一説『連なる青の近親者』3
浅い川を渡り切った二人は重厚な扉の前までやってきていた。エリーが見つけた建物は氷山の一角でしかなかったらしく、小さな村の一つ程度であれば簡単に入ってしまいそうだった。
「神殿?見たことない模様ですけど」
「ここも同じぐらいの風化具合か。同時期の建物かもしれないな」
「神秘的ですね……」
正面入り口であろう扉に張り巡らされた蔦を見る限りでは魔物が入っていないようだったが、別の場所に入口がないとも言い切れず、自然と慎重に蔦を切っていた。川を渡ったことで匂いがある程度消せていたのが彼らに精神的な余裕を生んでいた。
肩でゆっくりと押していく扉は埃を吐き出し、何年ぶりかの陽の光を内部に射し込ませた。
どこからか風がやってきているのか踏み出した足には土と落ち葉の感触が返ってくるものの、それは裏を返せば魔物が入ってくる隙間があってもおかしくはないということである。耳に届く風の音が恐怖心を増幅させているようだった。
神殿内は酷く暗い。入口だけであっても陽の光だけでは到底照らしきれないだけの広さはかつての繁栄と虚無感を感じさせ、細かく輝く埃に二人は目を細めた。探索するのなら篝火は必要だろう。
「ちょっと待ってて」と、ギャレットは火打石を使って簡単に炎を生み出した。乾燥した落ち葉が多くあったために簡単に火をつけることができたが、これだけでは明かりを持ち運ぶことができない。手頃な木の棒に布を巻き、小瓶から油をかければ簡易ではあるが松明の完成である。
「どこか小部屋を探そう。見た感じ魔物の痕跡はないし匂いもないけど、リレーティブルーが追ってくるかもしれない」
「せっかく焚き火作ったのに行っちゃうの?」
「そうだね、もったいないけどしょうがない。いつまでも入口で居るのも危ないし。もうちょっと腰が落ち着けれる場所を探そう」
エリーはギャレットの背中にしがみつくようにくっつき、ギャレットはそんなエリーに困ったような表情を浮かべて神殿内部を歩き出した。
等間隔で立ち並んでいる柱は随分と高く、松明の小さな炎では天井を照らすことができなかった。明り取りの窓や枠は大人の身長でも届かない位置にあり、天井の高さもあってか巨人でも住んでいたのではないかと思わせる。
ブルーのような小さな魔物が入りにくい造りであることは利点ではあるが。
入口から続く広い通路は扉で仕切られておらず、どうしたものかと考えたところでギャレットの脚が止まった。後ろを歩いていたエリーも自然と脚が止まり、背中にぶつけた鼻を撫でていた。
ギャレットが腰を落とすのと同時にエリーは慌ただしく周囲を見渡したが、何か警戒するようなものがいるわけでもない。疑問はすぐに口に出た。
「ギャレットさん……?」
「骨がある。リレーティブルーは居なかったんだが……。近づくから離れないで」
「え、骨!?……まさか人の」
エリーの言葉にギャレットは何かを返すことはなかった。彼女の予想が的中したのもあったが、その骨の全体像が問題であった。
元は白かったであろう装束は所々穴が空き、黄ばんでしまっているが上等なものであることはすぐに分かった。更には人骨が身に着けていた装飾品の数々はそれを売り払うことで一生を遊んで暮らせる価値があろうことも。
(見た感じ槍で刺殺されたみたいだけど、身分が高いだろう人間がこんな雑に捨て置かれるのか?何か埋葬出来なかった理由があるはずだ)
何か当時の様子が無いかとギャレットが注意深く見渡してみれば、それは大量にあった。
出るわ出るわ、どこかが欠損した人間の骨の数々。ここで争いがあった事実を知れば、エリーは喉からせり上がってきた激しい不快感に嘔吐し、ギャレットは無感情に眼前の屍が持つ金品をホルダーにしまい込んでいた。
めぼしいものが無くなるとギャレットはエリーの背中を撫でてやり、彼女の口元を布で拭ってから水袋を手渡した。
「……落ち着いた?思ってたような休憩とはいかなかったけど、ここを離れたほうがいいかもね。そろそろ松明の火も消えちゃうし」
「うん……」
「あれを見た後じゃ仕方ないよ」
ギャレットはエリーを抱きしめ、彼女の顔に色が戻るまで温め続けた。精神が動揺しているならこれが一番だろう。
だが、一瞬の安らぎはすぐに奪い去られた。
甲高い、犬が空に鳴くような、抜けていくような鳴き声。「な、なに!?」と驚くエリーを少しだけ自身から押し返したギャレットは小さく声の主の名を呼んだ。
「……リレーティブルー」
追いついたのか、と続く言葉がエリーに聞こえたかどうかは怪しいものであったが、ギャレットは構わずに彼女に優しく伝えた。
「いいかい?ここは不気味だろうけど、あいつらに比べたら幾分かましだ。少しばかり戦ってくるから、待ってるんだよ……?大丈夫。すぐに戻ってくる」
エリーの肩を掴んで瞳を合わせて語るギャレットの言葉は彼女に安心感を与えたが、その安らぎを放したくないのか、彼女の手は彼の服を掴んで離さない。
「エリー。君は強い娘だ。そのことは君の母さんも、僕だって知ってる。この手を放してくれるよね……?」
「卑怯です」
「……卑怯でいいんだよ。僕は冒険者だからね」
エリーの手を取って優しく衣服からほどいたギャレットは苦笑いを浮かべて来た道を走り出した。
残された彼女の手には松明があったが、今の彼女に松明の温もりは酷く頼りないものに感じられたのだ。