冬弥編 その4「そして、少年は青年へ」
少し、長い話をしよう。
冬弥が少年から青年へと成長する時の話。
そして、青年から父親へと変わる瞬間の話。
美雪を麓に送り届けた後、冬弥と涼子を乗せた馬車が山奥に村に戻ってきた。
馬車を戻すと、徳重が冬弥の元にやってくる。
「冬弥くん、皆が集まっています。来てもらえますか」
徳重に呼ばれ、冬弥は村の集会場に向かう。
そこでの話は、冬弥の掟破りの件についてだった。
冬弥は社での出来事を皆に話した。そして、助けた狐が竜神の化身だったということも話した。
「僕は冬弥くんの行動が正しかったと思います。……冬弥くんの話が本当なら、私たちは掟の名の下に竜神様を見殺しにしていたのかも知れないのですから」
「冬弥の話を鵜呑みにすれば、そうなるな」
「冬弥が本当に竜神様の使いに会ったのかも、信用できるかはわからない」
「――じゃあ、冬弥くんが嘘を言っているとでも言いたいのですかっ!?」
「徳兄、いいよ。――回りくどい話はいい。俺が掟を破ったことには代わりないのだから、みんなが納得できる罰なりなんなり言えばいい」
「冬弥くんっ」
「……俺は、どんな罰でも受けるつもりでいる」
「――話は聞かせてもらった」
集会場の扉が開き、一人の老人か入ってくる。
「村長……」
「冬弥の罰は儂が決めよう。だが、その前に確認すべきことがある」
「確認?」
「冬弥、お前が罰を受ける理由は、掟を破ったことか?」
「……悪いが、そのことについては何の責任も感じちゃいない」
「だろうな。――お前の話の真偽はどこまでが本当なのかわからんが、お前が嘘をついているとは思えん」
「でも村長。嘘じゃなくても、猛吹雪の中で見た、冬弥の幻なのかも知れないんですよ?」
「仮にそうだとしても、それは竜神様の見せた幻だという可能性もある。――この件に関しては憶測しあってもきりがない。だから、この件で罰を受けようと言ったのなら、儂等に冬弥を裁く資格はない」
「じゃあ、冬弥くんには――」
「じゃが、当の本人はなにか罰を受けなければならないような心情でいるようじゃ」
村長が息をつくと、言葉を続けた。
「それは、唯一の肉親であった冬彦の最後に立ち会えなかったことじゃな?」
「……ああ。理由はどうあれ、俺が村を離れている間に爺さんは死んだ。こんなの、俺が殺したようなものだ」
「冬弥くん、それは違う。冬爺の体調がよくなかったのは――」
「わかってる。……けど、俺はそんな状況で村を飛び出したんだ。裁かれて当然だ」
「……皆の者、冬弥が罰を受ける理由はわかったな? 今からその上で儂が冬弥に罰を下す。異論は、ないな?」
冬弥の家の雨戸が閉められ、旅支度を終えた冬弥が玄関から出てくる。
玄関の前には、見送りにきたのか、源一、涼子、徳重の姿があった。
「本当にいっちまうのか?」
「ああ」
「冬弥くん。これが紹介状だよ。これを渡せば君を医師見習いとして受け入れてくれるはずです。――でも、わかっていますか? 医者というものは知識を学んだだけでなれるものではありません。この先、何年かかろうと、君が医者になれる保証なんてないのですよ?」
「覚悟はできてる。――俺は、医者になるまでここには戻らない」
村長から告げられた罰は、村に貢献する職に就き、この村で暮らすということだった。
「……なんで、医者なのよ? 村に貢献するのが罰だっていうなら、医者じゃなくても他にあるじゃない?」
「医者でなければならないんだ。――俺が医者になってこの村に戻ってこれば、ここに美雪を呼ぶことだって出来るようになる。それに、多くの命を救うことが、爺さんに対して出来る償いなんだ」
「冬弥。お前の家の管理は俺が責任をもってしておいてやる。――だから、早く戻ってこいよ」
「悪いな、源一」
「なに、いいってことよ」
「じゃあ、行ってくる」
「あ、冬弥。私が麓まで送ろうか?」
「いや、いい。歩いていくよ、いまはそういう気分だ」
「麓の町から、さらに西に向かった場所に汽車の終点になっている町があります。そこで中央行きに汽車に乗ってください。中央まで出れば、迎えがあると思いますから」
「なにからなにまですまないな、徳兄」
「僕が出来る手助けはこれだけです。あとは、冬弥くん次第です」
麓の町に着くと、冬弥はまっすぐに雪子の家に向かう。
玄関を叩くと、すぐに雪子が顔を出した。
「! 冬弥くん、その格好はいったい……」
今の冬弥の姿は、長旅に出る格好をしている。
「美雪、呼んでもらえますか?」
「あ、うん。ちょっと待ってくださいね」
少し動揺しながら、雪子は美雪を呼びにいく。
美雪が玄関にくると、雪子同様、冬弥の格好に驚きの表情を浮かべた。
冬弥は、美雪が口を開く前に美雪に告げる。
「……これから中央に行くことになった。しばらくは帰ってこれない」
「え?」
冬弥の言葉に、美雪は硬直する。それを察して、雪子が冬弥に問いかける。
「冬弥くん、しばらくってどのくらいなのですか?」
「……わからない。ただ、一年や二年では帰ってこれない」
「なんで! なんで冬弥くんがいかなくちゃならないの?」
混乱して声を荒げる美雪を、冬弥が黙って抱きしめる。
「冬弥くん……」
「美雪。俺は医者になるための勉強をしに中央に行く。お前の病気もいつか、俺が治してやる。だから……、俺が医者になって帰ってきたら、俺と一緒に村で暮らさないか?」
中央に向かう汽車が駅に入ってくる。
見送りは、ない。きちんと別れは告げてきたから。
開く汽車の扉の中に冬弥の姿は消えていく。
そして、六年の歳月が流れる。
汽車の扉が開くと、懐かしくも清々しい辺境の風が冬弥の頬を撫でた。
帰郷が決まった時、便りは村に出した。
あとは、六年前の約束を果たすだけだった。
ゆっくりと終点駅の町を出て、あの山の麓の町に向かっていく。
なつかしい玄関の前で足を止める。
深呼吸。――そして、扉を二度叩く。
出てきたのは、雪子だった。
「……お久しぶりです、雪子さん」
「え? 冬弥、くん?」
成長した冬弥を見て、とまどう雪子。
「美雪を呼んでもらえますか?」
「あ。じゃあ、上がって待っててくれる?」
「いえ、今日は帰ってきた報告に来ただけですから。美雪の顔を見たら帰ります」
「ゆっくりしていけないの?」
「すいません。この後予定があるもんで」
「……冬弥くんも大人になったってことね。いいわ、ちょっと待ってて」
そういって雪子が美雪の部屋に向かっていく。
しばらくして出てきたのは、冬弥同様に六年の時を経て成長した美雪の姿だった。
「……久しぶりだな、美雪」
「お久しぶりです、冬弥くん」
「今日は顔見せだけだが、明日、もう一度ここに来る。……もし、俺と村で暮らすことを了承してくれるなら――」
冬弥の言葉を遮り、美雪が口を開く。
「よかった……」
「? よかった?」
「昔の口約束なんて、もうとっくに忘れ去られているものだと思ってた。でも、冬弥くんは覚えていて、そして今、こうして迎えに来てくれた。私の答えはもう決まってるよ。明日と言わず、いまからだって冬弥くんについていくよ」
「悪いな、今日は駄目なんだ。今日はこれからこの町の医者と会う約束があるんだ」
「本当に、お医者さんになって帰ってきたんだ」
「ああ。そして、今日に患者の引き継ぎが終われば、俺はお前の担当医にもなる」
「……そっか。わかった。じゃあ、明日迎えに来るのを待ってるよ、冬弥くん」
「……雪子さん、すみません。明日、娘さんをもらっていきます」
「ふふ。謝ることなんてないわよ。いつか、こういう日が来るのはわかっていたから。――でも、もうすぐ私はおばあちゃんになっちゃうんだ」
「お母さん、気が早いよっ」
「じゃあ、今日はこれで失礼します」
「あ、冬弥くん」 と、雪子が呼び止める。
「はい?」
「娘を、よろしくお願いしますね」
雪子の家からその足で麓の診療所へとやってくる。
「すいません。冬弥という者ですが、事前に連絡が来ていると思うのですが――」
「あ、はい。お話は伺っております」
受付から応接室へと通される。
少し待っていると、一人の医者がたくさんの書類を持って応接室に入ってきた。
「お久しぶりだね、冬弥くん」
「お久しぶりです。――話は聞いているとは思いますが、今日は美雪の件でお伺いしました」
「聞いてるよ。……まさか、こんな日が来るとは思っても見なかったよ。――君たちは結婚するのかい?」
「はい。この引き継ぎが終わったら、彼女を村に呼ぶつもりです」
「そうか。いや、六年前のあの時からそんな予感はしていたんだがね。――これが彼女のカルテだ」
抱えていた書類を冬弥の前に置く。
「拝見させてもらいます」
「正直、ここ最近は発作がないようだが、まだ安心はできない状態だ」
カルテを置き、他の書類に手を伸ばそうとして、その手が止まる。
「こちらは?」
「ああ。それは今彼女が使っている薬の調合法だ。それも持っていった方がいいだろう」
「ありがとうございます」
「これは私からのアドバイスなんだが、君の村にいるもう一人の医者にもこれを見せた方がいいと思うんだが?」
「どういうことです?」
「君の噂は私の耳にも届いている。恐らく、これから幾度となく中央に呼ばれることもあるだろう。辺鄙な山の村だ。なにかあってもいいように、君が不在の時でも対応出来るようにしておいた方がいいと思うんだ」
「そうですね。忠告、ありがとうございます」
「なに、彼女は私にとっても長い付き合いだったからな。彼女には幸せになってほしいんだよ」
「ありがとうございます」
「これから村に戻るんだろ? なんだったら、馬車を貸そうか?」
「いえ。久しぶりの故郷なんで、ゆっくり向かいたいんです」
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
その景色は、今も昔も変わりなかった。
吊り橋を越えると、少し険しい山道となる。
だが、その山道こそが懐かしき故郷が近づいてきた標なのだ。
しばらくして、村が見えてくる。
冬弥が村の入り口をくぐると、一人の男がそれに気づき近づいてきた。
「お前、冬弥か?」
男の顔に見覚えはあった。――男の顔と懐かしい顔が重なって見える。
「すっかり老けたな、源一」
「それはお互い様だ。……おかえり、冬弥」
「源一。俺の家は使えるか?」
「その点は心配ない。お前の便りが届いたときに、大掃除をさせられた」
「させられた?」
「涼子にも顔を見せて来いよ。あいつ、はりきってお前の家の片付けを指揮してたからな。――おっと、先に言っとくが実際に働いたのはほとんど俺なんだからな」
懐かしき我が家の前に立つ。
帰郷の知らせを聞いて家の中の空気を入れ換えるためか、閉め切ってあった雨戸は全て開けられ、家中のガラス戸も全て全開にしてあった。
見る限り、六年も放置されていたようには見えなかった。
「これは源一に感謝しないとな。――これなら、すぐにでも美雪と暮らせる」
「おやおや。なーんか、すごいこと言っちゃってますねぇ」
冬弥の背後から女性の声。
「涼子か」
そういって振り返ると、そこにいたのは幼い面影を残しながらも、大人の女性に成長した涼子の姿だった。
「お帰り、冬弥。……しっかし、しばらく見ないうちにいい男になってんじゃん」
「いっとくが、口説こうったって無駄だぞ?」
「美雪のことね。でも、気が早いんじゃない? プロポーズもせずに同居の計画を立てるなんてさ」
「プロポーズならしてきたさ。明日から俺と美雪は夫婦だ」
「ちょ、マジそれ? そりゃ、美雪がアンタのことを振るとは思えないからいずれはとは思ってるけどさ……、帰ってすぐって早すぎない?」
「美雪は今日にでも一緒になりたいって言ってくれたぞ?」
「……マジ?」
と、様子を見に源一がやってくる。
「なに家の前でくっちゃべってるんだ?」
「ちょいと源一さん、聞きました?」
「? 何の話だ」
「俺が結婚するって話」
「なっ、マジがそれ? ――式はいつだ?」
「いや、籍を入れるだけで式は予定してない」
「ダメダメ、駄目だよ、冬弥。女の子にとって結婚式ってのは、一生に一度の晴れ舞台なんだよ。小さくても結婚式は絶対に上げる、いい?」
「そういうものなのか?」
「わかっちゃいないな、冬弥。よく聞くだろ? 夢はお嫁さんって女の子」
「お、源一いいこといった」
「まぁ、結婚式については追々考えるとしよう。――悪いが美雪を村に呼ぶためにしなくちゃいけないことがたくさんあるんだ」
「つれないねぇ。せっかく六年ぶりに帰ってきたんだから、宴とかは開かないわけ?」
「これからはここで暮らすんだ、そんなのは必要ない」
「涼子。冬弥が帰ってきてうれしいのはわかるが、冬弥はいそがしいみたいだ。今日は邪魔はしないでいよう」
「悪いな」
「冬弥はこれからどこにいくの?」
「徳兄のところだ。これからのことを含めて徳兄と話さなきゃいけないことがある」
「そっか。本当にお医者さんになったんだ」
「まぁ、宴は美雪がこの村に来てからにしよう」
「! そうだ、だったらその宴を含めて結婚式を挙げちゃおうよ」
「お、それはいいな」
「お、おい……」
「そうと決まれば……」
涼子が突然に走り出した。
「お、おい涼子?」
「そういうわけだ、冬弥。なに、俺たちに任せておけ。忘れられない式にしてやるよ」
そういうと、源一も涼子を追って去っていった。
「やれやれ。変わってないな、あいつら」
自宅に荷物を置くと、家の戸を開放したまま冬弥は村の診療所に向かう。
開けっ放しでも心配がないのは、こういう村ならではの風習なのかもしれない。
中央で研修医をしていたころは、自室の鍵を閉めずに出かけてよく他の研修医に不用心と言われたものだ。
診療所には、玄関の前に札がかけられていた。
[往診中]
「徳兄、いないのかな? 今日に帰ることは便りに書いて出してあるはずなんだがなぁ」
玄関の前で考え込んでいると、往診に出ていた徳重が戻ってきた。
「いやぁ、すまない。待たせてしまってようだね?」
「いや、俺もいま来たところだから」
「そうかい? そういってもらえると助かるよ。……でも、あの冬弥くんがこんなに立派になって帰ってくるとは」
「これも徳兄や村長のおかげですよ」
「僕は勉強の場を紹介しただけに過ぎないよ。あとは冬弥くんの努力の成果だよ」
「実は、徳兄にちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
そういって、麓の診療所で受けとったカルテや書類を取り出した。
「とりあえず中に入ろうか。僕も今後の事で冬弥くんと話しておきたいことがあるしね」
――翌日。
冬弥は朝早くから馬車で麓に向かう準備をしていた。
「さて、いよいよだ」
そう呟きながら、冬弥は馬車に飛び乗った。
馬車が、走り出す。――少年時代の約束を果たすため。




