美冬編 その2「馬車の教習」
三人は、雪子の家の前まで来ていた。
「さて。お母さんにはなんて説明しようかしら?」
「? 別に迷うことはないんじゃない? ありのままを話せばいいだけだと思うけど?」
「まあ、そうなんだけどね。……信じてもらえるかしら?」
いつまでも玄関をくぐらずに、表で話していると、家の玄関が開き、雪子が姿を現した。
「あなたたち、そんなところで何やってるの? ほら、もう辺りも暗くなっているんだから、そんなところで騒いでないで中に入りなさいな」
「おばあちゃんっ」 美冬が雪子に抱きつく。
「ふふ。いらっしゃい、美冬ちゃん。――でも、今日は随分と遅い時間に来ましたね?」
遅いって言っても、時間にして夕方の六時くらいなのではあるが。
「今日は銀雪の用事に付き合ってたから遅くなっちゃったの。まだお昼も食べてなくて、もうお腹ペコペコだよ。おばあちゃん、今日はご飯を作ってもらえるかな?」
「銀雪?」
と、美雪の影にいた銀雪が雪子の前に姿を見せる。
「……初めまして」
「!? 冬弥、くん? ……いや、でもそんなわけが――」
「やはりあなたも冬弥という人の名前を出すんですね?」
「お母さん、今日私たちがここに来たのは、この子、銀雪について相談したいことがあるかなんです」
「その前に、ご飯。話はそれからだよ、ね?」
「はいはい。――じゃあ、先に食事の用意をしましょう。美雪、それに銀雪くんだっけ? あなたたちもまずご飯にしましょうね」
食事を終えると、美雪は雪子にこれまでの経緯を話した。
「で、今日一日聞いてまわったけど、そんな子供はいなかったてわけですか」
「それで銀雪を家で引き取ることにしたんです」
「でも、あなた一人で大丈夫なの?」
「大丈夫。この時期さえ終えれば、あとは冬ごもりだけなんですから」
「もしつらいようだったら、こっちに来なさいな。――ほら、いつかの冬弥くんのように、また冬の間ここで暮らすってのもいいし」
二人で話していると、家の奥の方から美冬と銀雪の声が聞こえてきた。
「やっぱり、いないよ銀雪?」
「……やっぱ、気のせいか思い違いか?」
「そうだよ。第一、初めて来た家のことがわかるわけがないじゃん」
会話が気になり、美雪と雪子は部屋を出た。
廊下で美冬たちはなにかを探しているようだった。
「どうしたの美冬ちゃん」
「あ、おばあちゃん。――おばあちゃん、銀雪がこの家に猫ちゃんがいる気がするって言ってるんだけど、なにか心当たりってある?」
「猫?」
「はい。俺の気のせいなだけかもしれませんが、頭の中にここと似たような家の背景と、真っ白な雪のような猫の姿が思い浮かぶんです」
「!」
「お母さん、それってまさか――」
「? なにか知ってるの、お母さん」
と、雪子が突然部屋を移動し始める。
「銀雪くん、ついてきて」
雪子がある部屋の鍵を開け、銀雪にその部屋を見せた。
そこは、昔美雪が使用していた部屋だった。美雪が家を出てからも、当時のままで部屋の状態が保存されていたのだ。
「ここは、私の部屋、ですね?」
「銀雪くん、この部屋に見覚えはありますか?」
意図のわからない質問。だが、銀雪は迷うことなくその問いに答えた。
「……俺は、この部屋を知っている?」
脳裏に浮かぶこの部屋での光景。そして、そこで真っ白な猫とじゃれあって遊ぶ少年と少女の姿。
「お母さん、結局猫ちゃんはいないの?」
美冬の問いには雪子が答えた。
「昔ね、この家にはすのっていう真っ白な猫がいたの。でもね、もうずいぶん歳をとっちゃって、あなたが生まれる前に亡くなっちゃったの」
「……なんで、俺の頭の中にその猫のことが?」
「それは私でもわからないわ。ただ、あなたがなにかしらで冬弥くんと繋がっているとすれば、あなたが頭の中で見たという光景は冬弥くんがあなたと同じくらいの年頃の時の光景なんじゃないかしら」
「……」 思い当たる節はある。先ほど見えた少年少女の姿、それがそうなんだろう。
「やっぱり、源一おじちゃんや涼子おばちゃんみたいに、おばあちゃんも銀雪がお父さんと何か関係があると思うんだ」
「あら、お二人もそう言ってたの?」
「うん。それで家で暮らすのが一番だって」
「……これを決めるのは銀雪くん次第だけど、記憶が戻るまでとは言わずに、ずっと美雪のそばにいてもらえませんか?」
「え?」 予想外の申し出に銀雪は戸惑うが、雪子は言葉を続ける。
「冬弥くんの代わりだなんてはいいません。ですが、冬弥くんと美雪の子供としてあなたには美雪のそばに居続けて欲しいのです。いづれあなたが大人になって巣立っていくその日まで」
暗闇の中、馬車はわずかな光で山道を照らしながら進んでいく。
雪子の家を出てから無言のままの銀雪に、美雪が声をかけてきた。
「お母さんの言ったことを気にしているのですか?」
「いえ、そういうわけではないんです。ただ、いつかは別れなくてはならない日が来ると思うと――」
「別れる日?」
「記憶が戻り、帰るべき場所が見つかったら、俺はそこに帰らなくちゃならないんですよね?」
「? どうしてそうなるの?」 美冬が話に割ってはいる。
「だってそうですよね? そうなれば、いつまでも二人に迷惑をかけるわけにもいかないじゃないですか?」
「それは少し違いますね。まず、私たちはあなたのことを迷惑だと思ってもいませんし、帰る場所がわかってあなたが私たちの前からいなくなったとしても、それが今生の別れというわけではないでしょ?」
「そうだよ。そのときはまた私たちに会いにこればいいだけなんだし」
「結局はまだ先の話です。今に悩むのはやめましょう。今はそうなったときに後悔のないように、これからの生活を楽しむことだけを考えましょう。ね?」
そして、銀雪が村にやってきて数日が経過した。
小さな村だ。それに、外見や性格が馴染みのある冬弥に似ていたということもあり、銀雪が村に馴染むのにはさほど時間がかかることはなかった。
起床すると、銀雪は自室から居間にやってくる。
「おはようございます、美雪さん」
「おはよう。あいかわらず銀雪は早いのね。それに比べてあの娘ときたら――」
「まだ寝てるんですね?」
「お願いしていいかしら? ちょっと起こして来てもらえる?」
「え? でも、朝食の準備はこれからですよね? こんな早くに起こす理由があるんですか?」
「今日は源一さんに馬車を習う日なの。あの子、いっつもぎりぎりで源一さんに迷惑をかけているから――」
「……それって、俺も教えてもらうことって出来るんですか?」
「あら、あなたも馬車を習いたいの?」
「まぁ、こういう場所だといつかは必要になると思いますし」
「じゃあ、今日一緒に行って聞いてみなさいよ。多分大丈夫だとおもうけど、まぁ、ダメだったら私が暇なときにでも教えますし」
「じゃあ、とりあえず当の本人を起こして来ますね」
「お願いね。その間に朝食の準備を済ませておくから」
美冬の部屋の扉を叩く。――反応なし。
ゆっくりと扉を開けると、そこで美冬は、敷き布団のない場所で腹を布団から出して眠っていた。
「……なんつう寝相だよ? もう少し季節と性別を考えて眠れよなぁ」
銀雪は美冬に布団をかぶせ、敷き布団の上に戻すと、体を揺らし美冬を起こす。
……まぁ、あの寝相で起きないのにこの程度では起きるわけがないか。
「やれやれ」
一息つくと、銀雪は美冬の枕元に座り込んだ。
あまり乱暴な起こし方をしないのは、銀雪の甘さなんだろう。こうして今日も時間いっぱいまで美冬が起きるまで待つ銀雪であった。
その結果、しばらくして慌てることになるのだが、悪いのは美冬なのか銀雪なのか。
冷めた朝食を一気に口に詰め、早々に食事を終えると、美冬は慌てて家を出た。
「じゃあ、俺もちょっと行ってきます」
「源一さんによろしくね」
少しして美冬は、銀雪が自分の後についてきているのに気づく。
「どうしたの、銀雪? なにか私に用?」
「いや、用があるのは源一さんの方になんだ」
「源一さんに? いったいなんの?」
「それよりいいのか? もう約束の時間を過ぎてるんじゃなかったっけ?」
「あー。ったく、銀雪のせいなんだからね?」
「俺のせい、なのか?」
源一の家の玄関を叩く。
「――来たか」
訪問者を確認せずに源一は玄関を開けた。
「これで私じゃなかったらどうするんだろ?」
「これでお前じゃなかった方が大問題だよ? とっくに時間は過ぎてるぞ? ――じゃあ、馬車のところに行くぞ」
と、美冬の背後に銀雪の姿を発見する。
「? なんで、お前まで来てるんだ?」
「あ、そうそう。なんか銀雪、源一さんに用があるんだって」
「俺にか? まぁ、手短に頼むぞ?」
「いえ、実は俺も馬車を覚えたいと思って、美冬のついでに教えてもらえにないかなって」
「それはかまわないが、ついでってのは無理だぞ」
「え? どうして? 私と一緒に教えればいいじゃん」
「あのなぁ。お前はもう基礎は終わっている状態だ。まぁ、随分と実技が進んでないけどな」
「うるさいっ」
「けど、銀雪。お前はまだなにも知らないだろ? 馬車の動かし方の前に、馬の常識を習わないことにはな」
「だったら私が銀雪に教えようか?」
家の中から顔を出して来たのは、涼子だった。
「お前は、また動き回って……」
「家でじっとしてるだけって暇なんよ」
「何度言えばわかる? お前はいま大事な身体だって」
「まあまあ。馬の世話を教えるくらいだったら、そんなに心配しなくてもいいでしょ?」
「お前、何をたくらんでいる?」
「たくらむなんて人聞きの悪い。私はただ、暇してるのが耐えられないだけなの」
「……まあいい。銀雪、お前もそれでいいか?」
「俺は教えてもらえるなら、文句はないです」
「そうか……」
源一が銀雪の耳元で呟く。
「……もし涼子が無茶しようとしたら、俺に知らせてくれ。あいつ、目をはなすとなにをしでかすか」
銀雪にそう伝えると、何事もなかったように美冬に声をかける。
「じゃあ、美冬。始めるか」
「はーい」
源一と美冬が、馬車の止めてある場所に向かっていった。
「じゃあ、さっそく私らも始めましょうか。……まずは、馬と接してみようか」
やがて、日が暮れて、今日の馬車の練習時間が終わる。
銀雪、涼子、美冬、源一が源一の家に戻ってくる。
「おう。そっちはどうだ?」
「いやぁ、この子、すごいよ。今日半日だけで必要な知識をほとんど覚えちゃった」
「へぇ。やるじゃないか、銀雪。それにくらべてこっちときたら……」
「せまい村の中だからやりにくいんだよっ。一回山道走らせてよ」
「アホかっ。山道はもっとせまいんだぞ?」
「で、涼子さん。明日はもう馬車に乗って問題ないんですよね? だったら、明日は源一さんに――」
「ちょいまち。明日も私が付き合ってあげるよ」
「え? でも、実技となると――」
「源一、一緒に馬車に乗って教えるくらいはいいでしょ?」
「うーん。あんまりいいとは言えないなぁ」
「大丈夫。操舵するのは私じゃないし、この子、本当に上達早いよ?」
「ま、あんまり無茶しないって約束できるならいいだろう」
「うん、相変わらず話がわかるねぇ」
「銀雪。涼子は目をはなすとなにをしでかすかわからんからな、お前に任せていいか?」
「えっと……、俺が馬車を見てもらうって話ですよね?」
「そうなんだが、涼子も言い出したら聞かないからな。とにかく、無茶だけはしないよう気を配ってくれ」
「銀雪、もう実技に入るんだ」
「本当、上達早いからねぇ。明後日あたりには山道を走ってるかもよ?」
「そうなったら、美冬と指導の交代だ」
「いいよ、山道でも私が面倒みるから」
「ダメだ。そこまでは許可できない」
「……ちぇっ」
日が暮れる前に、銀雪と美冬が美雪の家に戻ってくる。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
「はい、二人ともお疲れさま。――で、どうでした?」
「私は全然。まだ山道走らせてもらえないよ」
「源一さんは厳しいですからね」
「けど、俺は明日から馬車を操舵させてもらえますよ」
「あー、ずるい。私も涼子さんに見てもらえればよかったよ」
「銀雪は今日なにを教えてもらったんですか?」
「馬車と馬のつなぎ方とか、馬の休め方。それに、馬の世話に関することを一通りですかね? とにかく、馬に関しては全て覚えましたよ?」
「ちょっと、まさか今日だけであれだけのことを全部覚えたって言うの?」
「どうやら銀雪は涼子さんだから早く進んでいるのではなく、今日一日で必要なことを全て覚えてしまったってことのようですね?」
「まぁ、覚えたっていうよりは、なんか、知っていたって感覚みたいな……、なんて言えばいいのかな? 身体が勝手に動くみたいな――」
「もしかして、記憶を無くす前に馬車を動かしたことがあるのかも知れませんね」
翌朝。……美冬の朝はあいかわらずであった。
「もう朝は寒いっつうのに、なんで布団をどけるのかねぇ?」
布団を掛け直し、美冬の身体を揺らす。
この程度で起きないのは昨日で理解した。
だから、今日は少し心を鬼にして、起きるまで揺らすことにした。
「うーん……、あと五分……」
寝ぼけている人間の言葉をまともに受け取ってはいけない。――だが、銀雪は……
「五分だけだぞ? 五分たったら、ちゃんと起きろよ?」
結局、美冬が五分で起きるわけもなく、今日も約束の時間ぎりぎりで家を出ることになるのだった。
昨日と同じように、それぞれ源一と涼子について馬車に乗り込む。
いや、銀雪は今日初めて馬車に乗るわけだから、昨日と同じというのはおかしな話か。
「銀雪、いい? 動かし方は今説明した通り、あとは慣れとしかいいようがないから、とりあえず動かしてみようか。一応、私が隣に乗っておくから、安心して」
「っていうか、涼子さん? そんな身体で大丈夫なんですか?」
「平気平気。別に病気ってわけじゃないし、お腹もまだそんなに大きくもなってないしね」
「とにかく、源一さんにも無茶はさせないようにって言われていますんで、あんまり無理はしないでくださいよ?」
銀雪の動かす馬車が、村を一周してもとの場所に戻ってくる。
「どうでしたか、涼子さん?」
「うん、完璧だね。……これなら――」
「これなら? なんの話です?」
「何でもない。――じゃあ、次は私の指示に従って走ってもらうわよ?」
「あ、はい」
馬車に乗り込もうとした美冬に目に入ってきたのは、さっき村を一周して戻ってきたばかりの銀雪の馬車だった。
「あれ?」
「どうした、美冬?」
「いや、銀雪ってさっき戻ってきたばかりなのに、また馬車を走らせてる」
「なんか、気になることでもあったんじゃないか? それより、問題はお前だ。教えるべきことは全て教えてある。あとは操舵の技術の問題だけなんだ。とにかく、ミスなしに村を一周できれば、最後の山道走行に移れるんだから」
「頭ではわかってるんだけど……」
「銀雪を気にしてる暇はないぞ? もしかすると、今日で追い抜かれるかもしれんぞ」
涼子の指示で銀雪の馬車は村を進んでいた。
「はい、次を左折」
「!」 左折の指示を聞いて、銀雪は慌てて馬車を止める。
「ちょっと、なに勝手に止めてんの?」
「なに言ってるんですかっ! ここを左に曲がったら、村を出る道じゃないですかっ」
涼子の舌打ち。……もっとも、銀雪には聞こえないように舌打ちしたのだが。
その後、取り繕うように涼子が銀雪に話しかけた。
「あれ、聞いてなかった? 昨日、源一説得して、もし銀雪の操舵が合格だせるレベルだったら、山道走行私がやってもいいって話」
もちろん、ただのでまかせである。先ほどの舌打ちが聞こえていれば、信じられる話ではないのだが――
「そうだったんですか? いえ、何も聞いてませんでした」
涼子は自然と浮かびそうになる笑みを抑える。
「で、さっきの操舵は間違いなく合格点。だから、このまま私の指示で山道走ってもらうわよ?」
「はい、わかりました」
銀雪が人を疑うことを知らないということもあるのだろうが、これで事は涼子の思惑通りに進むこととなってしまった。
源一と美冬の馬車が元いた場所に戻ってくる。
「どうよ? 今回はミスなかったでしょ?」
得意げになって源一に感想を求めるが――
「たしかミスはなかったが、危なっかしい場面はいくつかあった」
「なに? じゃあ、まだ山道に出れないの?」
「……いや、まぁいいだろう。あとは山道を走らせてみてからの判断だな」
「やった」
「その前にそろそろ昼飯だな?」
馬をとめ、馬車を一旦片づけると、源一と美冬は源一の家へと戻ってきた。
「……ん? 銀雪と涼子はまだ戻っていないのか?」
昨日は昼飯時には真っ先に戻ってきていた涼子だったのだが、今日は戻ってくる気配も感じ取れない。
「そういえば、銀雪の馬車が一度戻ってきた時、すぐにもう一回出ていっちゃったけど、あの時どこに走っていったのかな?」
「どういう意味だ?」
「だって、同じコースに向かったようには見えなかったし、村を一周しててもすれ違わなかったし……」
「! まさか、あのバカっ」
そう言うと源一は家を背にして走り出した。
「ちょっと、源一おじちゃん?」
慌てて源一の後を追う。
源一を追ってたどり着いた場所は、村の入り口だった。
そこの土を見てみると、蹄の跡と車輪の跡が村の外へと続いていた。
「はぁ、はぁ。やっと追いついた。急にどうしたのよ?」
「あのバカ、勝手に山道走行はじめやがった」
「え?」
「美冬、食事は後回しだ。涼子と銀雪を追うぞ?」
「えー、そんなぁ……」




