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第二十波「海演閉幕の妥協線」

 ――二人でも、川の字で言うんかな


 甲板の上、島津と共に寝転びながら、素の状態に戻った切絵は、たった今まで激戦を繰り広げていた相手の横顔を見た。


 遊び疲れたような楽しい顔、を切絵は期待していたが、いつもの鉄面皮だった。

 しかし、普段と比べて心なしか明るい。彼女が胸に抱いているのは、童心のようなものではなかったかもしれないが、一試合終えたスポーツマンのような、爽やかな雰囲気をまとっていた。


 その島津が、

「なぜだ」

 ふいに尋ねた。

 自分が突き破った分厚い雲を見上げたまま。

「どうして助けた? あの時のお前は、合理の鬼となっていたはずだ。あの戦いで、それを取り繕う余裕はなかったはずだ」

 切絵は上半身だけ持ち上げた。「そーだな」と呟き、今まで自分たちのいた夜天を仰ぐ。

「確かにその声は、散々俺の頭に響いていた。あんたの攻めは痛いし、激しいし、速いし、何度も自我をなくしかけた」

「だったら、どうして」

「それでも、あんたを殺したくなかった」

 きっぱりと、自身には珍しく、己こそが正しいという実感を持って、切絵は自らの本心を伝えた。


「……それに頷いたら、俺は本当に獣になっちまう」


 その言葉から数秒も経ずして、天佳が歩いて近づいてくるのが、切絵からも見えた。

 自らの膝元で、無言で足を止める少女に切絵は一度だけ破顔してみせた。

 少女は呆れたようにため息を漏らし、顔をしかめ、それから、手を差し伸ばした。

 ほんの少しだけ、安堵の表情を、仕方なさそうに二人に向けながら。

「俺が満足のいく結果じゃないと、こうして天佳の手を、後ろめたさもなく掴むこともできなかったしな」


 切絵はそのまま天佳に手を引かれて立ち上がった。

 そこで島津は初めて彼の方を見て、「そうか」と呟くように言った。

 深い感慨と、実感を込めた一言だった。


「なぁ、切絵」

「ん」

「わたしは」

 と、語り始めた島津の口を、切絵は腰を屈め、手の平を押し当てるかのように制した。

「後で良いよ」

「……あんた、そのために戦ったんじゃないの?」

 どこか、非難めいた天佳の口調に、切絵は肩をすくめながら頭の後で手を組んだ。

「いや、第一はお前を助けることだったろ。それに、身体じゅうバッキバキでなー。正直、小難しい話されても頭に入る気がしないべさ。それに」

「それに?」

「センセが満足できた。島津さんは、やっぱ変わらず島津センセだった。今の俺にはそれで十分だよ」

「……すまんな」


 それは、切絵が初めて聞く、島津新野の詫びの言葉だった。

 唐突な四字は、戸惑う切絵の心には馴染むことなく、表面を上滑りしたまま、あいまいに笑って流すしかなかった。


「……コトが済んだなら、島に戻るわよ。こんなボロ船、一秒でもいたくないし」

「そーだな。なんかこう、浮いてるだけで奇跡って感じだし」

「じゃ、さっさと羽生やして、ひとっ飛びで」

「……あのー、救命ボートとかじゃダメ? 俺、さっきも言ったけど身体バッキバキなんだけど」

「じゃあバッキバキバキになるまでやんなさいよ。そんな都合のいいもの、とっくにブッ壊れてるんだから」

 天佳の提案を肩をすくめて受け入れた切絵は、今度は島津に目を向けた。

「島津さんは、どーすんの? もう『マルコキアス』、なくなっちゃったけど」

 余計な心配だと、島津は鼻で嗤った。

「『トライバル』なくとも、わたしは古今東西の術を会得している。まぁ、お前という運び屋は一人用だろうし、なんとかするさ。……それに、こちらも『トライバル』を引きはがされた痛みが半端ない。今はゆっくり、寝かせてくれ」


 島津新野はもたげた頭を再び甲板の上に沈め、ゴロリと寝返りを打った。

 ふて寝にも似た堂々たる仕草に、切絵も苦笑するしかなかった。

 しかしすぐに顔を引き締め、己の両手を交叉させた。


 赤銅の外殻が顔を包み込む前、とびきりの笑顔を見せて、言った。


「その代わり、後でちゃくと聞かせてもらうからな!」


 天佳を脇に抱えて飛び上がる寸前、彼女は困ったように微笑してみせた。


~~~


 刻印の翼を生やした赤銅の魔神が、暮れの空を舞って遠のいていく。

 男はそれを、船の切断面の手前、激痛に喘ぎよろめきながら見ていた。

 だがその瞳に宿るものは、空を飛べる人類に対する羨望でも、助けて欲しいとすがる気持ちでもなかった。


 そこにあるのは、真っ黒な憎悪だけだった。

 男の名は、黒米金充。

 またの名を『バルバトス』。『アヴァロン』の所有者。『キャラバン』団長。

 だがそのいずれも、今となってはなんの意味もなさなくなったものだった。


 彼の手に引きずられているのは、異能の類ではなかった。

 地対空、ランチャータイプの追尾ミサイル。

 残骸のような自艦で、唯一正常に、そして最大限の破壊力で機能する武器だった。


「……殺してやる、殺してやる……、あいつら、ただで済ませるものか……っ!」


 死ぬより辛い身体を押して、重量十キロ弱のそれを肩に担ぐ。

 そして、宙を舞い、未だ視界と射程の内にある敵影に狙いを定めた。

 異能の力ではないが、異能者を屠る威力を、その兵装は秘めている。


 ……特に、勝利を確信して無防備でいる少女一人、黒焦げにすることなど、いとも容易かった。

 ロックオンが終わり、無数のポインタが、少年少女の軌道上、周囲に表示される。


「死……ね……ェ!」


 もはやそこに利潤も打算もない。黒く陰湿な喜びと共に、彼は固執する相手に引き金を引こうとして、


「やめておけ」


 冷ややかな女性の声が、それを制止した。

「仮にも身内の恥を、これ以上見せてくれるな」

「……新野!」

 反応して振り返れば、己と同じく、たった今『トライバル』と、組織のポストを喪失した女が、壁にもたれて立っていた。


 ……その両脚に、アイスブルーの狼を宿して。


「お前、能力を喪ったんじゃないのか!」

「一日に二度、同じ説明をさせるな。わたしの『マルコキアス』は分離できる。切絵のヤツに蹴り飛ばされる瞬間、『牙』だけを分離させた。結果、ダメージも半減され、幸いにしてわたしに立つ余力ぐらいは残してくれた」

「……文字通り、『牙を抜かれた狼』ってわけか……」

 鼻白む黒米の皮肉が、よほどに面白かったらしい。うつむく島津は、やや大げさなほど肩を上下させて喉の奥で嗤った。


「だが、そのフヌケた狼にも、己の喉笛に突き立てる『爪』は残されていてなぁ」


「…………は?」

「いい加減、茶番の幕を下ろす時だと言っている。『保管庫』は消滅し、『アヴァロン』は壊滅し、そしてお前を生かす価値はもうない。……お前の旧主との『約束』だ。楽園の残骸と共に沈め。黒米金充」


 ――まさか。

 肩からなけなしの力が抜けていくのを自覚する。

 腰から崩れて尻餅をつく。

 ガシャン、と。

 派手な鉄音を響かせて、兵器が落下した。


「まさか最初から、そのつもりで協力していたというのか!? 『保管庫』を封じるのではなく、『X』の力で完全に葬るために!? ヤツと戦いたいというのは、狂言だったとでも言うのかっ?」


「……それだけならば切絵や天佳に、最初に助力を申し出れば済むだけの話だった。だが」

 静かにまぶたを下ろして、島津は言った。

「己の限界を試してみたいという気持ちもあった。アレに自立する力があるのかも知りたかった。『キャラバン』の連中を見捨てられぬという思いもあった。自分と共に彼らを罰するべきだという心の声もあった。……何よりこれは、お前の旧主との『約束』でな。お前があの庫を開けようという野心に芽生える可能性もあるため、わたしが送られた。……もっとも結果を見届ける前に、彼は逝ったが、それでも旧恩ある上司の頼みだ。聞いてやるとも」


 そして、と言の葉を紡ぐ島津の両脚の刻印は、さらに輝度を増していく。


「全てを考えると、始まりはここにしかなく、終わりもまた、ここにしかなかった」


 海の音が近づいてくる。自分たちの見ていないところで、水位が高くなっていくのを黒米は感じ取った。船が、少しずつ傾き、沈みかけていた。


「ただ一点を除いて、な」

「……ただ一点?」

「情が湧いた。……あの二人の行く末を、もう少しだけ見守っていたかったが」


 ――しめた、と思った。

 そこにつけこめば、まだ生還の余地はある。

 一縷の望みに賭けて、すがるように、嘆願するように、黒米は持ちかけた。


「だ、だったら取引をしよう! お互いこんなつまらんところで死にたくない、だろ!? だから早まるなよ!? な、な!?」

「『キャラバン』を『こんなつまらんところ』にした責任は、我々にある。お前の栄達と、わたしの放任がだ。トップの二人が、若者たちを正しく導くことをしなかった。その結果がこのザマだ。その責任をとる時が来たんだ。黒米」

「…………っ、オレが拾った奴らだろうが! あんなハンパな能力者ども、オレが拾ってやらなかったらみんな死んでたんだっ! その恩を思えば、どう使ってやろうとオレの勝手だろうがっ!? だからっ」


 物憂げな嘆息が、それ以上、一言たりとも喋ることを、許してくれなかった。


「底が知れたな。黒米」

「……ぐ!」

「拾ったモノをどう使おうが勝手? なるほどお前は自分の商品の真価と向き合うこともせず、自分のエゴで私物化し、傷物にし、それを正当化し、そして人を顧みることがなかった。とすればお前は、商人ですらない。……何者でもなく、海に沈むが良い」


 アイスブルーの輝きが、明滅を繰り返す。

 現状での島津新野の『トライバル』のエネルギーが、この船に叩き込まれようとしている。

 黒米はランチャーを拾い上げ、発射口を彼女に向けた。

 あらん限りの命脈を振り絞り、声を張り、引き金を引いた。


「やめろっ! オレは、このオレが…………こんなところで、終わるはずがないんだぁぁぁぁぁッ!」

「……ま、仕方ない」


 対して、孤狼は穏やかに、その死を迎え入れていた。


「ままならん中で、納得できる解答を探すのが、大人というものだろう」


 実弾が発射される。

 女の爪先が、コツンと鉄板を叩く。


 それらが交叉する紙一重の時間差で、かの楽園はこの世界から消滅した。

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