冬弥編 最終話「冬の終わりが告げるもの」
日が高く昇り始めた頃、冬弥の操舵する馬車は麓の町へと到着する。
いつもなら、町の入り口付近の馬止めに馬車を停めるのだが、今日はそこには止まらない。
馬車は町中を走り、雪子の家の前で停止する。
馬車が止まるやいなや、大きな鞄を抱えた美雪が玄関から姿を現した。
「準備はもう出来ているみたいだな?」
そういっていると、開いたままの玄関から雪子が姿を現す。
「ねぇ聞いてくれる冬弥くん?」
「あー、ダメっお母さん」
「この子ったら、今日の朝に起きてからずっとその荷物と一緒に玄関で座っていたんだよ?」
「……おいおい。これで俺が来るのが遅くなっていたらどうするつもりだったんだよ」
「だってぇ」
「冬弥くん。ちょっと聞きたいんだけど……」
「あ、はい」
「あなたたちの結婚式の予定ってもう決まっちゃってる?」
「いや、それが……実は籍を入れるだけのつもりだったんですが、源一と涼子に絶対に結婚式はするべきだって言われて――」
「私はべつにいいよ? 冬弥くんと一緒になれるんだもん」
「じゃあ、まだ決めてないわけね?」
「あ、でも源一と涼子がなにか考えているみたいで――」
「そっか……」
雪子が少し考えこむ。そして、すぐに――
「よし。――冬弥くん、私もあなたの村に連れていってくれる?」
「ちょ、お母さん?」
「大丈夫。新婚家庭の邪魔をする気はないわ。ちょっと、涼子ちゃんと源一くんとでお話がしたいの」
「話、ですか?」
「そ。最愛の娘と、我が子同然の冬弥くんとの結婚式を盛大なものにするためのね」
しばらくして、馬車は村へと到着する。
「ここが冬弥くんの村ですか?」
「まぁ、麓に比べればなんにもない場所ですけどね」
「そんなことないですよ? 静かでいい村じゃないですか」
馬車を止め、冬弥が馬車から降りる。
「じゃあ、馬車を片付けますんで、俺の家で待っててもらえます? 美雪、俺の家は覚えているよな?」
「うん、大丈夫。……だけど、いろいろ村を見て回りたいな」
「あ、私も見てみたいな。冬弥くんや涼子ちゃんたちのすむ村」
「お母さんは涼子さんに会いに来たんじゃないの?」
「まあまあ、いいじゃない。もしかすると涼子ちゃんや源一くんに偶然会うかもしれないんですから」
「もうっ」
「じゃあ、お前の荷物を置いたら、俺が案内してやるよ。これから住む場所だ、早くになれた方がいい」
冬弥の家に美雪の荷物を置くと、三人は玄関を出る。
玄関を出ると、冬弥の馬車が戻ったのを確認してか、涼子がちょうど冬弥の家に向かって歩いていた。
「あれ、雪子さん?」
「あ、涼子ちゃん。ちょうどよかった、これから会いに行こうと思っていたところなんですよ」
「私に、ですか?」
「いえね、冬弥くんに聞いたんだけど、冬弥くんと美雪の結婚式についてあなたと源一くんが考えているって聞いてね、私も話に混ぜてもらおうと思って……」
「本当ですか? じゃあ、これから私の家に来てもらえます?」
「はい。――冬弥くん、村の案内はまた今度で。私はちょっと涼子ちゃんのお家におじゃましてきますね」
「? なぁ、涼子。俺たちはその話に行かなくていいのか?」
「うーん……」
「涼子ちゃん、ここは当日までのお楽しみってことにしませんか?」
「そうだね。じゃあ、くわしいことが決まったら報告にくるから、それまでは来なくていいよ。――っうか、来ちゃダメ」
「……冬弥くん、ここは涼子さんとお母さんたちに任せましょうよ」
「……まぁ、お前がそれでいいっていうなら」
「任してください。きっと忘れられない式にしてあげますから」
「なんか、不安だなぁ」
「じゃあね、冬弥。……さて、源一も呼んで、さっそく――」
雪子を連れて、涼子が去っていった。
「じゃあ、俺たちは村でも見てまわるか」
「はい」
涼子の家には源一も呼ばれ、雪子、涼子、源一の三人で冬弥の結婚式についての話し合いを始めていた。
しかし、一回り以上も歳の差がある雪子なのだが、はたから見ても違和感がないのは、それだけ雪子が若い外見をしているということだろうか?
「問題は、どこで式を挙げるかだな」
「もしお二人がお手間でなければ、麓で式を挙げませんか? 麓でしたら、式の後に私の家で食事会を開くこともできますし」
「食事会! ――涼子、式は麓で行おう。久しぶりに雪子さんの飯が食える」
「アンタは食べることしか頭にないのっ」
「でも、麓ってのはアリだぜ? いろいろな準備が楽だ」
「うーん。たしかにそうだけどさぁ」
雪子の視線が一冊の本の前で止まる。
「涼子ちゃん、あの本は?」
「ああ、あれ。あれはいろいろな町の結婚風習を参考にしようと思って、麓でいい本があったから買ってきたの」
「読ませてもらっていいかしら?」
そう言うと、返事を待たずに本をめくり始める。
すぐにペーシをめくる手が止まった。
涼子が本をのぞき込む。
そこに掲載されていたのは、真っ白なドレスとタキシードを身に纏った男女の写真だった。
「やっぱり、雪子さんもその地方の結婚式が気になりました?」
「やっぱりって事は、涼子ちゃんも?」
「その女性のひらひらとした白い服、綺麗だと思いませんか?」
源一も本をのぞき込んでみる。
「……たしかに綺麗だな。だが、その服はどうやって手に入れるんだ?」
「たしかに。記事を読む限り、これは随分と西の国の結婚式みたいだし、買いに行くにしても――」
「見た目だけでいいなら、多分似たような服を作れますよ?」
「本当ですか、雪子さん?」
「ええ。まったく同じと言うわけにはいきませんけど」
「涼子。この結婚式に関する詳細の書かれている本はあるのか?」
「家にはないけど、麓の店なら多分あると思う。……この本以外にも結婚関連の本はたくさんあったから」
「じゃあ、一度麓に行きしょうか? 私の家でよろしければ、そこで詳しくお話も出来ますし」
「そうね。早く行動した方が、それだけ時間が取れるしね」
村を見てまわっている冬弥と美雪の前に、涼子と雪子が現れる。
「あ、冬弥くん。ちょうどよかった。これから涼子ちゃんに麓まで送ってもらって、私の家で結婚式のことを話し合うことになったんで、その報告をしに冬弥くんのお家に行こうかと思っていたところなんですよ」
よくみると、源一の姿がない。
「源一は一緒じゃないのか?」
「源一くんは他に用事があるみたいで、とりあえず、私たちだけで行くことになったの」
「あいつにそんな用事があるとは思えないんだけどね」
そういって、二人は馬車の停めてある方へと歩いていった。
「毎回毎回、涼子の尻拭いとは、源一も大変だな」
「? どういうことなんですか?」
「いや、何でもない」
涼子たちが麓の商店で見つけたのは、西方の文化の書かれた本と、その地方の代表的な衣装の縫い方が書かれた裁縫の本だった。
その二冊を購入し、雪子の家に持ち帰ると、二人はその本を隅々まで読み尽くした。
それから十日。美雪も村になじみはじめた頃、冬弥の家に涼子が結婚式の日程と場所を知らせにやってきた。
「教会? そんなところで結婚式を挙げるのか?」
「西の方じゃ一般的らしいよ。とにかく明後日、麓の教会で二人の結婚式を挙げることに決まったから。――あ、衣装とかは雪子さんが用意してくれるから、麓まではいつもの服でいいよ」
「用意って涼子さん、それじゃあ随分お金がかかったんじゃないですか?」
「いいよいいよ。それは私たちからの結婚祝いってことで受け取ってくれれば」
村からは二台の馬車が麓に向けて出発した。
涼子の操舵する先頭の馬車には、源一が乗っている。
村の人間が大勢で山道を移動するわけにもいかないので、参加する者は各々の馬車で時間をずらして出発することにしている。
後方の馬車は冬弥が操舵し、美雪が荷台に乗っている。
麓につくと、二台の馬車は町の入り口に停め、涼子と源一は町の教会へ、冬弥と美雪は着替えの為に雪子の家へと向かった。
雪子の家で初めて聞かされる。結婚式の段取りとその後の予定を。
段取りはこうだ。
まず、二人が真っ白な衣装に着替えたら、教会の中央を進み、神の前で愛を誓う。
その後、参列者全員で雪子の家に戻り、冬弥たちは服を着替え、庭で行われる立食パーティーを楽しむというモノだ。
そして、二人の結婚式が始まった。
小さな教会にはたくさんの参列者。
村の者、麓の人々問わず、たくさんの人たちが二人を祝福してくれた。
そして、真っ白な衣装を身に纏った二人は、神の像が見守る中、互いに愛を誓い、口づけを交わした。
教会での式が終わると、雪子が自宅でささやかなもてなしがあることを参列者に告げる。
「もし、お時間に余裕があるようでしたら、是非私の家に寄っていってください。たいしたおもてなしは出来ませんが、腕によりをかけて数々のお料理を用意いたしております」
さすがに全員がこれたわけではないのだが、大勢の人たちが雪子の家の庭に集まってくれた。
雪子や涼子、それに源一たちは来てくれた人々の給仕に徹していた。
性分なのだろうか、本来主役の冬弥と美雪も、服を着替え、その場を手伝っている。
時折、参列者と会話を交わしたり、料理を口にしたりと、忙しいながらも楽しい時間は過ぎていった。
そして、空が赤く染まり始めた頃、最後に冬弥が感謝の言葉を皆に告げ、この食事会はお開きとなった。
雪子の家の庭は、嵐が去った後の様に静まり返っていた。
「源一くん、ちょっといいかしら?」
宴の後始末を手伝っていた源一を雪子が呼ぶ。
「はいはい、なんすか?」
「これ、源一くんに」
そういって、布に包まれた小さな弁当箱を源一に渡す。
「源一くん、楽しみにしてくれていたのに、ゆっくり食べている暇がなかったでしょ? だから、余りものなんだけど、弁当箱に詰めておいたから、帰ってからでもゆっくり食べて」
「あ、ありがとうございます」
「涼子さんや冬弥くんの分も用意してありますよ?」
「お母さん、私のは?」
「あなたの分は冬弥くんの分にまとめてありますよ」
「ま、村に戻ったら冬弥と一緒にいちゃつきながら食べてろってことだな」
「一言よけいだっ」 そういって、冬弥は源一を軽く小突いた。
「冬弥くん。ふつつかな娘ですが、末永くよろしくお願いします」
「はい」
冬弥と美雪の結婚式から季節は巡り、山奥の村に今年も冬ごもりの季節が近づいていた。
度々中央の方に呼ばれ、村を離れることの多かった冬弥だったが、この季節になれば、冬弥は村でゆっくりすることができるのだ。
麓の町の馬車の預かり所に預けてあった馬車に乗り込むと、冬弥は山道を駆け、美雪の待つ自宅へと急いでいた。
村に着くと、大慌てで馬車を片付け全力疾走で自宅に戻る。
「ただいま。――美雪、具合はどうだ?」
美雪の体調の心配。だが、別に美雪が発作を起こしたとかそういう理由ではない。
寝室に行くと、布団に入って横になっている美雪と、その側に涼子の姿があった。
「いつも悪いな涼子。美雪の面倒まで見てもらって」
「礼なら源一にも言ってやりなよ? あいつ、ここの冬の支度までしてくれたんだから」
「ああ、わかってる。――調子はいいか、美雪」
「うん。それより冬弥くん、ちゃんと考えてくれた?」
「……アンタ、まだ冬弥の事をそんな風に呼んでるの? アンタ、もうじき母親になるんだよ? 子供の前でもそんな呼び方するつもり?」
「で、でも」 美雪は顔を赤くしてうつむいた。
「いいじゃないか。俺はそんな細かいことは気にしないさ」
「……アンタらがいいなら、私が口に出す事じゃないけどさぁ」
「それより名前だったな。――とりあえず男の子の場合と女の子の場合の二つを考えた」
「こういう場合って、男の子でも女の子でも通じる名前を考えとけばいいんじゃないの?」
「でも涼子さん、それだと名前が限られちゃうんじゃないですか?」
「おーい、言っていいのか」
「あ、ゴメンゴメン。聞かせて、冬弥」
「――生まれてくるのが男だったら銀色の雪と書いて『銀雪』、女だったら美しい冬で『美冬』だ。どう思う?」
「だったら、女の子が産まれてほしいな」
「ん? どうして? 私としては、銀雪ってのもいい名前だと思うけど?」
「だって、女の子の名前なら、私と冬弥くんの名前の一部が入りますから」
「へぇ。アンタ、そこまで考えて名前を決めてたの」
「いや、今言われて気づいたよ」
「でも、男の子でも女の子でも、元気で無事に生まれてきてくれるのが一番ですよ」
「そして、お前も、な」 それは、あまり身体が丈夫でない美雪を気遣って出た一言だった。
冬が終わろうとしていた頃、いよいよ美雪が出産の時を迎えていた。
こういう時、男というのは無力である。
豊富な医学の知識があっても、愛する女性の苦しみを和らげる事は出来ないのだ。
いまはただ、産婆に事を任せ、部屋の外で無事を祈ることしか出来ないでいた。
そわそわしながら待っていると、部屋の中から産声が聞こえてきた。
「! 生まれたか」
冬弥は部屋の戸を開け、美雪に駆け寄っていく。
「これ、冬弥。まだ入っていいとは言っておらんわ」
産婆が生まれたての子供を産湯につけている。
「冬弥くん、女の子だって」
「かわいい女の子だよ。――ほれ、抱いてみなよ」
タオルに包まれた赤ん坊が冬弥に渡される。
「よしよし。――お前の名前は美冬だ」
「冬弥くん、私にもお顔を見せてもらえますか?」
「ああ」
子供が生まれたからといって、冬弥が村でゆっくりできるという理由にはならなかった。
その後も冬弥は夏になると中央に呼ばれ、秋に村へと帰ってくる生活が続いていた。
そして、さらに六年の時が過ぎていった。
……私は夏が嫌いだ。夏は大好きなお父さんを奪っていく。
私は秋が好き。秋はお父さんが帰ってくるから。
冬はもっと好き。冬の間はずっとお父さんと一緒にいられるから。
そして、春が一番大好き。
大好きなお父さんと、大好きなお母さん。そして、麓にいる大好きなお婆ちゃんがみんなで私が生まれたことを祝ってくれるから。
もうすぐ、嫌いな夏が終わりを告げる。
もうすぐ、お父さんがたくさんの土産を抱え戻ってくる。
もうすぐ、大好きなお父さんに会える。
けど、この秋にお父さんが戻ってくることはなかった。
山は次第に雪をかぶり、麓との行き来が出来なくなっていく。
お母さんは言う。もう、春にならないと戻って来れないと。
冬がこんなに寒いものだというのを、生まれて初めて知った。
春になればお父さんが戻ってくる。――それだけが、今の私の支えとなっていた。
寒い冬が終わり、山の雪化粧は次第に溶けて消えていく。
もう、山道は通行可能になっている。
数日後、山道から馬車の音が聞こえてきた。
筋肉質の黒毛の馬の引く、装甲のついた荷台の馬車が村に入ってきた。
それをはたから見ていた源一が、警戒の表情を見せる。
「? 中央の軍の馬車が、こんな辺境に何のようだ?」
距離をとりながら、馬車の動向に気を配る。
村の入り口の近くの、少し広くなっている場所に馬車を止めると、荷台から軍服を着た二人の男が降りてくる。
操舵手を馬車に残し、二人の男は村を歩き始める。
二人の手には、箱のような物と、花束が抱えられている。
向かった先は、冬弥の家だった。
家の玄関をたたくと、美雪がその応対に出る。
ここからでは、会話の内容は理解できない。
男たちの話が終わったのか、花束と箱のような物を美雪の足下に置くと、一礼をして、冬弥の家から立ち去っていった。
様子がおかしいのは、美雪だった。
男たちが立ち去った後もその場から全く動かない。
異変に気づき、村を歩いていた涼子があわてて美雪に駆け寄っていく。
「美雪っ、ちょっと美雪っ」
涼子の声に反応すらしない。
その様子を見て、源一が馬車に戻ろうとしている二人の軍人の前に立ちはだかる。
「あんたら、彼女になにをした?」
立ちはだかる源一に対し、部下らしき男がつっかかろうとするが、それをもう一人が止めた。
「冬弥医師の知人ですね?」
「あ、ああ」 聞きなれない冬弥の呼ばれ方に少々戸惑いながら返答する。
「詳しいことは奥方に伝えましたが、あの様子では理解出来てはいないかもしれません。手紙を一緒に置いてありますので、詳しくはそちらに目を通してください」
そう言うと一礼し、源一の脇を通って去っていく。
「手紙、だと?」
源一が冬弥の家に向かっていく。
美雪はまだ固まったまま動けないでいる。
「あ、源一。大変なんだよ、美雪が、美雪が――」
源一は軍人の言う手紙を手に取ろうと、足下に置かれた箱に手を伸ばす。
その途中で目に入ってきた花束に、背筋が凍り付く。
それは、菊の花束だった。
「源一、どうしたの?」
箱を開け、その中の一番上に置いてあった封筒を手に取る。
無言で封を開け、内容を確かめる。
もう、手紙を読まなくても、なにが起きたのかは理解できていた。だが、源一はその手紙の内容を告げなくてはならなかった。
「――冬弥が、……死んだ」
「え?」 源一の信じられない言葉に、涼子の動きも止まる。
「ちょっと源一、なに言ってんのよ? こんな時に、そんな冗談はやめてよ、ね?」
「こんなことが冗談で言えるかっ」
手紙に書かれていた内容は、冬弥が東の地に派遣医師として出向いた際に、伝染病に感染し、そのまま帰らぬ人となってしまったことが書かれていた。
伝染病で亡くなった冬弥の遺体は、村に戻ってくることはない。戻ってきたのは、軍が入念にチェックした、小さな箱に入った冬弥の遺品のみだった。
私は夏が嫌い、だった。
夏はお父さんを奪っていくから。
私は春が一番大好き、だった。
けど今は、春も大嫌い。
もう、お父さんは帰ってこないのだから。




