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45.氷禍の王女

 王城の奥深く。北側に位置する離宮へと続く回廊は、進めば進むほど、季節が冬へと逆戻りしたかのような冷気に包まれていった。


「……さぶっ! なんだよこれ、ここだけ冬かよ」


 半ズボン姿のネロが、ガチガチと歯を鳴らして自分の腕をさする。吐く息は真っ白だ。窓ガラスには幾何学模様の霜が張り付き、廊下の植木鉢はカチンコチンに凍りついている。


「……おい、護衛はどうなってるんだ?」


 俺はふと、背後を振り返って呆れた声を漏らした。本来なら、王族の私室の前には近衛騎士が直立不動で立っているはずだ。だが、この離宮に限っては様子が違う。


 視界の遥か彼方――回廊の入り口付近、冷気が届くか届かないかのギリギリの境界線に、分厚い毛皮のコートを鎧の上から着込んだ騎士たちが、ペンギンのように身を寄せ合って震えているのが見えた。彼らの位置から王女の部屋までは、優に百メートルは離れている。あれでは護衛というより、遭難しないためのベースキャンプだ。


「これ以上近づくと、鎧ごと凍りついて動けなくなってしまうのです。……以前、無理をして扉の前に立った新入りが、解凍に三日かかる氷像になったこともありまして」


 案内するシャルロットも、寒そうにドレスのショールをきつく巻き直している。


「申し訳ありません。シルヴィア姉様は、その……少し気難しい時期と言いますか、極度の『熱』を嫌う体質なのです」


「それにしても限度があるだろ。これはもう環境破壊レベルだぞ」


 俺はコートの襟を立てながら、鑑定で周囲の魔力濃度を観察した。ただ寒いだけじゃない。空間そのものが、強力な氷属性の魔力によって拒絶されている。この領域に、生半可な熱源(侵入者)が入れば、即座に熱を奪われて凍死するだろう。


「……着きましたわ。ここが、第二王女シルヴィア姉様のお部屋です」


 目の前に現れたのは、扉の隙間から冷気が霧のように漏れ出している、分厚い氷に覆われた巨大な扉だった。ドアノブなど、氷塊の中に埋もれて見えもしない。


「……どうやって入るんだ、これ」


「ノックをすれば、機嫌が良ければ開きますわ。……悪ければ、扉ごと凍らされますけれど」


「ロシアンルーレットか?」


 俺はため息をつき、凍りついた扉をコンコン、と叩いた。


 ――シーン。


 反応はない。ただ、冷気だけが強まった気がする。


「……失礼します。アークライト子爵、ヴェルトです。シャルロット殿下を連れて参りました」


 俺が声を張り上げると、扉の向こうから、底冷えするような、しかしどこか気怠げでトゲのある少女の声が響いた。


『……はぁ。うるさいんですけど』


 第一声がそれか。


『何の用ですか? 今、読書のいいところなんですけど。……帰ってくれません?』


「姉様! お願いです、父上の……陛下のことについてお話が!」


『宰相から聞いています。父上の安静を守るため、何人たりとも近寄らせるな、と。……それに』


 扉の向こうの声が、露骨に嫌悪感を帯びる。


『さっきまで、あの暑苦しい筋肉ダルマ(兄上)がいましたよね? 残り香だけで室温が2度は上がりました。臭くて暑くて最悪です。……貴方たちからも同じ種類の「暑苦しさ」を感じます。生理的に無理なので早く立ち去ってください』


 どうやら、マクシミリアン王子の熱気(と兄妹愛)は、完全に逆効果だったらしい。


『3秒以内に消えてください。さもなくば、その騒がしい口ごと凍結しますよ。ほら、はーやーくー』


 ピキピキピキ……!  警告と共に、廊下の床が急速に凍りつき、氷の蔦が俺たちの足元へと伸びてくる。本気だ。


「ひぃっ! 凍っちゃいます! 私の筋肉が冬眠しちゃいますぅ!」


 ニーナが涙目で足踏みをする。


「……チッ。交渉決裂か。しょうがない強行突破するぞ」


 俺はネロに目配せをした。


「へっ、待ってました! 天才魔術師の炎で溶かしてやるぜ! 『プロミネンス・ヒーター』!」


 ネロが指を鳴らすと、俺たちの周囲に温かい結界が展開され、迫りくる氷の蔦を蒸発させた。


「……へぇ。少しはやるようですね」


 扉の向こうの声が、わずかに驚きを帯びる。俺はその隙を見逃さず、扉に手をかけた。凍りついたドアノブを【筋力】任せに無理やり回し、氷を砕いてこじ開ける。


 バァァァンッ!!


 扉が開くと同時に、猛吹雪が吹き荒れた。


「……勝手に入ってくるとか、デリカシーとかないんですかぁ?」


 部屋の中央。氷で作られた玉座のような椅子に、一人の少女が座っていた。床まで届く淡い水色の髪。陶器のように白い肌。整ってはいるが、人を寄せ付けない鋭利な美貌。膝の上には分厚い本が開かれ、その周囲には無数の氷の結晶が護衛のように浮遊している。


 この国の第二王女、シルヴィア・ヴァン・ドラグーン。通称『氷禍』。


「私の安息を乱す熱源は……許せません。許容できません。面会謝絶です」


 シルヴィアが本をバタンと閉じ、ジト目で俺たちを睨みつけた。それだけで、部屋中の空気が凍りつき、数千の氷の矢が虚空に出現し、俺たちに狙いを定める。


「待ってください、シルヴィア殿下。俺たちは敵対しに来たわけじゃない」


 俺が一歩前に出ると、シルヴィアは汚いものを見るような目で俺を見た。


「敵対? ……笑えますね、貴方たちが私に勝てるとでも? 自意識過剰も大概にしてください」


 圧倒的な自信。そしてそれを裏付けるだけの魔力量。この部屋の中において、彼女は絶対的な支配者だ。


「シャルロット。貴女もです。こんな得体の知れない男を連れて、何を企んでいるのですか? ……信用できません」


「姉様……」


 シルヴィアは俺たちを拒絶している。だが、俺は気づいていた。彼女の冷淡な態度の裏で、こめかみに玉のような汗が浮かんでいることを。そして、時折苦しげに胸元を押さえ、服をパタパタと仰ぐ仕草を。


(……なるほど。ゲームの設定通りか)


 俺は脳内の知識を検索する。シルヴィア・ヴァン・ドラグーン。王族、特に彼女は生まれつき『竜の因子』を色濃く受け継いでおり、体内で常に膨大な熱エネルギーが生成されている。放っておけば自らの熱で内臓が焼けてしまうため、彼女は無意識に強力な氷魔法を使い、自分自身を冷却し続けているのだ。つまり、この極寒の部屋は、彼女にとっての「生命維持装置」であり、彼女自身はずっと「のぼせた状態」でイライラしている。


(反抗期の娘が、常にサウナの中に閉じ込められているようなもんだ。そりゃあ、不機嫌にもなるし、誰彼構わず八つ当たりもしたくなるわな)


 俺はニヤリと笑い、一歩踏み出した。


「信用できない、か。……なら、どうすれば信用する?」


「……はぁ?なんで急にそんなに偉そうなんですか?」


 シルヴィアは心底嫌そうな顔をした。


「別に信用なんてしたくありませんけど。……まぁ」


 彼女は気だるげに髪をかき上げ、チラリと俺を見た。


「証明してみせてください……私の、この不快な『渇き』をどうにかできるなら、話くらいは聞いてあげなくもありません」


「渇き?」


「ええ。冷たい水も、氷菓子も、魔術による冷却も……何一つ、私の体の芯にある熱を奪ってはくれない。本当にウザいんです、この熱も、兄上も、貴方たちも」


 それは、事実上の追い出し文句だった。王宮の魔術師や料理人が何年も挑んで失敗してきた難題だ。


「……つまり、あんたを『涼しく』させて、ご機嫌を取ればいいってことか?」


「言い方がキモいです。……でも、まあ、そういうことですね。本日中に持ってきなさい。……できなければ、二度と私の視界に入らないでください。目障りなんで」


 シルヴィアがシッシッと手を振ると、突風が巻き起こり、俺たちは廊下へと押し戻された。


 バタン! と扉が閉ざされ、再び氷に閉ざされる。


「……完全に嫌われましたわね」


 シャルロットが肩を落とす。


「なんだよあのアマ! 性格悪すぎだろ! 『キモい』とか言われたぞ!?俺様は超絶イケメンだろーが!」


 ネロが憤慨するが、俺は口元を吊り上げていた。


「いや、勝機はある。むしろ分かりやすい」


「えっ?」


「彼女が求めているのは、ただ冷たいものじゃない。『濃厚で、かつ体の中から熱を奪い、イライラを鎮める甘味』だ」


 この世界には、シャーベットのような氷菓子はある。だが、乳脂肪分を使い、空気を抱き込ませて凍らせた、あの滑らかな「アイスクリーム」はまだ存在しない。前世の知識。そして、アークライト領で開発を進めていた畜産技術。


「……作れるぞ。あの反抗期の氷姫を黙らせる、禁断のスイーツがな」


「禁断の……スイーツ?」


 ニーナがゴクリと喉を鳴らす。


「ああ。だが、材料が足りない。ここ王都で調達する必要がある」


 俺は指を折りながら必要なものを挙げた。


 新鮮なミルク、生クリーム、砂糖、卵。ここまでは普通だ。だが、シルヴィアを満足させるには「究極」でなければならない。


「行くぞ。王都の市場へ買い出しだ。……最高の『バニラ・アイスクリーム』を作るためにな」


       ◆


 王都の大通り。


 昨夜の騒ぎが嘘のように、市場は日常を取り戻しつつあった。


「えっと、ヴェルト様。必要なのは『バニラ』という香辛料と、氷ですか?」


 マリアがメモを見ながら確認する。


「ああ。氷はネロの魔法で作れるが、香りは誤魔化しが効かない。南方のスパイスを扱っている店を探せ」


「へいへい。天才魔術師を製氷機扱いかよ……」


 ネロがぶつくさ文句を言いつつも、興味津々でついてくる。


「私は新鮮なミルクを探してきます! 牛さんの乳搾りなら任せてください!握力には自信があります!」


 ニーナが謎の自信を見せて精肉店の方へ走っていく。……精肉店じゃないぞ、牧場直営店を探せ。


「ロザリア、お前は砂糖だ。王都で一番純度の高いやつを仕入れてこい。金に糸目はつけん」


「りょーかい! 甘いものなら任せといて!」


 ロザリアが人混みに消えていく。他のメンバーも、それぞれの分担をこなすために散開していった。


 俺とシャルロットは、香辛料の店が並ぶエリアへと足を踏み入れた。


「……ヴェルト様。本当に、お菓子程度で姉様を説得できるのですか? あの性格ですわよ?」


 シャルロットが不安そうに尋ねる。


「ああ。甘味は正義だ。特に、熱にうなされてイライラしている人間にとって、極上の冷たさと糖分は、どんな説得よりも効く」


 俺は自信満々に答えた。


 それもそのはず。俺の知識にあるゲーム内アイテム『極上のアイスクリーム』……その効果は「状態異常【火傷】【のぼせ】を即座に回復し、幸福度を最大にする」というものだ。これを再現できれば、シルヴィアの攻略は完了したも同然だ。


 俺はニヤリと笑った。


 待ってろよ、反抗期の第二王女。お前のその減らず口を、わからせてやるからな。

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