エピローグ:晴天青海の交差点
冬は過ぎ、雪は晴れた。
そして空には雲一つなく晴れやかで、際限なく広がっていた。
地に限りはあるが、先に海が続いている。
そのたゆたう波の傍に、来栖切絵はいた。
「なーに、真っ昼間から黄昏れてんの」
「お、天佳」
振り返ると、港町の住宅地を背景に制服姿の鈴目天佳が立っていた。
白いセーラー服が、午後の太陽を照り返し、腕組み、仁王立ちして、いつものようにつまらなさそうな顔をしている。
「制服姿、似合ってんな。入学おめっとさん」
「正確には、編入、ね」
いつものように分厚い衣をまとっていないので、組んだ腕に支えられる胸のラインは、いつものように鮮明だった。
その部位に注視していることを気取られないよう、切絵は慎重に視線を調整する。
そして切絵本人も詰め襟姿だが、それに対するコメントは、ゼロだった。
「んじゃまぁ、始業式も終わったことだし、そろそろ行きますか」
と、うながす。
軽くアゴを引いた天佳は、同意らしい同意はせず、ただ頷くだけだった。
だが一人、切絵の横を通り過ぎて、砂浜を歩いて行く。
「こっちから行くよ。そういう気分」
「お、おい、新品の靴に砂入っちゃうって」
「砂が入ろうと入るまいと、私の美貌に変わりもなけりゃ代わりもないのよ」
「……はいはい……」
切絵は声で呆れ、顔で笑う。
「本当に、変わらねーな、お前は」
去年の冬の暮れ、十二月二十三日、彼と彼女はこの浜で出会った。
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海岸沿いの花屋で、仏花ともなるカーネーションの束を買った。
それを肩に担ぐようにして、切絵は半歩前を行く天佳を追って、海岸沿いに目的地を目指す。
「しっかし、お前のヘリも『アヴァロン』も、すっかり片付いちまったなぁ」
真っ平らな水平線にそれとなく目を送り、切絵は微苦笑した。
そんな切絵につかず離れず、先行する天佳が肩をすくめた。
「『キャラバン』の生き残りも、どこぞの専門の病院で、洗脳が解かれつつあるみたいね」
「それもこれも、あの人のおかげかねぇ」
しみじみと言った切絵に、天佳が足を止めて振り返った。その表情の厳しさが、彼女の言わんとしていること、考えていることをありのまま伝わってくる。少年は一歩引いて「そー怖い顔すんな」となだめに回る。
「お前さんの編入手続きだって、あのオッサンが手配してくれたんだぜ? 腹蹴ったことに負い目感じてるんだろ? あの人も今どっかの高校で教師やるってハナシだし」
「あいつが? 青少年に暴力を振るうあのクズに、同じ世代を教え導く資格があるっての?」
「だからこそ思うところもあるんじゃねーの? ……あとそれ、本人の前で言うなよ。……いい歳してアレ、結構メンタル弱いんだから」
「そーゆーあんたは、どうなのよ? あいつのこと、許せるの?」
「やー、あの人の教え子が、俺たちの仲を取り持ってくれたんだけど……めっちゃおっかなくてさ。俺、最初の戦いでそのオンナノコに正面からやり合って……負けたし」
気まずさを隠さず言うと、世にも珍しい、天佳の驚愕の表情を見ることができた。
「今でもあの『先生』をディスると、どっかから矢が飛んできそうで」
その場にいない相手に聞かれないよう、自然と声量は抑えられたものになっていく。
船月場が見えた。
鳶が円を描いている先で、フェリーが近づいていた。
肩に寄り添わせた花束をチラリと見て、切絵は少し控えめの声量で、
「思えば島津センセは、こだわり過ぎたんだろうな」
と呟き、それが再び天佳の足を止めた。
切絵はそのまま立ち止まらずに、彼女を追い抜いた。
「どれ一つとして、誰一人として切り捨てられなくて、それが好きだとか憎いとか関係なく、ひたすら向き合わなければならないと考えた。そして一度死ななきゃ、今まで欺いていた俺たちと向き合えなかった。まだ納得できてないし、自分でもよく分かってないけど、多分そういうことだと思う」
天佳は切絵の口が止まる時を待っているように、じっと見つめたまま、終始無言だった。
「……悪いことしたかな」
ぽつりと、こぼれ落ちた呟きに、天佳の口が反応した。
「後悔してんの?」
咎めるような口調に、切絵は少しだけ思考する。
……首を振る。自然、口元がほころぶ。
答えの決まったことを、考えるまでもなかった。
「いや、困ったことにな。悪いと思ってるのに、それ以上に嬉しいんだ。それに、昔言われた。『生きてしまった以上、好きに生きるがいい』。だから、それを言った人にはどうしても、死んで欲しくなかった」
そして少年は柔らかな砂の浜を進む。
確かならない道だったが、先は見えている。
傍らでは果てなく全て受け入れるような海と、ひたすらに高らかな蒼天が自分を見守ってくれているようだった。
「父さん、センセ、俺は誰かの望むような誰かにはなれなかったけど、それでも俺がしたことは、俺が望む俺に近づくための、一歩かな」
波止場にフェリーが接近した。
天佳が隣に並び立ち、ようやく頑なな腕組みを解いた。
「……それでも、恨まれても仕方のないことをした」
「そりゃ」
と、
「死のうとしてたところを爆発から切り離されて『ハルファス』と『セエレ』に他の残党もろとも放り込まれたら、恨み言の一つでもぶつけたくなるでしょうよ」
天佳はあっけらかんとした、実に彼女らしい口調で、ばっさりと切り捨てた。
悲喜ないまぜになった表情で、細めた眼を正面に投げる切絵を、「それでも」と天佳が付け加えた言葉が、彼をそちらへと向かせた。
「正しくても、正しくなくても。手が伸ばしたのがあんただからこそ、救われた人間もいるんじゃないの」
振り向いた切絵を驚かせたのは、天佳の、年相応の少女らしい満面の笑みだった。
目の前で花開くその光景は何にも代え難いものだった。
できる限り目に焼き付けておきたいが、着港を報せる音声に、思わず正面を向いてしまう。
次に横目で見たときには、既にいつもの仏頂面に戻っていた。
幻であったかのように。
――けど、この胸にこみ上げる喜びは、嘘じゃない。
船から乗客が降りてくる。
二百人以上はいるかという人波の中、一際目を惹く影がある。
誰よりも、見覚えがある彼女の姿があった。
喜びを口角に残したままに、切絵は彼女へ歩み寄り、彼女は切絵に近づいてくる。
――第一声はどうしようか?
数ヶ月に及ぶ本土の査問会を経て、そのまま去ることなく自分たちの下へ帰ってきてくれた、この恩師に向けて、放つ一言。
出迎えのために花ばかり用意して、それを考えてくるのを忘れていた。
いや、考えるまでもないことだった。
花よりも先に、まずこの右手を。
ありったけの感謝を込めて、
「おかえり」
混じりけのない、彼の心から生まれた純粋な笑顔と共に。
「ただいま」
そして彼女は少年の手を掴む。
二年前と変わらない、確かな力強さと優しさで。
四月一日。
空は青かった。
海も青くて、濃くて、豊かで美しい。
青い波が砂浜にたどり着けば、白く砕けて泡となる。
その交錯の中で、少年と、少女と彼女は、確かに生きていた。
はい。また遅れて申し訳ありません(第一声)
別にゲームにハマってたとかそんなわけ(だけ)じゃなく、今の今まで結末が決まっていなかったのが現状です。
彼女を、生かすべきか、殺すべきか。
しかしまぁ、三流でもハッピーエンドの方が私は好きで、好きに書けるうちは好きに書こうと思い、こんな結末にしました。
自分で考える今作の反省点は書くペースと、内容の粗さ、あと、多大な説教くささとテンポの悪さ、キャラのブレ……まぁいつもどおりですね。
元々は短編を予定していたのですが、グダグダ書いてたせいでこんな期間の話数の長さに。
それでもなんとか本年度中に終わらせられました。
外伝はこっそり追加する予定ですが、まぁ例の如くひとまずこれで完結扱いとします。
しかし、ネタとしては点在していますが、それをストーリーとしてまとめることは今後ないかと思いますので、どこぞのと違い第二部等は予定していません。
百地シリーズは三部を予定していますが、時系列的にはこれが第二部です。
次回作は……順列おかしいですけど第一部を予定しています。
……第三部の方、気づいたら一ヶ月放置してますけど……
とにもかくにも、ここまでのお読みいただき、ありがとうございます。
感想等も引き続きお受けしますので、なにとぞよろしくお願いします。