エピローグその3 狂乱の聖女は、担任教師との恋を叶えた後も人生が終わらない~元聖女、今度は同人誌のモデルにされそうです~
――袈裟懸村襲撃事件から半年。
世界は、ようやく平穏を取り戻していた。
……少なくとも、表面上は。
黒い球体。
外界から完全に隔絶された空間。
そこは、人の世界ではない。
神でも、悪魔でも、魔王でもない。
ただ観測する者。
超越者たちの領域。
その中心。
巨大な黒い机の前に、一人の少女が立っていた。
蒼い髪。
聖女の力を宿した瞳。
かつて「狂乱の聖女」と呼ばれた少女。
月戸律子。
そして、その向かい側。
椅子に座っている存在。
――生首。
猿の頭。
五本の腕。
上半身は裸。
腰には簡素な布。
裸足で足を組みながら、彼は静かに一冊の本を読んでいた。
その背後。
棚には無数の首。
老人。
青年。
女性。
子供。
様々な顔が並んでいる。
普通なら悲鳴を上げる光景。
しかし律子は、もう慣れていた。
……慣れてしまった。
「……」
生首はページをめくる。
そして。
満足そうに頷いた。
「うん」
「最高だよ」
「やっぱり、こたつ猫之助先生の同人誌は素晴らしい」
律子は首を傾げる。
「……ありがとうございます?」
なぜ褒められているのか分からない。
すると生首は、本を机に置いた。
「で」
「で?」
律子が聞き返す。
「いや、その……」
生首は真剣な顔になる。
「三冊だよね?」
「……はい?」
「普通、コレクターなら三冊買うでしょ」
「なんで三冊!?」
思わずツッコむ律子。
すると生首は呆れたようにため息を吐いた。
「あー……そこから説明が必要か」
「いいかい?」
「こういう限定品はね」
一本目。
指を立てる。
「読む用」
二本目。
「保存用」
三本目。
「サイン本」
「これ常識」
「常識じゃありません!!」
律子の叫びが黒い空間に響いた。
「というわけで」
「サイン本と保存用」
「用意して」
「いや……」
律子の顔が引きつる。
「それは……」
脳裏に蘇る。
半年前。
コミックマーケット。
巨大イベント会場。
長机。
その前に並ぶ長蛇の列。
そして――。
聖女の法衣を着た自分。
「こたつ猫之助先生の新刊はこちらでーす!」
律子は乾いた笑顔で叫んでいた。
「すごい!」
「本物の聖女様みたい!」
「写真お願いします!」
「握手してください!」
「え?」
「いや、私、売り子なんですが……」
完全に目的が変わっていた。
和人。
ペンネーム――こたつ猫之助。
日常系漫画家。
その新刊を買いに来たはずの人々が。
半分以上。
律子目当てだった。
「先生、久しぶりの新刊ですね!」
「いつもの癒やし系ですね!」
「……ありがとうございます」
苦笑する和人。
そして。
300部。
完売。
「……」
現実へ戻る律子。
「……あれは、もういい思い出です」
「そう?」
生首は首を傾げる。
「でもさ」
「こたつ猫之助先生って」
「日常系だけじゃないよね?」
空気が変わる。
「……」
嫌な予感。
「別ジャンルも描いていた」
「別ジャンル?」
律子の額に汗。
生首はニヤリと笑った。
「紳士向け」
「……」
「紳士向け?」
律子は確認する。
「うん」
「タイトルは――」
生首が本を取り出す。
そこに書かれていた文字。
『聖女リリアの禁断の祈祷書』
律子。
停止。
「……」
「……」
「……」
「え?」
「ちょっと待ってください」
「それ……」
生首は楽しそうに続ける。
「安心して」
「寝取られとか」
「触手とか」
「そういう方向じゃない」
「猫之助先生はね」
「過激な設定なのに、根っこは純愛なんだよ」
「そこがいい」
「ギャップ萌え」
「最高」
律子。
顔が青ざめる。
「ま、まさか……」
「うん」
「エロ同人」
「描いてたね」
「和人さん……」
遠い目になる律子。
「そんな才能まで……」
生首は両手を広げる。
「いいかい?」
「創作とは素晴らしいものだ」
「人間の想像力の結晶だよ」
「そして――」
「次回作」
「期待してる」
「……」
「え?」
律子の動きが止まる。
「次回作?」
生首は笑顔。
「もちろん」
「聖女リリアシリーズ」
「続編」
「君をモデルに――」
「しませんよね?」
律子の声が震える。
生首。
沈黙。
「……」
「……」
「……」
「します」
「いやーーーーーーーーーー!!」
黒い空間に悲鳴が響いた。
「だって」
「みんな想像するでしょ?」
「本人がいるんだから」
「しません!!」
「絶対しません!!」
律子は頭を抱える。
しかし。
生首は優しく笑った。
「まあ」
「それはさておき」
「約束の報酬」
一本の眼鏡を取り出す。
薄い銀縁。
知的なデザイン。
「これは?」
「前に渡した眼鏡の強化版」
「君の力を抑えるだけじゃない」
「人の悪意も遮断できる」
「これで」
「少しだけ普通の女の子に近づけるよ」
律子は眼鏡を見る。
そして。
小さく笑った。
「……本当に」
「あなたは変な人ですね」
「超越者なのに」
「漫画を読んで」
「同人誌を集めて」
「約束を守る」
生首は笑う。
「僕は観測者だからね」
「でも」
「面白い物語は好きなんだ」
律子は眼鏡を受け取る。
その瞬間。
長かった戦いが終わった気がした。
悪魔。
魔王。
異星人。
呪い。
全部乗り越えた。
そして最後に待っていた敵は――。
「……自分の黒歴史ですか」
律子はため息を吐く。
その日。
狂乱の聖女は。
世界を救った英雄ではなく。
一人の少女として。
新しい人生を歩き始めた。
ただし。
その隣には。
日常系漫画家。
こたつ猫之助こと成川和人。
そして。
次回作のモデル候補として狙われる未来が待っていた。
完




