<夢落ちSS>『俺の悪役令嬢が可愛い』ほか
<おまけSS>
『ラスボスの娘』
ラスボスを前にして、僕たちは凍りついていた。
白銀の髪に、逞しい褐色の肌。
端正なその顔は、年を経てさらに艶っぽい。……ま、僕も負けてないけどね。
獅子皇帝と呼ばれる彼は、獣化していなかった。
両手の武器さえ装備していない。
腕組みをして立つ優美な姿は、そのまま一幅の絵画になりそうだ。
青い瞳に映されただけで、僕たちは動けないでいる。
風も入らない室内、石造りの塔の最上階、床に描かれた魔法陣の上に立ち尽くす僕たちに押し寄せるのは威圧感。
戦闘態勢を取っていなくても、南の大陸を統べるファダー帝国皇帝の視線には、小国の王族たちの動きくらい軽々と封じてしまう力があった。
迂闊に動けば負ける。
薄い唇が開いて、低い声が言う。
「……来ないのか? なら、こちらから行くぞ」
ぼふっ!
言葉に呼応して、僕の前に並んでいた三人が獣化する。
右に蛇、左には虎、真ん前に黒い熊。
黒い熊の横顔から見える紫色の瞳が、真っ直ぐに義兄を射る。
「勝負なのです」
ラスボスの口角が上がり、
ゥゥウウウオオォォォッ!!
彼は吼えた。
神獣の咆哮は悪しきものを浄化し、ほかの獣人たちを従える力がある。
四つ足の神獣に変身していなくても、白銀の獅子皇帝の咆哮には強い力が満ちていた。
ぺたん、と黒い熊が膝をつく。
ラスボスは笑って、軽く息を吸い込んだ。
……うん、わかる。
獣人でない僕でも、この咆哮が直撃したら動けない。単なる声じゃないんだ。
ゥゥウウウオオォォォッ!!
二度目の咆哮を放って、皇帝は眉を寄せた。
一度目から二度目の咆哮までは一瞬だったけど、ファラウラが盾になってくれた時間を僕は無駄にしていない。
カキィィィ……ンンンッ。
世界には、みっつの魔法属性がある。
氷と泥と雷だ。
氷は泥を固め、泥は雷を分散し、雷は氷を打ち砕く。
僕の造った氷の鏡が、属性など関係のない咆哮を跳ね返す。
神が皇帝に与えた祝福は、純粋な力だ。
「ふんっ」
自分自身の力の余波を、皇帝は気合で打ち払う。
でも十分!
ココ姉上の妖霊たちに憧れた僕は、自分の魔法属性をひとつに絞らなかった。
すべての魔法属性を鍛えてきたんだ。人の三倍修行するのはしんどかったけどね。
「はあっ!」
僕は蛇のケルシュが放った矢に、練り上げた雷の魔力を纏わせた。
いくらケルシュの鱗が鋭くても、接近戦は絶対ダメだ。
咆哮がなかったとしたって、皇帝は強過ぎる。
『マズナブの黒い竜巻』と恐れられているファラウラの、娘以上に強い父君を打ち破って、武術大会で優勝したことまであるんだからね!
「……さすが主人公だな」
煌めく矢を見つめ、皇帝がひとりごちた。
『主人公』っていうのは、どうやら僕のことらしい。
たまに言われるんだよね。
ココ姉上が言い出したみたいなんだけど、姉上には不思議なところがあるから、いつか僕が主人公の芝居が上映される未来が来るのを予見されたのかもしれない。
まあ確かに、僕みたく美形で頭が良くて魔力も強い王子がいたら、物語にしたくなるだろうなあ。変に史実に合わせたりせず、僕を演じる役者には背の高い美青年を使ってほしいもんだね。
──って!
「……これで終わりか?」
銀の鬣を揺らし、獣化した毛むくじゃらの腕で矢を叩き落とした皇帝に尋ねられて、僕は虎獣人のバルクークを見た。
「……ペタロ、ごめん」
彼女は小刻みに震えている。
最初の咆哮で与えられた恐怖から、まだ立ち直っていないんだ。
その手に握られた瓶の中では、さっき僕がこっそりと発動したゴーレムが蠢いている。
雷属性の魔力を帯びた矢が叩き落とされるのは、想定内だった。
けれど矢が落ちた場所には、この瓶があるはずだったんだ。
中で蠢くゴーレムが相性の良い雷属性の魔力を吸収して瓶を割り、ラスボスに襲いかかる。そこまでが僕らの計画。バルクークが瓶を転がしてなかったら、なんにもならない。
「ま、まだなのですっ!」
諦めかけた僕を、ファラウラの叫びが奮い立たせてくれたけど、
「……そうか? 残念だったな、これで終わりだ」
獣人の瞬発力で距離を詰めたラスボスが、
ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
と、僕たちの頭を軽く叩いた。
そういえば、ラスボスってなんだろう。
芝居の悪役や敵役のことかな? ナジュム皇子が言ってたの真似してるんだけど、言い出したのはやっぱりココ姉上らしい。
今度聞いてみようかな。
でも追試になっちゃったから、マズナブ王国へ遊びに行く余裕がないや。
アネモス王国のみんな、帰って来いってうるさいんだもん。
僕は溜息をついて、その場に腰を降ろした。
……あーあ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「盤上遊戯ではないのだから、実戦では凝った作戦よりも二の手三の手を考えておくべきだったな」
修練室の窓を開けながら、試験官の皇帝が講評をしてくれる。
「氷の鏡、雷の矢、泥のゴーレムと繰り出していくのが、二の手三の手のつもりだったんですよ」
修練室の窓を閉め切ってもらったのは、室内に匂いや魔力を充満させることで、わずかな動きを察知されないようにするためだった。密室のほうが魔力を増幅しやすいっていうのもあるし。
まあ獅子皇帝、ファダー帝国のバドル陛下相手にその程度の策略じゃ、考えるだけ無駄って感じだったみたい。
窓を開け終わった皇帝が、僕たちの前に胡坐をかく。
「皇帝陛下。学長先生直々の試験、ありがとうございました。よろしければ、これを。賄賂ではないのでご安心ください」
人間の姿に戻ったケルシュが、持ってきた水筒から注いだお茶を皇帝に渡す。
ケルシュはそつがない。お茶を用意する前は、皇帝と一緒に窓も開けてた。
お茶の杯を受け取って、皇帝が笑う。
「ありがとう。だが、べつに賄賂など必要ないだろう? お前たちは、優秀な成績で試験に合格したのだから」
「え! 僕たち合格なんですか?」
「ああ、前期の試験に勝敗は関係ない。自分の力をどれだけ理解しているかを確認しただけだ。俺との戦いでは少々策に溺れてしまったようだけれど、階下での魔獣戦や謎解きではそれぞれの特性を活かして解決していたからな」
そういやそうか。
帝国大学では、社会や世界に役に立つことを学んでいるかどうかが重視される。
本人の専攻によっては修練の塔に登らなくても、制作物を提出するだけで良かったりするもんね。
「やったー! ねえファラウラ、マズナブへ遊びに行ってもいい?」
ファラウラが僕に頷く。
ケルシュのお茶を飲んだことで、咆哮への恐怖から解放されたらしい。
「かまわないのです。でもお国は大丈夫なのですか? 前にケルシュは、ペタロは実家に帰らなくてはならないから、来られないと言っていましたが」
僕はケルシュを見た。
杯を持った腕が、僕に向かって伸ばされる。
うん。お前それ自分で飲む気だったよね? バルクークはもうもらって飲んでるし、僕にだけ渡す気なかったよね?
「……お茶」
「……ありがとう。うんファラウラ、国のほうは大丈夫。休みの最後のほうで、ちょっとだけ帰るから」
なるほど。受け取った杯のお茶で唇を湿らせて、僕は納得する。
バルクークとファラウラの会話を盗み聞いて、仲良し四人組の中で僕だけマズナブに誘われないのはなぜだろうと思ってたけど、お 前 の 仕 業 か。
いい加減信じてよ。
僕とファラウラはただの友達で、恋愛感情なんかかけらもないって!
そりゃココ姉上にそっくりな姿を見て、年齢も釣り合うし、彼女が僕の運命の相手かもって思ったりもしたよ?
でもココ姉上の膝を巡ってケンカして、思ったんだ。
この娘とつき合ったら僕死ぬ、って。
拳一発で意識飛んだからね!
まあ、うん、ファラウラはいい子だよ? いい子だけど……うん、友達なんだよね。
彼女と初めて会ってから、もう十年近く経つのか。
ココ姉上たちが不死者を退治してから一年後くらいだったっけ。
父上がマルガリタと再婚したころだ。
僕は創立されたばかりの帝国大学の入学試験を受けたいというルルディに付き添って、帝都に来たんだったなあ。ひーじーちゃん大臣も一緒で、僕らが外遊することで父上たちをふたりっきりにしてあげたんだよね。まあ武官やほかの貴族たちは島にいたけど。
当時の学長はバドル陛下ではなく、先代皇帝のシャムス黒獅子大公だった。
すべての予算を書物代につぎ込むから、黒獅子大公は創立後しばらくして学長を退任させられたんだ。
もっとも本人は今の、大学図書館館長の座のほうが座り心地良さそうな感じ。
助手のルルディに講義を任せて自分は図書館から出てこないので、よく怒られてる。
それはさておきファラウラは、武術大会に出場するため帝都へ来てたんだ。
優勝こそできなかったものの、史上最年少の出場者として今も語り継がれてる。
いくら同い年だからって武術大会に出場する子が、まだ魔法の修行も始めていない子と本気でケンカするなって、ココ姉上が叱ってくれたなあ。
そのココ姉上が──
「……マズナブ王国か」
皇帝が、切なげな溜息を漏らす。
本当なら自分も行きたいんだろうな。
皇帝に嫁いだココ姉上は今、実家のマズナブ王国へ里帰りしていた。
ふと不安になって、皇帝に尋ねてみる。
「身重の体で妖霊の影走りなんか使って、大丈夫なんですか?」
「ああ、普通に砂漠を渡るより安全だ。……帝都にいると、アイツは無理して仕事をするからな。上のふたりの世話だけでも大変なのに」
「姉上は義兄上が大好きなので、少しでもお役に立ちたいのです」
義妹のファラウラの言葉に、皇帝は褐色の肌を赤く染めて視線を逸らす。
僕の故郷の島王国でも、皇帝夫婦の仲良しっぷりは有名だ。
そうじゃなきゃ、僕がココ姉上を奪っちゃうけどね!
「ところで義兄上、三人目はどちらだと思います?」
「俺は元気ならどちらでもいいよ、義妹殿」
「そうなのですか。わたくしは、今度は女の子が良いです。姪っ子希望なのです」
ケルシュが赤い目を細めた。
「皇女さまならきっと、ファラウラそっくりになるでしょうね」
コイツとファラウラは許婚だ。
なんでも五歳か六歳で親善大使としてマズナブ王国へ行ったケルシュが彼女にひと目惚れして、その場で求婚したらしい。最初は、ににさまのように尻尾にポフポフがある方や、星影のように美味しいパンを焼ける方と結婚するのです、って断られたんだって。
はは、は……ヤバイ。
考えていたことに気づかれたのか、ケルシュの赤い目が僕を映していた。
コイツ普段は敬語だけど、裏に回ると毒舌なんだ。
まあ帝国大学内での生徒は平等なので、普段から砕けた口調でも問題ないけどね。
九人兄弟の末っ子のせいか、やたらとケンカも強い。……背も高い。チクショー。
大学寮で同室になった初日に、壁に押しつけられて睨まれたときは怯えたね。
僕の魅力が男まで惑わしちゃったのかと思ったよ。
ファラウラに恋愛感情はないって言ったら納得してくれたものの、しばらくは彼女と話すたびに熱い視線を感じたっけ。
え、えーと。ケルシュはその後、星影と文通して料理を習ったこともあり、蛇は鶏肉に似て美味しいから、と求婚を受け入れてもらえたそうだ。
娘が求婚を断った理由に自分の名前が出てこなかったことに落ち込んだマズナブ国王の熊王陛下が、砂漠で暴れて魔獣の巣をいくつか潰したという伝説も聞いている。
……伝説じゃなかったりして。はは、まさかね。
マズナブ王国行くのは初めてだからなあ、お土産になに持っていこう。
休みが始まる前にみんなで買い物に行きたいな、なんて思ってたら、バルクークが口を開いた。
「皇女さまがお生まれになったら、お婿さま選びが大変ですね」
ちょ!
獣化の制御が苦手なバルクークは、人間の姿に戻っても虎耳と尻尾が出ている。可愛い。
とはいえバルクーク、その話題は良くないと思うよ?
父親って、娘の恋愛に過敏なものなんだから。
前に特別講師として大学に来た君の父君だって、ものすっごい目で僕とケルシュを品定めしてたんだからね!
バルクークは学者肌で、ちょっと空気が読めないとこがある。そこも可愛いんだけどさ。
「はは、そうだよね。ところで皇帝陛下……」
「お婿さま候補がたくさんなのです」
「そうですね、ファラウラ」
ゴラァアア!
せっかく僕が話題変えようとしてんのに、なんで戻すの?
筋肉脳みそのファラウラも、親友のバルクークと同じで空気が読めない。
ケルシュは読めると思うんだけど、許婚のファラウラの言葉に否は言わない。
ほらほら、皇帝の眉がぴくぴくしてんじゃん。
「皇女さまがお生まれになったら、まず間違いなく我が国の陛下が黙っていませんね。殿下とのご縁談をお申込みになるでしょう」
ケルシュの実家、ダルブ・アルテッバーナ女王国の女王陛下はモフモフ好きだ。
蛇以外の毛むくじゃらの獣人が大好きってこと。
ケルシュが親善大使を命じられたのだって、他国でモフモフ獣人の嫁を見つけさせるためだったという。ファラウラと婚約したのは彼の意思だけど、女王の命令も果たせて良かったね。
「ダメですダメです、姪っ子はマズナブに嫁ぐのです。ジュヌードの子どもは男の子だし、ライムーンのところにも八人男の子がいます」
「黒獅子大公閣下のおふたり目も男の子ですよね。あ、でも長子のマグノリャさまがナジュム殿下の許婚だから、二重の婚姻は良くないかもしれませんね」
「年の差はありますが、バルクークの叔父上でもいいのではないですか? 確かまだ独身でしたよね? 星影さんの双子も、どちらも男の子ですし」
「護衛で恋人というのは素敵なのです」
ファラウラがうっとりした表情で言った後、皇帝が口を開いた。
「……やらん」
首を傾げる三人に、皇帝はさっきの試験のときよりも遥かに気合の入った視線を向ける。
「娘は、どこにも嫁になどやらん。……なんてな」
「義兄上ったら、本気でおっしゃってるのかと思いました」
「びっくりしましたね、ファラウラ」
「うふふ。話に出たすべての男性を魅了するかもしれませんよ? 皇帝陛下似なら絶世の美少女になりますもの。メシュメシュ姉さまそっくりでもお可愛らしいですしね」
「そうか? バルクーク嬢、ありがとう」
にこやかな雰囲気に、僕は口を挟めなかった。
だって、皇帝の青い瞳の奥が笑ってないんだもん。
異母妹の縁談の話を出されたときの、僕の父上と同じ顔をしてる。
正直言うと僕も、異母妹がどんな男を連れてきたとしても気に食わないと思う。
まだまだ子どもだから、当分先の話なのにね。
うちは僕だけだけど、ファダー帝国にはふたりも皇子がいる。
ふたりの兄に認められても、ラスボスの皇帝陛下までいるんじゃ無理難題にもほどがあるから、ココ姉上の三人目のお子は男の子に生まれたほうがいいんじゃないかなって、僕は思った──
<夢落ちSS>
『俺の悪役令嬢が可愛い』
朝目覚めると、ひどく狭い部屋だった。
奴隷としてお袋と暮らしてたころに比べると、全然マシだけどな。
しかし狭いのはいいが、隣に嫁がいないのはいただけない。
一体どうしたんだ。
まさかファダー帝国皇帝の俺が、眠っている間に誘拐されてしまったとでもいうのだろうか。
「……殿下」
扉の外から聞こえてきた、星影の声に安堵する。
いや待てよ。殿下……だと?
「なんだ?」
「マズナブ王国のメシュメシュ王女がお越しです。お会いになりますか?」
言い回しが気になるものの、もちろん俺は彼女の入室を許可した。
黒い髪に紫色の瞳、象牙色の肌。
いつもと変わらない嫁は、いつもとは違った。
「おはようございます、バドル皇太子殿下。朝から申し訳ありません」
……なんだ? 一体なにが起こっているんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「『オトメげぇむ』?」
俺は兄上に聞き返した。
『げぇむ』はわかるのだが、頭にくっついた『オトメ』はなんだ。あ、『乙女』か。
ここは俺が元いたSRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』の世界ではなく、『レルアバド・ハビーブ~永遠の恋人~』という『乙女げぇむ』の世界なのだという。
ここはファダー帝国大学の学長室。
兄上は学長で、俺と嫁は生徒だった。
「そんなゲームが出ていたなんて知りませんでした。『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』の人気が出て、スピンオフが作られたんですか?」
周囲に合わせて話していただけで、メシュメシュはいつもの俺の嫁だ。
抱き合って眠っていた俺たちは、ふたり一緒に異世界に来てしまったらしい。
俺の嫁は『テンセーシャ』で、前世遊んだ『げぇむ』の知識を持って生まれてきた。おかげで俺は、獣人の宿敵ともいえる不死者『美しき蠅の女王』を倒すことができたのだが、この世界では兄上が『テンセーシャ』だった。
『テンセーシャ』は『テンセーシャ』を感じ取る。
星影やベルカから情報を集め、とりあえずこの世界に合わせて生活していた俺たちは、学長である兄上とお会いして真実を知った。
『テンセーシャ』の兄上が、首を横に振る。
メシュメシュが目を丸くした。
「え?」
「うーん、それがね、僕もSRPGの『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』しか知らないんだ。どうも前世の記憶で無双してたら、前世に影響があったのか、いろいろ変わっちゃったみたい」
兄上は俺が生まれたころ、若干十二歳で皇帝に即位し、その後『げぇむ』知識を元に大学を創設した。今は皇帝と学長を兼任して頑張ってらっしゃる。
目の下に隈がないのも前世の知識で健康を維持しているからだ。
「去年から時間がループするようになってさ、体感で十年くらい繰り返してる。それに、ある女の子に対するほかの男子の好感度もわかるようになってね。どうやら僕、サポートキャラみたいなんだ。図書室にあった購入した覚えのない本がプレイヤー向けのゲームの説明書で、それで事情がわかったわけ」
「『さぽぉときゃら』ですか」
「ああ、ゲームの進行に必要な情報を与える人物だよ。話に聞いたお前たちの元の世界では、義妹殿がバドルのサポートキャラみたいなものだったんじゃないかな。お前たちの世界は、ここほどゲーム寄りじゃなかったみたいだけど」
「もしかして、お義兄さまは隠し攻略キャラなんですか? お義兄さまとフラグを立てるために、何度も同じセーブデータを繰り返しているとか」
俺の嫁は、不思議な呪文を唱えた。
「……うーん。僕、隠しキャラの好感度もわかるんだけど、自分のはわからないな。それに、毎回目的のキャラのエンディングへは辿り着いてるよ。ループはそれから。大学といっても前世と違って二年制だから、十年で五回クリアってこと。ヒロインが今狙ってる子がメインキャラフルコンプ後に落とせる隠しキャラで、短期留学生だから一年で国へ帰るんだ。それが終わったら、ループも発生しなくなるんじゃないかな」
『テンセーシャ』だけあって、兄上も不思議な呪文が理解できるようだ。
隈以外は元の兄上と変わらないように見えるのに、やはり違うのだな。
というか、疑問点を聞いたらもっと難しい言葉で説明されるヤツっぽいぞ。
嫁が理解しているのなら、それでいいのだが。
「ヒロインも転生しているのですか?」
「違うと思う。この世界の普通の子で、僕がサポートキャラになったように、ゲームに対応する時間だけ、異世界の干渉を受けてるんじゃないかな?」
「ご自分の好きな方以外と恋愛しなくてはいけないなんて、お気の毒です」
「だよね。まあこのゲームが全年齢で、ヒロインの記憶はエンディングごとにリセットされてるみたいなのが救いだよ。……それに、本当のループの原因は……」
「お義兄さま?」
「ごめん、なんでもない。悪いけれど、僕が教えられるのはこれだけだ。またなにかわかったり、思い出したりしたら教えるから、とりあえずしばらくはモブキャラやっててよ」
「モブキャラなら気が楽ですね」
「あ、そうだ。君たちはモブキャラじゃなくて……まあ、今はいいか。バドル、学校生活なんて初めてだろ? 今は仕事を忘れて、青春を謳歌しなさい」
何度も繰り返したおかげでこの二年間の皇帝の仕事がすごく楽になり、暇になった時間は大学の図書室で本を読んでいると、兄上は笑う。
「それも悪くはないですが……」
俺は嫁を見た。
気持ちを察したのだろう。メシュメシュは赤くなって顔を伏せる。
兄上が、きりりと眉を吊り上げた。
「夫婦生活は我慢しなさい。うちの大学は恋愛自由だけど、不純異性交遊は禁止だからね」
……夫婦だから、不純じゃないし。
兄上の大学への入学に身分の区別はない。
働いて学費を貯めてから入学する平民がいたり、自国のお家争いから逃れるために放り込まれる子どもの王侯貴族もいたりで、生徒たちの年齢はまちまちだった。
さすがに護衛の同行は許されている。
学年が同じでも受ける授業が違ったり、逆に違う学年で同じ授業のときもあった。
それぞれの能力に合わせた教育を与えているということだ。
俺とメシュメシュは許婚同士ということで、同じ学年で授業も大体同じだった。
許婚か……本当は夫婦なんだけどな。
とはいえ市井の男女のように、国の重責から離れて過ごすのはなかなか楽しかった。
もっともすべての授業が終わって寮の部屋(ファダー帝国大学は全寮制だ)へ戻った俺はネムル・アルカトに迎えられ、皇太子の仕事をすることになったのだが。
そういえば、時間も元の世界とは違っていた。
今は俺とメシュメシュが結婚した年の翡翠月、武術大会の前だった。
俺関係の仕事の進行状況は、あまり変わっていない。
徴税局が正常化してなくて石英から黄金も抽出できていないのに、兄上はどうやって大学創立の資金を捻出したのだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その日、目が覚めると昨日だった。
『レルアバド・ハビーブ~永遠の恋人~』の世界に転移してからは、すでに数日が過ぎている。
星影と話したが、異常を感じているのは俺だけのようだった。
兄と一緒に護衛してくれている月影は、今は例の仕事で出かけている。
教室でメシュメシュと合流すると、彼女も時間が繰り返していることに気づいていた。
これが、兄上のおっしゃっていた『るぅぷ』というものか。
昼休みに呼び出されて、俺たちは学長室へ向かった。
「ごめんごめん。昨日、もう今日かな? に隠しキャラ攻略の必須イベントがあったみたいでロードされちゃった。前世でこのゲームしてないから、イベントの発生時期がわかんないんだよね。……言わなくて済めば、それでいいと思ってたんだけど」
なんと、俺とメシュメシュはこの『げぇむ』のヒロインと恋人を邪魔する悪役だという。
まあ皇族に生まれた以上、正しいことをして恨まれるのも珍しいことではない。
それにこの世界に元いた俺も、国や兄上のために役立たずの皇太子を演じていた。
許婚のメシュメシュや腹心の星影たちは真意をわかってくれているのだから、他人に悪く思われていても関係ないだろう。
そういえば、俺は神獣ではなかった。
この世界には不死者がいないのかもしれない。
「悪役……ということは、わたしは悪役令嬢なのですね。もしかして断罪されてしまうのでしょうか」
「断罪?」
「はい。わたしは乙女ゲームをしたことがないのですが、前世の友達の話によると、ヒロインの邪魔をする悪役令嬢は最後に悪事を断罪されて、許婚に婚約破棄されてしまうのだそうです」
「なんだと? 本当なのですか、兄上」
「い、いや違う。そういう断罪はないよ。でもイベントが起こらないと、ランダムなのかと思って、プレイヤーがいつまでもロードを繰り返す危険がある。二年単位ならまだしも、一日を繰り返すのはキツイと思うから、ふたりであのカップルにイジワルをして来てもらいたいんだ」
兄上が、学長室の窓から中庭へと視線を送る。
中庭の長椅子には、楽しそうに弁当を食べる男女の姿があった。
「イジワル……自分の行動が結果的にそう思われることはあるが、意識的にしようとすると思いつかないな」
「うーん、イベントは昼休みか放課後に起こるから、放課後までに考えてくれれば大丈夫だと思うけど」
「はい!」
突然メシュメシュが挙手した。
「わたし、イジワルを思いつきました!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
放課後、俺とメシュメシュは図書室で勉強をしていた。
大学の創立が早かったから当然といえば当然なのだが、ここは元の世界よりも魔法の研究が進んでいた。この知識を持って帰れれば、魔法技術は大きな躍進を遂げるだろう。
……元の世界に戻れれば、だけどな。
「メシュメシュ」
「なんですか、旦那さま」
ぽろりと言って、嫁は顔を真っ赤に染めた。
「す、すみません」
「べつにいい」
「ダメです。だれが聞いているかわかりません。バグだと思われたら、さらに面倒なことになるかもしれませんよ?」
「わかった、俺も気をつけよう。それより、さっきの行動は本当にイジワルだったのか?」
昼休み、俺たちは弁当を食べるふたりの前を歩いた。
歩いているときにメシュメシュが抱きついてきて嬉しかったけれど、それだけだ。
直接話したり乱暴をしたりはしていない。
メシュメシュは、ひどく沈んだ表情になった。
「はい。我ながら、とてもひどいイジワルをしてしまいました。バドル皇太子殿下との仲の良さを、あんな風に見せつけるなんて」
「……兄上の話だと、俺は攻略対象キャラではないと言うぞ。それにあの女、一緒にいた男と結ばれたいんだろう?」
「あ! イ、イジワルではなかったでしょうか?」
「まあ目当ての相手とまだ恋人になっていないときに、ほかの恋人たちに見せつけられるのは、イジワルされているようなものかもしれないが」
「ううう……」
俺は笑って、そっとメシュメシュの頭を撫でた。
『るぅぷ』なしで卒業まで時間が進んで、もう一度嫁と結婚できるのなら、このまま俺はこの世界に骨を埋めても構わなかった。
もし『るぅぷ』とやらが発生したら……兄上を説得して退学し、宮殿へ戻って結婚しようと思う、うん。
──とりあえず、きちんと明日は来た。
俺の可愛い悪役令嬢のイジワルが成功したのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「バドル皇太子殿下、僕はあなたを断罪する!」
ヒロインとかいう女が狙っている隠しキャラが俺に言ったのは紅玉月、俺の十八歳の誕生日だった。
場所は宮殿。
元の世界ほど大がかりではないが、一応俺の誕生日を祝う宴が大広間で開催中だ。
異国からの留学生であるこの男も招かれていた。
隣にはヒロインもいる。
兄上にも予想外だったらしい。驚いた顔をなさっている。
声を出さずに動く口元は、今夜だったのか、という言葉を紡いでいた。
……ふむ。
断罪が話題に出たときの会話で兄上の歯切れが悪かったのは、断罪されるのが悪役令嬢であるメシュメシュではなく、俺のほうだったからなのか。
意外だったのは時間だけのようだから、短期留学生のこの男以外のときは、卒業記念の宴ででも断罪されていたのだろう。
俺は男に視線を向けた。
「ほう……俺の罪とやらを言ってみろ」
「徴税役人たちに不当な額の税金を集めさせて、私腹を肥やしていた。そうだな?」
男の部下に押されて出てきた商人は、怯えた顔で首を横に振る。
「と、とんでもない。税金の額を吊り上げていたのは、アタシら雇われた徴税役人です」
男が目を丸くする。
「どうしてそんな……脅されたのか? 以前証言を頼んだときは、快く引き受けてくれたではないか」
「……疑うなら調べてみろ。ソイツが徴税役人を辞任してから、俺は一度も会ってない」
「そうですよ。店に帰してください。アタシは反省してるんです。もうあんな、恐ろしい幽霊には会いたくない」
「幽霊?」
「ななななんでもありません。アタシゃなんにも言ってませんよ?」
幽霊に化けた月影は、自分のことを話すと祟りがあると告げたらしい。
この世界の月影も、元の世界と同じで抑えきれない破壊衝動を持て余していた。
もし俺がメシュメシュに教わった方法でヤツの破壊衝動を抑えていなかったら、ここで税金の着服どころか、口封じに徴税役人を殺したとして断罪されていたかもしれないな。
興奮した月影は戦闘以外に頭が回らなくなるから、同行していた護衛に現場を目撃されていそうだし。
「そ、それだけではない!」
男は挫けない。
「あ、あなたはその金で、女奴隷を買い込んでハーレムを作っているではないか」
『げぇむ』を作った前世の世界とやらでは罪だったのかもしれないが、ここではべつに罪ではない。
メシュメシュの隣で、ベルカが頷いた。
「はい。皇太子殿下は行く当てのないあたしたちを引き取って、ひとりで生きていくのに必要な技術を授けてくれました。もちろん妾になどされていませんよ。……殿下は姫さまにゾッコンですから」
「もう、ベルカったら」
メシュメシュが頬を染めた。
大学にはだれでも入り込めるからと、護衛もできるベルカを嫁の侍女につけたこの世界の俺は、なかなか先見の明があったようだ。
「だ、だが「立てる!」」
男のさらなる糾弾を打ち消したのは、兄上の嬉しそうな声だった。
「立てたよ、バドル!」
「……初めてお会いしたときから、兄上のあんよはお上手でした」
「ひどいなあ。って、知らないんだから仕方がないか。これまではね、自分の意志で動けなかったんだよ」
これまで?
それはもしかして、これまでの断罪イベントでは、ということなのだろうか。
立ち上がった兄上は、満面の笑みで留学生を見た。
「大丈夫。その子が僕たちのお祖父さまの孫だということはわかってる。事実を隠ぺいしていたのは皇太子じゃない。君たちに力を貸す振りをしていた、そのジジイだよ。……彼女を暗殺しようとしていたのもね」
兄上が指差したのは、先代を囲い込んでいた重臣のひとりだった。
閑職に追いやったとはいえ宴には呼んでいる。
後継者と親睦を深めて、世代交代を促すためだ。
「お祖父さまは女性よりも強く逞しい男性が好きだったので、軍事奴隷たちを溺愛していた。だから彼らには能力などない。そう言って、お祖父さまに仕えていた奴隷たちを始末したときのウソを守るためにね。……まあ、いい歳して正妃以外と子ども作ってたのもどうかと思うけど」
「皇帝陛下……」
「自国での君の立場が苦しいものだということは、サポートキャラとして……あ、いや、ファダー帝国の皇帝として知っている。彼女は僕の従妹だ。それを正式に認めて、君との婚姻を打診しよう。もちろん、君の国への支援もさせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます。……皇太子殿下、申し訳ありませんでした」
男と、従妹だったという女が、俺に向かって頭を下げる。
「気にするな。わざと誤解を受けるような行動を取っていたのは俺のほうだ。これからは改めるようにしよう」
「……良かった良かった」
笑う兄上の瞳には、涙が光っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──宴の後、俺たちは兄上の寝室で、家族水入らずで話をした。
兄上はいつも断罪のとき不思議な力に操られて獣化し、俺を噛み殺していたのだという。
時間が『るぅぷ』していたのは『げぇむ』の中だからでも、ヒロインやプレイヤーのせいでもなく、兄上の悲しみのせいだと悟っていらしたそうだ。
SRPG『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』での俺が成した事業を横取りした形で成功なさったことにも、罪悪感があったと言われる。
俺は、べつにだれが成してもファダー帝国が平和で民が幸せならいいと思うが。
そんなこんなでこの世界の俺との仲もぎくしゃくし、頑張った打開策もことごとく失敗していたときに、俺たちが現れた。
「まさしく神の慈悲だ。お前が助かって良かったよ。こんな愚かな兄だけど、この世界の元のお前が戻ってきたら、精いっぱい償うつもりだ。そもそも無双したとか言いながら、父上とお前の母君は救えていないしね」
「……大丈夫ですよ。俺は兄上を尊敬し、お慕いしています。この世界の俺も、きっとそうです。ところで兄上、お考えの通りなら俺たちは、明日の朝は元の世界で目覚めます。あちらではまだ大学が創立されていないので、念のため兄上が資金を捻出なさった方法を教えてください」
これ以上罪悪感に捕らえられても困るので、向こうの兄上が建物の建設資金を使い込んだことは言わないでおいた。
「んー……あのさ、僕は『レルアバド・ニハーヤ~永遠の終わり~』をプレイしたときに、ファダー帝国の図書室で本を読んで、いろいろ詳しく知ってたんだよね」
メシュメシュが目の色を変えた。
「図書室に入れたんですか? で、でも四天王戦のときは図書室の前にネムル・アルカトさまがいらして入れませんよね? ほかのときは敵陣の宮殿には行けないし」
「あれ、知らなかった? ネムル・アルカトのシンボルに触らずに一分待つと、アイツ図書室の中に入っちゃうんだよ。後は見つからないようにして、本を読めばいいだけ。見つかると追いかけてくるからね。設定資料集より情報があって面白かったよ。没案のバドルの婚礼衣装姿や赤ん坊のときのイラストとかも見れたし」
嫁の瞳から光が消える。
「そんな……そんなの攻略本に書いてませんでした。ネットでも見たことないです。でもどこにも載ってないような情報をさらっと書いてる人とかいて、これはインタビューかなにかで見たのか、それとも自分設定なのかって……ううう。その本を読んでいたら、もっと旦那さまのお役に立てたのに!」
「気にするな。今のお前を嫁にできて、俺は幸せだ」
「……ありがとうございます」
「ひゅーひゅー」
……兄上。
一国の皇帝が、どこかの誘拐犯親娘みたいに冷やかさないでください。
「ホント、義妹殿がいてくれて良かったよ。バドルは僕にとって、たったひとりの家族なんだ。幸せにしてやってね。……あ、それで大学の創立資金なんだけど、僕は図書室の本で帝国の歴史を知ってたから急いで即位したの。ほっとくと重臣たちに、国庫の金使い込まれちゃうから」
「つまりそれは……」
「うん。僕が利用したのは、お前の世界ではとっくの昔に使い込まれてるお金ってこと」
「そうですか」
次に目覚めるときは元の世界だろうと言われて、俺たちは皇太子の間へ戻った。
監視の目はないけれど……異世界での疲れのせいか神の意志か、俺たちはキスしただけで眠りに落ちてしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
兄上のお言葉通り、次の朝は元の世界で目覚めた。
いや、果たしてそうだろうか。
あの世界で眠ったのも昨夜は皇太子の……違う。
俺と嫁が目覚めたのは、ちゃんと皇帝の部屋だった。
「おはようございます、バドル皇帝陛下」
「……メシュメシュ」
「うふふ。からかってごめんなさい、旦那さま。覚えていらっしゃいます?」
「ああ。お前もちゃんと覚えているようだな。もっともだからといって、夢でないとは断言できないが」
「夢でもいいじゃないですか。旦那さまとこうしていられることさえ本当なら、ほかのことが夢でもかまいませんよ」
こちらでは時間が過ぎていなかった。
『乙女げぇむ』での生活は一夜の夢だったのだ。
俺と俺の可愛い悪役令嬢は、その日は元の世界への帰還を祝って、午前中いっぱいを寝台の中で過ごした。
後継者作りは皇帝の大事な仕事だからな。
<おまけSS>
『好きな女に相手にされない男同盟のその後』
俺たち蛇獣人は獣化したとき、軟弱な毛皮ではなく武器にもなる鱗を纏う。
それを妬まれてか、蛇獣人はほかの種族の獣人たちに人気がない。
もっともそのおかげで俺たちは独自の文化を守り、長きに渡ってダルブ・アルテッバーナ女王国を発展させて来れたのだがな。
偉大なる神を女性の姿で表現するのは、大陸広しといえども我が国だけだ。
俺の愛する従姉、ダルブ・アルテッバーナの誇りアフアァ七世女王は、女神の現身だ。ファダー帝国の皇帝のように四つ足に姿を変えなくとも、強く賢く美しく偉大なのである。
……ああ、アフアァに栄光あれ!
なんてことを考えていたら、ちびっちゃい末の弟に無言で見つめられていた。
我が家は九人兄弟で、四男で十八歳の俺と九男で六歳のケルシュは十二歳違う。
長男のソルフェファー兄上は二十五歳だから、コイツと親子でもおかしくはない。ちなみに長兄はまだ独身だ。
「……どうした。勝手に兄の部屋へ入ってくるな」
「いくら呼んでも気づいていただけませんでしたので仕方なく。ところでテムサーフ兄上、本日はアフアァ女王陛下とジャズィーラ姫殿下のお忍びを護衛する予定ではありませんでしたか?」
おお、そうだ。
麗しき女王陛下をお守りするのは、将軍である俺の役目。
家業である将軍職を四男の俺が継いだのは、幼いアフアァにひと目惚れした俺が泣き叫んで暴走し、兄上たちを打ち倒したからである。
アフアァの母である先代女王は、うちの親父の姉君だ。
普通の家なら男でも女でもやりたいものが家を継ぐが、大いなる河に愛されたこの国だけは、女神の現身である女王が守るべしとされている。
男だった親父は王家から、代々将軍職を務めるお袋の家へ婿に出されたというわけだ。
ダルブ・アルテッバーナ女王国では珍しく、両親が同じ九人兄弟なので、夫婦仲は上々なんじゃないかな。普通の家で兄弟姉妹がいるときは、大抵父親が違うものだ。
女性の強い国と言われているが、どうなんだろう。
ファダー帝国の皇帝陛下もマズナブ王国の熊王殿も、奥方の尻に敷かれてると思うけどなあ。
もちろん! 俺もアフアァの尻に敷かれる気満々だ。
「兄上、鼻の下が伸びてらっしゃいます。……すげぇキモい」
「うるさい。……どうした、ケルシュ。いつまで俺の部屋にいるつもりだ」
ケルシュはいかにもわざとらしい、大仰な溜息を吐いた。
それから、小声で毒づきやがる。
「……すっかり忘れてんだな、筋肉脳みその兄上らしいぜ……文通相手を迎えに行く俺を、船着き場まで一緒に連れて行ってやると、おっしゃってくださったではないですか」
「お、おう、そうだったかな。船着き場まででいいのか?」
「はい、そこからはお別れして館へ戻ります。文通相手の方は、武勇で知られた方ですので」
「へー」
コイツには意外な人脈がある。
それというのも美しく妖艶で思慮深い女神のようなアフアァが、モフモフ好きだからだ。
……ぐぬう。お、俺の鱗だって綺麗でツヤツヤなんだからなっ!
獣化すると毛皮を纏う種族の獣人を身近に置きたい彼女は、ケルシュに親善大使を命じた。ファダー帝国皇帝の妃の実妹や腹心の姪を口説かせたいのだ。
しかしアホな俺でもわかるぞ。
皇帝の妃の実妹はマズナブ王国の跡取りだから、うちには嫁に来れんぞ。
まあケルシュが婿入りして、たまに子どもと里帰りするんでもいいのかもな。
子どもは暮らしている土地に住む種族の獣人になるというし。
そんなこんなで、ファダー帝国の皇帝が代わってからというもの、ケルシュは大忙しだった。元から本が好きという変わりものなので、大学とやらを建設中の帝国へは大喜びで行っていたな。
しかしアフアァが、石英に残った黄金を抽出する技術を二国の共同研究として帝国に提供するとは思わなかったな。
いつもなら完成してないと報告して、石英だけを受け取り続けるところだ。
そんなに皇帝の妃が気に入ったんだろうか。最初に会ったのは皇太子妃だったころだっけ。
……去年の武術大会のとき貴賓席にいたよな?……いたっけ? アフアァの美貌しか思い出せないぞ?
「文通相手ってだれ? マジでモフモフ幼女口説き落としたのか?」
「まさか。そうだとしても、ひとりで異国へはいらっしゃいませんよ。今回いらっしゃるのは、帝国の要人で成人男性です」
「もしかして元皇帝か? うちの図書館の本欲しがってたもんな」
「シャムスさんは大学の建物を造るための費用をすべて書物の購入につぎ込んだことがバレて、現在謹慎中です」
「ふうん」
「兄上、女王陛下をお待たせして良いのですか?」
「大丈夫大丈夫。これからすぐに家を出りゃ、昼前には王宮に着くって」
「……女王陛下と姫殿下は、我が家の居間でお待ちなのですが」
一瞬頭の中が真っ白になって、俺は弟の顔を見つめた。
そして、震えながら叫んだ。
「そ、それを早く言えっ!」
「我が家に来られることはご存じなのだと思いまして」
「うっせぇ!」
俺が頭をぶん殴ると、ケルシュの赤い瞳が潤んだ。
だけど泣き叫ぶではなく、恨みがましい視線だけ向けてきて微笑む。
「ご機嫌を損ねたようですので、俺も居間で待っています。……このこと、女王陛下に密告ってやっから覚悟しとけよ、バカ兄貴……」
イヤな弟だぜ。
慌てて俺は、財布から金貨を出して口止めした。
さらば、アフアァの美しい横顔が刻印された俺の大事な金貨よ。
ケルシュがいなくなってから、急いで身なりを整える。
アフアァとお忍びできるのは嬉しいけど、ジャズィーラも一緒かあ。
あのガキ、なんかムカつくんだよな。
アフアァ最愛の姉君ソーバーン王女の忘れ形見だから仕方ないが、アフアァに溺愛されてるし、女同士だからって風呂とか一緒に入ってるらしいし。
いやべつに、嫉妬とかじゃないよ?
俺、そんな心狭くないし。
ただアイツ、いつも俺のこと見てんだよ。
自慢か? 自分のほうがアフアァに愛されてると自慢したいのか!
それに、大学がどうとかで親父さんが帝国に行っちまったとき、可哀相に思って俺のオヤツの生卵わけてやったのに、食いやがらない!
俺からもらったもんなんか食えないってのか?
……あのガキ、獣化できないって話だよな。
生粋の蛇獣人じゃねぇから、生で卵食わないの?
んじゃあ、しゃーねーか。
まあ、あの卵から孵ったひよこは可愛がってるから、それはそれでいっか。
今日はアイツとアフアァを守りまくって、大人の将軍さまの余裕を見せつけてやるぜ。
ふっと視線を感じて振り向くと、扉の隙間からケルシュが覗いている。
「……ひとりで百面相して、キモ」
「とっとと居間で待っとけよ!」
★ ★ ★ ★ ★
わたしはタルカシュコーン。
南の大陸の中央にある、マズナブ王国のお城で護衛の仕事をしています。
上司は、最近お父君から将軍の座を受け継いだばかりのジュヌードさまです。
わたしはこの方に助けていただいた過去があります。
──マズナブ出身の熊獣人だった母の死後、わたしは商人の父と一緒に行商暮らしをしていました。父は島王国の人間で、獣化はできません。
雇った傭兵と、危険だけれど近道の交易路を進んでいたときに魔獣が出ました。
傭兵たちは、わたしと父を置いて一瞬で逃げたのです。
値段の安さだけで雇った、あまり評判の良くない輩でした。
呆然としながらも父は、わたしに獣化して冬眠するよう言いました。
冬眠中は防御力が高まりますし、起きてすぐは暴走します。
わたしだけでも助かるかもしれません。
でもわたしは獣化できませんでした。成人して、もう完全に制御できるようになったと思っていたのに、父が心配で心が乱れていたのです。
そこに颯爽と登場して助けてくださったのが、武術大会に出場なさる国王陛下と、護衛として同行していたジュヌードさまでした。
獣化したジュヌードさまは一撃で魔獣を打ち倒し、近くのオアシス都市までわたしたち親娘に同行してくださったのです。
やはりきちんと武術を学んだ方は違います。
あ、魔獣は、やっと獣化できるようになったわたしが運びました。
わたしは当時、戦闘はからっきしでしたけれど(父が武術を学ばせてくれなかったのです)、重い荷物を運ぶ役には立っていたのです。あまりに重い荷物だと獣化しないと無理だったので、それはそれで暴走が心配だったのですが。
ジュヌードさまと陛下はお礼にと差し出した魔獣の売価を受け取ってくださらなかったばかりか、困ったことがあったら王都へ来るようにと、一筆記してくださいました。
魔獣の売価で信頼できる傭兵を雇い、店を構えられるほど商売が安定したので──父は元々商才があります。ただ、壊滅的に運が悪いだけです──わたしは一ヶ月前、お城の門を叩きました。そして、今に至ります。
「ねえ、タルカシュコーン」
「なんですか、ちぃ姫さま」
あのとき、陛下の荷物袋で冬眠していたファラウラ姫さまは、今日もお元気です。
意味もなく、城の柱に登っていらっしゃいます。
腰帯には、手羽先の形のアカすりが挟まっていました。ちぃ姫さまの宝物です。薬師のご両親と旅をしているお友達にいただいたというお話です。
侍女のライムーンさまが体調不良で婚家へお戻りなので、ちぃ姫さまのお世話はわたしとほか数名の女性の護衛に任されています。
というかライムーンさま、おひとりでこの方のお世話をなさっていたんですか?
「柱にもヤシの木のような実がなると良いのにね」
「ちぃ姫さま、ヤシの木の上でお眠りになるのはお止めくださいませ」
「わかっているのです」
柱につかまって、ファラウラ姫さまは溜息をおつきになりました。
先日、国王陛下はちぃ姫さまが上で眠っていることに気づかず、ヤシの木を抜いて砂漠へ植えに行かれたのです。
その日の夕方、ちぃ姫さまの不在にみなが気づいたとき、王都の門番から連絡が入りました。
ちぃ姫さまが巨大な毒サソリを引きずって、泣きながら戻られたというのです。
さすが十年間ファダー帝国の武術大会で優勝し続けていた方の娘です。
天性の才能があるのでしょう。
魔獣は毒を抜いて鍋にして、城の人間が美味しくいただきました。
王都の門番たちにも振る舞いましたよ。
毒サソリは急所を一撃されて仮死状態だったので、とても新鮮でした。
泣き疲れて眠ってしまったちぃ姫さまは、翌朝起きて毒サソリが残っていなかったことに愕然としておられました。
さすがにひとりで砂漠をさ迷うのはコリゴリだったようで、あれ以来ヤシの木の上ではお眠りになりません。
あ、ちなみに食材でないからお持ち帰りにはなりませんでしたけれど、ちぃ姫さまの帰路には点々と、叩きのめされた盗賊団が転がっていました。
王都にやって来た交易団に話を聞いて、城の護衛隊が慌てて回収に行ったのも懐かしい思い出です。
あれがわたしの初仕事でしたっけ。
そんなヤツら砂漠で死ぬのに任せておけばいいとお思いでしょうが、奪った財宝の保管場所や誘拐された商人の監禁場所を聞き出さなくてはなりませんからね。
捜査が進んでなかった駆け出しの盗賊団は取りこぼしたかもしれません。
誘拐されていた商人はすべて救出したので、問題ないですけど。
盗賊団の中には幼いころに攫われて、行く当てもなく従っていたものもいました。
彼らには罪に応じた罰を与えた後、新しい仕事と生活を与える予定です。
牢屋の看守の話だと毎晩うなされながら、
……来る。黒い小熊が来る。砂嵐と一緒にやって来る。
と言って怯えているようですので、二度と悪事は働かないでしょう。
ちぃ姫さまが泣きながら戻ったのは、起きたら知らないところにいたからで、魔獣や盗賊団に怯えていたのではありません。
盗賊団が多かったのは、去年国王陛下が武術大会で優勝なさらなかったせいでしょう。
マズナブ弱しと見て集まってくれたおかげで、一網打尽できました。
優勝なさらなかったといっても、今の皇帝陛下に善戦されての準優勝でいらしたのですが。
その辺りの見通しの甘さが、悪党の限界なのでしょうねえ。
わたしたち親娘を見捨てた傭兵たちも、すぐに捕まって報いを受けましたしね。
「……ジュヌードは、まだ帰らないのですか?」
「ちぃ姫さまがお館に帰らせたのではないですか」
「だってリンゴが欲しかったのです」
王都にあるジュヌードさまのお館には、美味しいリンゴの木があるといいます。
ちぃ姫さまのお気に入りなのです。
「帝都のねねさまとににさまに、赤ちゃんのお祝いとして贈るのです」
獣化するお力をお持ちではなかったちぃ姫さまの姉君は、ファダー帝国の皇帝陛下──当時は皇太子殿下でした──に望まれて嫁がれました。
伝説の不死者を倒し、おとぎ話の妖霊を従えた賢妃として、大陸全土で有名です。
その妖霊のお力で、満月の夜はこちらにお戻りだったのですが、ご懐妊の発表後は控えていらっしゃいます。
ちぃ姫さまは、それが寂しくて仕方がないのでしょう。
「姉君さま、きっとお喜びになりますよ」
「ファラウラ早く赤ちゃんと会いたいのです。一緒に城の尖塔に登ったり、砂糖がけしたリンゴのパンを食べたりしたいのです」
「……ちぃ姫さま、それは数年お待ちください」
「タルカシュコーン、代わるわ。将軍閣下がお呼びよ」
交代に来た先輩護衛の言葉に、ちぃ姫さまの瞳が光ります。
「ジュヌードが戻ったのですか?」
「樽いっぱいのリンゴを持って帰られたのでご安心ください。お仕事の話があるので、将軍閣下のところへ押しかけるのは、タルカシュコーンが戻ってからにいたしましょうね。ほら、ちぃ姫さまへのお土産もいただいておりますよ」
さすが先輩。
ちぃ姫さまは、彼女が差し出したリンゴに飛びついて齧りながら、わたしに手を振ってくださった。先輩、油断してると指を齧られますよ、お気をつけて!
……ジュヌードさま。
ジュヌードさまは、好きな相手にはイジワルをしてしまう性格なのだと聞きます。
わたしにはいつもお優しいから、全然興味がおありでないのでしょうね。
「ただいま、タルカシュコーン。ちぃ姫さまのお世話は大変だったろう? 良かったら食べてくれ、お土産だ」
お部屋に入ると、ジュヌードさまは微笑んで篭に入ったリンゴをくださいました。
これでお菓子を作って差し上げて、そのとき一緒に告白したら、少しは意識してくださるでしょうか。
「ちぃ姫さまは君を気に入っているようだ。のんびりした性格が姉君の姫さまに似ているからだろう。……っと、失礼だったかな」
「いいえ、とても光栄です」
どうせなら姉君さまではなく、ジュヌードさまの失恋相手だというライムーンさまに似ていたら嬉しかったのですが。
「ライムーン殿は、しばらく戻らないようだ。このままちぃ姫さまのお世話を続けてもらってもいいかな。一ヶ月で俺に匹敵する強さを身につけた君なら、安心だ」
「はい。護衛の仕事は、王家のみなさまをお守りすることですもの。ですが……ライムーンさまになにかあったのでしょうか?」
苦痛に満ちた表情で、ジュヌードさまは答えた。
「……俺は、この年で兄貴になるらしい」
ライムーンさまは、ジュヌードさまのお父上、先代将軍コブターンさまとご結婚なさっています。体調不良というのは、ご懐妊のせいだったのですね。
「お……おめでとうございます?」
「……アリガトウ」
「えっと……いただいたリンゴで、今度お菓子を作ります。よろしければ、閣下も召し上がってくださいませんか?」
「そうか、嬉しいな。……ふたりだけの秘密だぞ。俺は甘いものが大好きなんだ」
わたしは頷きました。
ふたりの秘密は嬉しいけれど、告白はまた今度にしましょう。
──尚、リンゴの樽に隠れてファダー帝国の帝都へ行こうとしていたちぃ姫さまは、わたしがちゃんと見つけてオヤツ抜きの刑に処しました。
もちろん泣きつかれたジュヌードさまがこっそりご自分のアップルパイを分け与えていたことは、見ない振りをしましたよ?
★ ★ ★ ★ ★
その日の私は、自分の運命がすでに詰んでいることになど気づかずにいた。
「黒豹大公閣下」
文通相手に会うためダルブ・アルテッバーナ女王国へ向かう船の中、私は声をかけてきた顔見知りの船長に微笑んで、首を横に振った。
「船長、私はもう大公ではないよ。大公位は退位した甥のシャムスに譲った。今の私は、ただの自由な風だ」
「そうでございましたな」
幸いなことに、私が虎夫人に振られたことは広まっていない。
彼女以外の女性はすべて口説くといわれていたのも、彼女に上手く声をかけられないのをなんとかするためだったんだがなあ。
良い思いなんか、一度もしたことがない。
いっつも利用されるだけされて使い捨てられていた。
そういえば本編では、だれかに名前を呼ばれたこともなかったな。
……本編ってなんだ?
「そろそろ港でございます。大陸一の図書館の尖塔が見えますので、お楽しみに」
「ああ、それは楽しみだ」
お強い虎夫人に近づきたくて武術の腕を磨いていたけれど、本当の私は本が好きだ。
その点、甥のシャムスとも気が合った。
亡くなった姉上義兄上、父上母上、私は頑張りました。
シャムスも好きな仕事に携われて幸せそうです。
もう、私も人生を楽しんでいいころですよね。
思いながら陸地に視線を向けて、私は凍りついた。
とっさに背中を向けたが遅い。港にいた彼女と目が合ってしまった。
「どうなさいました、リヤーフさま。あちらに見えるのが図書館の尖塔ですよ」
「う、うん。ああ、あの、船長。このまま船に乗って、ファダー帝国に帰ってもいいだろうか」
「申し訳ありません、リヤーフさま。この船はここで傾船修理を行う予定なのです。船底にフジツボが付着したままでは、船足が鈍りますからな。水中の虫に開けられた小さな穴も塞がなくてはなりませんしね」
「あ、ああ、そうか。すまない、冗談だ」
「そうでしたか。すいません、リヤーフさまの典雅な冗談が理解できなくて」
「気にするな」
私は無理に笑って見せた。
大丈夫、考え過ぎだ。
今日は文通相手のケルシュくんの家に泊めてもらうんじゃないか。
彼はまだ六歳だが、話し甲斐のある深い知性の持ち主だ。
うん、私はもう帝国貴族ではない。この国の王宮へ行く理由などどこにもない。
そもそも、さっきケルシュくんと一緒にいたアフアァ女王陛下の真っ赤な瞳が私を捉えて煌めいたような気がしたこと自体勘違いだ。
彼女が好きなモフモフは、虎夫人のお孫さんやマズナブの跡取り王女のような幼く可愛い子どもたちだ。うん、私は成人男性で鬣もない。大丈夫大丈夫!
──必死で自分に言い聞かせたが、運命はもう詰んでいた。
★ ★ ★ ★ ★
「そんなに動いて大丈夫か?」
宮殿の中庭を歩いていたお腹の大きな嫁は、俺の言葉に振り向いた。
「安定期に入ったら、少し運動したほうがいいそうです」
「ならいいが……」
俺がファダー帝国の皇帝に即位して、嫁と初夜を迎えて一年が過ぎた。
メシュメシュは相変わらず可愛らしく、愛おしい嫁だ。
解体したハーレムの女たちは、嫁の直属部隊として海上貿易に勤しんでいる。以前の俺の心配は取り越し苦労だったようで、みな嫁を主君と慕ってくれている。
なぜか、兄上から受け継いだ護衛団の貴族子弟たちも嫁を慕っていた。
俺が魔法使いに誘拐されていたときに、なにかあったのだろうか。
嫁は、なにげないひと言で他人の心を動かすからな。
「そういえば、黒豹大公閣下からのお手紙には、なんと書かれていたのですか?」
「黒豹大公ではない。今の彼は、ただの自由な風だ」
「ふふ、そうでしたね。……失恋から立ち直って、お幸せになられると良いのですが」
「なりそうだぞ。滞在中のダルブ・アルテッバーナ女王国でアフアァ女王との婚儀が決まったそうだ。もう彼は帝国貴族ではないが、なにかお祝いを贈らなければな」
「まあ、ではテムサーフ将軍が大変ですね」
「ジャズィーラが彼のことを想っているようだと、この前魔法使いが愚痴っていたぞ。どちらにしろ女王は毛皮のある獣人が好きなのだから、どうしようもあるまい」
「そうですね。ファラウラからの手紙によると、ジュヌードにも良い方が現れたみたいだし、やっぱり不死者がいなくなったことで運命が変わって、みんな幸せになるのでしょうね」
もっとも、好きな女に相手にされない男同盟の中で一番幸せなのはこの俺だ。
なにしろ俺は同盟員の中でただひとり、初恋の相手と結ばれることができたのだからな。
俺の幸せ、愛しいメシュメシュを抱き締める。
優しく笑みを漏らした嫁が、俺の手の中のリヤーフの手紙に視線を落とした。
「あら?」
「どうした?」
「文章の頭の文字をつなげると、『た・す・け・て』と読めるんです」
「……確かにそうだな。ただの偶然か、悪い冗談だろう」
「そうですね」
──数か月後に生まれた息子は獅子の耳と尻尾を持っていて、俺たちはさらなる幸せに包まれた。ほかのヤツらも幸せでいることだろう。……たぶんな。




