑木に叫んだ。桑木はそれにも変な目を向けてきたが気にしない。

 振り向いたときにチラッと見ると、さっきの敵は膝から崩れ落ちて首を抑えている。まぁあのままじゃ多分死ぬだろう。

「逃げるってどこに逃げんだよ!?」

 今度は桑木が叫んだ。

「とにかく走れ!振り切るまで走んだよ!」

 

「クッソ、あいつらどこ行きやがった!?」

 稲井と桑木は廊下を走り回り、階段を登っては降りてを繰り返したあと、四階の東側のトイレの個室の一つに身を潜めていた。おかげで汗だくだ。インナーが肌に張り付いて気持ち悪い。

 外ではテロリスト共が血眼になって自分たちを探している。今出れば間違いなく瞬殺だ。桑木もさっき鹵獲したAKを抱えたまま石のように固まっている。

「向こうを探すぞ!早く行け!」

「クソが。こう言う時のためにあいつらがいるんだろうが!なんで俺らが探さなきゃならないんだよ!」

 ふとテロリストの会話が耳に止まった。

 ――あいつら?

「しょうがないだろ。タカダさんの命令なんだから。あの人に逆らったらなにされるか分かんねえぞ」

 タカダ?

「まぁそうだな…。さっさと見つけて殺しちまおうぜ」

 足音が遠ざかっていく。どうやら敵は行ったようだ。

「…行った?」

 桑木が口を開いた。

「…そうみたいだね」

 凍りついたような空気が弛緩する。一瞬の余裕とも言うべきか。稲井も桑木も胸を撫で下ろした。

 だがそんなことよりも、稲井はさっきのテロリストたちの会話が気がかりだった。

 会話を思い出しながら、その内容を推理する。

 おそらく、奴らの言うタカダという人物がこの事件の首謀者なのだろう。奴らはそのタカダとやらの命令で動いているようだ。

 そしてさっきの奴らとは別に、「あいつら」と呼ばれる人間もいるようだ。別働隊かなにかだろうか…。

「きゃああぁあぁぁぁっ!」

 そのとき、ドアの向こうから絶叫が聞こえた。

「なに?今の声…」

 声の感じは女の子っぽかった。学校の生徒だろうか。

「…見に行ってみよう」

 ドアをゆっくり開ける。個室から出て、AKを構えながら進み、入り口のところまで行く。

「右見るから、左警戒して」

 AKを左手に持ち替えて、廊下を覗く。

 トイレを出ると目の前に階段がある。右には理科室。左には廊下が続いていて、まっすぐ行くと三年三組がある。

 ガラガラと音がして、理科室の扉が開いた。

 慌てて桑木の制服を引っ張りながら下がり、入り口の影に身を隠す。

 理科室から人影が現れた。中肉中背の浅黒い男。その姿を見据える。

 他のテロリストと似たような服装。左手にAK、右手に血まみれのナイフ。返り血をたっぷり浴びたのか、服が上下とも赤く染まっている。

 覆面を外していた。顔がよく見える。

 日本人の顔つきではなかった。頬骨と下顎が出ていて少し面長で、どちらかというと韓国人か中国人っぽい顔だった。

 ――外国人?

 男は覆面を被り直すと、ナイフをベルトに付けて、AKを両手に構えて歩き出した。

 ――こっちに来るッ。

 慌ててさっきの個室まで戻った。足音が過ぎ去る。どうやら行ったようだ。

「…なんだ今のあいつ?他のやつとちょっと雰囲気違くなかったか?」

 桑木がそう言った。確かに、今まで殺した奴らとはオーラが明らかに違っていた。数多の修羅場を乗り越えてきたかのような、そんなオーラ…なんていうのは子供じみてるだろうか。

「とにかく、さっきの悲鳴の正体を探りに行こう」

 二人でトイレから出る。人の気配はない。

 AKを構えながらゆっくり前へ進む。さながら映画の特殊部隊だ。

 理科室の前まで来る。途端に、鉄錆のような匂いが鼻に侵入してきた。

 ――この匂い、血?

 それも濃い。今まで嗅いだどんな場所よりも血生臭い。中になにがあるのかは容易に想像できた。

「…入ってみよう」

 ドアから顔を出して部屋の中を覗く。

 その瞬間、稲井は驚愕した。

 予想通り、中には死体があった。

「…なんじゃこりゃ」

 だが、その状態があまりにも異常だった。

 まず真っ先に目に飛び込んできた死体は、腹に真っ赤な谷ができていて、割れ目から繋がったソーセージみたいなのが飛び出ていた。

 それが腸だと気づくのに、さほど時間はかからなかった。

「う、うげ」

 流石の稲井もこれには堪えた。桑木の方は今にも吐きそうだ。 

「こ、ここ、これ、な内臓?」

 桑木の問いに、稲井は頷いただけで答えた。

 死体に近づく。顔は見覚えがあった。時々廊下ですれ違う、三年生の男子生徒だ。名前は知らない。

 首筋に赤い傷が出来ている。それも一直線に、スパッと、綺麗に。凶器はナイフとか包丁とかの類いだろう。おそらくそこが致命傷だ。腸を引きずり出されたくらいでは、失血して死ぬまでに時間がかかる、と思う。

 稲井はその死に顔を覗いた。瞳孔を開けて、苦しそうに顔を歪ませたまま固まっていた。生きたまま腹を切り裂かれ、臓物を引きずり出され、痛みと苦しみにもがきながら死に絶えた、そんな顔。さすがの稲井もこれには同情せざるを得なかった。

 後ろから桑木が覗いてくる。自分から来たくせに、見た瞬間気分が悪そうに顔を顰めた。

「こ、これが、さっきの悲鳴の?」

 そうであればよかったのになあ。

「いや、この人は違う。さっきのはおそらく女子の声、でもこいつは男だから、別人ってことになる」

 立ち上がって教室全体を見渡してみる。

 予想通りというか案の定、似たような感じの惨殺死体が、教室のあちこちにごろごろ転がっていた。

「…これ、全部あいつが?」

 両目を抉り出されているもの、身体中を切り刻まれているものもあれば、首に痣があるだけでほとんど外傷がないものもある。実に多種多様な殺し方だ。

 稲井は拳を握り締めた。

 状況的に見て、これらの惨劇は先ほどここから出ていったあの外人風男の仕業ということだろう。

 快楽殺人、という言葉を稲井は思い浮かべた。生きたまま腸を引っ張り出して、考えうる限りの痛みと苦しみを与え、苦痛にもがく姿を眺めながら殺す、良心や倫理観のかけらもないイカれサイコ野郎。そんな印象を抱いた。

 そのとき、何処からともなくガタッと音がした。ほぼ反射的に銃を構える。体がどんどんこの状況に慣れてきてしまっているような気がした。

「誰?」

 理科室の奥、掃除用具入れのロッカーが、微かに揺れるのが見えた。

 こういうとき、テロリストか生徒、どちらがロッカーに隠れる側なのか考えると、答えは明白である。

 桑木と目配せをする。ロッカーに近づき、ドアを開けた。

 目に飛び込んできたのは、学校の制服を着た女子生徒だった。

「ぃやあぁだあ殺さないでえぇぇぇ」

 彼女は上目遣いで稲井の姿を見ると、途端に泣きそうな目をしながら、両腕で頭を抱えて叫んだ。

「は?いやちょ、静かに黙れ!」

 いきなり叫ぶな。敵に位置がバレたらどうするんだ馬鹿。

「お願いします助けてくださいいぃ」

 しかし、残念ながら稲井の言葉は耳に届いていないようだ。このままだと土下座でもして命乞いしてきそうな勢いだったので、とりあえず落ち着かせることにした。

「ちょっま、落ち着いて落ち着いて、大丈夫だから、敵じゃないから味方だから」

「え…」

 稲井がそう言うと、彼女は急に静かになった。そして稲井の身体を頭から爪先まで舐め回すように見たあと、ふわーっと力を抜いてロッカーに寄りかかった。

「良かった…」

 自分を殺しにきた敵だと思ったら味方だったからほっとしたのだろうが、この感情の上がり下がり具合は、まるで射精したあとの賢者タイムのようだ。

「…えっーと、とりあえず名前教えてくれるかな」

「…井ノ原結菜(いのはらゆいな)です」

「クラスは?」

「三の二…」

 三年生。普通に先輩だった。

「井ノ原さんですか。僕は二年一組の稲井です。こっちは三組の桑木」

 稲井が桑木を指しても、なぜか桑木は会釈すらしなかった。

「井ノ原さん、ここで一体なにがあったんですか」

 おそらく結菜は、ロッカーに隠れながら、ここで起きた惨劇の一部始終を見ていたはずだ。

 結菜は顔を伏せた。きっと、脳裏には数分前の地獄のような出来事が再生されていることだろう。

「…さっき、理科の授業中に、いきなり鉄砲持った人が入ってきて、そしたら、先生が撃たれて、放送で学校を占拠したとか言ってるから、やばいって思って、前の方でみんなが立ってるから見つからないと思って、掃除ロッカーに隠れたんです。それで何分かしたあと、別の男が入ってきて、みんなを鉄砲で撃ち始めて…」

 さっきの外人風男が、逃げ惑う生徒たちの背中に銃弾を撃ち込む姿を想像する。泣き叫び、助けを乞いながらただただ殺され続けるだけの生徒たち。そして笑いながら残虐の限りを尽くすテロリスト。

「そのあと、男がナイフを出して、倒れてる子たちに近づいて、笑いながらお腹とか顔を刺し始めたんです。みんなやめてとか叫んでるのに、それすらも面白がるみたいにどんどん刺して…」

 そこまで言って、結菜は言葉を詰まらせた。

 腹を裂かれもがき苦しむ生徒。目をくり抜かれ泣き叫ぶ生徒。首を絞められ音もなく事切れる生徒。

 ロッカーの中からそれを見ていた結菜は、一体どんな気持ちだっただろう。怖くて仕方がなかっただろうか。なにもできず、自分の無力さに苛立っていただろうか。とにかく、やりきれない気持ちだったことは間違いない。

 ますます稲井の怒りのボルテージが上がってきた。こんなことを平気でやるようなクソ野郎を、自分のやったことと同じ目に合わせてやりたい。

 またさっきと同じ興奮が出てき始めた。

「…井ノ原さん、少し協力してほしいです」

「…え?」

「奴らを、みんなをこんな目に合わせたクソ野郎どもを一人残らず殺してやりましょう。だから、少しそれに協力してほしいです」

 井ノ原は教室を見渡したあと、また稲井に向き直り、深く頷いた。

 パーティーに一人加わった。なんだかRPGをプレイしてる気分だ。

 いつもと同じように、頭の中に妄想を広げる。どうやってあいつらを調理してやろうか。どうやったらあいつらを一網打尽にできるだろうか。

 ――よしこの方法なら。

 さっそく準備に取り掛かろう。幸いここは理科室。使えるものが山ほどある。

 黒板脇にあるドアを開けると、隣の理科準備室に繋がってる。中にはよく授業で聞く薬品や実験器具がたくさん。もちろん、毒も劇物も。

 これ使えるかも。あ、これもちょっと手を加えたら武器になるんじゃ。いや、どうだろう。稲井は理科が苦手だから本当に使えるのか分からない。

「…ねえ、井ノ原さんは勉強得意?」

 急に話を振られた結菜はきょとんとした顔を浮かべたが、

「えーっと、一応得意な方だと自分では思ってるけど…」

 とすぐに答えてくれた。

「じゃあ、この中で戦いに使えそうな物、なんかない?」

「え、えーっと…」

 結菜は薬品の瓶や実験器具が片っ端から詰められた棚を端から端まで見たあと、いくつかの物に手を付けた。

「これ、とかかな」

 手に取ったのは実験用のエタノールの瓶とマッチ、そして掃除用の雑巾だった。

「エタノールってアルコールだよね?あんま強そうなイメージないけど…」

 しかしそこまで言ったところで、使い道が一つ思いついた気がした。

 ――なるほど。その手があったか。さすが、頭がいい人は違うな。

「あと、これも使えんじゃないか?」

 桑木が持ってきたのは新聞紙に包まれたドライアイスだった。今も隙間から白い煙がモワモワ出ている。そして今まで知らなかったが、理科準備室には冷凍庫まであるらしい。そこに入ってたのか。

 ドライアイス…思い当たることがあった。昔、実験系のユーチューバーが動画で使っていたのを見た気がする。なるほど。あれにちょっと工夫をすれば使えそうだ。

 そんな感じで三人で使えそうな物をかき集め、いざ戦の準備が整った。

「よし、これだけあれば少しは戦えるかな…」

「なあ稲井、本当にマジでやるのか?勝算はあるのか?」

 桑木が言った。よく見たら結菜も不安げな顔だ。

「…分からない。でも安心して。俺は分からないけど、二人は必ず生きて帰すから」

「は?それってどういう…」

 AKのコッキングレバーを引いて弾を満タンに入れる。ちなみにさっき入らなくて死にかけた弾倉は回すようにして挿れたらちゃんと嵌った。

「とにかく、やるよ。こんなことをする奴らだ。次はなにするか分かんない」

 理科準備室のドアを開けた。敵の姿はない。

 テロリストとの全面戦争の火蓋が、切って落とされた。


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