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46.俺のモノは俺のモノ

 王都の市場は、今日も活気に満ちていた。


 特に「スパイス通り」と呼ばれるエリアは、異国の香辛料の香りと、商人たちの威勢のいい掛け声でごった返している。


「ふむ。この店なら『バニラ』があるかもしれんな」


 俺は鼻をひくつかせながら、一軒の古びた香辛料屋に目星をつけた。隣には、深くフードを被ったシャルロットが、興味津々な様子でキョロキョロとしている。


「ヴェルト様、あちらにある赤い実は何ですの?甘い香りがしますわ!」


「あれは激辛トウガラシだ。齧ったら口から火を吹くぞ」


「ひぇっ……。市場というのは、罠がいっぱいですのね」


 シャルロットはお忍びのため、地味なローブを羽織っているが、その所作から溢れ出る気品は隠しきれていない。俺はため息をついた。なんでこの王女様は、わざわざ「私も手伝います!」なんてついて来たんだか。


「いいか、絶対にフードを取るなよ。王女だとバレたらパニックになる」


「はい、分かっております。私はただの……ヴェルト様の従者、ということにしておいてくださいませ」


 シャルロットが楽しそうに笑った、その時だった。本当にわかってるのだろうか。


「――おい!聞いているのか、下民が!!」


 店の奥から、耳障りな怒声と、棚が倒れる激しい音が響いた。


「ひぃっ!お、お許しください!今月の『寄付金』は、もう払ったはずです!」


「黙れ!教会は今、昨夜の悪魔騒ぎで物入りなんだよ!貴様ら商人が、我ら聖騎士団に奉仕するのは当然の義務だろうが!」


 見れば、店の主人が地面に這いつくばり、数人の騎士に蹴りつけられていた。その中心にいるのは、煌びやかな白銀の鎧を着込んだ男。……ただし、その顔面には痛々しい包帯が巻かれ、腰に帯びているのは儀礼用の聖剣ではなく、安物の予備の剣だ。


 俺は見覚えのあるその顔を見て、眉をひそめた。


「……あいつは」


「……昨夜、大聖堂の門を守っていた聖騎士隊長、ゲインズですわね。セバスチャンに一撃で剣をへし折られて、腰を抜かしていた方です」


 シャルロットが小声で補足する。


 そういえばいたな。俺たちが枢機卿をぶっ飛ばしに行った時、門の前でイキっていたが、セバスチャンに子供扱いされて無力化された奴だ。


「おい、隠している高級スパイスを全部出せ!没収だ!」


 ゲインズが店主の胸ぐらを掴み上げる。シャルロットが息を呑み、前に出ようとする。


「いけません!止めなくては……」


「待て。お前が出たらややこしくなる」


 俺はシャルロットを制し、ズカズカと店に入っていった。


「――おい。邪魔だぞ、三下」


 俺の声に、ゲインズが振り返る。


「あぁん!?誰だ貴様……って、げぇっ!?」


 俺の姿を認めた瞬間、ゲインズの顔が青ざめ、次いで屈辱と憤怒で赤く染まった。


「き、貴様は……アークライト家の放蕩息子!ヴェルト!!」


「よお。包帯が似合ってるじゃないか。ミイラのコスプレか?」


 俺がニヤリと笑うと、地面に倒れていた店主が、縋るような目で俺を見た。


「あ、あなたが噂の……!ヴェルト様!今朝の新聞を読みました!悪を挫き、弱きを助ける聖人の再来だと!お願いです、どうかお助けください!」


「店主。俺は正義の味方じゃない。ただ『バニラ』を買いに寄っただけの客だ」


 俺は冷たく言い放つ。すると、ゲインズが憎々しげに俺を睨みつけ、そして周囲を見回した。


「……フン。あの化け物執事セバスチャンは一緒ではないようだな?」


「あ? セバスなら別行動中だ」


 俺が適当に答えると、ゲインズの表情が一変した。怯えが消え、卑下た笑みが浮かぶ。


「ギャハハ!そうか、あの執事はいないのか!ならば好都合だ!昨夜はあの執事のせいで不覚を取ったが……貴様のような軟弱なガキなど、私が直接ねじ伏せてやる!」


なるほど。セバスチャンに負けたのであって、俺には勝てると思っているわけか。こいつ俺が枢機卿を倒したのを見てないのか?……おめでたい奴だ。


(……ちょうどいい。昨夜手に入れた新スキル『圧倒』。試すには丁度いいモルモットだ)


 俺は脳内でスキルを発動準備する。昨夜、魔人と化した枢機卿を倒した際に手に入れた、威圧の上位スキルだ。


「おい、やれ!この店はどうなってもいい!そこの連れの女も同罪だ!」


 ゲインズが号令をかけ、部下たちも一斉に武器を構え――シャルロットに切っ先を向けた。


 俺の中で、スイッチが入った。


「……おい」


 俺は懐から分厚い革袋を取り出し、カウンターに『ドスン!』と叩きつけた。


「店主。この店にあるスパイス、在庫も含めて『全て』俺が買う。……商談成立だな」


 俺はゆらりと、ゲインズたちに歩み寄った。


「聞いたか、聖騎士殿?今この瞬間から、この店の商品はすべて『アークライト家』の所有物になった。……そして、そこにいる女も、俺の『所有物』だ」


 その言葉に、背後にいたシャルロットの肩がピクリと震えた。フードの下で、彼女はハッとして息を呑む。


(……『俺のもの』……。あくまで咄嗟の方便、建前だと分かっております。けれど……)


 彼女はそっと胸元を押さえ、熱くなる頬を隠すように俯いた。ヴェルトの背中が、いつもより少し大きく見える。その独占欲めいた響きが、不覚にも彼女の胸の奥を甘く締め付けたのだ。


「は、はぁ!?だからどうした!」


「分からないか?お前らが今、土足で踏み荒らし、傷つけようとしているのは……全部『俺のもの』だと言っているんだよ」


 ヴェルトが再度言い放つと、シャルロットは小さく吐息を漏らし、フードの奥で嬉しそうに目を細めた。その口元には、誰にも見えないように、花が咲くような微笑みが浮かんでいた。


 俺は深く息を吸い込み、意識を集中させた。発動。スキル『圧倒』。


「知ってるか?俺は強欲な悪徳領主なんだ。自分の所有物に指一本でも触れる奴は、例え聖騎士だろうが国王だろうが……徹底的に潰す」


 ドォォォォォォォン……ッ!!


 物理的な風圧すら感じるほどの、濃密な殺気が爆発した。


 ただの大声ではない。生物としての格の違いを魂に刻み込む、強制的な恐怖。


「ひっ……!?」「あ、あが……ッ!?」


 部下の騎士たちが、泡を吹いてその場に崩れ落ちる。


「な、なんだ……今の……息が、できな……」


 ゲインズだけが、かろうじて立っていたが、全身がガタガタと震え、顔面は土気色になっていた。


「ハッ、口だけは達者だな!死ねぇッ!!」


 ゲインズが恐怖を振り払うように、錯乱状態で斬りかかってくる。だが、その動きは『圧倒』で鈍りきっていた。


「……遅い」


 ガキンッ!!


 鈍い音が響き、ゲインズの剣が空中で止まった。俺が素手で――、剣身を鷲掴みにしたからだ。


「な、なにッ……!?」


 ゲインズが信じられないものを見る目で、俺と、掴まれた剣を交互に見る。両手で押し込んでいるはずの剣が、万力で固定されたようにピクリとも動かない。


「バ、バカな……!?貴様、魔術師ではなかったのか!?なんだそのデタラメな腕力はァ!?」


 ゲインズの顔が、恐怖と混乱で醜く歪む。目の前の「理不尽」を受け入れられず、彼は壊れたように首を振った。


「嘘だ...昨夜の騒動、貴様の動き……あれは魔法でも使わなければ再現出来ない!なんで貧弱な魔術師風情が聖騎士である俺様の剣を受けられるんだぁ!?」


 泡を飛ばして絶叫するゲインズに対し、俺は心底不思議そうに首を傾げた。


「俺がいつ魔術師だなんて言った」


「ひっ……!?」


「俺は魔法なんざ、生まれてこの方一回も使えた試しがねぇよ。……テメェが見てんのは、最初から最後まで純粋な『暴力』だ」


 バキィッ!!


 俺は指に力を込め、ゲインズの剣をへし折った。


「あ、あぁ……私の剣が、また……!?」


 ゲインズが腰を抜かす。


(……なんだ、この程度か)


 もう一つの新スキル、特定条件下で相手のスキル等を一時的に奪える『奪取スナッチ』というのも試そうかと思ったが、こんな三下の剣術など奪う価値もない。


 俺は折れた刃を捨て、そのまま裏拳を叩き込んだ。


「邪魔だッ!!」


 ドゴォォォォォン!!


 ゲインズは鎧ごと吹き飛び、店の外まで転がっていった。


「がはっ……!?ば、化け物……」


「どうした?まだやるか?セバスがいなけりゃ勝てると思ったか?」


 俺は一歩踏み出し、冷たく見下ろした。


「執事が化け物なら、その主人もまた化け物に決まってるだろうが」


「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」「あ、悪魔だぁぁぁ!」


 聖騎士たちは情けない悲鳴を上げ、気絶したゲインズを引きずって脱兎のごとく逃げ出した。


「……チッ、誰が悪魔だ。それにしても圧倒の調整が難しいな。一般人までビビらせちまったか?」


 俺は手を払い、呆然としている店主に振り返った。


「おい店主。バニラはあるんだろうな?なければこの店ごと焼き払うぞ」


 俺が悪役っぽく凄んでみせる。すると、店主は涙を流しながら、地面に額をこすりつけた。


「あ、ありがとうございます……!聖騎士様相手に喧嘩を売ってまで、私たちを……!」


「は?違う、俺は自分の商品を……」


「分かっております!立場が悪くならないよう、あえて『自分の所有物』という体裁にしてくださったのですね!なんてお優しい……!」


 周囲の市民たちも、感動に打ち震えている。……違う。そうじゃない。


「……ふふっ。相変わらず、素直じゃありませんのね」


 フードの下で、シャルロットが可笑しそうに微笑んでいる。


「うるさい。さっさとバニラを回収して帰るぞ。……あのアイスで、お前の姉貴の頬っぺたを引っぱたいてやらなきゃならんからな」


 俺は居心地の悪さを誤魔化すように、早足で店を後にした。


 背後から聞こえる「ヴェルト様万歳!」の声援を聞かなかったことにしながら。


 こうして、極上のバニラを手に入れた俺たちは、再び王城へと向かうのだった。

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