美冬編 その3「最終試験」
涼子の指示は、山道をひたすらに下るだけの指示だった。
すでに、村と麓の中間にある吊り橋は越え、馬車は真っ直ぐ麓へと向かっていた。
「涼子さん、このままだと麓まで行っちゃいますよ?」
「別にいいんじゃない? どうせ馬車の使い道なんて、村と麓の往復くらいだし」
「……俺は教習で走っているんですよね? 村からこんなにもはなれちゃって大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫」
「本当に大丈夫なんすかねぇ……」
馬車は麓の町の門をくぐる。
「結局、麓に着いちゃったよ。……これからどうするんです、涼子さん?」
「じゃあ、まずは昼飯にしようか。――銀雪、門の近くに馬車をとめるスペースがあるから、そこに馬車をつないで」
「ちょ、昼飯って、俺、お金なんか持ってきていませんよ?」
「大丈夫、私に任せなさい」
「……さっきから大丈夫って言葉しか聞いてないんだけど?」
根拠のない『大丈夫』に不安を覚えながらも、涼子の言うとおりに馬車から馬をはずし、馬車と馬をそれぞれの位置に固定する。
「じゃ、行こうか銀雪」
美冬にとって、源一の馬車操舵を見るのは初めてであった。
いや、教習のさいに何度か源一の操舵を見ているから、初めてとは言えないか。
だが、本気で山道を駆け降りていく今の馬車は、教習の時の美冬のレベルにあわせたぬるい操舵とは比べものにならなかった。
そういう意味では、やはり初めて見る操舵なのだろう。
「……すごい。源一おじちゃんって、ここまで操舵の腕があったんだ」
「――言っとくが、冬弥の腕はもっとだったぞ?」
「え?」 予期せずに冬弥の名前が出て、思わず聞き返したが――
「しっかりつかまってろよ? 吊り橋まではかなり揺れるぞ?」
険しい山道を高速で進む馬車の中では、そんな余裕はなさそうだ。
銀雪と涼子がやってきたのは、雪子の家だった。
涼子が玄関を叩くが、中からの反応はない。……それどころか、人の気配も感じ取れないのだが?
「ありゃ? 雪子さん出かけてるのかな?」
「……涼子さん、前もって約束してたんですか?」
「約束? そんなのあるわけないじゃん。いままでまともに村から出してもらえなかったのに」
「……それでよく源一さんの許可がおりましたね?」
「源一の許可? ――あ、ああ、そのことね」 出任せの作り話の事だというのに気づくのに、一瞬の時間がかかった。
「で、どうします涼子さん?」
「うーん、どうしようか?」
二人が雪子の家の前で話していると、買い物袋を抱えた雪子が戻ってきた。
「あら、珍しい組み合わせね。どうしたの、お二人さん?」
「あ、帰ってきたぁ。雪子さん、お昼なんか食べさせて」
「ちょっと、涼子さん。いきなりそれはないでしょう」
「あらあら。……いいわよ、ちょうど私もこれからお昼にしようとしていたところだし」
「やった」
「……すいません雪子さん。急におじゃました上に」
「いいですよ。それに、私も最近のみんなの様子とか聞きたいし。でも、ちょっと待ってくださいね。いまから準備しますんで」
源一の馬車が麓の入り口を通過する。
すぐに馬をとめるための場所に向かった。
「美冬、馬車を頼む。適当な場所につないどいてくれ」
「え、ちょ、ちょっと――」
源一が突然操舵を放棄し、馬車から飛び降りる。
美冬は慌てて手綱を引き、馬車を止めた。
源一がこの場所にとめてある馬車を一台ずつ確認し始める。
「……やっぱり、ここに来てやがったな」
しばらくして、雪子の家の食卓に多くの料理が並べられる。
「……これ、三人分にしては多くないですか?」
銀雪の言うことは理解できる。並べられた料理は、言わばオードブルのようなもの。とても平日の昼食とは思えない量だった。
「雪子さん。これ、残ったら持って帰っていいですか」
まるで、子供のように目を輝かせて涼子が雪子に持ち帰りの確認を取る。
これでは銀雪と涼子、どちらが保護者なのかわかりもしない。
「はいはい。あ、でも全部はだめですよ? 私も残った分は夜に回すつもりなんですから」
涼子と雪子、歳が大きく離れているのに、二人はまるで同世代の友達にも思えるような不思議な光景を見ているようだった。
「しかし、涼子さんと雪子さんって仲がいいんですね?」
「あら? あなたはおばあちゃんって呼んではくれないんですね?」
「お、おばあちゃん?」
雪子は歳はともかく、外見はものすごく若い。それこそ、さっきの光景を見れば、涼子や美雪と同い年ではないかと錯覚すら覚えるほどだ。
「そんな、おばあちゃんだなんてとても呼べませんよ」
「たしかに、雪子さんをそう呼ぶのは難しいよね? 雪子さんをおばあちゃんって躊躇なく呼べるの、昔からそう呼んでいた美冬だけなんじゃない?」
そう言っていると、玄関を叩く音が聞こえてくる。
「あら? 誰か来たみたいね。ちょっと待っててね」
雪子が応対のために玄関に向かった。
「あらあら。噂をすれば、かしら?」
玄関から雪子の声だけが聞こえてくる。
「? 誰が来たんでしょう?」
「さあね。それより、先に食べちゃわない?」
「ダメですよ。雪子さんを待ってからにしましょうよ」
しばらくして、こっちに向かってくる足音が聞こえてくる。
「あ、終わったみたい。――雪子さん、誰だったんですか?」
涼子が戻ってくる雪子に来客相手のことを問う。が、帰ってきた返答は――
「涼子っ」
「! げっ。源一……」
「涼子さん、いけませんよ。今日は黙って出てきたんですってね?」
「黙って?」 その言葉に反応したのは銀雪だった。
「あ、えーと……」
「やっぱりそういうことか。大方、銀雪騙して麓まで馬車を走らせやがったんだな? ったく、事故を起こしたらどうするつもりだったんだ?」
「……すみません」 謝ったのは銀雪だ。
「銀雪、お前は悪くない。悪いのはこいつだ」
そういって、両手の拳で涼子の頭を押さえつける。
「いたた、痛いって。ゴメンってばさ」
「まあまあ。源一さんもそれくらいにして。お昼まだだったらどうですか? ……って言っても、美冬ちゃんはもう食べ始めているみたいですね?」
「美冬?」
気がつくと、銀雪の隣の席で美冬が並べられた食事に手を出していた。
「お前、いつの間に?」
「ふぉん? ――んっ、はぁ」
口に入れた食べ物を飲み込み、再度銀雪の問いに答える。
「ずっといたよ? 源一おじちゃんが入って来たときから」
「さぁ、みんなでいただきましょうか?」
「ちょっと。源一まで入ったら、持って帰る分なくなっちゃうじゃん」
「お前は、図々しいにもほどがあるだろうが」
結局、持ち帰り分はなくなってしまったが、四人は腹一杯に雪子の料理をいただいて、馬車をとめてある場所に戻ってきた。
「で、涼子。銀雪の腕はどうだった?」
「それがすごいよ。とても初めてとは思えないくらい。正直言って、昔の冬弥を見ている気分だったよ」
「馬車の腕も冬弥並ってことか。――銀雪」
「はい?」
「本来ならこのまま最終試験と行きたいところだが、そうなると、涼子と美冬でもう一台の馬車を村まで走らせなくちゃならなくなる」
「じゃあ、どうするんですか?」
「俺が涼子を送っていくから、お前は美冬を連れて帰ってくれ」
「じゃあさ、そのまま私が馬車を操舵して帰れば、山道走行も出来て一石二鳥にならない?」
「ダメだ。お前はまだ指導者なしでは走らせれない。だが、銀雪は涼子に騙されたとは言え、山道走行を完璧にこなしている。だから、今日は銀雪の操舵で帰るんだ」
「ぶー。つまんない」
「まぁ、そうすねるな。戻ったら、山道走行に移ってやる」
「やった。山道走れるんだ」
「銀雪、お前も美冬の山道走行につきあってもらうぞ?」
「あり? それってどういうこと?」 涼子が話に割り込んできた。
「こんなことをしでかしたんだ。お前に指導は任せられん。家でゆっくり休んでもらうぞ」
「そんなぁ」
「じゃあ行くぞ、涼子」
「源一の鬼、悪魔」
源一に引きずられながら、涼子は源一の馬車まで連れて行かれた。
「じゃあ、俺たちも帰るか」
「ねぇ銀雪? 少しだけでも私が操舵したらダメ?」
「ダメ。俺はお前の腕を知らないからな」
銀雪と美冬ももう一台の馬車に乗り込んだ。
快適な馬車の乗り心地と、山道を正確に走る腕を実感して、涼子がひいきで合格点をあげたものではないことを知る。
そして、源一の馬車に少し遅れて、銀雪の馬車が村の入り口をくぐった。
とりあえず、馬車を戻そうといつもの場所に行ってみると、そこで源一が待っていた。
「よし、戻ったか。馬車は戻さなくていいぞ? その馬車で山道走行を始める」
「涼子おばちゃんは?」
「あいつなら美雪の家に行かせた。あいつ一人だとなにをしでかすか」
「信用していないんですね?」
「実際に被害を受けたお前がそんなことを言えるんだな」
「はは……」 思わず苦笑いの銀雪。
「じゃあ、始めるぞ? 美冬、うまく行けばそのまま最終試験に移れるぞ? 早けりゃ明日から馬車を使って麓にいける」
「源一おじちゃんが村での走行に時間を取りすぎたんだよ。――一回で合格してやるんだから」
「だといいがな。銀雪、お前は後ろに乗ってくれ。美冬の合否に問わず、次はお前の最終試験をやろう」
「結局、追い抜かれちゃってんだ、私」
「お前が村の走行に時間をかけすぎてるんだよ」
「あー、それおじちゃんが言う?」
「銀雪、アドバイスはなしだからな」
「あ、はい」
「じゃあ、美冬は前に、銀雪は後ろに乗るんだ」
言われたとおりに二人は馬車に乗り込んだ。
美冬の隣に源一が座り、美冬が手綱を握る。
手綱を馬に叩きつけた。――馬車が走り出す。
「じゃあ、まずは村の入り口まで移動してもらおうか」
馬車がゆっくりと走り出す。それは、少し慎重になりすぎている部分もあるが、いままでずっと不合格を貰い続けた者の操舵とはとても思えなかった。
(どうして源一さんはこの操舵で不合格を出し続けていたんだ?)
銀雪の疑問はすぐに解決する。
村の入り口の前で馬車を一旦止める。
「おいおい。なにがあったんだよ? 午前中の走りとはまるで違うじゃないか?」
そう。これがいつもの操舵というわけではなかったのだ。
「あんな操舵を見せられちゃ、いままでのままじゃいけないって嫌でも思い知るよ」
どうやら美冬は源一と銀雪の操舵を目の当たりにして、考えを改めることになったようだ。
「どうやら、麓に向かったことが偶然にもいい方に動いたようだな。だが、山道での走行は甘くないぞ? 少しのミスが命取りになることだってある」
「プレッシャーをかけてるつもり? 今の私なら簡単に合格出来そうだよ」
「言ったな。――じゃあ、橋を越えるまで馬車を走らせてもらおうか。橋を越えたところで、馬車を寄せて止めるんだ。そこまでを見たら、折り返しで最終試験をやろう」
「え? そのまま最終試験が出来るの?」
「それは往きの走り次第だ。――出発だ」
美冬は自分で言ったとおり、初の山道走行というプレッシャーをものともしなかった。
馬車は山道の中央の位置をしっかりとキープし、危なげなく山道を下っていく。
そして、険しい山道の終点となる吊り橋が見えてきた。
橋を渡り、少し広い場所で馬車を隅に寄せて止める。
「――どうよ?」 自信満々の顔で源一に結果を問う。
「その顔はなんか気に食わんが、まあいいだろ。――銀雪、同行してもらっといて悪いが、お前の最終試験はなしだ」
「それは、後日改めてと言うことですか?」
「いいや、免除ってことだ」
「はぁ? そんなのずるくない? 私はこれから最終試験やって、その結果次第で馬車操舵の許可がおりるんでしょ?」
「じゃあ、逆に聞くが、今の操舵は銀雪以上だったって言い切れるか?」
「そ、それは……」
「でも源一さん、ずるいずるくないはともかくとして、そんなざっぱに大事なことを決めちゃっていいのですか?」
「知ってるか? 俺たちがお前たちくらいの歳の頃には、馬車を使用するための試験なんかなかったんだぜ? 基本を叩き込まれて、全部覚えたら、子供一人で麓までお使いにいくって決まりだったんだ」
「じゃあ、なんで今は試験なんて存在するのよ?」
「それは、冬弥が村の中と山道での走行感覚の違いに危機感を覚えたからだ」
「お父さんの、せい?」
「せいって言うな。冬弥のおかげだ。で、銀雪の場合、涼子に騙されたとはいえ、その問題を簡単にクリアしていた。だから、美冬が危なっかしく山道を走った場合のみ、帰りはお前の最終試験にしようと思っていたんだ」
「けど、美冬の操舵になんの問題がなかったから、そのまま美冬の最終試験をやって、帰って終わりと?」
「ようは源一おじちゃんの怠慢だね。もう一往復したくないっての」
「お、なんだ? そういう風に言うんだったら、お前の試験取り消して、銀雪の試験を始めるぞ」
「わーわー、それはなしだよ。ともあれ、これで馬車の許可がもらえるんだし」
「ヘマさえしなければな。……じゃあ、まずは旋回からだ」
そのまま、美冬の最終試験が始まった。
ゆっくりと、慎重に馬車を旋回させると、目の前に先ほどわたってきた吊り橋が見える。
いつもより橋が大きく見えるのは、さすがの美冬もプレッシャーに飲み込まれそうになってる証なのだろう。
手綱を叩きつけ、馬車を発進させる。
プレッシャーを感じながらも、確実に馬車を操舵していく。
……順調だった。ミスもなく、乗り心地も悪くない。
あと少しで村の入り口が見えるというところまで来たときだった。
前方から別の馬車がやってきた。どうやら村の誰かが買い出しにでも出るようだ。
「!」 突然の事に、美冬の表情が変わる。
狭い山道でのすれ違い。道の広い方を走行している馬車が道を譲らなくてはならない。
今回、道が広いのはこちらの馬車。
試験中につき、源一や銀雪からの助言はない。
ここで道を譲らなければ、源一が手綱を引き、試験は終了となるだろう。
美冬の顔から笑みがこぼれた。
美冬はすぐさまに馬車を寄せて道を開ける。
完璧な対応だ。村からの馬車が横を通過していくと、周囲の安全を確認し、再び馬車を走らせる。
村の入り口をくぐり、馬車はいつもの場所に向かう。
美冬が馬車を止めると、源一と銀雪は馬車から降りる。
馬と荷台を離し、それぞれの場所に固定して試験は終了となった。
「おみごと」 一連の作業を終えた美冬に源一が最初につげた一言だ。
「じゃあ――」
「まあ、完璧とはいえないが、すれ違いの時の判断はよかった。予定外の出来事であれだけの判断が出来れば上出来だ。よし、二人ともこれにて馬車の教習を終了とする」
「……やっぱ、なんか違和感があるよぉ。何もしていない銀雪まで合格ってのは」
「その銀雪の走りを手本にしたからこそ、お前は合格出来たんじゃないのか?」
「そう言われると、反論できない」
「じゃあ、お前等は自宅に帰って、涼子にそろそろ戻ってこいって伝えてくれ。俺は馬車を片づけたら、家でゆっくりするからよ」
「ただいま」
「ただいま戻りました」
玄関を中に入ると、居間の方から話し声が聞こえてきた。
そのまま居間に向かうと、そこでは美雪が涼子の愚痴を聞いていた。
「――でね、源一ったらひどいんだよぉ? たかが無断で麓にいっただけで、しばらく外出禁止だって。いいじゃない、たかが数時間麓にいくくらい……」
「源一さんも涼子さんが心配なのよ。なにかあったら、あなた一人の身体じゃないんですから」
「そんなこといったって、家でじっとなんかしてられないわよ」
居間に美冬と銀雪が入ってくる。
「ただいま、お母さん。……涼子おばちゃん、どうしたの?」
「もしかして、お酒が入ってます?」
銀雪はそう思ったのだが、机に置かれていたのは、紅茶とお菓子。酒類は出していないようだ。
「飲んでないわよ、失礼ね。――銀雪ぅ、アンタからも源一に言ってよ。外出禁止取り消してって」
「でも涼子さん? 外出禁止っていっても、村の中は問題ないんだし、こうやって私の家に遊びに来てくれれば、お茶くらい出しますよ」
「い、や、だぁ。私も麓で買い物したいっ」 本当に酒が入っていないのかを疑いたくなる態度だ。
「涼子さん、その源一さんから伝言です。家にいるから早く戻ってこいって」
「やだっ。ここにいる。外出禁止を取り消してくれるまでここにいるっ」
涼子の駄々に対し、美雪がしびれを切らす。
「……そういえば涼子さん。あなた、今日お母さんの所でお昼をいただいたそうですね?」 ただの質問にしては、美雪の目が怖い。
「み、美雪? ちょっと目が怖いよ?」
「ひどいですよねぇ? 私一人のけ者にするなんて。あーあ、私もお母さんの料理食べたかったなぁ?」
美雪の迫力に、思わず涼子は――
「じゃ、じゃあ源一が待ってるからそろそろ帰るね?」
――脱兎の如く逃げ出した。
「えーと、お母さん? もしかして怒ってる?」
「大丈夫、それほどは怒っていません。――あ、でも明日は麓に行きましょうね? 私もお母さんの料理、食べたくなったし」
「あ、だったら私が馬車を操舵するっ」
「あら、もしかして、源一さんが合格点を出したの」
「へへっ、ぶい」 そういってVサイン。
「じゃあ、後は銀雪だけってこと?」
「あ、俺はもう――」
「あー、そうだ聞いてよ。銀雪は試験なしで馬車操舵の許可がおりたんだよ?」
「あら、それはどういうこと?」
「今日、麓に行ったとき、涼子さんが教習っていって俺が麓まで馬車を走らせることになったんですよ。――で、その時の操舵が問題なかったからって」
「あらあら。じゃあ、涼子さんのおかげってわけなんだ。……少し涼子さんに悪いことしたかしら?」
「いや、あの駄々はやりすぎでしょう。結果としては良かったんじゃないですか?」




