1. チュートリアルの噛ませ犬
「あ、これ死んだな」
2025年、某月某日。俺、相川 徹の人生は、交差点に突っ込んできた居眠り運転のトラックによって唐突に幕を下ろした。
キキーッという耳障りなブレーキ音。視界を埋め尽くす鉄の塊。そして、全身を駆け巡る衝撃。
痛みは一瞬だった。視界がテレビの電源を切ったようにブラックアウトし、走馬灯を見る暇もなく意識が途絶える。
享年25歳。職業、しがないサラリーマン。趣味はゲーム。特に高難易度のアクションRPGや、レトロなファンタジーRPGを骨の髄までしゃぶり尽くすこと。彼女なし。貯金少々。やり残したゲーム多数。
……無念だ。あまりにも無念すぎる。せめて発売予定の『モンファン』の新作と、リメイク版『ドラファン』の隠しボスを倒してから死にたかった。来週は有給を取ってやり込む予定だったのに。冷蔵庫にプリンも残ってるのに。
そんな未練たらたらの思考が、深い深い闇の中に溶けていき――。
◆
「……様!……ヴェルト様!」
「ん……うーん……」
柔らかい。背中の感触が、冷たくて硬いコンクリートのアスファルトではなく、雲の上に寝ているかのような高級羽毛布団のそれだ。そして、鼻孔をくすぐるほのかな香水と、清潔なリネンの香り。
(……ここは病院か?いや、病院にしては寝心地が良すぎるぞ。個室か?差額ベッド代いくらだよ……)
俺は重いまぶたを、ゆっくりと押し上げた。
視界に飛び込んできたのは、無機質な白い天井でもなければ、点滴のパックでもない。深紅のベルベットで作られた天蓋と、その隙間から見える、煌びやかなシャンデリアが輝く高い天井だった。
「……は?」
思考が停止する。状況が理解できない。俺はトラックに轢かれたはずだ。ミンチになっていてもおかしくない衝撃だった。なのに、なんでこんな中世貴族みたいな部屋にいるんだ?
「お目覚めになりましたか、ヴェルト様」
横から聞こえてきた、抑揚のない冷ややかな声。ギギギ、と油の切れたロボットのように首を巡らすと、そこには燕尾服を着た初老の男性が立っていた。白髪交じりの髪をオールバックに撫で付け、片眼鏡をかけた、いかにも「ザ・執事」といった風情の男だ。
「……誰だ、あんた」
俺の声を聞いた瞬間、執事の眉がピクリと不快そうに跳ねた。そして、まるで汚物を見るかのような、侮蔑と諦めが入り混じった氷のような瞳で俺を見下ろす。
「……寝ぼけておいでですか?執事のセバスチャンでございます。昨晩、『夕食の肉が硬い!』と癇癪を起こして暴れ回り、そのまま興奮して気絶されたのですよ」
ヴェルト様?セバスチャン?癇癪?何の話だ。俺は相川徹だぞ。肉が硬いくらいで気絶するほど軟弱じゃない。むしろスルメイカは大好物だ。
強烈な違和感。俺は、視界の端に見える「自分の手」を見て、息を呑んだ。
「なんだ、これ……?」
そこに映っていたのは、俺の見慣れた節くれだった手ではない。白くて、むくみきった、まるでクリームパンのような丸々とした手。恐る恐る布団をめくると、そこには腹の肉が邪魔で足元が見えないほどに肥え太った、樽のような子供の身体があった。
「うわあああああっ!?」
俺は悲鳴を上げてベッドから転がり落ちた。ドスンッ!!という重量感のある音が部屋に響き、床が揺れる。
「っ……!」
痛い。夢じゃない。俺は慌てて立ち上がり、部屋の隅にある姿見(鏡)へと走った。ドタドタドタドタ。走るたびに、全身の贅肉がブルンブルンと波打つ。なんだこの体は!重い!息が切れる!
鏡の前に立ち、俺は絶句した。
そこに映っていたのは――。
手入れのされた金髪の巻き毛。贅肉で埋もれかけ、にんまりと歪んだ生意気そうな青い目。高価だがサイズがパツパツで悲鳴を上げているシルクの寝間着。年齢は10歳前後といったところか。
見るからに性格の悪そうな、我儘を絵に描いたような肥満児だった。
「う、嘘だろ……」
俺は、この顔を知っている。鏡の中のブタ……いや、少年を指差して、俺は震える声で叫んだ。
「ヴェルト・フォン・アークライトじゃねーか!!」
そう。こいつは俺が生前、死ぬほどやり込んだアクションRPGの金字塔『ドラグーン・ファンタジア(通称ドラファン)』に登場するキャラクターだ。
ただし、主人公ではない。仲間になる良い奴でもない。ゲーム開始直後。プレイヤーに操作方法を教えるための「チュートリアル章」。主人公の故郷の村を支配する悪徳領主のドラ息子として登場し、重税を課して民を苦しめ、あろうことか主人公の幼馴染を「俺の側室にする」とか言って攫おうとし――。
最終的に、怒りで覚醒した主人公(勇者)にボコボコにされた挙句、イベントムービーで屋敷ごと炎に包まれて死ぬ。
所要時間、ゲーム開始から約1時間。プレイヤーに「この世界の理不尽さ」と、それを打ち破る「爽快感」を与えるためだけに用意された、正真正銘の『噛ませ犬』。
それが、今の俺だ。
「……詰んだ」
俺はその場に崩れ落ちた。転生したのはいい。百歩譲って悪役なのもいい。だが、なんでよりによって「チュートリアルで死ぬ奴」なんだよ!寿命が短すぎるだろ!せめて中ボスくらいにしてくれよ!
今の俺の年齢は10歳。ゲームの開始時、ヴェルトが死ぬのは13歳。
つまり、タイムリミットはあと3年。3年後に俺は、正義の勇者アレクによって物理的に排除され、キャンプファイヤーの薪にされる運命にある。
「冗談じゃねぇ……死んでたまるかよ!」
俺はガバっと顔を上げる。冷ややかな目で俺を見ているセバスチャンを無視して、俺は脳みそをフル回転させる。
生き残る方法は一つ。勇者アレクに倒されないことだ。そのためには、心を入れ替えて善政を敷く?いや、無駄だ。あのアレクとかいう主人公は「悪即斬」を地で行く脳筋正義マンだ。「悪徳領主の息子」というだけで問答無用で斬りかかってくるだろう。ゲームのイベントフラグは鋼鉄より硬い。
なら、どうする?夜逃げするか?いや、この世界の外、街の外は現代で大人気だった狩猟ゲー『モンファン』並みに過酷な大自然だ。飛竜が空を飛び、獣が地を駆ける弱肉強食の世界。レベル1のデブ(運動不足)が外に出たら、3秒でスナック感覚で捕食されて終わる。
戦うしかない。生き残るためには、勇者アレクを返り討ちにできるだけの「力」が必要だ。
「ステータス・オープン!」
俺は虚空に向かって叫んだ。転生者なら、これが見えるはずだ。お約束だろ!?頼む、あってくれ!
フォン、という電子音と共に、半透明のウィンドウが目の前に浮かび上がる。
【名前】ヴェルト・フォン・アークライト
【年齢】10歳
【職業】領主の息子(悪)
【レベル】1
【HP】15
【MP】2
【筋力】3
【防御】2
【敏捷】1
【知力】5
【運】1
……ゴミだ。産業廃棄物だ。スライムにすら苦戦するレベルのゴミステータスだ。敏捷1ってなんだよ、カメかよ。この脂肪がデバフになってるのか?
「くそっ、やっぱり噛ませ犬仕様か……!初期値が低すぎる!」
だが、俺は諦めない。ゲーマーの執念を舐めるなよ。俺はこのゲームの隅々まで知り尽くしている。詳細タブを開き、隠しパラメータである『成長適正』を確認する。
通常、キャラごとにレベル上限やステータスの上昇限界が設定されている。村人Aならレベル10が限界、といった具合に。ヴェルトのような使い捨てキャラなら、せいぜいレベル5くらいで打ち止めのはずだ。
震える指で、タブをタップする。
【成長適正】
【レベル上限】∞(設定なし)
【ステータス上昇率】補正値:×10.0(デバッグ用)
【スキル習得制限】なし
「……は?」
俺は我が目を疑った。レベル上限、なし?上昇率、10倍?勇者ですら2倍なのに?
……あ。思い出した。開発者インタビューの裏話だ。
『序盤のヴェルト君ですが、彼はすぐに死ぬキャラなので、テストキャラとして成長リミッターを設定する工数を省きました。どうせレベル1のまま戦って死にますし(笑)』
開発陣ーーーーーッ!!ありがとう!そしてざまぁみろ!お前らの手抜きのせいで、とんでもない怪物が生まれようとしているぞ!
本来なら経験値を得る機会もなく死ぬはずのヴェルト。だが、中身が俺ならば話は別だ。レベルを上げさえすれば……勇者(上昇率×2.0程度)を遥かに凌駕するステータスを手に入れられる!
「勝てる……!これなら勝てるぞ!」
俺が鏡の前でニヤニヤと不気味な笑みを浮かべていると、部屋のドアが控えめにノックされた。
コンコン。
「……失礼いたします、ヴェルト様。お目覚めの水をお持ちしました」
入ってきたのは、メイド服に身を包んだ少女だった。栗色の髪、怯えたような小動物系の瞳。名前は確か、マリア。ゲームでは、ヴェルトに虐待され続け、最後はヴェルトを裏切って勇者に屋敷の鍵を渡してしまう重要キャラだ。
マリアは震える手で銀の盆を持ち、俺に近づいてくる。ガタガタと食器が鳴っている。相当怖いらしい。そして、その白くて柔らかそうな頬には、昨日俺がつけたであろう、痛々しい赤い平手打ちの跡が残っていた。
……ああ、クソ。胸が痛む。俺は、こんな可愛い子を虐めるような趣味はない。断じてない。それに、彼女に恨まれ続けて裏切られたら、死亡フラグが加速するだけだ。
俺は決めた。まずは、足元から固める。誠実さを見せるんだ。バグったステータスがあっても、寝首をかかれたら意味がないからな。
俺は鏡の前から離れ、ドスドスとマリアの正面に立った。
マリアが「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、身構える。また殴られると思ったのだろう。瞳に涙が浮かんでいる。
俺は、その場に膝をついた。そして、両手を床につき、額を床に擦り付けた。
そう、ジャパニーズ・DOGEZAだ。
「え……?」
マリアと、後ろで見ていたセバスチャンが絶句する気配がした。俺は腹の肉が邪魔で呼吸困難になりそうになるのを我慢して、全力の謝罪を口にする。
「すまん!今まで本当にすまなかった!俺は心を入れ替える!もう二度と暴力は振るわない!だから……水を持ってきてくれて、ありがとな!」
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ガシャンッ!
あまりの衝撃に、マリアの手から盆が滑り落ち、水差しが床で砕け散った。
こうして。死亡フラグをへし折るための、元・悪徳領主(10歳・肥満児)の、長くて過酷なレベル上げの日々が幕を開けたのだった。
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