番外編:海辺の一日
仮面舞踏会への招待状を受け取った日の午後のこと。
ミミはリカオンが慎重に選んだエルフ向けのパレオ付き水着を身につけ、二人の花嫁候補に挟まれてウキウキしながら海へと向かった。
「わーっ! 海! うみうみ! ううう……うみーっ!」
砂浜が見えた途端、ミミは革のサンダルを放り出し裸足で駆け出していた。意識せずエルフの脚力を発揮してしまい、周囲には盛大に砂がまきあがる。
「ぶぇっ! ちょっとミミ、口に砂入っちゃったじゃないのよ! ぺっ、ぺっ……」
オセロットが砂を吐き出しつつ文句を言う頃には、ミミはとうに浜辺を駆け抜けて海へと飛び込んでいた。
派手な水しぶきを上げながら、人魚のように巧みな泳ぎで水面をはしゃぎ回る彼女を見て、リカオンはくすっと笑う。
「よほど嬉しかったんですね」
「島育ちってだけあるわね。あんな感じで毎日泳ぎ回ってたのかしら」
オセロットもつられて笑って、どんどん遠くへ泳いでいくミミを見守る。
「……あれ。どこ行った?」
ミミを見失い、海に目をこらすオセロット。するとはるか沖合いでジャバジャバと飛沫が上がるのが見えた。
「はは、あの子自力でこの国出られちゃいそ。ちょっとずるいと思わない?」
笑いつつも少し憂いのある顔をするオセロット。自分がどれだけあがいても抜け出せないこの国という牢獄を、いともたやすくこじ開けてみせるミミの姿は痛快でもあり、また少しまぶしくもある。
「……ミミ様お一人では行かれませんよ。たぶん」
リカオンはそれだけ言ってふっと笑った。
***
「しっかし、よくまああんなに泳ぐわね。信じらんないな。あたしなんかお風呂も苦手なのに……」
ミミが縦横無尽に海を泳ぎ回る間、砂に腰掛けてのんびり過ごす二人。オセロットは靴のつま先で延々と砂を掘り返しては埋めて、一見退屈そうにしつつも唇はうっすら微笑んでいる。自分でも言っていた通り、彼女は砂浜が――というより砂が好きなのだった。
「社交の場に出るのですから、体臭には気を使っていただけると助かりますが」
釘をさすリカオンに、むっと顔をしかめるオセロット。
「あたしが臭いみたいな言い方やめてよね。ちゃんと洗ってるっての。っていうか、あたしも行くわけ? 舞踏会」
「当然でしょう。こういった催事に出席する際、エルフの貴人たちは見映えのする伴侶を数人連れていくのが礼儀です。ミミ様の伴侶と言える人間は私たち二人だけですから、選択の余地はありません」
リカオンの説明に、オセロットは嫌そうに目を細める。
「自慢のペットのお披露目会ってことね。ゲロ吐きそ。……でもま、エルフどもにミミがナメられるのもいい気分じゃないか」
「……そういうことです。ミミ様には余計なことに煩わされて欲しくはありませんから」
「あんたって過保護よね、ホント」
「あの方がここに慣れるまでの間ですよ。いずれ一人前の王族として成長なされれば、私の手助けもいらなくなるでしょう」
「どうかな。こんな国に慣れちゃったミミなんて、あたしは見たくないけど……」
二人がぼそぼそ話していると、やがて水しぶきが沖から砂浜へとまっすぐに近づいてきた。
「おーい! 二人ともーっ、おさかなとれたよー!!」
海面から勢いよく飛び出してきたミミは、両手に1匹ずつ大きなマグロを持っていた。自分の体より大きな魚の尾びれをつかんで砂浜を豪快に引きずってくる様は、さながら戦地から凱旋する将軍のごとく堂々としていた。
「あんたそれ、遠洋の魚じゃないの? どこまで行ってきたのよ……」
魚の大きさに気圧されつつ、オセロットが言う。
「わかんないけど、おいしそうだよ!」
「……まあ、それは認めるわ。これから一週間は魚づくしね。ご苦労様」
魚好きのオセロットは少し嬉しそうに言って、ミミの頭をなでる。なでられ好きのミミはにまっと笑って喜ぶが、ふと周囲を見渡して首を傾げた。
「あれ……この砂浜、誰もいないんだね。みんな、海好きじゃないのかな……」
ミミの言う通り、浜辺にいるのは彼女たち三人だけだった。急に寂しさを感じて、うつむくミミ。
「平日の昼間っから海で遊ぶほどみんな暇じゃないってだけよ。それにこの辺りは『エルフの浜』だし」
「エルフのはま?」
オセロットのつぶやきに、ミミは興味ありげに耳をひくつかせる。
「エルフの血族かその同行者以外は立ち入れない場所ということです。ここは最も過ごしやすい浜ですから」
そう答えたのはリカオンだ。海の潮に濡れたミミの頭を丁寧に拭きながら、彼女は浜辺を見渡す。
「人間用の浜は少し離れたところにあります。静かな方が落ち着けるかと思ってこちらにご案内したのですが、お気に召しませんか?」
「うん……なんだか、さびしーよ。みんないる方がいいな……」
「……そうですか。では、そちらに移動しましょう」
「うんっ!」
勢いよく返事して、ひょいと足を踏み出した瞬間。
「へむぐっ……」
ミミの足の下からくぐもった声が聞こえた。
「ふぇ?」
きょとんとしつつ足元を見る。すると素足で踏みしめた砂の下、何かがもぞもぞと蠢いていた。
「きゃっ!」「ひゃっ!」「ふわわっ!?」
三者三様に声をあげ、慌てて飛び退くミミたち。
ミミの足が離れた後も、砂の下ではまだ何かがビクビクと上下に震えているらしく、砂粒がぱらぱらと周囲にはねている。
「なっ……何!? ミミ、あんた何踏んづけたのよ!」
勢いでついミミを責めるオセロット。しかしミミもさすがに予想外の状況に困惑気味だ。
「わかんないよーっ! 砂の下だから……か、貝かな!?」
「貝が声出すわけないでしょ!」
「…………」
見るからにおたおたする少女二人と、見た目は冷静ながらも内心狼狽して無言になるリカオン。
しばらくして、砂の下の不気味な振動は唐突にふっと止まった。ミミは落ちていた流木の枝でつんつんと砂をつついたが、反応はない。奇怪な声も聞こえなかった。
「し……死んじゃったのかな」
悲しげな声を出すミミだが、オセロットはまだ不快感をあらわに顔をしかめていた。
「……何なのこの浜。魔獣でも棲んでんじゃないの」
「そんなはずはありませんが……いずれにせよ、早く離れたほうが良さそうですね。行きましょう、ミミ様」
左右からミミの手を取って、リカオンとオセロットはずるずると彼女を引っ張って歩きだした。
ミミは引きずられるまま砂にかかとで線を残しつつ、心配そうに砂の下を見つめていた。
「じゃーねー……貝さん、お大事にー……」
――そして、三人がエルフの浜を去った後。
砂の下で、再び何者かがもぞもぞと蠢き、不吉な言葉をつぶやく。
「あ、危なかった……でも……あれが王子様の、おみ足の感触……くふ、うふ……いい」
その得体の知れない何者かは、しばらく砂の下でぐふぐふと不気味な笑い声を立てていた。