第十六波「真意夢中の一単騎」
「まさかお前、あれで終わりだと思ってないだろうな?」
島津はまったくの無傷で、そう言った。彼女が繰り出したアイスブルーの拳を思い返せば、その『トライバル』が失われず健在だと分かる。
あの『X』の波濤を?切絵苦心の末の攻撃も、乗り越えた喜びも、苦労の色も疲労さえ見えない。
理由が分からず、視線を送り返すと、彼女はため息交じりに答えた。
「簡単な話だ。周囲の鉄を溶かし、簡単なシェルターを作って避難した」
切絵は眉を吊り上げ鉄の卵の残骸を見た。
シェルターと呼ぶにはあまりに粗末な合金の殻。内部に特殊な仕掛けが施された気配もない。
「まだ説明が足らんのか」
と、島津は露骨に顔をしかめて首を振った。
「お前の言ったとおり『封神十干』はそれ自体は攻撃手段じゃなく、余波はさざ波でしかない。ゆえにその毒性は冒せども、侵せない。であれば、空気穴一つない完全な密閉空間に身を置けば良い」
例えばこの球が『トライバル』で作ったシャボン玉であればたちまちにその効力を失って消し飛んだだろう。
あるいは魔術やサイキックの防壁であれば、その壁ごと能力者は飲み込まれていただろう。
だがこれは、既に変質した、ただの鉄塊だった。
その形状を作り上げたのはヒトならざる力だが、その形状を維持しているのはただ鉄自体が今あるべき姿を保っているだけに過ぎない。
「ゆえにお前の『トライバル』は浸透することもできずに、表面を上滑りしていくしかない」
――これが、簡単な、こと?
切絵の心の中で、乾いた笑い声が立った。
なるほど言うのは簡単だ。
だが、
閉所暗所で、身内の断末魔を聞きながら手も出さず興味も示さず、じっと閉じこもる非情さ、いや意志の頑強さ。
なにより十分近く、無呼吸で正気を保っていられる人間など、この世に存在するのか?
「だから、まだ終わりじゃない。まだ『マルコキアス』がいる」
切絵は終始無言で、口を結んでいた。
一度だけ深く息を吸い、機を見計らって、
「……っ、もう終わりだよ!」
と鋭く声を発した。
対して眼鏡を捨てた恩師の素顔は、これ以上ないほどに、冷たいものだった。
「だって『キャラバン』はもう壊滅したじゃんか! あの団長も飲み込まれた! 天佳も助けた! 『保管庫』反応だって消えてる! もうあんたと俺が戦う理由なんてないよっ! だから、頼むから、本当のこと、教えてくれよ!」
何が目的で自分を騙していたのか?
いつでも討つ機と実力があったのに、それをしなかったのは何故か?
不器用ながらも優しく接してくれたのは、全部ウソだったのか?
目の前の彼女は揺れることのない眼光で、切絵を睨み続けていた。
「すべてはお前との戦いのため」
「俺との?」
「十分な力を手にした『トライバル・X』との闘争。それこそが、戦士であるわたしが望んだ唯一の望み。『封神十干』も、この対話も、わたしにとっては戦いの一環に過ぎない。後は、仕上げだけだ。……これ以上の答えが欲しければ、実力で手に入れろ」
「……っ! ……わかったよ……っ」
切絵は再び唇を噛む。
ぎゅっと目を絞り、両手を虚空に浮かせる。
「それしかないなら」
避けられない戦いを思い、
「そうすることでしか、あんたの本心がわからないなら」
彼女の心を慮る術を持たない自分に憤り、
「貴方が、それを望むと言うのであれば、命を賭けて」
彼女の奥へと踏み込む覚悟を決める。
「Single No.1」
右の拳を、大きく横を切った左で包む。
周囲の空気が呼応して震える。
紺碧の『X』が、全身を覆った。
混合し、減殺してきた切絵の力。
それが今、単独で表出しようとしていた。